怪我の功名


『シルフィスが怪我をした』
 その言葉を聞いた途端、緋色の肩掛けの持ち主、<キール・セリアン>は研究も何も放り出して魔法研究院を飛び出した。

 シルフィス−<シルフィス・カストリーズ>。
 去年の春、郊外の湖で偶然出会った未分化のアンヘルの民。
 純金の髪、エメラルドの瞳。誰もが見惚れるだろう、絶世とも言うほどの美貌。そして、その身に纏う清冽な空気。
 一瞬、精霊と間違えたほど、彼の者は綺麗な存在だった。いや、それほど綺麗な空気を纏っていたからこそ、精霊に見えたのかもしれない。

 未分化で無性だったアンヘルの民は秋頃、女性へゆっくりと分化した。
 その変化をずっと、青年は見つめていた。
 アンヘル族は青年の研究の一つで、それ故に見ているのだと自分に言い聞かせながらも、心の奥底では別の感情が渦巻いていて。
「・・・シルフィス。お前は何故、『女性』に分化したんだ・・・?」
 呟く言葉に答えるものはいない。

 アンヘル族。
 性を持たずに生まれ、思春期を迎える頃に性を分ける(一般的にこれを分化と呼ぶ)特殊な一族。
 金の髪に緑の瞳。そして標準以上の美貌が彼の一族の特色。少女の美貌もそれ故だろうと納得はするが、それだけではないものもある。
 彼女の綺麗さは外見だけではない。心が・・・精神が、驚く程純粋で清冽な光を放っているのだ。
 騎士とは思えない穏やかな微笑み。他人を受け止める限りなく広い懐。
 その不思議な生態故に謂れのない中傷や偏見で傷ついたこともあるだろうに、毅然と頭を上げ続ける強さ。
 青年の無遠慮な質問に嫌な顔を見せることなく、丁寧に答える少女の根本は優しさと強さ。
 慈愛に溢れた女神そのもの。

「シルフィス!!」
 騎士団訓練所の治療室の中へ、ノックもせずに緋色の魔導士は走って来た勢いのまま飛びこんだ。
「キール!?」
「っ!?」
 部屋の中にいたのは当事者である女性騎士と、彼女の親友で青年の元・被保護者であり現・魔導士である少女。
 滅多に見ることの出来ない、青年の取り乱した姿を少女達が唖然として見たのはほんの数秒。
 すぐに我に返った二人はそれぞれの反応を起こした。
「き、きゃあああぁぁぁっっっ!!!」
「こんの、ド阿呆!!女性の治療中に勝手に入ってくるんじゃないっ!!」
 上着を脱ぎ、上半身を晒したままだった女性騎士は露わになっていた胸を両腕で隠して悲鳴を上げ、彼女の治療をしていた女性魔導士は女性騎士の形のいい胸をばっちり目撃して入り口で固まっている青年にファイヤーボールを投げつけたのだった。

 余談ではあるが、騎士団訓練所の治療室の扉が使い物にならなくなった報告と、その修理費用の要請がその日のうちに皇太子の元に届き、事情を知った皇太子は苦笑しながら判を押し、
「嬢ちゃんが目一杯、攻撃魔法を投げつけてそれだけの破壊ですんだのはほとんど奇跡だな」
 と、皇太子の側近で親友の筆頭宮廷魔導士が笑ったとか。

「本っ当に信じられない。シルフィスは女性なのよ?なのに、ノックもしないで入ってくる!?」
「ま、まぁ、メイ。キールだって悪気があったわけでは・・・」
「あったら尚更悪いわよ!!」
 治療室乱入事件から数日後、女性騎士と女性魔導士はお互いの共通の親友である王女の部屋でお茶を飲んでいた。
 バリバリに怒る女性魔導士を女性騎士が宥めるという、いつものパターンが目の前で繰り広げられているのをくすくすと笑いながら王女は見つめ、手ずから二人の親友のカップに紅茶を注ぎ入れる。紅茶のお代わりを親友達に勧めながら、王女はこの間から気になっていたことを口にした。
「でも、シルフィス。そのことを気にしていないわけではありませんでしょう?」
 にっこりと微笑む王女に女性騎士は問い掛けるまなざしを向ける。
「姫?」
「気をつけないと分かりませんけど、シルフィス、貴女、キールを避けていますわね?時期からするとちょうどメイ曰く、治療室乱入事件頃から」
「そ、それは・・・その、あの」
 王女の鋭い指摘に女性騎士はおたおたとうろたえた。実際、あれから青年と顔を合わせづらくて魔法研究院から足が遠のいていたのだ。
「ディアーナァ〜、当然の行動だと思うよぉ。シルフィスの性格じゃ、平然とした顔でキールに会えるわけないって」
 王女の入れてくれた紅茶を飲みながら、女性魔導士はピラピラと手を振って女性騎士を援護する。その隣ではまだ、女性騎士が困った顔で俯いていたが言われた言葉を証明するように陶磁器のような白い頬がうっすらとした紅色に染まっていた。職業のためか、普段は男性的な行動の多い彼女の可愛らしい一面に、親友の二人は顔を見合わせて微笑む。
「それもそうですわね」
 女性魔導士の援護に、王女は女性騎士へのそれ以上の追及をやめると三杯目の紅茶を親友達に勧めるため、紅茶ポットに手を伸ばした。

