ミッドナイト・ブルー


 夜露に濡れた緑を踏むと、しゃり、と耳に心地いい音が上がった。夜半の空気は辺りを冷たく冷やし、湿った大気が彼女を包む。
 視線を上げると、そこには人影があった。長い髪を幾束にもまとめた後ろ姿はわずかに体を揺らしながらか細い声で歌を歌っている。その声がかの、彼女ともっとも親しい姫君のものだと気づくまでには時間はかからなかった。
「こんばんわ」
 女性にしては幾分低い声は、長い間男でも女でもなかったころの名残。麗しいナイティンゲールは振り返り、そして歌をやめてにっこりと微笑んだ。
「あら、シルフィスではありませんの」
 その笑顔は初めて会った時と変わらない。シルフィスはそれに答え、そして彼女の座る石段の上に自らも腰を下ろした。
「どうなさいましたか、このような夜更けに」
「シルフィスこそ」
 二人はわずかに寒さを感じる肩を寄せ合って、笑った。
「わたくしは、少し眠れなくて。ここに来れば誰にも見つかりませんから、歌を歌っていましたの」
「お一人でこのような夜半に。危険があるかもしれませんよ」
 シルフィスの口調に、ディアーナは笑った。
「構いませんわ、危険と言っても、所詮はわたくしの育ったお城の中での出来事でしょう?見知らぬところで合う危険に比べれば、どうということはありませんわ」
 ディアーナがにっこり笑う表情に、シルフィスは胸を突かれた。
「…ご婚約、おめでとうございます」
「…ありがとう」
 シルフィスの言葉に、ディアーナは笑みを絶やしはしなかったが、その代わりというように押し黙った。夜の闇の中、月だけを明かりとして座る二人の間に気まずい沈黙が訪れた。
「シルフィスは、ずっとこの国に仕えて下さるのでしょう?」
 思いだしたようにディアーナが沈黙を破った。シルフィスは力強くうなずく。
「わたくしがいなくなっても、よろしくお願いいたしますわね。ずっとこの国で、お兄様やみんなの力になってあげてくださいませね」
「もちろんです」
 シルフィスは思わず声を上げて、そしてその声の大きさをディアーナに笑われながら頬を染めた。
「そんなに気を使わなくてもいいのですわ」
 始終ディアーナの表情をのぞき見るシルフィスを、ディアーナはまた笑った。
「わたくし、ちゃんと分かっておりますもの。これが、王家の娘として生まれた者の定め。わたくしがお嫁に行くことがこの国の安泰をもたらすのであれば、わたくしは喜んで嫁ぎますわ」
 ディアーナに初めて会ったのは、シルフィスがアンヘルの村を離れてすぐの頃だった。そう、初めての時は、騎士団の訓練所でだった。その当時シルフィスの上司でもあったレオニスに剣を教えろとせがんでいた。レオニスににらまれてすねたようにふくれる少女、その可愛らしさに思わず微笑んだものの、その少女がこんな大人びた発言をするようになるとは、シルフィスは時の流れを思わず振り返らずにはいられなかった。
「…姫」
 シルフィスの切ない声に、ディアーナはまた笑った。その笑みにさえ、哀愁が見え隠れしているかのようでシルフィスは更に胸を突かれ、それ以上はもう声が出せなかった。
「まぁ、なんて顔をしているのかしら」
 ディアーナは陽気に笑った。
「そんな顔、英雄になった女騎士には似合いませんわ。もっとにこやかに、わたくしの門出を見送ってくださいですわ」
「ええ、姫……」
 その気持ちはシルフィスには分からない。なぜ、政略結婚を強いられてもディアーナが笑っていられるのか。どうして、自分のことを気づかえるほどに心の余裕を保っていられるのか。
「…姫は、お嫌ではないのですか?」
 シルフィスは声を潜めて聞いた。ディアーナはきょとんとした表情を向ける。
「何がですの?」
「その、好きでもない相手のところに嫁ぐなんて…」
 ディアーナは微笑んだ。その微笑みが、月明かりのもとで彼女には似付かわしくないほどの妖艶さをもって煌めいた。
「申し上げましたでしょ、王家に生まれた者の義務だって。それに、わたくし、そんなに悲観してはおりませんのですわ」
「どうして…?」
 それを聞くのはいささかはばかられた。聞いてはいけないような気がした。しかし、シルフィスはそれを尋ね、そしてディアーナは笑みを絶やさず続けた。
「好きな人が、いるからですわ」
 シルフィスは目を丸くしてその言葉を思わず口の中で繰り返した。
「…それなのに、どうして?」
