風と緑と華と


「ふぅ・・・気持ちいい・・・」
 純金の髪を風になびかせ、エメラルドの瞳を細めた美少女が思いっきり両手を上に伸ばして伸びをした。
 帯刀している格好から騎士であることは分かるが堅苦しい制服ではなく、もう少しラフな服装である。
「やっぱりここは落ちつくなぁ」
 郊外の湖、その岸辺に座り込んだ少女はゴロリ、と寝転んだ。どこまでも澄みきった青空が瞳に映る。
「・・・あれ?この色、どこかで・・・」
 寝転んだまま、首を傾げる少女は<シルフィス・カストリーズ>。クライン王国初の女性騎士であり、隣国・ダリスとの戦争を回避した英雄でもある。
 純金の髪にエメラルドの瞳、白磁の肌、ほっそりとした柳の肢体。
 騎士の格好をしていなければ絶世の美少女で通る彼女だったが、王都に出てくるまで周り中が平均以上の美貌の持ち主だったために自分の容貌に関してかなり、鈍感だ。
 今日は公休日であり、人込みの中よりも自然を好む彼女はお気に入りの湖まで足を運んでいたのだった。
「ああ、そうか。隊長の瞳の色なんだ」
 深くて、綺麗に澄みきった青。優しくて、見つめられると包み込んでくれるような安心感がある、そんな瞳。
「・・・そういえば、隊長も今日は休んでおられたな・・・」
 緑の薫りと風の穏やかさにうとうとしながら、訓練場に目を引く長身の影がなかったことを思い出しつつ、疲れの溜まっていた少女はすうっと眠りに引き込まれていった。

