あなただけ
私が想うのはあなただけ 毎日、毎夜 ただ、あなたへと 私の想いが向かう先はあなただけ ただ、あなただけ あなただけが私の・・・ 「・・・眠れない・・・」 寝所でコロコロと寝返りを打っていた少女は深いため息をつき、そっと起き上がった。 御簾を上げて外を覗えば満月が浮かぶ銀色の夜。 「綺麗だけど・・・」 再びため息をついた少女は膝に顔を埋め、ポツリと呟いた。 「・・・寂しい、な・・・」 少女の寂しげな呟きを聞くのは夜の静寂のみ。 京と呼ばれる都が鬼の一族による脅威に晒されはじめた頃、1人の少女が別世界より召喚された。 <元宮 あかね>という名の少女は龍神より選ばれし『龍神の神子』であり、その身に宿る力で京の町を救ったのである。 役目を終えた少女は元の、自分の世界へと帰るはずだった。だが、少女は帰らなかった。ある1人の青年・・・稀代の陰陽師である<安部 晴明>の愛弟子であり、自身も凄腕の陰陽師である<安部 泰明>と想いを通わせたがために。 京に残った少女は星の一族の末裔として自分を世話してくれた<藤姫>の好意で、今も右大臣家の屋敷の離れで生活をしている。 「もう、何日、会っていないのかな・・・」 このところ、仕事が忙しく青年は文を送るだけで少女のところへ顔を出していない。 分かってはいるのだ。毎日送られてくる文は少女を気遣う言葉と少女の元へ行けない謝罪の言葉が愛想がないほどの簡潔な文章で綴られているが、青年もまた、少女と同じように会えないもどかしさを抱えていることがその文から読み取れるのだ。 だが、だからと言って寂しいのが治まるわけでもなく。少女にとって眠れない夜が続いている。 何度目か分からないため息をついた少女は寝巻きとして着用していた薄手の着物の襟を簡単に直すと縁側から庭へと下りていった。 少女のために整えさせたという庭はとても見事で満月の光によって更に幽玄のような雰囲気を漂わせている。 庭の中へ何歩か歩み出た少女は夜の空気を銀色に染めている満月を見上げた。 月は青年を連想させる。 冷たくも美しい、けれども心惹かれる存在。 天高くありながら夜が真の闇に包まれないよう、銀の光を投げかける気づかない優しさ。 「泰明さんも・・・この月を見ているかな?」 ぼんやりと月を眺めている少女の耳に、衣擦れの音が届いた。左大臣家の中でも少女が生活している棟は離れにあたり、見知らぬ人間が迷い込む事はまず、ない。だが、振り返った少女の目に映ったのは見たこともない、若い貴族の男性だった。 「これはこれは・・・かようなところにこのような愛らしい姫がいるとは思いませんでした」 おそらくは左大臣の客なのだろう。随分と上機嫌に話し掛けてくる青年とは逆に、少女は己の身を両腕で抱き締め、身を固くしている。 「ここで会ったのも何かの縁。今宵、我と語り合いませぬか」 「お言葉ですが」 固い表情で緊張を解かぬまま、少女は青年の申し出をきっぱりと断った。 「私はすでに背の君を持つ者。他の方を当たられた方がよいかと存じます」 断られるとは思ってもみなかったのだろう。数瞬、佇んでいた青年は突如、少女へと突き進むと少女が反撃する前に両腕を掴んでしまった。 「何を・・・離して!」 「『龍神の神子』という奇跡を目の前にして帰るなど、出来るはずがない」 青年の言葉を聞いた少女の目が大きく見開かれる。深読みすればそれは、『龍神の神子』である少女を探して屋敷をそぞろ歩いていたということだ。でなければ、知り合い以外は滅多に人が来ないこの離れに来るはずがない。 「い・・・や、いや、いや、嫌!離して、離してってば!!」 掴まれた両腕が振りほどけず、少女は無茶苦茶に暴れる。