 ディアーナの気持ちは、シルフィスには図りかねた。
「思う人がおられるのなら、その人の元に嫁ぎたいと思われないのですか?」
「だって、無理ですもの」
 あっさりとディアーナは言った。
「いくら頑張っても、その方の花嫁になるのは無理ですわ。それならいっそ、その方から離れてしまうほうがいいとは思いませんこと?」
「…姫を拒む者など、いるのですか?」
 シルフィスは思わず聞いていた。ディアーナは、なるほど魅力的な娘だった。多少お転婆でいたずら好きなところがあるにはあったが、それが可愛いといえばそう言えるし、何しろ美貌の誉れ高い皇太子に似たその愛らしい容姿と小鳥のような声、そして何よりも第二位王女というその地位。この姫君に求愛されて拒む者がいるとは思えなかった。
「まぁ」
 ディアーナは声を立てて笑った。それはあまりに楽しげな笑い方で、シルフィスは思わずつられて微笑んでしまったほどだった。
「では、シルフィスはわたくしをお嫁さんにしてくれるとでも言うのかしら?」
「…は?」
 笑いはすぐにやんだ。ディアーナは伺うようにシルフィスの瞳をのぞき込み、シルフィスはその視線の意味に戸惑った。
「…初めてシルフィスに会ったときから、わたくしはシルフィスが好きだったのですわ」
 その言葉にシルフィスは頭をかき回されるような驚きに襲われた。ディアーナの言葉の意味を、それと理解するだけで精一杯だった。
「あなたに会った時、あなたは分化はまだだったですわね。それでも、わたくし、あなたに男の子になってもらいたいとは思ったことはなかったのですわ」
 ディアーナの言葉はシルフィスを混乱に突き落とすばかりだった。
「姫?おっしゃる意味が、よく…」
 困惑しきったシルフィスの表情を、ディアーナはからかうように見つめた。
「わたくしはあなたが好きでしたわ。でも、成人の日を迎えれば、他国に嫁がなくてはいけないのは分かっていましたの。だから、あなたが女の子になればいいと思ってた」
 ディアーナの瞳がシルフィスを見つめた。それは夜の闇のように透明で、シルフィスは図らずともそれに心臓を高鳴らせた。
「女の子になれば、わたくし以外の女性と結婚したと言う話を聞いて心を惑わすこともないでしょう?そして、いつまでもこうしてお友達でいられる」
 柔らかな、豊かな髪がシルフィスの方にもたれ掛かってきた。見ればディアーナは薄く目を閉じて、微笑みを唇に浮かべている。
「…好きですわ、シルフィス」
「……姫…」
 シルフィスは、それに何と答えたものか分からなかった。ただ、肩を伝ってくるディアーナのぬくもりに、知らず心臓が打ちだすのを止められなかった。
 シルフィスは女だった。そのような健気な言葉を、ともすれば分化の始まったあの頃にかけられていたのであれば、男に変化していたのかもしれなかったが、今の彼女は、身も心も女以外ではなかった。そして、それはよく言われるように恋によって起こった分化ではなく、ダリスへの侵入作戦の折り、彼女が体験したさまざまな事件に影響されてのことだった。
 それだけに、このような甘い言葉には不慣れな心が揺さぶられる。
「わたくし、お嫁に行ってもシルフィスのことはずっと好きですわ」
 ディアーナはつぶやくように言った。
「だから、シルフィスも、わたくしのことは忘れないでね」
「…もちろんです、姫」
 シルフィスはそれしか言えなかった。肩に寄りかかるディアーナが、あまりにも小さな存在に思えた。それは夜露の中、首を下げてうなだれる菫の花のようだった。
「姫……」
 シルフィスはつぶやく。その健気な彼女の胸の内を聞いて、それに答えられない自分を歯がゆく思ったほどだ。
「わたくしを、哀れんで下さいますの?」
 ディアーナは目を閉じたまま言った。シルフィスはその表情をのぞき込み、そしてその時、柔らかいものを唇に感じた。
「……」
 驚いてディアーナの肩に手を置き、彼女を引き離す。見ればその瞳は濡れたように光り、ただシルフィスだけを映してそこにあった。
「シルフィス…」
 彼女の切ない声が胸を打つ。口付けられて、肩に手を回されて、それでもその瞳の哀愁がシルフィスを凍らせる。
「わたくし、あなたのことだけを考えて生きますわ…」
 重ねられた唇の隙間から舌が差し込まれた。それはいたずらな小猫のようにその中に入り込み、シルフィスの、言葉を失ったその空洞の中を清めるように這って行った。
