大樹の賢者


 森は歌う
 遥か昔に存在した異世界の魔導士のことを

 大樹は歌う
 彼女が愛した小さな賢者を

 彼(彼女)らは歌う
 昔、昔の物語を

 彼(彼女)らを見守り、この世界を愛した少女の物語を

 世界樹の側に立つ、小さな家に悲しみの空気が満ちていた。
「悲しまないで」
 ベッドに横たわる、小さな老女が周りにいる人々に向かい、穏やかに微笑む。
「大樹の賢者様」
 いまだに輝きが衰えない、栗色の瞳を自分の別の呼び名で呼んだ土地の者に向けると、向けられた者は声を詰まらせ、号泣しだした。
「賢者様、もう少し、もう少し・・・」
「もう、寿命なの」
 命の火が消えかかっているとは思えない、力強い声が引き止める声に現実を告げる。
「幸せね。こうして皆に見取られて、皆のところへ逝けるのだから・・・」
 穏やかな呟きに、残された時間を思って周囲は悲嘆にくれた。もう、どうやっても愛すべき『大樹の賢者』と呼ばれた女性の時間がないと知って。
「・・・ああ、迎えに来てくれたの?アリサ」
 嬉しそうな呟きに答え、この賢者の家の扉がゆっくりと開く。
 そこに立っていたのは・・・

 紫紺の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「ディアーナ、泣かないで」
 困ったように眉を寄せ、栗色の髪の少女が薄紅の髪の少女を抱き締めた。
「だって・・・だって、メイ」
「何も今生の別れってわけじゃないのに。ちょーっと、会うのが不便になるだけでしょ?」
「だからって、この扱いはあんまりですわ!メイは、この国を・・・世界を救った英雄ですのに!」
「ディアーナ」
 憤るクライン王国・第二王女に、魔法実験の失敗で異世界から召喚されてしまった少女は苦笑しつつ、王女のふわふわとした薄紅の髪を撫でる。
「これでも結構、扱いはいい方なんだよ?殿下のお陰でね。そうでなけりゃ、あたしは一生、王宮で飼い殺し状態になっていたわ」
「メイ」
「確かに、あたしは王宮のトップシークレットをいくつも抱えている。これは反王宮勢力にとっては絶好の的ってわけよね。いくら、あたしが殿下やディアーナの味方だって言ったって、いつ、そんな奴らに攫われるか分からないし、手元に置いておきたいのは自然な心理よ」
 そう、この栗色の少女は王宮の秘密をあまりにも沢山、抱え込んでいた。
 生来の旺盛な好奇心の為か、いくつもの事件に係わるはめになり、結果、一介の魔導士としては必要以上の情報を持つことになってしまったのだ。
 これは、王宮にとっては死活問題である。
 たとえ、この少女がダリス王国の野望を打ち砕いた英雄であろうと、政治に直接係わるわけでもない普通の少女が持つには、危険過ぎる数々の秘密だった。
「・・・でしたら、メイの世界に帰れたあの時、ちゃんと帰っていればこんな目にあわずにすみましたでしょう?」
 確かに、帰れたはずだった。けれども、栗色の少女は自分の世界に帰そうとしている世界樹の子供に、ここに残りたいと願ったのだ。
 世界樹の子供−アリサと呼ばれた少女はその真摯な願いを聞き届け、帰りかけていた栗色の少女をこの世界に留めた。
「うん、確かにね。でも、あたしはここにいたかったの。皆がいる、ここに。そして、アリサを見守っていたかったの」
 ダリスの焼け跡から見つけ出された世界樹の苗木を、少女はクラインとダリスの国境沿いの土地に植えた。何度も『有り難う』と言いながら。
「メイ!良かった、間に合いましたね」
「シルフィス」
 純金の髪をなびかせ、騎士の服を着た美少女が息を切らせて駆け寄ってくる。
「どうしたの?確か、今日は騎士の配属の発表だとか言っていたと思うんだけど」
 栗色の少女の質問に、純金の少女はにっこりと笑った。
「ええ、配属場所だけ聞いて、すぐにこちらに来たんです。今日、会っていないと今度は何時会えるか分かりませんし」
 騎士としての訓練をしていた為だろうか、純金の少女の方が冷静に栗色の少女の立場を理解しているようだった。
 本来ならば確かに、栗色の少女は一生、王宮から出られない状態になるところだった。王宮には近衛騎士も魔導士もいる。少女がとても脱走など出来ない程の実力を持っている者達が。
 けれども、個人的に少女と親しく交流していたこの国の皇太子の並々ならぬ尽力の結果、少女は世界樹の監視という役目を振り当てられ、一生を籠の鳥として暮らすことだけは免れたのだ。
 ただし、少女の周りにはいつも、監視の目が光ってはいるが。
 けれども、それでも、少女の自由に飛びまわる翼を折ることだけはすまいと、皇太子や他の者達は寝食を惜しんで走り回ったのだ。
 そのことを少女は知っている。
 だから、笑えるのだ。自分は一人ではないと知っているから。
「シルフィスの配属場所って、どこになったの?」
 栗色の少女の質問に、純金の少女は悪戯っぽい笑みを浮かべる。この少女にしては珍しい、何かを企んだような表情に栗色の少女も、薄紅の少女もそろって首を傾げた。
「姫の護衛です」
「ディアーナの?」
「わたくしの?」
 二人の少女は同時に驚きの声を上げたが、更に続けた純金の少女の言葉に目を丸くする。
「あと・・・メイとの連絡係も拝命しました」
 この瞬間、全員が悟った。この配属には皇太子が関与していると。
「・・・では、シルフィスがメイのところへ行くとき・・・」
「そうですね、姫の手紙を持って行くことができますね」
 深く、深くため息をつき、栗色の少女は呟いた。
「殿下・・・ディアーナに甘すぎ」
 それでも、この世界で出来た、大事で大切な親友達との絆が断たれずにすんだことを、少女は感謝した。
「あたしはあそこで、アリサを見守るわ」
 薄紅と純金の親友達を見つめ、少女はきっぱりと宣言する。
「そして、この国を、見守っていく。何かがあれば、絶対、助けに行くから」
「私もこの国を守っていきます。そして、メイ、あなたに何かがあれば、必ず助けに行きます」
「わたしくもですわ、メイ。この国の王女としてこの国を守り、そして、あなたが助けを求めれば何があってもそれに答えますわ」
 三人の少女達は微笑みあった。
 純金の少女が腰に佩いていた剣を抜き、目の前に掲げる。
「私の剣と、騎士としての心にかけて」
 薄紅の少女が被っていた帽子を両手に持ち、天へと差し上げる。
「わたくしの王冠と、王族としての誇りにかけて」
 栗色の少女が右手を前に差し出し、炎を出現させる。
「あたしの魔力と、英雄としての名にかけて」

