月の人


 月の欠片を一つ、折り取ればこんなふうに輝くのではないだろうか。
 その光は青いと誰かが言った。目の前に光る月の雫は、青く、そして時には銀の輝きを持って彼の瞳を射た。
 ガラスで出来たような体。触れれば砕けてしまいそうな、華奢で薄くて頼りない体。それでいて、その上を覆う鍛えられた肉と、急いで女になった丸みと細い腰が危うく同居する不思議な魅力。それは、手を差し伸べてはいけない芸術品のようにそこにあった。
 ともすれば、女神の遣わした天からの御使い。
「…そんなに、見ないで下さい」
 彼女は恥じらって下を向いた。腰までを被う長い、金の髪が彼女の透き通る緑の瞳を隠した。薄暗がりでもはっきりと見て取れるほどにその頬は紅に染まった。
「恥じる必要が、どこにある」
 彼は持ち前の強い口調でそう言って、そして手を伸ばした。透けるような肌を乱暴なまでに掴み、そして自分の方へ引き寄せた。
「美しいものを眺めていたいというのは、人間としての当然の要求だ」
 心臓を射ぬくような称賛を与え、彼女をまた戸惑わせる。その肩が震える、まるで、不安を訴えるように。その肩を、腕が取りまく。抱き寄せて、そして額への口付け。柔らかな、暖かい匂いのする愛撫。
「…もっと、こちらへ」
 声に惹きつけられるように足が進む。裸足の足が絨毯を踏む音がする。そして、最後の一歩を待たずに腕の中に引き寄せた。
「……あ」
 小さな悲鳴は吸い取られる。空気のように消えて、そして二人の間には何も なくなった。
「……セイ、ル……」
 言い慣れない名をぎこちなく呼ぶ仕草が、彼を微笑ませる。肩に回した腕を解き、彼女の背中を白い布地の上に押し付けて、その、小鳥のように脅えた瞳に唇を寄せる。伏せたまつげはそれをくすぐるほどに長く、彼は両の瞼に 繰り返し、優しい口付けを浴びせた。
「シルフィス……」
 彼女の、分化を終えたばかりの体はまだ幼女のように透明な肌を持っていた。それなのに、ふくよかな乳房と驚くほどにえぐれた腰はセイリオスの手をわずかに弾きながら、そして吸い付けるように二人の距離を消していく。
「……ああ」
 むき出しの肌が、呻きをあげる。軋むように悲鳴を上げて、それでもセイリオスの手を受け入れようと、その体を開く。
「…はっ……あ…」
 しゅっ、と音をたて、セイリオスが自ら、最後の衣服を取り去った。 シルフィスの目はそれを見、そして息を飲んで頬を染めた。そんな、初々しい仕草全てがセイリオスを微笑ませた。
 夜気に冷えた肌が重なりあう。その、月の表のような輝きを発する乳房を 両手に包むと、シルフィスがまた喘ぎを飲み込んだような細い声を上げた。
「……は……」
 それは、急いで成長した体の危うい均衡を秘めていた。両手でつかんでその先の突起の指でこすり上げると、肩が震えた。
 それだけで、頬が紅潮し、冷たかった肌が暖かみを帯びる。それを唇で挟んで軽く歯を立ててやりなどすれば、シルフィスは狂ったように首を振った。
「ああ、それ…は……っ…」
 セイリオスの肩を押しのけるようにしてシルフィスは首をすくめた。しかし、それはいともたやすくセイリオスに阻まれる。セイリオスは片方の手では右の乳房を包み込んだまま、左には口付けを繰り返す。舌を尖らせて舐め上げ、突起が固く立ち上がるのを待つ。彼の体の下では、シルフィスが苦しいまでの吐息を繰り返す。
「セ…イル、や、め……」
 こうするのは初めてではない。彼は幾度も彼女の生まれたての体を愛で、愛撫を繰り返し、その水晶のような体に唇を這わせた。その度ごとに、体の敏感さは度を増していっているように思われた。
「やめて、ほしいのかい?」
