見つめる瞳
「・・・ところでさ、シルフィスは兄貴のどこが良かったんだ?」 「え?」 突然された質問に、純金の髪、エメラルドの瞳の持ち主、シルフィスは紅茶カップを片手に、極々真面目な顔で自分と同じように紅茶カップを手にしている亜麻色の髪、コバルトグリーンの瞳の持ち主、キールを見つめた。 「兄貴はあの通り、抜けまくっているだろう?シルフィスが好きだって自分で気づいたのだって、あの火事の事件でだったようだし。だとしたら、シルフィスを口説くなんてしてないはずだ。あの兄貴のどこが良かったのかと思ってな」 ・・・身内だからとはいえ、かなりの言いようである。事実ではあるが。 「餌付けされたんですよ」 騎士になることをやめてまで、キールの双子の兄−金茶の髪、コバルトグリーンの瞳の持ち主、アイシュの側にいることを選んだ少女は気を悪くすることなく、くすり、と笑って答えた。その答えの内容に青年のカップを持っている手が一瞬、固まる。 「・・・餌付け?」 「ええ」 青年の様子に気づいているのかいないのか、彼女は朗らかに笑顔で肯定した。 「アイシュ様のところへ行く度にケーキとか、クッキーとかご馳走して下さって。それがまた、美味しいんです。あの味はとても忘れられるものじゃありませんよ」 にこにこと少女が話す内容に青年はめまいを覚え、額に手を当ててぐらぐらする頭を支える。・・・まぁ、無理もない。 「・・・と、言うのは冗談ですけど」 「冗談なのか・・・」 もう少し、マシな冗談を言ってくれ、と思いつつも青年は視線で少女に続きを促した。 「私を私として、真っ直ぐに見てくれた方なんです、アイシュ様は。色眼鏡で見ることもなく、偏見に縛られることなく」 嬉しそうに、それ以上に幸せそうに少女は微笑む。 「私が何かをしていても、見ていてくれるんです。アイシュ様がちゃんと、私を見つめていてくれると分かっているから、安心していられて。ずっと、ずっと、私という存在を見つめていてくれたんです、アイシュ様は」 そう、何かの話の折りに、アイシュは時々、シルフィスが訓練しているところを見ていると言ったのだ。その時の嬉しさは、今でもはっきりと思い出せる。 「鈍いのは私もですよ。いいえ、私のほうが鈍いかもしれませんね。アイシュ様が文官を辞職されて、王都から出て行くと聞いたときに初めて自分の気持ちに気づいたのですから。いつも、私を見つめていてくれた、あの瞳がいなくなると思った途端、『嫌だ』と思って。あの瞳が、あの方が、私の側からいなくなるのがどうしても、我慢出来なかったんです」 「・・・兄貴も果報者だよな、こんなに想われて」 そう、そこまで想ったからこそ、今、目の前にいるアンヘルの民は少女へと変化したのだ。そして、その変化のきっかけとなった当の人物も負けず劣らず、この少女のことを想っていることを、双子の弟は知っている。そう、随分と前、兄がポツリと呟いた言葉は今でも覚えている。 『シルフィスほど、騎士に向いていて、そして向いていない人はいないでしょうね』 あれは・・・そう、この少女が剣の訓練をしているところを見ていたときの言葉だった。自分はたまたま、訓練所の近くを通り掛かり、少女を見ている兄を見かけたのだ。 『えらく、矛盾した意見だな』 『そうですねぇ。確かに矛盾していますけど・・・でも、そう思うんですよ』 『・・・なんでなんだ?』 『シルフィスは・・・とても優しくて、繊細な心の持ち主なんです。守る者がいれば、その人を全力で守る、騎士の心も持っていますけど・・・でも、戦争のように、無差別に人を殺めるようになれば、心は血を流して傷つきます。そんな子ですよ、シルフィスは』 あの時はよくそこまで見ているなと思っていたが、その時すでに、兄はこの少女に惹かれていたのだろう。ただ、自覚がなかっただけで。 