『永遠の友情をここに誓う』

 後に、歴史書は語る。
 何度か、クライン王国は危機に陥ったがその度に異世界の魔導士が駆けつけ、その力を惜しみなく貸し、また、その親友達も自分達の力を魔導士に貸したことを。
 異世界の魔導士はいつしか『大樹の賢者』と呼ばれるようになり、土地の者達から敬愛されるようになる。
 『大樹の賢者』は世界樹を<アリサ>と呼び、見守っていたという。

「・・・ああ、迎えに来てくれたの?アリサ」
 『大樹の賢者』と親しまれている女性の声に応えるように、扉が開く。
 そして、そこに立っていたのは14、5歳ほどの少女だった。
「お姉ちゃん・・・」
 波打つ太陽のような金の髪、新緑を映し出したような緑の瞳、浮世離れした雰囲気の少女がふわり、とベッドに横たわる女性の側に立つと、そっとその細い手を握り締める。
「アリサ・・・もう、あたしは行かなくちゃならない。あなたをもう、見守ってあげられない。ごめんなさい」
「ううん・・・ううん、お姉ちゃん・・・メイ」
 どこか、あどけない口調の少女は首を振った。数年振りに聞く、自分の本来の名前を聞いた女性の口元に笑みが浮かぶ。
「懐かしい名前ね。もう、その名前で呼ばれることはないと思っていたわ」
「メイ、メイ、有り難う。ずっと、わたしを見ていてくれて。わたしを守ってくれていて」
 微笑む女性の手を握り締め、少女はそっと呟いた。
「これからは、メイが私を見守ってくれたように、私がこの国を見守る。ずっと、ずっと、見守っていくから。だから・・・おやすみなさい、メイ」
「ええ、おやすみ、アリサ」
 静かに栗色の瞳を閉じた女性の手を置いた少女は、ふわり、と体重を感じさせない動きで家の外へと出ていく。
「賢者様!」
 呆然とその光景を見守っていた土地の者が我に帰り、女性の顔を覗きこむと女性は穏やかに、眠るように、息を引き取っていた。
 そうして、土地の者達は悟る。
 彼女が愛した世界樹の精霊が永遠の眠りにつく前に会いに来たのだと。
 それほど、『大樹の賢者』と呼ばれた女性は世界樹に愛されていたのだと。

 『大樹の賢者』の墓石は彼女の願いにより、世界樹の近く、彼女の親友達の墓石と並び、今でも世界樹とクライン王国を見守っている。


END