お菓子な関係


「メイ、少し、いいですか?」
「シルフィス?どうしたの?」
「あの、ちょっと、相談が・・・」
 微かに頬を染め、恥ずかしそうに言葉を紡ぐ何時もとは違う様子の親友に、異世界の少女はきょとん、と首を傾げたのだった。

 メイが見習い騎士から相談を受けた1時間後。魔法研究院の台所を借り切った二人の姿があった。
「じゃ、材料の確認をするよ?」
「はい」
 真剣な顔で頷くシルフィスを見て、メイはこっそりと微笑む。いつもキリッとしている彼女を見ているだけに、今の真剣さはとても可愛い。
「んーっと、チョコ100g、バター100g、砂糖90g、薄力粉60g、卵3個、それから塩、カカオリキュール」
 少女が読み上げる材料をシルフィスは一つ一つ確認し、ちゃんと揃っていることを確かめた。
「はい、あります」
「よし。じゃ、はじめよっか。まずは卵を卵白と卵黄に分けて、卵白を泡立てて。あ、塩を一つまみ、入れてね」
「はい」
「一番大事なのは、これなの。これさえちゃんとすれば、後は簡単だから」
 親友の言葉に真剣に頷き、シルフィスは卵白を泡立て始める。
「疲れたら言ってね。交代するから」
「そんな、大丈夫ですよ」
 最後まで自分で作りたいらしい親友の気持ちを、メイはよく分かっていたが。
「卵白の泡立てを甘く見ないことよ。始めはそうでもないけど、空気を含んでくると重くなって、それは大変なんだから。電動があったらいいんだけどねぇ」
「・・・デンドウ?」
 聞きなれない言葉に、シルフィスは首を傾げた。その手は休まず、シャカシャカと泡だて器を動かしている。アンヘル村にいた頃も家の手伝いをしていたらしく、手つきはなかなかのものだ。
「う〜ん、ここでの魔法に該当するものかな?泡立てる労力を少なくするようになっているんだけど。あ、卵白が白っぽくなったね?じゃ、砂糖を2〜3回に分けて入れるよ」
 その電動式でも、10分近くは泡立てないといけなかったからなぁ、とメイはシルフィスが泡立てている卵白に砂糖を入れながら苦笑した。
 シルフィスが卵白を泡立てている間にメイは湯を沸かし、湯煎の準備を始める。湯が沸くまでの時間にチョコとバターを湯煎しやすいよう、小さく切るとポールに入れた。
「シルフィス、交代しよう」
「まだ、疲れていませんよ」
 首を横に振る親友の手からボールを取り上げたメイは、少女に湯煎の方を指し示した。
「いいから。完全に疲れる前に、交代していった方がいいよ?少し、私がこれをしているから、シルフィスは湯煎をしてね」
 メイはケーキの作り方を全部、きちんと自分に教えてくれるつもりなんだと理解した少女は素直に頷き、大き目のボールに沸かした湯を入れ、チョコとバターを湯煎しだす。
「メイ、完全に溶けたみたいです」
「じゃ、卵黄を一個ずつ加えて混ぜて」
「はい」
「で、カカオリキュールを適量入れて」
「適量って・・・」
 初めて戸惑ったような顔をするシルフィスに、少女はかなり重くなってきた卵白を泡立てつづけながら説明した。
「お酒は個人の好みがあるからねぇ。ま、このリキュールは香りづけ程度のものだし、本当に少しでいいよ」
 カカオじゃなくて、コーヒーリキュールだとか、ラム酒を使うこともあるしねー、と明るく言う親友に納得したのか、シルフィスはリキュールをチョコに加える。
「薄力粉をふるいにかけていて」
 即座に次の行動を指示する声に従い、少女は薄力粉を2、3回ふるいにかけた。
「メイ、疲れませんか?」
「ん、さすがにね。あと少しなんだけど・・・悪い、代わって」
 親友からボールを受け取り、卵白を泡立て始めてシルフィスは驚いた。自分が渡した時よりも重たいのだ、ものすごく。
「これは、確かに大変ですね」
「でしょ?でもね、これを頑張るとあとは美味しいケーキになるから」
「はい、頑張ります」
 卵白を親友に任せたメイがケーキ型の準備をし、オーブンを暖め始める。
「180℃で40分がセオリーなんだけど・・・ガス式だもんねぇ。時々、様子をみなくっちゃ」
 ぶつぶつ呟きながらオーブンの準備をすませた少女は親友が泡立てている卵白を覗きこみ、にっこりと笑った。
「シルフィス、頑張ったね。ホラ」
「・・・えぇっ!?」
 メイがひょいっとボールをひっくり返しても、卵白が落ちてこない。目を丸くするシルフィスに少女はくすくすと笑った。
「不思議な光景でしょ?でも、これだけ空気を含むから、ふくらし粉を使わなくてもケーキが膨らむし、舌触りもよくなるの」
 ここまできたら、後は簡単だった。
「卵白にチョコを入れて、泡をつぶさないように混ぜて。ゴムベラを底から掬い上げるようにして・・・そうそう。完全に混ざったら、薄力粉を2、3回に分けて入れて」
 粉っぽさがなくなったケーキ種をケーキ型に入れ、オーブンに入れた少女2人は顔を見合わせてにっこりと笑う。
「あとは焼き上がりを待つだけ。お茶でもして、待ってよっか」
「はい。メイ、有り難うございました」
「ううん、私も久々にお菓子を作れて楽しかったもん」
 ケーキの焼き上がりを待ちながら台所でお茶をするが、そのケーキが気になるらしく、シルフィスは何度もオーブンを覗いている。その様子がわくわくとした小さな子供のようで、シルフィスの新しい一面を見たような、得した気分にメイはなった。
「さて、焼けたかな?」
 オーブンから取り出したケーキに竹串を刺し、何も付いてこないことを確かめると網の上に乗せてケーキを冷ます。
「冷えたら、茶こしで粉砂糖をふるって完成」
 メイの指示通り、粉砂糖を振るった少女は本当に嬉しそうに笑った。
「綺麗、ですね」
「味も保証するよ。頑張っといで」
「はい」
 親友の励ましを背に、シルフィスは大事そうにケーキを抱え、目的の場所へと向かって行ったのだった。

