メタモルフォーゼ
それ、は突然やってきた。 「やあぁぁぁっ!」 性別不詳の、凛とした響きのある声が訓練場に響く。 数回、剣の打ち合う音。 『ギィーーーンッ!!』 「そこまで!」 一際高い剣の音と共に、深みのある落ち着いた声が制止をかけた。 「よくやったな、シルフィス。ガゼルもよく防いだ」 「はいっ」 「はい、ありがとうございます、隊長」 元気一杯の少年の声に続き、性別不詳の声も嬉しそうな響きを含んで返事をする。 性別不詳の声の持ち主の名はシルフィス。アンヘル族という特殊な一族の出身である15歳の若者である。 アンヘル族は生まれる時、性別を持たずにこの世に生を受け、思春期を過ぎる頃に男女の変化がやってくる、不可思議で神秘の一族。 だが、何故かシルフィスには変化の訪れがなく、その事を本人は一番気にしていた。しかし、性別が決まっていないそのあやふやさは時には他人を魅了する魅力となるものだ。 サラサラとした、光に反射して輝く蜜色の髪。 どこまでも透き通ったエメラルドの瞳。 触れたくなるような、滑らかで白い肌。 誰もが振り返る美貌を持ちながら自分の容姿には無頓着な、ある意味ひどく無邪気な心。 容姿だけでなく、その心の有り様でもシルフィスは周囲の人間を魅了していた。 「次こそは負けねーからな、シルフィス!」 「うん、私も頑張るよ」 同期であるガゼルと笑いあっていたシルフィスは突然、自分の体に激痛が走るのを感じ、瞬間、息が止まった。 「うっ・・・」 「シルフィス?」 いきなり立ち止まり、うめき声をあげたシルフィスを振り返ったガゼルは見とれそうな美貌が青ざめ、両肩を自分の腕で抱き締め、膝をついている姿に異常を察し、慌てて側に駆け寄った。 「どうしたんだ、シルフィス!」 「く・・・う・・・」 ガゼルが肩を掴み、顔を覗き込んでくるのが分かるが、それに答える余裕がシルフィスにはなかった。間断なくやってくる激痛にきつく瞳を閉じ、唇を噛んで耐えるのが精一杯である。 「どうした?」 異常に気がつき、二人の上司であるレオニスもやってくる。 「隊長!俺にもよく分かんねーんだ。なんか、急に青ざめてこんなになっちまって・・・」 ガゼルの説明ともいえない説明に頷き、レオニスはシルフィスの青ざめた美貌を覗き込み、呼びかけた。 「シルフィス、私が分かるか?」 レオニスの呼びかけに、きつく閉じられていた瞳がそうっと開かれ、その美しいエメラルドの光を覗かせた。 「た・・・い、ちょ・・・、ガ、ゼ・・・う、うあぁっ!!」 なんとか声を出そうとしていたシルフィスはしかし、更に大きな激痛に襲われ、堪らずに大きな叫び声をあげる。そして、そのまま気を失ってしまった。 「わ、わわっ、シルフィス!」 「っ!」 崩れ落ちるほっそりとした体をとっさに受け止めたのは上司であるレオニスで、脂汗を浮かべている美貌を見るとそのまま横抱きに抱き上げる。 「とりあえず、シルフィスの部屋に運ぶ。ガゼル、医者を呼んでこい」 「は、はいっ」 バタバタと訓練場を走り出る少年を見送り、青ざめた美貌を見つめた青空の瞳が一瞬、痛ましげに細められた。 「う・・・」 「シルフィス、気がついたか?」 「あ・・・た、隊長・・・?」 気がつけばそこは見慣れた自分の部屋だった。傍らに青空の瞳を見つけたシルフィスは慌てて飛び起きようとして、思い出したように襲ってきた痛みに再び、ベッドに沈み込んだ。 「無理するな」 「す、すみません、ご迷惑をおかけして・・・」 「別に迷惑ではないがな」 くすり、と笑んだレオニスは汗で額に張りついた金の髪を掻き揚げてやる。 「隊長?」 何時になく優しい仕草のレオニスの態度に戸惑い、シルフィスは問いかけるような瞳を相手に向けた。 ひどく無防備で無垢な、汚れのない極上のエメラルドの宝玉。 この真っ直ぐで純粋な瞳に自分が癒されていることを、レオニスは自覚していた。いや、それだけではなく、この瞳を持つ存在自体に惹かれているのだということも・・・ 「体の方はどうだ?」 「あ、はい。先程ではないのですが、まだ、少し痛みがあって・・・」 寝ていれば楽ではある。だが、痛みは断続的にシルフィスの体を襲い、治まる気配はない。 「何が原因なんだ?」 「分かりません」 それが分かっていれば、医者など呼ばなくても自分でなんとかする。 そんな顔つきをするシルフィスにレオニスは宥めるように頭を軽く叩いた。 あまり気づかれていないが、シルフィスは実は医者嫌いである。やはり、アンヘルの民という特殊な自分の体が気になるのだろう。怪我をした時ならいざ知らず、風邪などの軽い病気ならば市販の薬を飲んで治していた。 「医者の往診は不本意だろうが、お前が倒れるぐらいだ。