VS!


 クライン王国には英雄と呼ばれる一人の女性騎士がいる。
 純金の髪、エメラルドの瞳、絶世とも言うべき美貌を持つ彼女は実力はもとより、その誠実な性格で王族関係にも信が厚く、特に第二王女のお気に入りとあって、騎士の称号を得てからは彼女の専属騎士となっていた。

 廊下を歩いていたクライン王国皇太子は見覚えのある純金の光を視界の端に捕らえ、その歩みを止めた。
 予想通りの人物を認めた皇太子の顔にお義理ではない、心からの微笑みが浮かぶ。
「やぁ、シルフィスじゃないか。随分と久しぶりだね」
「殿下」
 白い騎士の制服を身につけた純金の女性騎士が振り返り、皇太子を認めると右腕を胸に当て、深深と頭を下げた。
 男性と同じデザインの騎士の制服なのだが、彼女がそれを身につけると華やかに見えるのはやはり、近隣諸国にまで鳴り響いているその美貌の影響だろう。
 女性騎士を眩しそうな瞳で見つめながら、皇太子は顔を上げるように言い、改めて彼女に微笑みかける。
「で、モンスターの方はどうだった?」
 近くの森にモンスターが出現するというので討伐隊が編成されたのだが、そのメンバーの一人に女性騎士が組み込まれていたのだ。剣の腕を買われてのことだが、お気に入りの女性騎士が1週間ほど王都を離れるということで薄紅の王女がおおいにむくれたことは皇太子の耳にも入っている。これで女性騎士が大怪我などすれば、王女は大騒ぎするに違いない。
「はい、かなりてこずりましたが、全員が協力した結果、無事に討伐できました。後ほど、隊長が報告書を提出すると思います」
「そうか。とにかく、シルフィスが無事でよかったよ。で、それでと言っては何だけど、今から・・・」
「シルフィス!」
 何かを言いかけた皇太子の言葉を遮るように、元気な声が女性騎士の名を呼んだ。
「メイ」
 振り返り、自分の名を呼んだ人物を確認した女性騎士はふわりと微笑み、親友である栗色の少女の名を呼ぶ。
「あ、ゴメン。殿下と話し中だったんだね」
 駆け寄ってきた栗色の少女は皇太子を認めた途端、『しまった』という顔をして謝った。とんでもなく気の強い少女ではあるが、自分が悪いと思えばきちんと謝罪する素直さをこの少女は持っている。
「あたし、先にディアーナの部屋へ行っているからさ、殿下との話しが終わったらシルフィスもおいでよ。ディアーナ、首を長くして待っているはずだから」
「はい。メイ」
 微笑んで頷く純金の少女を皇太子は複雑な顔で見つめた。今の会話から察するに・・・
「ディアーナと約束をしていたのかい?」
「え?あ、そうではありませんけど、姫にも帰還の挨拶をしませんとご機嫌を損ねられますので」
 膨れっ面の王女を思い浮かべているのか、苦笑する女性騎士に皇太子はほっとした。約束がないのなら、まだ、チャンスはある。
「そうか。では、その後で・・・」
「よう、シルフィスじゃないか。討伐から帰ってきたのか?」
「シオン様」
 またしても途中で邪魔が入られ、皇太子は側にやってくる筆頭宮廷魔導士を睨みつけた。遠慮も気兼ねもない分、その視線はいささか殺気が混じっているようだ。
 その視線に気づいていないはずはないのだが、悠々とやって来た筆頭宮廷魔導士は皇太子に視線をやるとニヤリ、と些か質のよくない笑みを浮かべる。
「邪魔して悪いな、セイル」
「そう思うのなら、さっさとどこかへ行ってほしいのだが?」
 険のある言葉も余裕で受け流し、筆頭宮廷魔導士は女性騎士の肩に手を回した。途端に、皇太子の眉が吊り上がる。