「……ん…」
 舌先で自分のそれをくすぐられ、絡み上げられて唾液を吸い取られる。重なり合う唇がディアーナのそれにこすられて、思わぬ神経が反応を見せて立ち上がる。
「…ん、ふっ……」
 それがどちらの声なのか、シルフィスには分からない。かき回される驚きと思わぬ快楽と、そして濡れて潤んだディアーナの瞳が彼女の尋常の思考力を奪っていく。
 ディアーナの夜の空気に冷えた指が、シルフィスの首を這った。それにびくんと震えて見せると、ディアーナは満足気なため息をついた。
「シルフィスに触れるのは、わたくしが初めてかしら…?」
 抗うことも出来ず、ただうなずく。ディアーナは微笑んだ。
「綺麗ですわ、シルフィス。わたくしが想像していた通り…」
 シルフィスが首からかけた布がそっと引き抜かれる。あらわになった胸元にディアーナの指がかかり、そしてゆっくりとその奥がさらされ始める。
「は………」
 むき出しになったのは二つの乳房。それは、月の光にも似た白さを放っていた。ディアーナがそれに唇を寄せる。左にある赤く色づいた突起をその間に挟み、そしてもう片方を指先で愛撫し始める。その刺激にすぐ反応して立ち上がるそれをさぞ愛しげに舌先でなで上げ、歯で軽く食み、シルフィスが甘い声を上げるまでそれは続く。
「あ、ん……ぅ…」
「綺麗ですわ、シルフィス…」
 喘ぐようにディアーナが言った。全てを脱がしたりはしない。乳房の下の肌に手を差し入れ、衣服の下で手の平をうごめかせ、粟立った肌をなだめるようにそれを続ける、しかし、反応を見せ始めた肌はそれにますます喘ぎだすのみだ。
「ひ、め……っ…」
 最後の抵抗とでも言わんばかりにシルフィスが悶える。それをディアーナは、唇で制する。
「わたくしを、哀れんで下さいませ」
 ディアーナの指がシルフィスの下肢に這った。肩を大きく震わせてそのわずかな指先の動きに顕著な反応を示す。
「シルフィス…」
 ディアーナが息を詰めて呟いた。衣装の奥、濡れた音が響いたのをシルフィス自身も聞いた。そのぬめりを見せ始めたその奥に、ディアーナの細い指が差し込まれる。掻くように爪を立てられ、シルフィスはディアーナの肩に指をかけて体を引きつらせた。
「はぁ…ぁぁ…」
 ディアーナの頬がわずかに染まっているのを見た。舌を絡めて、先程よりも荒々しい口付けを繰り返しながらディアーナは息を荒らげてシルフィスの中に埋め込む指の動きに勢いを増した。
「あ、っ、あん………」
 ぴちゃ、と服越しに聞こえる。淫らな音がシルフィスを狂わせる。自分の体があげる音なのに、それはまるで遠くから響いてくるように霞のかかった彼女の脳裏に乱れた波紋を広がらせる。
「…もっと、感じて…」
 囁きもが性感を刺激する。言葉が神経を逆撫でて、一本一本を犯していく。
「あぁっ…っん……」
 口付けは深く、そして体の中に入り込む指が口膣を犯す舌と同じようにその中でうごめいた。それそのものが生きているように、うねりを繰り返す。
「シルフィス…わたくし、も……」
 上ずった声が聞こえた。それは、神殿で聖典を暗唱するあの小鳥のような声と同じものとは信じがたい淫猥さに濡れ、かすれてシルフィスの体の中心を刺した。
「 お願い……」
 ディアーナの、シルフィスの肌を這い続けていた手が彼女の右手を取った。そして、それはディアーナの、長く、膨らませたドレスの中に誘い込まれる。
「あ………」
 その奥に潜む秘花。それに指先が触れたとき、シルフィスはしびれたように指先を強ばらせた。暖かな、濡れた感触が自らに触れられたときよりも更なる快楽を呼び起こす。誘われるまま指をそこに這わせる。
「あ、あ……っ…」
 ディアーナが顎を反らせて悶えた。腰が動いて、シルフィスの指をその中に吸い込んだ。
「はぁ…っ…」
 それとともに、シルフィスの体を支配するディアーナの指も勢いを増す。体のもっとも奥にまで達したのではと思うほどに深く抉られ、そして引き抜かれる。シルフィスもそれを真似た。わずかに粘る、熱い液体が指にからむ。そして柔らかく暖かい体内。指に絡みつくように肉が吸い付いてくる。隙間を作らせないとでも言うように蜜と肉がシルフィスの指をとらえる。
「ああっ…!」
 ディアーナの指が体の奥を突くたび、息が奪われるような衝撃が伝わる。そして、吸い付く感触に息をのみ、そしてディアーナの体に埋める指を二本に増やしてみた。
「ああ………」