一応、診察してもらえ」 「はぁ・・・隊長、気づいていらしたんですか」 何が、とは言わないがレオニスはシルフィスが訊ねる『気づいていた』内容を察し、短く答える。 「まぁな」 「・・・すみません。そうします」 レオニスの言うことも道理であるのでしぶしぶながらシルフィスは頷いた。 と、その時。 「う、うあぁぁっ!」 「シルフィス!?」 気を抜いた瞬間を狙ったかのような激痛にシルフィスは完全に不意をつかれ、我慢できずに叫び声をあげる。傍らに座っていたレオニスも驚き、細い肩を掴んでベッドに押さえ付けた。そうでもしなければ、暴れる体がベッドの枠にぶつかるか、落ちるかしてしまう。 「シルフィス、しっかりしろ!」 「あ、う・・・た、いちょ・・・う・・・」 荒い息を繰り返し、痛みを耐えているシルフィスは呼びかけになんとか答えるものの、それだけだ。 「・・・まだ、医者はこないのか?・・・え?」 痛々しい姿に焦りを感じた時、レオニスが押さえ付けているシルフィスの体に異変が起こった。 「・・・光って・・・いる?」 真珠のような肌がぼんやりと発光している。月の光を受けて輝く月光花のような、淡く、儚い輝き。美しく、清らかな光がシルフィス自身から放たれている。 そして。 レオニスの目の前で、シルフィスはゆっくりと変化した。 ほっそりとした手足は更に華奢に。胸は豊かに。腰はくびれ。顔つきも優しく甘い線を描く。 レオニスが驚いている間に、シルフィスは『一見、美少年』から『完全な美少女』へと変化を終わらせていた。 「ふ・・・う、隊長・・・?どうしたんですか?」 変化が終わると同時に痛みが嘘のように引いたシルフィスは、自分の肩を掴んだまま固まっているレオニスを見上げ、不思議そうに尋ねる。 掴んでいた肩から手を外しながら冷静になろうとして、かえって無表情になったレオニスがやはり、平坦な声で事実を告げる。 「シルフィス・・・お前、女になったぞ」 深読みすれば、かなり危ない発言である。が、相手は鈍感の権化であり、気に取られたのは変化と結びつくニュアンスであった。 「え?」 慌てて起き上がって自分の体を見回せば確かに、あちこちのサイズが違う。 「う、嘘・・・私、女性に変化したんだ・・・」 「今までの騒ぎは変化に対する体からの信号だったわけだな」 ようやく、目の前で起こった事実を認識したレオニスの頭に、『これはチャンスかもしれない』という思いが横切る。 「それにしても、本当に驚いたぞ。目の前で女になるのだからな」 「はぁ・・・私もいきなりで驚きました」 「どうした?決着がついて、嬉しくないのか?」 困惑している表情に気づき、レオニスはいきなり不安に襲われた。 もしかして、シルフィスは男になりたかったのだろうか? 「いえ、嬉しいです。ただ、あまりにも突然過ぎて実感が湧かなくて・・・」 シルフィスの答えにホッとしたレオニスは手を伸ばしてサラサラとした蜜色の髪を撫でた。 「そうか。だが、俺としては女性に変化して良かったと思っている」 「?」 キョトン、と自分を見上げている無垢なエメラルドの瞳に躊躇しながらも、レオニスはずっと持っていた想いを少女に変化したばかりの相手に告げる。 「何時からだろうな・・・お前の瞳に癒されるようになったのは。ずっと、お前といたいと思うようになったのは。・・・シルフィス、愛している」 「隊長・・・」 エメラルドの瞳が見開かれ、そしてシルフィスは真っ赤になりながらも嬉しそうに微笑んだ。 「私、ずっと女性になりたかったんです」 「シルフィス?」 「女性になって、隊長の側にいたかったんです。ずっと、ずっと、隊長が好きだったんです」 幼いけれども、精一杯の告白。蜜色の髪を撫でていたレオニスの手がそっと細い腰に回される。 「明日・・・いや、今日中に私の家に来い」 「はい」 「お前の身一つでいい、すぐにだ」 「はい」 「アンヘルの村にも知らせないとな」 「はい」 「ああ、殿下や姫にも報告しないと」 「はい、隊長」 「シルフィス・・・こういう時は名前を呼ぶものだ」 レオニスの腕の中で幸せそうに微笑んだ少女はそっと、大切そうにその名を呼んだ。 「はい、レオニス」 因みに。 レオニスの一世一代の告白をガゼル以下、レオニス配下の騎士達がガゼルに引っ張ってこられた医者共々、扉の外で出歯亀していたとか、それを知ったレオニスに訓練でしごかれただとか、様々な噂が飛び交ったが、どれが真実であるのかは関係者一同、堅く口を閉じている為にはっきりしない。 ともあれ、この二人がプライベートでははた迷惑なほどの仲の良さを周囲に見せつけていたことだけは、事実である。 END |