「で、アレはどうだった?」
 顔を覗きこんでくる筆頭宮廷魔導士ににっこりと笑いながら、女性騎士は自分の肩に回されている青年の手をするりと外した。何回も同じことをされれば、さすがに鈍いと言われている女性騎士もこれらのあしらい方を覚えるものである。
「はい、思っていた以上に効果的でした。おそらく、詳しいことは隊長が報告書として提出すると思いますが」
「そうか、そうか」
 外された手を気にすることなく、筆頭宮廷魔導士は満足そうに頷く。
「そんな不機嫌な顔をするなよ、セイル。俺の実験をシルフィスに試してもらったんだ。そっちにも報告がいくぜ」
「・・・そうか。では、そのことは報告書で確認する。で、シルフィス、今日の・・・」
「うわあああぁぁぁっっっ!!!」
「!?」
 三度目の正直とばかりに女性騎士に向き直った皇太子であるが、二度あることは三度あるのか。突然の叫び声と大量の紙が撒き散らされる音で三度目である皇太子の女性騎士への言葉が中断された。
「アイシュ様!?」
 顔を確認することもなく、紙を撒き散らした人物を言い当てた女性騎士が見事にぶちこけた青年へとすっ飛んで行く。
 ・・・もっとも、何もない平坦な廊下でコケて紙を撒き散らすような人物は王宮文官であるかの青年、ただ一人しかいないが・・・
「あ、シルフィスではありませんか〜。討伐から帰ってきたんですねぇ。お帰りなさい〜、無事でしたか〜?」
 王宮文官の思いっきり気の抜ける言葉と抑揚に脱力しながら、女性騎士はてきぱきとその場に散らかった書類とおぼしきものを集めだした。
「はい、怪我もなくこの通り、元気です」
 にっこり笑いながら集めた書類を差し出した女性騎士に、王宮文官は慌ててバタバタと両手を動かした。
「あ、あ、その、貴女にそんなことをさせるなんて・・・その、ぼ、僕が集めますから〜」
「気にしないで、アイシュは書類を確認してくれ」
「そうそう、お前さんはそっちをしてくれた方が助かる」
「殿下にシオン様まで〜本当にすみません〜」
 しきりに恐縮する王宮文官を前に、女性騎士・皇太子・筆頭宮廷魔導士はどこか、共通した苦笑を浮かべていた。
『アイシュ(様)に拾わせるより、自分達で拾った方が早い』
 ・・・誰もが思うことである。
 ふと、書類の一枚を引っ張り出した王宮文官がそれを皇太子に差し出す。
「すみません〜、早急にこれに目を通して頂きたいのですが〜」
「緊急か?」
「はい〜」
 ざっと目を通した皇太子は王宮文官に緩く頷いてみせる。
「分かった、すぐに決済しよう。で、シルフィス、その後・・・」
 まだ、諦めずに女性騎士に話しかけた皇太子だったが・・・
「シルフィス!!」
 薄紅の風が皇太子の前を横切り、女性騎士の首に飛びついた。
「ひ、姫?」
「お帰りなさいですわ、シルフィス。怪我はありませんの?貴女がいない間、寂しくて仕方ありませんでしたわ」
 立て板に水とばかりに話しかける薄紅の王女に女性騎士は目を白黒させている。それでも、今までの習慣で抱き着いている王女をしっかりと支えてはいたが。
「・・・ディアーナ。少し、シルフィスから離れたらどうだい?驚いているじゃないか」
「あら、お兄様。いましたの?」
 軽く咳払いをして注意した皇太子に薄紅の王女は振り返ってにっこりと笑った。・・・顔は笑っているが、相変わらず女性騎士に抱きついているし、その紫紺の瞳は笑っていない。