 シルフィスがその体の中で指を曲げてみると、ディアーナが驚くほどの声を上げた。そして、それはすぐシルフィスの体にも伝わってくる。同じ刺激に同じ快楽を得る、そのことが襲い来る快楽の中で喜びとなる。
「ふぅ……ん……っ…」
「はぁ…ん…っ…」
 声と舌と、指と蜜が絡みあう。混ざり合ってそれらが一つであるかのように溶け合い始める。
「あ、あ…あ…」
 シルフィスは、体の奥から未知の痺れが襲い来るのを知った。それは、最初ディアーナの指が絡みついてきたときよりも甘美で、そして小さな波が徐々に大きくなって体の奥から脳裏を襲うように迫ってくる。
「あ…っ…わ、私……」
 それはだんだん強くなって、ディアーナの中でうごめかす指さえをもおぼつかなくさせる。全ての神経が集まっているのではとさえ思われる下肢を意識してみれば、それは急激に体をすくませ、そしてシルフィスは爪先を強ばらせた。
「は…ぁ……ぁ…」
 体がばらばらになる、うごめくディアーナの指が、それを追いつめる。奥をつつくその異物感が、頭と体を切り離す。
「だ……めっ……」
 シルフィスが咽喉をのけ反らせ、今にもその快楽の中に溺れ込んでしまいかけたとき、ディアーナの指が引き抜かれた。
「あ……?」
 悦楽の波を急に奪い取られ、シルフィスは瞳を開いた。目の前には紅潮した頬をわずかに汗に染めたディアーナ。彼女はにっこりと微笑んでそして指をシルフィスの鼻先に突きつけた。
「これは、シルフィスがわたくしを感じてくれている証」
 それを鈍く光らせる液体をなめて、そしてその口で口付ける。
「わたくし、もっとシルフィスを深く感じたいのですわ」
 そして、シルフィスの指をも自分の中から引き抜いて、ぼんやりしたように視線を宙にさまよわせるシルフィスの口元にそれを押し当てた。
「シルフィスも、そう思って下さる…?」
 シルフィスはうなずいた。先ほどの体を犯す波、あの正体が知りたかった。
「嬉しいですわ」
 ディアーナはシルフィスの、はがれかけた衣装を解いた。そして下肢のみを押し開く。濡れそぼったそこが夜気を感じて体を震えさせた。
「シルフィス、わたくしを感じて…」
 足が持ち上げられた。片足だけを折られ、むき出しになった秘部に、ディアーナが自らのそこを重ねてきた。衣装を解いている間に冷えた蜜が、触れ合って体をすくませる。しかし、濡れた二つの花弁が重なり合うと、そこからはまた新たな、熱い液体があふれ出る。
「あ、あ、……っ…」
 くすぐりあう花びらが、先程とは違う快楽を生む。それは体の奥に異物を感じ、それから生み出されるそれとは違ったむず痒いような悦楽を呼び起こす。
「はうん…っ…っ……」
「はぁ……ぁぁ…」
 シルフィスの体の上で、熱く彩られたディアーナの体が動く。踊るように愉悦の声を呼び起こし、そして触れ合うそこから生まれた、最初小さかった波が徐々に体を支配するまでに大きく育ち、二人の唇を同じ愉悦の喘ぎが破る。
「ああっ…!」
「うんっ……っ…」
 腿までが流れる液体に濡れそぼり、そして粟立ったように思考が消えてゆく。白い波に飲み込まれ、こすれあう秘部が、ぴちゃぴちゃ淫猥な音を立て、そこに二人の声がまとわりついた。
「あ、あ……っ!」
「も、う……」
 指先まで波が襲った。体がしびれ、絡み合わせた指が折れるほどに捕まれて、咽喉の奥から絞りだすような声が漏れた。
「ぁぁぁぁぁっ………」
 体が引きつる。もう、何も考えられない。そこにあるのは重なるディアーナの体の温かさだけ。シルフィスはそれを抱きしめた。
「いやぁぁ……」
 夜霧に声が、響いて消えた。

 姫君の婚礼は一ヶ月後に定められていた。純白の絹と、レースとサテン。部屋を埋め尽くすほどの白い花。香り高い香水と、白く輝く無数の宝石。それらがディアーナの部屋を埋め、そして一つづつ消えていった。
 そして最後にディアーナが去った。
「さようなら」
 馬車に乗り込む前、ディアーナは赤く塗られた唇でそう囁いた。姫君ともっとも親しかった者として、直前の別れを許されたシルフィスはその言葉を目の前で聞いた。
「わたくしのこと、忘れないでいてくださいませね」
 シルフィスはうなずいた。うなずく以上は何も出来なかった。ディアーナは大きな馬車の中に消え、そして窓からそっと顔を覗かせた。その、美しく粧をほどこされた小さな顔が、最後の記憶になった。


END