 セイリオスはわざと、切なく呟いた。その声の色にシルフィスが慌てて閉じた瞳を開き、彼の表情を確認する。視線が絡み合ったとき、シルフィスは自分の体に這うセイリオスの手を体中で意識しながら、首を振った。
「…いいえ……」
 それは、この薄闇を這い回る静寂の中でさえも聴きのがしてしまいそうな声だった。セイリオスはシルフィスの唇から直接その言葉を吸い取り、そしてそれを二つの乳房の谷間に移す。その時シルフィスの体が大きく跳ねた。
「ああっ……」
 かすれた声がセイリオスを包む。セイリオスの口付けはそこから下肢を目指して這い始める。骨が直接感じられるような薄い皮膚、そして、わずかな茂みが隠す、秘められた蜜壷へ。
「…はぁ…ぁ…っ…」
 大きく息を吐いて、シルフィスは体をまた強ばらせた。歯を食いしばるようにして快楽の波に耐えるシルフィスの指先を、セイリオスは取った。その桜貝の爪がそろった指先を、口に含む。
「ん……」
 それすらも神経を侵してゆくかに見えた。セイリオスは、いったん今まで愛撫を重ねてきた体から身を起こし、シルフィスの指先にそれを移す。一本一本それらを口に含み、歯を立て、舐め上げて先端の神経をくすぐった。
「ああ……ん…」
 快楽の波が勢いを失ったことにシルフィスは肩の力を抜き、そして続いて訪れる緩やかに坂を駆け登るような痺れに身を任せ始めたようだ。
 まるでそれが飴であるかのように舌が余すところなく指先を這った。自分の爪でシルフィスの手の平を軽く引っ掻くと、むき出しになった神経はそれにすら反応を示す。
「………っ…」
 それでも、緊張は解けたようだった。セイリオスは呆れたように小さな笑いをこぼす。幾度、こうして体を重ねたのだろうか。その度にシルフィスは痛々しいほどに過剰な反応を見せ、無理に触れれば粉々になってしまうのではないかと思うほどに体を強ばらせる。
 シルフィスの右手を自分の右手で包み込み、彼女の緊張を癒してから、そして左手をそっと、先ほど侵入をあきらめた体の奥に滑り込ませた。
「ああっ!」
 一転、鋭い声が上がる。今度は、もう容赦はしなかった。閉じる足を押し開き、その奥に入り込み、すでに潤みを見せ始めている中に指を差し入れる。骨が軋むほどに体が跳ねた。セイリオスはシルフィスの上に体を横たえ、その唇をそっと重ねた。舌を差し入れると、おずおずと応えるシルフィスのそれが、わずかに震え、その時下肢にうごめくセイリオスの指は受け入れられた。
 ぴちゃ、と驚くほど淫猥な音が上がる。それは恥じらいに頬を染め、それでも懸命にセイリオスを受け入れようとしている、あまりにも清純なシルフィスの体から上がったものだとは容易には信じられないほどだった。
 唇の隙間から声が漏れる。それを覆い隠すようにセイリオスは彼女の唇を潤した。そして左手の侵入を深める。自分の膝を割り込ませ、それが貝のように口を閉じるのを防ぎ、そして先を急ぐ指を一本から二本へと増やす。
「…っ……」
 痛々しいほどに張りつめた肌が、ぬるみを帯びてそれを受け入れる。その湿った暖かさが犯すようにセイリオスの体の芯を付き動かす。脳髄を揺さぶり、体中を支配し、そしてそれ以上は何も考えられなくしてしまう。
「……シルフィス」
 その、上ずり始めた声にシルフィスがうなずいた。
「すまない、これ以上は…」
 これ以上は、もう、いたわれない。
 シルフィスはぎゅっと目をつぶり、そしてセイリオスの肩に手を伸ばした。その行動に驚いたのはセイリオスの方だった。その腕に誘われるようにして、二本の指を引き抜く。そして、その代わりに埋め込んだものに、シルフィスはまた背中を引きつらせたが、それ以上はもう抵抗を見せたりはしなかった。
