武天女
ほっそりとした手が不似合いな棒を操り、見事な軌跡を描く。 規則正しい呼吸を心がけ、静かに動く華奢な肢体。 「はっ」 操った棒が空気を薙ぎ、流れるような動きで小さな体が位置を変える。 邪心を退け、無我の境地に入っている表情がその者の真剣さを覗わせる。 棒を操り、何かの武道の型をなぞっているのは1人の少女だった。 小さく華奢で、およそ荒々しい事など似合わないように見えながらしかし、棒を操る姿は神々しくさえあった。 <元宮 あかね> それが少女の名。 龍神と意志を通い合わせることの出来る、唯一無二の清らかなる存在。 それ故に鬼の首領に狙われ、平和だった少女の世界−異世界より召喚されし聖なる乙女。 その少女の姿を偶然にも見た青年は思わず目を見開いた。数日前、初めて出会った時の少女との落差に驚いたのだ。 いきなり、見知らぬ世界へと落ちてきたのだ、精神が混乱しても無理はないのだが、その事を差し引いても青年にはただの普通の少女としか思えなかったのだ。 だが。今、棒を操っている少女の全身から発散される『気』は何だろう。 清らかで清冽。純粋に無垢。圧倒されるような『何か』。 (・・・これが、龍神の神子の真の姿・・・) 誰に言われるでもなく、確信する。輝く神気をその身に纏えるのは少女だからこそだ、と。 「よう。確か、泰明とか言ったな」 「あれ、こんにちは」 少女を見守るように、離れた場所の石に座っていた少年がその場に立ち尽くしていた青年に声をかけた。同様に少女を見守っていた金色の髪の少年もにっこりと笑って挨拶をする。石に座っている少年の隣には刀を腰に佩いた男がいつでも動けるような体勢で立っていた。青年に気づき、軽く目礼をしたものの、意識は常に少女へと向けられている。 少年に声を掛けられたのは<安部 泰明>。稀代の陰陽師と謳われる<安部 晴明>の最大にして最後の弟子と言われ、自身も比類なき陰陽の使い手である。 青年に声をかけたのは<森村 天真>。『龍神の神子』として召喚された少女と共にこの異世界へと落ち、自身も少女を守る<八葉>として選ばれた少女の一つ違いの友人である少年。 笑顔で挨拶をしたのは<流山 詩紋>。<森村 天真>と同じように少女と共に現れて<八葉>に選ばれた、少女と少年の後輩である。 黙したまま少女を見守るのは<源 頼久>。左大臣家の警護として仕えている生真面目で寡黙な武士である。 「天地の青龍と地の朱雀」 ボソッと呟いた青年の言葉に少年は思いっきり顔をしかめた。 「あのなぁ、俺には森村 天真っていう名があるんだ。大仰な八葉の名称じゃなく、名前で呼べ、名前で」 「・・・では、天真。神子は一体、何をしている?」 「精神統一」 少年の端的な言葉の答えに、青年は再び視線を少女へと向ける。 「・・・確かに、並ではない集中力だな」 「あいつなりに、迷いを振り払おうとしているんだよ。あれで自分の気持ちに整理をつけようってのが、あいつらしいっていやぁ、あいつらしいがな」 「・・・天真。神子殿は何か、武芸の心得でもあるのか?動きには無駄も隙もない」 今まで黙って少女を見守っていた男が、ずっと疑問に思っていたであろう質問に、問われた少年はニヤリ、と笑った。 「あるどころじゃないぜ。剣道・杖道・弓道・合気道を物心ついた頃からやっている。痴漢やセクハラなんか、あいつにかかれば一発で叩きのめされちまう」 「・・・ちかん?せくはら?」 聞き慣れぬ異世界の言葉に、京の人間である二人が首を傾げる。 「あ、そーか、これって俺らの言葉か」 「つまりね、通りすがりの見知らぬ女性に不埒な行為を働く男性のことを痴漢、仕事場で部下という立場で抵抗できない女性に不埒な行為を働く男性のことをセクハラって言うんだ」 カリカリと頭を掻く少年の言葉を受け、金の髪の少年が詳しく説明すると説明を受けた二人は思わず少女へと視線を向けた。 