想いの行方
罪深い恋をした 罪にまみれた愛し方をした 故に、恋は、愛は禁忌となった 禁忌としたはずなのに・・・ 枷をはめ、鎖をかけたはずの心が求める ただ一人を求め、荒れ狂う 心にかけた戒めをあっさりと解いたその人物は・・・ コン、コンコン。 真夜中に近い時間、部屋の扉を叩く音に剣の手入れをしていた少女は不思議そうな顔をして視線を扉に向けた。 クライン王国初の女性騎士となった少女は正式に騎士の位を拝命した後、騎士見習い時代に過ごした騎士団宿舎を引き払い、小さな部屋を借りてそこで生活していたのだが、こんな真夜中近くに訪ねてくるような人物に心当たりはない。いや、一人、栗色の親友が何かをしでかしそうではあるが、今日は確実に婚約者と一緒に住んでいるラボへと帰ったのを見ているのでその可能性は低い。彼と大喧嘩をしてラボを飛び出してこない限りではあるが。 「はい、どなたですか?」 ドアノブに手をかけ、扉越しに誰何する。不用意に扉を開けることはしない。騎士であろうが、女性ならば当然の用心だ。 「・・・遅くにすまない。・・・私だ」 「レオニス様!?」 聞き慣れた、低い声に少女は慌てて扉を開け放った。 部屋の前に佇んでいるのは長身の男。少女が騎士見習いとして王都にやって来た時からの上司だ。 「なにか、事件でも?」 こんな夜中に、部下とはいえ用もなく訪ねてくる人物ではないと知っている為、少女の問いは否が応にも緊張に満ちたものとなる。だが、そんな少女に男はただ、かぶりを振った。 「いや、なんでもない。ただ・・・近くを通ってみたら灯りがついていたようなので寄ってみただけだ」 「そうですか。では、少し上がっていきませんか?外はまだ寒いでしょう?お茶でも飲んで、温まってください」 緊急事態ではないと分かった途端、少女の表情は柔らかく暖かい微笑みに変わる。外の寒さに身震いし、何気なく触れた男の手の冷たさに少女は慌てて部屋の中に引っ張り込んだ。男に対する警戒心など微塵もない行動である。 年頃の少女としてはあまりにも無防備だ。逆を言えばそれだけこの男を信用しているということなのだろうが。 「手がこんなに冷えているじゃないですか。これから帰るにしろ、どこかへ行かれるにしろ、少し体を温めないと風邪をひいてしまいます」 居間として使っている部屋へと連れて行き、ソファに座らせる。少女の行動に何も言わず、無言で従う男に少女は微かな違和感を感じた。もともと無口ではあるが、こんな風に唯々諾々と従うような男ではないはずだ。首を傾げ、男に近づいた少女の嗅覚にある刺激臭が届く。覚えのあるそれは間違いなく、アルコールの類いだ。 「もしかして・・・レオニス様、お酒を召されましたか?」 「・・・・・・・・・・あぁ」 言葉少ない男に、少女は確信した。したたかではないにしても、男は確実に酔っている。でなければ、夜中に自分のところへ来るという、理由のつかない行動をとるはずがない。 (それにしても・・・) 俯いている男を見ながら少女は内心で首を傾げた。 (レオニス様が酔うだなんて・・・一体、どれだけお酒を召されたんだろう) はっきり、きっぱり、男はざるである。顔色も変えず、水でも飲むようにアルコール度の高い酒を飲むものだから、筆頭宮廷魔導士の青年に「本当に酒の味が分かって飲んでいるのか?」などと言われていることを少女は知っている。 「先にお水を持ってきますね」 とにかく、水分を取らせた方がいいだろうと判断し、身を翻した少女に男が呼びかけた。 「シルフィス」 「はい?」 名前を呼ばれ、振り返った少女の目の前が一瞬、暗くなる。自分の身に何が起こったのか分からず、目をしばたいた少女は次の瞬間、男の腕の中に抱き締められていることに気づいて声も出ないほど驚いた。 呆然としている少女に気づいているのか、いないのか。男はただ、少女をしっかりと抱き締めているだけで何も言わない。その様子はまるで、抱き締めているというよりも少女に縋っているようにも見えた。 「レオ・・・ニス・・・様・・・?どうされたのですか?」 呆然自失状態からどうにか復活した少女はそっと男を窺う。抱き締める腕の力は自分に痛みをもたらしはしないが、少しでも身じろぎすれば戒める力が強くなる。 「・・・シルフィス・・・シルフィス、シルフィス・・・」 「レオニス様?」 繰り返し、自分の名前を呼ぶ男に少女は困惑する。名前を呼ぶ、その声にさえ縋るような雰囲気がある。 「私は、ここにいます、レオニス様。ここに、貴方の側に・・・」 そっと男の背中に腕を回し、いたわるようにその背をさする。自分はここにいると、少女は繰り返し男に囁いた。そうした方がいいと、ただの直感ではあったが心の何処かでそう感じたのだ。 「ずっと、お側にいます、レオニス様」 暖かな抱擁。 優しい囁き。 少女の持つ慈愛の温もりが男を包む。 「側に・・・」 「レオニス様?」 呟いた男の言葉が聞こえず、少女は顔を上げて男を窺った。その少女の頬に両手を添え、男はエメラルドの瞳を見つめる。 「シルフィス・・・」 幼さゆえの激情で罪となった昔の愛。