「あ……」
 セイリオスの肩にかかったシルフィスの指が、爪を立てる。がり、と音を立てて引き裂かれても、もうその痛みに頓着している余裕はなかった。
「ぁ……」
「はぁっ、ぁっ、あ…」
 くぐもった呻きと、確かな快楽を伝える嬌声が絡む。肩にかけた手と、肩を押さえつける手とがお互いの温もりを伝え、そして交わり合った部分が常より更に、その熱さで溶けてしまいそうだった。
「あぁっ…っ…ぅ……」
 瞳を伏せ、顎を反らしてその悦楽の表情を出来るだけ隠そうとしている羞恥の色と、セイリオスがより奥に入り込むたびに濡れた音を立てるその淫らなさまが、奇妙なバランスを操ってセイリオスをより高みにまでかき立てた。
「…ぁ……」
 その光景を確かめるのは、わずかに開いた隙間から差し込む月の光。昏睡にも似た絶頂を、金色の光が更なる深みへ誘い込む。その光はシルフィスの、月と同じ色をした髪に溶けて流れて、一つの固まりになった二人はともに高いところを目指して手を取りあう。
「は……ぅっ……っ…」
 せわしない声が漏れる唇を、セイリオスが塞ぐ。舌を絡めて、下肢から来る熱さに負けずとも劣らぬ熱を伝え入れ、そして絡める腕をより強くまとわりつけて、その長い髪で頬をくすぐりながらより深い接合を求めて手を伸ばした。
「ああ…ん……っ…」
 月の光だけが知っている。その時、シルフィスがその若草の色の瞳を開き、そこにしっかりとセイリオスの姿を捕らえたのを。彼女は彼の体を引き寄せ、そして初めて自ら唇を、彼のそれに押し当てた。
「………」
 それは、すぐ喘ぎに消し取られる。そして離れたそれを惜しむように、また口付けが降る。余すところもなく、体中でシルフィスを求める。
「あ、ああ…あっ………」
 こらえ切れない声が唇を破り、爪先が引きつった。セイリオスは自身を受け入れたシルフィスのその部分が軋むように収縮していくのを知る。
「は、あ、あぁぁっ…」
 その瞬間、今まで眠っていた蝶が羽根を広げるように、彼女はもっとも美しい姿を見せる。汗に光ったガラスの肌、赤く染まった濡れた唇と、愉悦に彩られた緑の目。それは、体の奥から来る原始的な快楽とはまた違った快感をセイリオスに与えた。
 追い上げられて、そして、そのもっとも高いところで、二人は抱きあい快楽を分け合った。
 さまざまに色を変える光の中、一番美しく輝く金が彼女の色。その色に取り囲まれて、変わって行くのは彼女の体。妖しく色づき、咲き誇り、彼を魅了する。それは、初めて愛を伝えたときよりも更に眩しく。
「綺麗、だ…」
 称賛の言葉は彼女を染めて、そしてそれは月の光と混じりあう。
 まるで、そのままさらっていかれそうな風情で、彼女はそこに、瞳を半分伏せたまま横たわっていた。
「…セイル?」
 驚く声は、彼女に絡められた腕に反応してのものだった。シルフィスはいきなり抱きすくめられて体をすくめた。
「どうしたの…?」
 彼は首を振った。そのまま頬を彼女の頭に押し当てて、そして目を閉じる。
「…お前が、どこかに行ってしまいそうで」
 彼らしくもない、弱い声だった。シルフィスはにっこりと微笑むと、彼の体を同じように抱きしめる。手が、まるで子供をあやすように背中を上下する。
「どこにも、行きませんよ」
 その微笑みは天使の微笑。消え入りそうな、金色の影。
「……シルフィス…」
 手に入れたはずのそれが、今にも舞い上がってここからいなくなってしまいそうで。自分の腕から逃げていってしまいそうで。抱きしめる腕に力を込めた。
 月だけが見ている。
 そこには、彼女を生んだ、金の月の光だけ。


END