子守唄


「キール!!」
 少女の悲鳴が広間に木霊する。
 空気が歪み、所狭しと暴れまくっていたドラゴンが自分自身の世界へと緋色の魔導士の手によって強制送還された。
 後に残ったのは緋色の魔導士の邪魔をした、広間の片隅に呆然としている魔導士とボロボロになった緋色の魔導士の青年、そして破壊されまくった広間に立つ、異世界から召喚された栗色の少女。
 ドラゴンの最後の抵抗で壁際まで吹っ飛ばされた青年の側に駆けつけた少女は青年の怪我の酷さに再び、悲痛な声を上げる。
「キール!あんた、本気で大丈夫なの!?」
「あぁ・・・」
 息も絶え絶えの様子で言っても説得力などありはしない。
「この大怪我で見栄を張るんじゃないわよ!えぇっと、治癒魔法、治癒魔法の呪文・・・あぁんっ、頭が真っ白ーっ!!」
 焦るあまり、パニックに陥る少女を落ちつかせたのは怪我でボロボロになっている青年だった。
「落ちつけ。俺に合わせて呪文を唱えろ」
「う、うん」
「いいか、いくぞ。・・・慈悲深き緑の君よ、我は請う・・・」
「慈悲深き緑の君よ・・・」
 怪我の割に落ちついた声で呪文を唱える青年に合わせ、少女も治癒魔法の呪文を唱える。
 優しい波動が両手に集まり、青年の怪我を包むとあれほど酷かった怪我は跡形もなく消え去っていた。
「ほら、できただろ」
「・・・うん・・・」
「とにかく、この後始末をしなけりゃな・・・」
 青年が呟いた言葉を聞いた途端、少女は目を吊り上げる。
「ちょっと、その体で何言ってんのよ!」
 大きな魔法を連続で使った反動で青年の体力は限界まで削り取られ、立ちあがろうとすれば体がふらつくのだ。
「だが・・・」
「ったく、そんなのこいつらにやらせればいいのよ!キールの邪魔をした上に、下手すれば魔法研究院・・・ううん、王都をドラゴンで滅茶苦茶にするようなことをしたんだからね!」
 少女の言うことは確かにあり得ることで、青年の苦心して作成した魔法陣を勝手に書き換えた魔導士達は今更ながらに青くなる。
「いいわよねっ、あんた達。それぐらい、しなさいよっ!!」
 少女の指摘と剣幕に言葉も無い彼らはただ、コクコクと頷くのみだ。
「・・・そうか。・・・また、一からやり直しだな」
「キール?」
「帰してやるって言ったのにな・・・」
 何故か、妙に複雑な顔でもう役に立たない魔法陣を見つめる青年の腕を少女は取った。
「そんなのはどうでもいいわよ。とにかく、部屋に帰ろう?今のあんたには体を休めることが一番なんだからね」
 強引に、渋る青年を部屋へ連れ帰った少女は、彼をベッドに押し込むとパタパタと看病の体勢を整え出す。
「もう、いい、メイ。あとは寝るだけだからな」
「だめよ。誰かが見張ってなきゃ、あんたはまた、さっきの魔法陣を作ろうとするでしょ?それに・・・」
 すっと手を伸ばし、青年の額に触れると少女は眉間に皺を寄せた。
「やっぱり。熱が出てきている。このまま、ほっとくわけにはいかないよ」
 自分の額に感じた、ひんやりとした細い指。その感触にドキリ、と心臓を高鳴らせる。
「大丈夫だ。ただの熱だから、寝ていれば治る」
 このまま、この少女に居座られるととんでもないことを言い出しそうで、青年は視線を逸らしながら毛布に潜り込んだ。このまま、少女が出ていってくれることを願いながら。
 だが、少女はそんな青年の思いも知らず、ベッド脇に椅子を引っ張り出し、そこに座ってしまう。
「メイ、寝ると言っただろう?」
「確かに言ったけどね、こと、魔法の研究に関してあんたの言葉は信用できないから」