日の光を受けて艶やかに光る髪、大きく澄んだ瞳、小さく愛らしい唇、背筋を伸ばした体は小柄ながらバランス良く、確かに男性に狙われてもおかしくはない愛らしい少女である。 ・・・だが。 「外見で騙されて返り討ちにあった奴らは数え切れないぜ」 「それに、あかねちゃんは優しいからね、他の人が被害にあっていたら助けちゃうし」 少年二人の補足に、男が何やら複雑そうなため息をついた。 「強いのだな、神子殿は」 男の呟きに反論しようとした少女の友人達より先に、陰陽師の青年が淡々と事実を述べる。 「確かに、神子は強いかもしれない。だが、それは普通の人間に対してだけだ」 感情の起伏が感じられない、ただ事実のみを指摘する声は気づかずに落ちこみかけていた男を冷静にさせるには十分だった。 「ま、そーゆーことだ。俺達の世界は平和だし、お前のように武器を所持している奴なんていなかったから、あいつは強かった」 「どんなに強くても、あかねちゃんは女の子だよ。守るべき、弱い女の子に変わりはないんだ」 「・・・神子は怨霊に慣れていない。だからこそ、我々八葉が神子を守る」 「そう、ですね。それが、我々の忘れてはならぬ・・・使命」 吹っ切ったような男の声を背後に聞きながら、青年は少女を見詰める。 優雅に舞うような動き。張り詰めた気はどこか脆さを感じるような危うさを伴なっている。しかし、それを補って余りある神聖な空気。 『龍神の神子』 龍神と意志を通い合わせられる、唯一無二の存在。 清らかなる精神を持つ乙女のみに龍神は宿る。 今は、無条件に信じられる。 この少女が聖なる存在だと。守るべき、『龍神の神子』なのだと。 確信する青年の心の奥底、深層に位置する場所で僅かに何かが動いた事に、青年は気づかなかった。 心などないと思い込んでいる青年を確かに動かした少女の姿を見ながら、青年の纏う雰囲気が僅かに柔らかくなっていることを、青年自身はもちろん、側にいる3人もその変化には気づいていない。 「・・・あれ?皆、いつからそこにいたんですか?」 気の済むまで体を動かしていた少女が、額に流れている汗を拭いながら自分を見守っていた4人の側へと歩いてくる。 「さっきから」 「ふぅん」 あっさり言った少年の言葉に、これまたあっさりと納得した少女の視線が陰陽師の青年の視線と合った。 「・・・迷いは晴れたか」 しばらくの沈黙の後、単刀直入に訊ねる青年に軽く目を見開いた少女は次いで苦笑を浮かべる。 「いい加減、吹っ切れました。迷っている暇があれば、帰れるように行動を起こします。努力しないで結果を取ろうっていうのは甘いですしね」 「そうか。なら、問題はない」 いくら、力があろうとも、心のうちに迷いがあれば精神の安定を欠き、十分な力を発揮できない。 迷いを吹っ切ったと言う少女は確かに、その言葉通り、全身から強い力を発散させている。強い、心を惹き寄せられる吸引力をも伴なって。 「神子がそうしている限り、我々八葉に恐れるものはない」 「・・・や、泰明さんって・・・」 真顔で言い切った青年の言葉に、少女のみならず他の3人も絶句する。本気で言っていることが分かるだけに、その台詞の恥ずかしさを指摘するべきか迷い・・・結局、少女は誤魔化すことにした。なんとなくではあるが、指摘したところでその理由を問い返されそうな気がしたのだ。ただのカンではあるが。 「・・・お、お願いしますね、これからも」 少々、引き攣りながらも、少女は笑顔を浮かべ、あたりさわりのないことを口にしたのだった。 その後、青年の知らぬが故の言葉や行動に少女が振り回され、逆に少女の自由で奔放な行動力に青年が振り回されるのは先の話である。 出会って間もない、少しだけ、印象の変わったある日の出来事。 END |