 気兼ねのない親友達とのお茶会の後、女性騎士は自宅に帰りながら深いため息をついた。
 騎士の位を拝命し、女性としての性を持ってから女性騎士は騎士団の近くに小さな部屋を借りている。周り中が男性だらけの騎士団宿舎で生活するには何かと都合が悪いのだ。
「姫やメイは分かってくれたけど・・・」
 確かに王女に指摘された通り、あの事件から緋色の魔導士を避けている。
 いつまでも避けていれば周囲の人達にもバレてしまうだろう。青年を避けている事実とその原因を・・・。そして、いらぬ心配をかけてしまうに違いない。
 もっとも、当の本人である緋色の魔導士にはしっかりバレているらしい。別れ際、親友が言ったのだ。
「シルフィスの気持ちも分かるから無理にとは言わないけどさ。近いうちにアイツに会ってやってよ。もう、煮詰まるのを通り越して焦げ付きそうなんだ」
 確かに、近いうちに会いに行った方がいいのかもしれない。彼に悪気があったわけではないのは女性魔導士に言った通り分かりきっているのだし、故郷から青年に頼まれたアンヘルの伝承に関する本が先日、届いたのだ。それを渡さなくてはならない。
「・・・駄目だ。少し、頭を冷やさないと冷静にキールと会えない」
 軽く頭を振った女性騎士は夕方になる時間ではあったが、郊外の湖へと足を向けたのだった。