 あっさりと言いきると少女は青年の上の毛布をきちんと掛け直した。その手つきはまるで母親のようで、少女の中にある母性を感じさせる。
「あんたが責任を感じるのは分かるけどね、だからと言って根を詰めて倒れちゃ、本末転倒でしょ。それに・・・」
 何かを言いかけ、ふと黙り込んだ少女に不審を感じた青年は少女の栗色の瞳を覗き込んだ。
「メイ?」
 栗色の瞳は真っ直ぐにコバルトグリーンの瞳を見つめる。何かを迷っているかのように、栗色の瞳は揺れていた。気のせいだろうか、その瞳は切なさを湛えているようだ。
「それに・・・」
 一旦口をつぐんだ少女は、そっと囁くように呟く。ともすれば、聞き逃しそうなほど、儚い声で。
「あたし・・・帰れなくてもいいから・・・」
「メ・・・イ・・・?」
 一瞬、聞き間違いかと思った。自分の願望が聞かせた幻聴かと。
 けれども、すぐに否定する。確かに、自分は少女の言葉を聞き取った。
 無意識に少女の手首を掴む。
「キール?」
 キョン、と首を傾げる少女を、掴んだ手首を引っ張ることで自分の上に倒れさせる。小さな悲鳴と共に倒れこんできた少女の細い体をすかさず、抱き締めた。
「キ、キール!」
 驚いてジタバタする少女だが青年の腕は見かけよりもずっと強く、少女の体は腕の戒めから抜け出すことが出来ない。
「ね、ねぇ、どうしたの?」
「・・・いいのか?」
「え?」
「帰れなくてもいいのか?」
「キール」
 そっと顔をあげると青年のコバルトグリーンの瞳がじっと少女を見つめていた。
「そんなことを言われると・・・俺は、本当にお前を帰せなくなる」
 青年の手が伸び、少女の頬に触れる。顔を引き上げられ、青年の顔が近づいてくるのを見つめながら、それでも少女は逃げなかった。
「・・・ん・・・」
 暖かなぬくもりが唇に灯り、自然に目を閉じる。
 触れ合うだけの優しい口付け。
 あまりにも優しくて、心地よくて、何時の間にか離れた青年をボーッとした瞳で少女は見つめた。
「お前を帰したくない・・・お前のいない生活はもう、考えられない」
 耳に届いた囁きでようやく正気に戻った少女は真っ赤になりつつも、嬉しそうに笑った。
「いいよ、帰さなくても。あたしも、ここにいたいから。・・・キールの側にいたいから」
 少女の腕が青年の首に巻きつけられ、少女は自分から青年に口付ける。
「好きよ、キール」
「ああ」
「キールは?」
「・・・好きだ」
 嬉しそうに笑う少女を抱き締め、口付けた青年は少し、からかうような表情を浮かべた。
「この体勢だと、ちょっと、ヤバい気持ちになるな」
「え?あっ!」
 青年に引っ張られ、ベッドに寝ている青年の上に覆い被さる格好だったことを思い出した少女は慌てて飛びのく。
「別にそのまま添い寝してくれても良かったけどな」
 青年にからかわれていることは分かっているが、それでも赤くなる頬はどうしようもない。
 青年を睨みつつも、少女は今の動きで乱れた毛布をもう一度、きちんと青年に掛けなおしてやった。
「シオンみたいなこと、言わないの!・・・ここにいるからさ、もう寝なさいよ」
「ずっと、いろよ」
「うん」
 真摯な瞳で言われた言葉に、少女も同じように真摯な瞳で返す。ずっと、これからも一緒だという想いを込めて。
「あたしは、キールが好きよ。だから、ずっとここにいる」
 囁く言葉は子守唄のように優しくて、そっと微笑んだ青年は瞳を閉じる。

『キールが好き』
『ずっと、ここにいるよ』

 優しくて、暖かな、子守唄のような囁きは青年が眠りに落ちるまで続けられた。

 ・・・そして、これからもずっと、続けられる。


END