 コン、コンコン。
「はい?あ、シルフィスじゃ、ありませんかぁ〜」
 のんびりとした返事と共に扉が開かれ、王宮文官のアイシュが顔を覗かせる。シルフィスの姿を認めると眼鏡の奥の、見えないけれど綺麗なコバルトグリーンの瞳が優しく細められた。
「あの、お仕事中、でしたか?」
 しかし、少女は部屋の中の書類の束を見ると遠慮がちに青年を伺う。邪魔であれば、すぐに引き返すだろうことが容易に予測でき、青年はにっこりと微笑んだ。
「あれは、全部決済済みのものなんですよ〜。今からお茶にしようとしていたところですし〜、よければ、一緒に飲みませんかぁ?」
「は、はい、じゃ、お邪魔します」
 青年の誘いはそれこそ願ったり叶ったり。頷いた少女はそっと、手にした箱を青年に差し出した。
「その、メイに教わってケーキを焼いたんです。アイシュ様、食べてくれませんか?」
「そうなんですか〜。ええ、喜んで」
 にこにこと青年は笑い、シルフィスからケーキを受け取るとお茶の準備をするために奥へ引っ込んで行った。
「・・・アイシュ様、あれがバレントデーのケーキだって、気づいているのかなぁ・・・?」
 椅子に座り、シルフィスは首を傾げる。あの様子では・・・
「気づいていないみたい」
 頑張ったんだけどなぁ、とひそかにため息をついているところに青年が盆の上に茶器とケーキを揃えて戻ってきた。
「あれ?アイシュ様、そのケーキは?」
 自分が作ったのとは違うケーキを見つけ、少女は立ち上がって盆の上の茶器を取りながらほぼ同じ高さの視線である青年の顔を覗きこむ。
「ええ、これは僕が焼いたケーキなんですよ〜。今日はバレントデーでしょう?シルフィスに食べてもらおうと思いまして」
 ・・・ちょっと、待て。バレントデーは普通、女性が男性にチョコを送るものでは・・・?
「あなたのも、バレントデーのケーキなんですよね。すごく、嬉しいです〜」
 本当に嬉しそうに笑う青年を見て、ちゃんと意味を分かってくれたのだと少女はホッとした。とりあえず、バレントデーの疑問は横に置いといて。
 お茶を入れ、2人は二種類のケーキをそれぞれ試食する。
「あ、美味しいですね〜。シルフィス、上手ですよぉ」
「アイシュ様のケーキも美味しいです。でも、あの、アイシュ様。普通、バレントデーは女の人が男の人に渡すものじゃないですか?」
「ええ、世間一般ではそうですよねぇ」
 のんびりと紅茶を飲みながら青年は頷いた。・・・しかし、王宮の文官でありながら、この青年から『世間一般』という単語が出ると妙に違和感があるのは、何故だろう・・・
「でも〜、女性だけっていうのは、なんだか不公平じゃありませんか〜?男だって、こういったものに参加してもいいと思うんですよ〜」
 それがたとえ、チョコを渡すという、恒例行事でなくても。
「僕はこういった行事でないと、ちょっと、気持ちを打ち明けられませんし〜」
「アイシュ様?」
 ドキッとして少女は青年を見つめた。予感で心臓が踊り出している。
「あなたも、ケーキを持ってきてくれたんですよね。僕は、自惚れてもいいんですよね」
 じっと自分を見つめてくる青年に、少女は頬を染めた。夏の日に偶然見た、あの綺麗なコバルトグリーンの瞳が思い出される。
「・・・自惚れて、下さい」
 少女の呟きに青年は優しく微笑んだ。
「来年は一緒にケーキを焼きましょうね」
「はい」
 紅茶の湯気が優しく揺れる部屋で、優しい来年の約束が交わされた。


END