「あれぇ?キールじゃありませんかぁ。どうしたんですか?」 のんびりした声と共に、今、二人の話題になっていた元王宮の文官が片づけ中である部屋の中へと入ってきた。 「アイシュ様、また、どこかでコケました?」 「え?えーっと、そう、見えますかぁ?」 心配性の気がある少女の問いに、綺麗な顔と瞳を眼鏡で隠した青年はのんびりと首を傾げたが、そんなもので少女は誤魔化されはしなかった。部屋に帰ってきた青年にすたすたと近づき、おもむろに青年の右手を取る。 「ここ、行く前は怪我なんてしていませんでしたよ?とにかく、消毒しますね」 「あ〜、すみませんねぇ」 「いいですよ。アイシュ様がコケないでいられるなんて、思っていませんから。でも、手当てはちゃんとしましょうね」 「そうですね」 本人達に自覚はないだろうが、しっかり、『二人の世界』を作っていたりする。軽く咳払いをして、キールは自分の方に二人の意識を向けさせた。 「新婚並みの惚気もいいけどな、せっかく来た俺の存在を忘れるなよ」 「忘れていたわけではないんですけど〜、すみませんねぇ」 相変わらず、力の抜けるような話し方をする兄に脱力しながらも、弟はポイッと無造作に手にしていたモノを放り投げる。 「うわっ、とと」 放り投げられたモノを上手くキャッチ出来ずに、二、三度お手玉したそれを見たアイシュは眼鏡の奥の瞳をぱちくりさせた。 「・・・キール?」 横からアイシュの手の中のモノを覗き込んだシルフィスも目を丸くし、問いかけの意味も持って、ソレを放り投げた相手の名前を呼ぶ。 「俺が作った護符だ。シルフィスの剣の腕があれば大抵の事は切り抜けられるだろうが、あっても困るものじゃないだろう。餞別として持って行けよ」 「・・・有り難う、キール」 深い、思いの篭った声でアイシュは感謝した。文官を辞職したと言った時、問答無用で殴った弟が旅のための護符を作ってくれたのだ。それだけに、この餞別は何よりも嬉しかった。 「別に礼を言われることじゃない。それを渡したことだし、俺はそろそろ帰るからな」 ふいっとそっぽを向きながら暇を告げるキールに、アイシュは慌てて引き止めにかかる。 「そんなこと言わずに〜、お茶でも飲んでいって下さいよ」 「さっき、シルフィスから貰った。兄貴はまだ、ここの片づけがあるんだろう?」 「それは、そうなんですけどぉ」 「俺はただ、それを渡しに来ただけだ」 すたすたと扉へと歩いていく弟に兄も諦め、扉まで見送りに出た。 「キール、本当に有り難う。大事にしますねぇ」 「大した物じゃない。ただ」 くるり、と振り返ったキールは、並んで立っているアイシュとシルフィスを交互に見つめ、真剣な声で告げる。 「・・・必ず、戻ってこいよ」 その言葉を聞き、大きく目を見開いた次の瞬間、二人は嬉しそうに微笑んだ。 「ええ、もちろん」 「はい、帰ってきます」 一週間後、親しい友人達に見送られ、アイシュとシルフィスはクライン王国を出発した。旅立つ二人の身にはちゃんと、キールが作成した護符がつけられている。 「ねぇ、アイシュ様」 「はい、なんでしょう、シルフィス」 のんびりと、何時ものように返ってくる返事にどこか、安心しながらシルフィスは嬉しそうに微笑んだ。 「待っていてくれる人がいるのって、すごく幸せですよね」 微笑むシルフィスに微笑みを返し、アイシュは頷く。 「ええ。だから、私達は旅立てるのですよ。いつ、ここに帰ってきても、両手を広げてくれる人達がいると分かっているから・・・」 「そうですね」 一度、後ろを振り返り、そしてアイシュは右手をシルフィスに差し出した。 「さぁ、新しい世界を見に行きましょう」 「はい」 左手をアイシュに預け、シルフィスは頷く。 何年か後、再びこの国に帰ることを約束して、二人は歩き出した。 END |