側にいる未来
コン、コンコン。 どこか、ぼんやりとしていた意識に控えめなノックの音が響き、やはり、ぼんやりとしたまま、シルフィスは扉を開けた。 「あ、あの〜、シルフィス、ケーキを焼いてきたんですけど〜、一緒に食べませんかぁ?」 「アイシュ様・・・」 居心地悪そうに、けれども心配そうに顔を覗きこんでくる青年に、気が緩んだのか、シルフィスはボロボロと大粒の涙を零しだす。 「わわっ、シルフィス、そ、その、泣かないで下さい〜」 「す、すみません。でも、アイシュ様の顔を見たら、気が緩んじゃって・・・」 わたわたと両手をバタつかせていた青年は、一大決心をしたように、そっとシルフィスを抱き締めた。 母親が子供をいたわるような、優しい、優しい抱擁。 「泣き止むまで、こうしてあげますから・・・」 優しい囁きに、そのぬくもりに、絶望していた心が癒される。 青年が与えてくれる優しさに甘え、シルフィスはこれ以上はないという程泣いた。泣いて、感情を吐き出した。 「・・・落ちつきましたか?」 「はい。すみません、ハンカチまでお借りしちゃって。後で、洗って返しますね」 泣くだけ泣いて、落ちついたシルフィスは照れたように笑うと手にしたハンカチを掲げてみせた。 まだ元気はないものの、シルフィスの笑顔を見れたことにホッとして青年もまた、笑う。 「アイシュ様、私のことを誰からお聞きになったんですか?」 「え?べ、別に・・・」 「隠さなくてもいいですよ。アイシュ様、騎士団の方に来られるのは苦手だったはずでしょう?なのに、こうしてアイシュ様特製のケーキを持ってこられて・・・大抵の者は気づきます」 「・・・そうですね。それに、あなたは特に聡明な方ですから・・・」 ちょっと、困ったように笑ったアイシュは手にしたケーキの箱を丁寧にテーブルの上に置き、ポリポリと頭を掻いた。 「その、あなたのことは姫さまから聞いたんですよ。姫さまもすごく心配しておられて・・・私もあなたのことが気になって、こうして来たんです〜」 本当に心配してもらっている、その心にシルフィスはふわりと微笑んだ。 嬉しかった。自分を心配して、苦手なここまで来てくれて。 でも・・・ 「隊長に、村に帰れと言われたんです」 「シルフィス」 俯き、細い声で告げるシルフィスは普段の強い姿勢とは掛け離れ、守ってやりたくなるような儚さを漂わせていた。 「あの〜、シルフィス。そのことなんですけど〜」 のんびりとした口調の中にも、何かを伝えようとする意志を感じ取ったシルフィスは顔を上げ、目の前の青年を見つめる。 「その、よければ、なんですけど・・・僕のところに来ませんか?」 「アイシュ様?」 驚いたシルフィスは眼鏡の奥にある、コバルトグリーンの瞳を真剣に見つめた。その綺麗な瞳は見えないけれど、言われた言葉の意味を知ろうとして。 「あなたの弱みに付け込むようなんですけど〜、でも、僕はあなたに側にいて欲しいんです。あなたはずっと、騎士になる為に努力していて、言えなかったんですけど・・・」 一生懸命に言葉を紡ぐ青年の姿に、シルフィスは心が暖かくなるのを感じた。『付け込む』なんて言っているけど、青年がそんなことを一欠片も考えないことを、シルフィスは知っている。 優しくて・・・過ぎるほど優しくて。側にいるとホッとして、心にぬくもりが灯って。ずっと、側にいたいと願ったのは何時だっただろう。 「・・・私、アイシュ様の側にいて、いいんですか?」 「側にいて欲しいんです」 すぐに返る返事に、シルフィスは幸せそうな微笑みを浮かべた。 「知っていますか、アイシュ様。私、アイシュ様以外の人の前では泣けないんです」 そう、たとえ親友である異世界の少女と、クライン王国の王女の前でも。 「アイシュ様の前なら泣けるし、弱みも見せられるんです。・・・アイシュ様が受け止めてくれますから」 シルフィスの言葉を聞いて、青年はこの騎士見習いの情報を教えた王女のぼやきを思い出した。 『シルフィスって、自分に厳し過ぎますわ。わたくし達の前でも、気を抜くことがないんですのよ。常に周囲に気を配っていて、わたくし達に危害が及ばないようにして。泣くなんてもちろん、甘えてくれたこともありませんし』 なんだか、寂しいですわ、と呟いていた姫の言葉を、自分は不思議に思っていたのだ。自分は泣き顔も、無防備な笑顔も、知っていたから。 「アイシュ様の側に、いさせてください」 隊長に村へ帰れと言われて、まず浮かんだのは目の前にいる青年の顔だった。村に帰れば、会えなくなる。それだけが、心を占めていて。 だから。 「引き止めてくれて、嬉しかった」 「僕も、あなたが残ってくれて、嬉しいですよ」 シルフィスの答えに青年は微笑み、そっと手を差し伸べた。 「今から、僕の家を見に来ませんか?」 「はい」 差し伸べられた手に、白い手が重ねられ、握られる。 「さぁ、行きましょう」 これからも一緒にいる未来に、二人は幸せな微笑みを浮かべると扉の外へと歩いて行った。 END |