薄手の着物が暴れたことによって着崩れ、襟元や裾から眩しいほどの白い肌がちらちらと覗き、男の欲情をそそった。 「そんなに嫌がる事はないでしょう。大丈夫、私は優しいですよ」 「やだってば!!誰か・・・誰か!泰明さん!!」 「・・・あかねから、その手を離せ」 「!?」 ふいに、自分の背後から声が聞こえ、ぎょっとした青年は慌てて背後へと振り返った。 そこにいたのは人形のように整った美貌の青年。金と深緑の色違いの瞳が、絶対零度の怒りを浮かべ、突き刺すように少女の両腕を掴んでいる青年を睨み付けている。 「泰明さんっ!」 明るい顔になった少女は、対峙している青年の意識が自分の最愛の青年へと向けられている隙に掴まれている両腕を振りほどき、一目散に駆け寄って行った。 「泰明さん、怖かったよぉ」 半泣きで抱き着いてきた少女をそっと抱きしめ、冷たい美貌の青年は驚きに固まっている不届きな侵入者をもう一度睨みつける。 「まだ、私が慈悲の心を持っているうちに去れ」 「お前が・・・『龍神の神子』の・・・」 「私の背の君はこの人よ。生涯ただ1人、この人だけよ」 青年の言葉を遮るように少女が叫んだ。その内容に少女を抱き締めていた青年が驚いたように自分の腕の中を見下ろす。 「あかね・・・」 「そうでしょう?私の心も体もすべて、泰明さんのものだもの」 ふわりと微笑む少女に頷き、青年は最終通告を出した。 「疾く、去れ」 殺気溢れる短い言葉に、気圧された青年が二人の前から姿を消す。 「大丈夫か、あかね」 「うん、大丈夫・・・だけど」 「だけど?」 「・・・安心したら、足が動かなくなっちゃいました・・・」 怨霊相手に一歩も引かない少女が、青年に抱き着いたまま全身を細かく奮えさせていた。それを見て取った青年はおもむろに少女を横抱きに抱え上げると寝所に入り、そこに横たえる。 「私が側に居る。寝ろ」 少女の額に手を当て、端的な言葉の割に柔らかな表情で青年は告げた。だが、少女はかぶりを振り、一度離れた青年にもう一度抱き着く。 「あかね」 困ったような声音に、少女は潤んだ瞳で青年を見上げた。 「1人は嫌。1人で寝るのは寂しくて嫌なの。・・・一緒に、寝て」 少女の爆弾発言に沈着冷静な青年もさすがに動揺する。 「あ、あかね・・・その、意味を分かって言っているのか・・・?」 先程の騒ぎで少女の寝巻きがはだけ、襟元や裾から覗く肌が理性に揺さぶりをかけているのだ。その上、少女のこの発言。動揺するなというのが無理である。 「分かっています」 青年の目を見詰め、少女はきっぱりと言い放つ。 「さっきも言ったと思いますけど・・・私にとっての背の君は泰明さんです。私のすべては泰明さんのものなんです」 少女の一途な想い。それが、青年を動かす。 「生涯、ただ1人。お前は私にそう、誓うのだな」 「はい」 一瞬の迷いもなく少女は頷く。それを見た青年の美貌が柔らかく綻ぶ。 「・・・私も誓おう。私の比翼連理の片割れはお前だと」 少女の上に覆い被さった青年は彼女の耳元で小さく呟いた。 「この命、消え果るまで・・・あかね、お前を愛している」 翌朝。 『龍神の神子』を起こしに来た藤姫は同じ褥の中、青年と少女が幸せそうな顔で寄り添って眠っている姿を見ることになった。 「・・・何時の間に、夜這いに来られたのかしら、泰明殿は」 年齢を疑うような台詞を呟いた姫はしかし、嬉しそうに微笑む。 「でも・・・神子様は幸せそう。良かった」 この日、藤姫の配慮で日が高く昇るまで離れに近づく者はいなかった。 毎日、毎夜、想うのはあなたのこと ただ、あなただけを想い、時を過ごす 私の想いはあなただけ あなただけを愛している END |