雪幻〜雪の幻〜


 雪が降る
 雪が降る

 世界を染める
 無垢なる白に

 白は少女
 少女の真白な心は無垢なる白

 光に照らされ
 白は銀へと

 銀の煌き
 水晶の煌き

 光り輝く様は少女の魂

 曇りなく光溢れる少女
 エーベの化身

 雪が降る
 雪が降る

 雪が降る中に幻を見る

 輝く美貌に慈愛の微笑み
 ただ自分だけを見つめ両手を広げる

 ただ自分だけを−−−−−

 それは願望
 それは夢
 雪が降る光景に見る幻

 それでも願わずにはいられない
 幻が現実になることを



 ギイィーンッ!!

 キンッとした、凍りつきそうな空気の中、いくつもの剣戟が響く。
 朝靄の篭る早朝、普段ならば鳥の声が爽やかな朝を告げる森には鳥の声の代わりに殺伐とした空気と剣のぶつかり合う音が森の空間を満たしていた。

 カンカンカンカンカンッ、キィーンッ!!

 剣戟と共に金色の影が走る。
「はっ」
 短い呼気と共に銀色の光が走り、真紅の滴が真白の雪の上に散る。
 ドサリ、と雪の上に落ちた男には見向きもせず、朝靄に溶け込みそうな金色の影は次の標的に向かって剣を振るった。
 金色の影の傍らには漆黒の影。目にも鮮やかな銀の軌跡を描きながら相手の剣を受けとめ、撥ね退ける。
 まるで光と闇の具現のような、それらをその身に表したような二人の闘いは最後の一人を切り捨てる事で終わりを告げた。
「・・・怪我は?」
 最後の一人が雪の上に倒れ、森に静寂が戻ると男は少女を振り返り、短く問う。
「掠り傷程度です。レオニス様は?」
 低い声の問いに澄んだ、柔らかな声が穏やかに答えた。
「ああ、たいした事はない」
 軽く剣を振り、血の滴を振り払うと鞘に収めた男はすでに絶命している者の側に寄ると膝をつき、死体の検分を始める。同じように剣を収めた少女も別の死体を調べ始めた。ほどなく、ある物を見つけた少女は男の名前を呼ぶ。
「レオニス様」
 確認を求める声に、男も言葉少なく頷く。男も、少女が見つけた物と同じ物を自分が倒した死体から発見していた。
「これではっきりしたな」
「はい」
 頷きながら、エメラルドの瞳を曇らせる少女の姿に男の心は痛んだ。
 騎士として剣をとるにはあまりにも優しい少女。
 王家に仕えればどうしても政治的な闇を垣間見ることになる。騎士は綺麗事だけでは決して、済まされないのだ。
 なまじ、優秀であるが為に少女はかなり重要な任務を拝命する。それはつまり、もっとも深い闇を覗き込むのと同じでそれがどれだけ、少女の心を痛めさせているのか計り知れない。綺麗な、綺麗な心の持ち主であるが故に、尚更。
「とりあえず、これでしばらく殿下と姫の周辺は安全になるだろう」
「殿下への報告は・・・?」
「私がしておく。この証拠のこともあるからな」
「はい」
 頷いた少女の視線が空へと移り、無意識に手が上へと差し出された。
「雪が・・・」
 ちらほらと純白の羽のような雪を掌に受け、少女はふわりと微笑む。
「綺麗ですね・・・。たとえ、私が血に塗れようとも、世界はこんなに綺麗なんですよね」
 微笑みを浮かべたまま、少女は再び視線を男に戻した。
「女神様は・・・エーベ様は世界を愛してくださっている。この景色を見ると、そう思うんです」
 そう言った少女こそがエーベの女神のようで、そこだけが神聖な場であるかのようで。まるで雪が創り出した幻のように、雪に溶け込んでしまいそうな程清冽な雰囲気を湛えていた。
「ですから、レオニス様。私は大丈夫です」
「シルフィス?」
「どんな事実にぶつかろうとも、私は大丈夫ですから・・・そんな顔をなさらないでください」
「シルフィス・・・」
 男が少女を心配しているのを知ってのことだろう。浮かべる微笑みは強く、そして優しい。
 エーベ神にたとえられる美貌に慈愛の微笑みを浮かべた少女。優しく、純粋で・・・けれども、芯は強い少女。

 想いが溢れ出す。愛しさが溢れ出す。
 強く・・・強く想う。・・・愛しいと。

「・・・え?」
 戸惑った声が上がったが、気にせずに男は腕の中に閉じ込めた少女の髪に頬をつけた。微かな花の香りがするやわらかな体を抱き締める。
「あ、あの・・・レオニス様?」
「しばらく・・・このままで・・・」
 呟き、抱いた腕に更に力を込める。もしかしたら、苦しいかもしれないとは思うものの、溢れ出る想いが腕の力を緩めさせなかった。
「レオ・・・ニス・・・様」
 ため息のような、吐息のような囁きが少女から零れ、次いで男の背中に暖かな腕が回される。
「シル、フィス・・・?」
 少女の抱擁に男は思わず腕の中を見つめた。男の腕の中で、少女は微笑みを浮かべる。
 それは夢だった。愛する少女が自分だけを見つめ、微笑みかけてくれる。その手を自分へと差し出してくれる。その夢が現実となって今、自分の腕の中にあった。
 誘われるように少女の唇に触れる。男の顔が近づいても少女は逃げなかった。
「・・・愛している・・・」
 二度、三度。羽根のような軽い口付けを少女の唇の上に落とし、男は溢れる想いを囁いた。
「はい」
 少女の微笑みが深くなり、背中に回した腕の力が強くなる。ふと、背伸びをした少女の唇が男の唇と重なった。
「愛しています・・・レオニス様」

 それは、まるで神聖な儀式のようだった。
 周囲には幾人もの死体があり、血臭も漂っているのに、天から降り注ぐ純白の雪と森の静寂が二人の抱擁を神聖なものに変えていた。何よりも、お互いへの想いが純粋で清らかだった。

「愛している」
「愛しています」

 そこにいるのは王家に命をかける騎士ではなく、お互いを愛するなりたての恋人達。
 王宮に帰還すればまた、命と心をすり減らす任務が待っている。だが、それは自分達で選んだ道なのだ。だからこそ、今は、今だけはお互いの温もりを抱き締めていたい。

 雪が降る中、まるで幻のような二人の姿はけれども消え失せることなく景色に溶け込んでいた。


END