 バチバチバチバチバチッ!!

 兄と妹の間で目に見えない火花が散った。
「あーあ、始まっちゃった」
 それを目にした栗色の少女がため息をつく。
「嬢ちゃん、姫さんはどこから出てきたんだ?」
「うっかり、あたしが口を滑らしちゃったのよ。ディアーナの部屋へ遊びに行ったんだけどさ、シルフィスが殿下と話をしているって聞いた途端、部屋を飛び出して・・・」
「それで、あれ、ですかぁ?」
「そ」
 王族の兄妹はシスコン、ブラコンと言われるほど仲がいいのだが、ただ一つだけ・・・純金の女性騎士に関してだけは譲れないとばかりに火花を散らすのである。
 兄は初めて心から欲した恋する女性として。
 妹は栗色の少女と同じように自分を特別扱いしない、心安らぐ友人として。
 意味は違ってもかの女性騎士を独占したい心は同じで、それ故に度々兄妹喧嘩が起こる。
「しっかしさぁ、あれだけ目の前で自分の争奪戦が繰り広げられているのに・・・」
「姫さんはともかく、セイルの気持ちに気づかないシルフィスも・・・」
「かなり、鈍いですねぇ〜」
 栗色の少女、筆頭宮廷魔導士、王宮文官が頭を付き合わせ、ボソボソと囁く視線の先では薄紅の王女に抱き着かれ、兄と妹の言い争いをキョトンとしながら見つめている女性騎士の姿があった。
 栗色の少女、筆頭宮廷魔導士はともかく、王宮文官には言われたくない台詞であろうが、幸か不幸か言われている女性騎士は兄妹喧嘩の渦中にいて、その言葉は聞こえていない。
「だいたい、シルフィスはわたくしの騎士なのに、まったく関係のないモンスターの討伐を命令されるなんて、お兄様は横暴ですわ」
「仕方がないだろう。モンスターは早めに討伐しておかなければ、近くの村や町に被害が及ぶし、シルフィスの腕がどうしても欲しかったのだから」
「けれども、わたくしは1週間も寂しかったのですわ」
「・・・私だって1週間も顔を見れなかったのは同じなのだがね」
 ボソッと呟く兄の言葉を妹はツンッと顔を背ける態度で否定する。
「知りませんわ、そんなこと。お兄様がわたくしからシルフィスを取ったという事実は変わりませんもの、自業自得ですわ」
 何かが違う、と外野にいた三人は思ったが、賢明にもそれを口には出さなかった。
「さ、シルフィス。わたくしのお部屋に行きましょう。今度の夜会でシルフィスに着てもらうドレスが出来あがりましたのよ」
「ちょ・・・」
 女性騎士の腕を取り、自分の部屋へ連れて行こうとする王女に皇太子は異議を唱えようとする。皇太子はこの後、『視察』という口実でシルフィスをデートに誘おうとしていたのだ。
 しかし、そんな皇太子を王女はじろっと睨みつける。
「あら、お兄様。『わたくしの』騎士にまだ、何か用がありますの?」
「いや、だから、視察に・・・」
「『わたくしの』騎士なんですのよ?どうして、お兄様の視察にシルフィスがついていかなくてはなりませんの?」
 『わたくしの』と強調する王女の迫力に皇太子はたじたじとなりながらも、何とか女性騎士を誘おうとしている。
「お兄様。しつこい殿方は嫌われましてよ」
 この王女の一言が決定打だった。思わず、皇太子がその言葉に怯んだ隙に、さっさと王女は女性騎士を連れてその場から立ち去ってしまった。
「・・・また、誘えなかった」
 額に手を当て、皇太子は深く嘆息する。これでもう、何度目か。想い人を誘おうとして妹に邪魔をされ、デートに連れ出せたことなど一度もない。
「今度は・・・今度こそは、必ずシルフィスとデートをする!」
 拳を握り締め、決意を新たに表している皇太子の背後では。
「・・・ディアーナ相手では無理だと思うけどなぁ・・・」
 そう呟きながら、栗色の少女は王女と女性騎士の後を追った。
「・・・気合は認めるが、今まで姫さんとは全戦全敗なはずだぜ」
 視線を上にあげ、筆頭宮廷魔導士は今までの記憶を思い返す。
「・・・無駄なことはやめて、この書類に目を通して頂きたいのですけどぉ〜」
 手にある書類に視線を向け、王宮文官が呟いた。
 辛辣ともいうべき、感想である。

 ・・・皇太子に同情しようという気は起こらないのか、皆?

 皇太子が女性騎士をデートに誘える日が来るのかどうか・・・それは、神のみぞ、知る。


END