愛した人の恩情で死を免れたものの、心は死んでしまった自分。そんな自分の死んだ心を甦らせ、凍らせた愛を溶かしてしまったのはこの澄んだエメラルドの光だ。 騎士として人の命を奪う任務を受けながらもその事実を真摯に受け止め、尚、純粋な心。その純粋な心が、澄んだエメラルドが曇ることを男は何よりも心配していた。 けれども。少女は男が思っていたよりも強かった。 「私は、私のこの手が命を奪った手であることを忘れません」 つい、この間のことだ。こんな会話をしたのは。 「どんなに綺麗事を言おうとも、私の手が血にまみれていることを忘れはしませんし、忘れてはいけないことです」 血にまみれていると言いながらも、エメラルドの瞳は澄みきったまま。 「私は、私の全力で相手と闘い、相手の命を奪います。相手の命で、私は生きます。・・・貰った命で、私は生きています」 輝く、エメラルドの光。 「ですから、精一杯、最後まで、全力で生きることが・・・私が奪った命に対しての礼儀だと・・・そう、思っています」 それが、彼女なりの騎士としての倫理。何時の間にか、これほどまでに少女は強くなっていた。 そうして、男は気づいた。自分の心に戒めていた枷が、このエメラルドの持ち主によって解かれてしまったことを。 だが、開放された心は別の戒めを受ける。己の激情で少女を傷つけはしないかと。過去の出来事と己の中に潜む激情を恐れ、ただ、少女を見守る日々が続いたものの、それにも限界があった。 絶世の美貌を誇る少女は否応にも目立ち、男性からの誘いが多い。一度もその誘いに応じることのない少女ではあったが、それでも何時か、誰かの手を取るのだろうかと思うと心の奥がどうしようもなく軋むのを男は感じていた。 それを紛らわすため、アルコールに手を伸ばしたのがいけなかったのか。 気がつけば少女の部屋の扉を叩いており、少女の手に促されるまま、部屋の中に入り、そして少女に縋るように抱き締めていた。 『ずっと、お側にいます、レオニス様』 その言葉は、己の願望が聞かせた幻聴だろうか。少女の頬に手を添え、少しも輝きを失わないエメラルドの瞳を見つめる。 「側に・・・ずっと側にいてくれるか?」 止まらない、溢れる想いが口をついて出た。 「私の側に、ずっと。私はもう、お前を離せない」 見つめる瞳に熱が篭る。片手が少女の細い項に添えられ、片手が少女の華奢な腰に回された。そうして、男の顔が少女に近づく。 「嫌なら、拒否をしてくれ。余計な同情は禁物だ。私が本気になれば・・・止められるものはない」 男のその言葉通り、項に添えられた手も、腰に回された手も、少女が抵抗すればあっさりと解けるだろう力しか入っていなかった。だが、少女は抵抗するでもなく、瞳を閉じ、男の唇を受け入れる。 奇妙に緊張感の漂った、しかし、心安らぐ時間が過ぎた後、二人はゆっくりと名残を惜しむかのように離れた。 「・・・いいのか?」 端的に訪ねる男に、少女はふわりと微笑む。 「貴方の側にいることが、私の望みです」 「その言葉、もう取り消しはきかないぞ。たとえ、お前が後で悔やもうと、私の激情がお前を傷つけようと」 「私はそれほどか弱くありません」 優しい微笑みを浮かべながら、少女は男の頬に手を伸ばした。 「貴方と対等の立場を手に入れるために、貴方と同じものを見るために、貴方と一緒に闘うために、そして過去の貴方をも受け止めるために、私はずっと努力してきました」 「シル、フィス・・・?」 少女は知っているのか?激情にまかせたが故に、罪となった愛を。 「ある方から、聞きました。私の視線がどこへ向かっているのか気づかれ、貴方の話をされました。それでも、貴方を想うのかと・・・」 そこで、少女は初めてくすり、と自嘲気味に笑った。 「最初は確かにショックでした。貴方はもう、誰も愛さないだろうと感じましたから。けれども、ずっと、ずっと考えて、考え抜いて・・・私は私の方法で愛していけばいいと思ったんです」 真っ直ぐに男を見つめるエメラルドの光は、悩みながらも自分の信念を見つけた者が持つ強さがあった。 「過去の愛を否定するのは、今の貴方を否定するのと同じ事。過去があるからこそ、今の貴方があるのに、それを否定するのはおかしいではありませんか。なら、ありのままの貴方を愛すればいい」 煌くエメラルドの光が眩しい。 「貴方の側で手助け出来る存在に。ふとした時に頼ってもらえる存在に。すべては、貴方を愛するがために」 この少女はどこまで自分を狂わせるのだろうか。もう、自分を押さえることが出来ない。 ずっと、禁忌としていた言葉を、今、目の前の少女に捧げる。 「愛している」 甘やかに、しかしその底には激情も秘めて。 「お前を、お前だけを愛している。・・・愛している」 囁く合間に口付ける。頬に、額に、瞳に、唇に。 「側にいろ。決して、離れるな」 「貴方の望む通りに」 微笑む少女に男は深く口付けた。 枷を嵌めた心が求め 鎖で戒めた心が荒れ狂う それらを解いたのはエメラルドの光 ただ一人の少女 想いは少女へと向かう 今度は禁忌にならない言葉を携えて 「愛している」 それは、何よりも幸せな言葉だった。 END |