 柔らかな風が純金の髪を揺らしていく。
 夕日に染まる湖を見つめ、その上を吹く涼やかな風をその身に受け、全身を夕日で赤く染めた女性騎士はじっとその風景を見詰めた。
 絶世の美貌に憂いを帯びたエメラルドの瞳・・・まるでエーベ神がそこに降臨したかのような立ち姿は魅入られずにはいられない魅力に溢れている。
「・・・シルフィス・・・?」
 背後からかけられた声に振りかえった女性騎士は、その人物を見て硬直した。
「キ、キール・・・?」
 避けていた緋色の魔導士を真正面から対面してしまった女性騎士はうろたえ、思わずその場から逃げ出した。
「お、おい、ちょ・・・くそっ」
 話をしようと女性騎士を見つけたはいいがその前に脱兎の如く逃げ出され、青年は彼らしくもない悪態をつくと彼女を追って走り出した。
「シルフィス!待てよ!」
 自分を追いかける声に動揺した女性騎士は止まるどころかますます走る速度を上げ、青年から逃げようとする。
「・・・逃がすかよ!」
 さすがと言おうか、俊足を誇る彼女を追いかけるのはなかなか骨だったが青年にとって都合の良いことに、女性騎士が逃げ出した先には青年がいつも息抜きに出かけている森があった。自分の庭並に把握している森の中なら女性騎士がどんなに逃げても捕まえられる自信がある。
「きゃ・・・」
「逃げるな」
 逃げ続けていた女性騎士の手を掴むことに成功した青年は力任せに掴んだ手を引き寄せ、手近な樹に彼女を押し付けた。
「キ、キール」
 逃げ出せないように自分の顔の両脇に手を置かれ、女性騎士はうろたえたまま青年を見上げる。
 コバルトグリーンの瞳が真っ直ぐに、女性騎士を見つめていた。
「・・・何で、逃げるんだ?」
「何でって・・・だって・・・」
 数日前の出来事を思い出した女性騎士の顔が真っ赤に染まる。しっかりくっきり、目の前の青年に自分の体を見られたのだ。顔を合わせられるわけがない。
「シルフィス?」
 顔を赤くさせ、視線を外す女性騎士の姿に青年も数日前の出来事を思い出した。
「悪い。あんなことがあれば当然だよな。けど・・・」
 ため息をつき、青年は女性騎士の頬に手をやると外した視線を自分へと戻す。
「頼むから、逃げないでくれ。お前に逃げられると、どうしていいかわからなくなる。・・・お前に嫌われたのかと・・・いや、嫌われても無理はないが・・・」
「そんな!嫌うだなんて!」
 青年の言葉に慌てて女性騎士はかぶりを振った。
「キールを嫌いになんてなりません。・・・その、思わず逃げてしまったのは恥ずかしかったからで・・・」
 再び顔を赤くして視線を外した女性騎士だが、それでも小さな声で言葉を続ける。
「私・・・一応、女性になりましたし・・・意識も女性になったんです。ですから、その、キールに飛びこまれて恥ずかしくて、逃げてしまったけど、でも、キールを嫌いにはなりません。絶対に」
「・・・絶対?」
「はい」
 顔を赤くしたままではあったが、とまどった声に視線を青年へと戻した。
「どうして、そこまで言いきれるんだ?アンヘル族に関して、あれほど無遠慮に質問していた俺なのに」
「でも、キールは何時だって真剣ですから」
 ふわり、と微笑むと、女性騎士は澄んだエメラルドの瞳で青年を見つめる。
「確かに、言葉は無遠慮だったかもしれませんけど、ただの興味本位ではないことはすぐに分かりましたから。本当に、ただ、真剣に知りたいだけだということが分かりましたから。そんな貴方を嫌うわけ、ないじゃありませんか」
 澄んだ、エメラルドの瞳。暖かく、柔らかな声。包み込むような慈愛の空気。それらはすべて、青年を縛っていた義務や言い訳を開放していった。
「シルフィス・・・」
「きゃっ、キール!?」
 突然青年に抱き締められ、女性騎士は再び真っ赤になったが青年の腕を振り払うことなくそのままじっとしている。
「ずっと、聞きたかったことがある。・・・お前は、どうして、『女性』に分化したんだ・・・?」
 アンヘル族の分化は育った環境や与えられた刺激など、様々な要因があげられるが一番有名なのが誰かに恋をした時。相手の性別に合わせ、自分も分化するというもの。
「誰かに、恋をしたのか?」
「いいえ」
 静かな答えに目を見開き、思わず青年は抱きしめていた腕を緩め、まじまじと女性騎士を凝視した。
「何て顔をしているんです?確かに恋をして分化する者が大多数ですけれど、それ以外の者もいるんですよ?私は『それ以外』の分化例です」
「経験による、分化・・・?」
「そうですね。どうも、私の周囲にいるほとんどの方が私を女性として扱ったことが主な原因みたいです」
「そう、か・・・」
「でも・・・いえ、なんでもありません」
 ふっと瞳に憂いを浮かべ、女性騎士が囁くように呟いた言葉を青年は敏感に聞き取ると再び抱き締める腕に力を込める。
「でも?・・・誰か、いるのか?想う者が」
 これほど魅力的なのだ、恋人がいてもおかしくはない。
 青年の心を知ってか知らずか、女性騎士はただ抱き締める腕の中でじっとしている。
「シルフィス・・・お前が誰を想っているのか、俺は知らない。だから、これはお前にとって迷惑なことになるかもしれない」
 女性騎士の頭を自分の肩に押し付けるように抱き締めているため、表情は分からない。けれども、じっと自分の言葉に耳を傾けていることは、雰囲気で察することができた。
「ずっと、お前を見ていた。最初はアンヘルの民であるからという理由で。だが、何時の間にかお前自身を見つめていた」
「キール」
「・・・好きだ。お前の優しい微笑みが。他人を受け入れる広い心が。何事にも負けまいと、毅然として頭を上げ続ける強さが。・・・そんなお前が、シルフィスが、好きだ」
 言葉を操るのが苦手故につかえつかえではあったが、それでも言葉に宿る真摯さは真っ直ぐに伝わり、青年の真剣さを女性騎士に教える。
 くすり、と微笑んだ女性騎士は額を青年の肩につけ、そっと囁いた。
「キール。私が一人の人を意識しだしたのは、ほんの数日前なんです」
「シルフィス?」
「女性としての性を得て、それなりの意識を持っていましたけど、まだまだ薄かったんです。そんな時に、貴方が治療室に飛び込んできました」
 顔をあげた女性騎士は、その澄んだエメラルドの瞳を真っ直ぐに、コバルトグリーンの瞳に合わせ、見つめ返す。
「あの時から、貴方を男性として意識するようになりました。ずっと、好きでしたけど、それ以上に貴方を好きになりました」
 エメラルドの瞳に浮かぶのは、青年に対する恋心。
「貴方が、好きです」
「本当に?」
「はい。不器用だけど嘘のつけない、優しくて暖かで、何事にも真剣な貴方が好きです」
 真摯な告白に湧き上がるのは限りない歓喜と幸福。叶うとは思わなかった想いが報われた幸せ。
「これからもずっと、お前を・・・お前だけを、見ている。だから、ずっと側にいてくれ」
「ええ、ずっと側にいますから、貴方も側にいてくださいね」
 お互いだけを見つめる瞳は甘く、幸せな輝きを宿していた。

 後日、このことを聞いた女性魔導士は呟く。
「これも怪我の功名ってことになるのかしら?」


END