「・・・シルフィス?」
 少女が眠りに引き込まれてから十分とは経っていないだろう。草の上に身を横たえ、うたた寝している少女を見咎めたのは彼女の上司である<レオニス・クレベール>であった。
 ある用事のために休みを取り、大通りへ出かけていたのだがその用事が済んだ後、なんとなく湖を見たくなり郊外へと足を延ばしたのだ。けれどもまさか、自分の部下がここで無防備に寝ているとは思っていなかった上司は一瞬、自分の行動を決めあぐね、少女の側で考え込んでしまった。
 風が吹き、緑の絨毯の上に広がっている純金の糸のような髪が揺れる。
 無意識に手を伸ばし、今の風で少女の顔にかかった髪を男は払ってやった。
「・・・ん・・・」
 微かなため息を漏らし、少女は安心しきったような無防備な微笑みを浮かべる。
 剣を手にし、時には血塗れになることもある騎士が浮かべるとは思えない程、純粋で無垢な微笑み。
 数瞬迷った後、男は静かにその場に座った。自分が着ていた上着を少女の上に掛けてやる。
「陽気はいいが、万が一ということもあからな」
 誰にともなく呟き、男は『騎士団の華』とも言われる美貌をずっと見つめていた。
 何時の頃からか、自分の心の中に滑り込んで来た存在。
 純粋に、真摯に、ただ真っ直ぐに未来を見つめる瞳がどれだけ眩しかったか。騎士になることを目指し、ひたすらに努力する姿。ありのままを受けとめ、そして認める広い心。
 騎士として凛とした姿勢を保ちながら、しかし、その微笑みは春日のように優しく、美しく。
「お前は、私の光なのだと言ったら、お前は困るだろうか・・・?」
 そう、呟きながら男は手にしていた包みに視線を落した。
 少女の親友達が教えてくれた、大切な日。そのためにわざわざ大通りへと出かけ、買い求めた物。
「ん・・・隊長・・・?」
「目が覚めたか」
 ぼんやりとした瞳を傍らに座る男に向けた少女はパチパチと目を瞬かせ、意識がはっきりとした途端、飛び起きた。
「た、隊長、どうしてここに?」
「思い立って来ただけなのだが、お前があまりにも無防備に寝ていたのでな」
 くすり、と笑んだ男は手を伸ばし、純金の髪に絡まっていた草を取ってやる。
「じゃ、隊長、ずっと・・・?」
「ああ、そうだな」
 上司の言葉に、少女の顔は瞬く間に真っ赤になった。寝顔を見られていたのだと思うと、たまらなく恥ずかしい。
 騎士である少女は人の気配には敏感である。だが、気を許している人物にはどうしても警戒心が緩み、無防備な姿を晒してしまう。それが嫌だ、という訳ではないのだが、今のような不意打ちだと恥ずかしさが先にくる。
「シルフィス。今日はお前の誕生日だそうだな」
 何気なく言われた言葉に、少女は大きく目を見開いた。
「は、はい、そうです。よく、ご存知ですね」
「姫とメイが教えてくれた。これは、彼女達からだ」
 綺麗にラッピングされた二つの包みを男から差し出され、少女は嬉しそうに微笑むとそれを受け取る。
「二人とも、知ってくれていたんですね」
 さっそく包みを開けた少女の微笑みが二人の親友達の贈り物を見て、更に深くなった。
 王都に騎士見習いとしてやって来たのは去年。その時はまだ、性別が定まっていなかった少女が<女性>として性別を変化させたのは秋頃である。女性へと変化したものの騎士としての仕事が忙しく、また、身を飾ることにもあまり興味がないこともあって、少女の格好はいつも男装に近い、動きやすいものであった。そのことを少女の親友達は気にしていたのだろう。
 二人がそれぞれ選んだものはリボンと組み紐のセットと、桜色のルージュであった。『せっかく女性になったのだから、少しはお洒落をしなさい』という、二人の言葉まで聞こえてきそうである。
「帰ったら、二人にお礼を言わなくてはなりませんね」
 くすくすと笑う少女の耳元に、ふいにひんやりとした指が触れた。
 思わず体を震えさせた少女はその指の持ち主−自分の上司である男を見上げる。
「・・・隊長・・・?」
 深くて澄んだ、青空のような瞳に真っ直ぐに見つめられ、少女は思わずボーッとその瞳に見惚れた。
「ピアスは・・・していないのだな」
 男の呟きで我に返った少女は自分の耳に触れ、コクリと頷く。
「はい、その・・・あまり、装飾品には興味が持てなくて」
 だから姫もメイも、身を飾るものをプレゼントしてくれたのでしょうね、と微笑む少女を男は少し思案気に見つめ、一つの包みを少女に差し出した。
「私からだ」
「隊長から?」
 一瞬目を丸くした少女は次の瞬間、破顔して男が差し出した包みを受け取る。
「有り難うございます!開けてもいいですか?」
「ああ」
 頷く男を目の端に入れながら、さっそく包みを開くと翠の輝きが掌に零れ出た。
「これ・・・」
 シンプルな翡翠のピアス。丸い形の石だけで、他の装飾は一切ついていない形なのだが・・・石は違えど、形は男と同じものではないだろうか?
「隊長がつけておられるものと・・・同じ、ものですか?」
 まさか、と思いつつも訊ねると男の手が少女の顎にかかり、くいっと持ち上げられる。
 ドキリ、とした少女のエメラルドの瞳を見つめ、男は低く、しかしはっきりとした声で告げた。
「それを、つけて欲しい」
 甘やかな光を宿した青空の瞳。告げられた言葉。
 それらの意味を、少女は正確に受け取った。
「・・・私で、いいのですか?」
 自分と同じ、甘やかな光がエメラルドの瞳に浮かぶのを見た男は優しく少女に微笑み、甘い光を浮かべた瞳に口付ける。
「お前がいい」
 口付けを受けた少女は幸せそうに微笑むと翡翠のピアスを大切そうに胸元で握り締めた。
「帰ったら、これをつけますね」
 微笑む少女を愛しそうに見つめた男の手が伸び、少女の頬を包み込む。
 男の意図を察し、少女の瞳がそっと閉じられた。
「愛している・・・」
 唇が触れる直前、男の囁きが届き、少女もそっと囁く。
「愛しています・・・」
 風と緑の中、華のような少女は確かな幸せを感じていた。


END