Happy Love Life


「ねぇ、あかね」
「ん〜?」
「あんた、同棲しているって、ホント?」
「ぐっ・・・げ、げほ、げほ、げほっ」
 ちょうど、自販機で買ったパックの紅茶を口に含んだ時という、実にグッドタイミング・・・いや、バッドタイミングな質問に少女は危うく口に含んだ紅茶を吹き出しそうになり、慌てて耐えたために激しくむせ込んでしまった。
「ちょ・・・大丈夫?」
「だ、誰の・・・せ、せい・・・だ、と・・・っ」
 どうにかこうにか、息を整えた少女は爆弾質問を投げかけた級友に問い返す。
「一体、どこからそんな話が出てきたのよ」
「隣の組の子達だよ?なんか、すっごく綺麗な男の人と一緒に買い物をしていて、一緒にあかねのマンションに入って行ったって」
「・・・げ・・・」
 思わぬ噂の出所に、少女の口から愛らしい容姿に不似合いな驚きの声が漏れた。いずれはバレるにしても、まだ時期が早い。もう少し先だと思っていたのだ。
「その反応が出るってことは、本当に同棲しているのぉ!?」
「ば、馬鹿、声が大きいっ。それに、同棲はしていないわよっ」
 そう、同棲はしていない。同棲ではないのだ。
「ほんとに?」
「彼、お隣さんだから」
「・・・そう、なの?」
「うん」
 疑いの眼差しに少女は思いっきり頷いて肯定する。隣に部屋を借りている事も本当だ。事実は違うが・・・。
「もしかして、あかね。告白されても相手を振りつづけているのは、彼というお相手がいたからなの?」
 さすがにここまでくればピンとくるのだろう。興味津々といった感じで聞いてくる級友に少女はふわり、と微笑んだ。
 幸せそうな、甘い微笑み。
「はいはい、ごちそうさま」
 その笑顔で答えを知った級友はそれ以上質問することなく引き下がる。誰しも好き好んで惚気を聞きたいとは思わない。一人身であれば尚更に。
 思っていたよりも突っ込まずに引き下がった級友を見遣り、少女は内心で冷や汗を拭っていた。これ以上突っ込まれると本気で困るし、ヤバいのだ。何故なら・・・。
(同棲じゃないもの。・・・結婚、しているのよね、本当は)

 平安時代を連想させるような世界。その世界に『龍神の神子』として召喚された少女<元宮 あかね>。鬼の一族から京を守り、そして自分の世界へと帰って来たのだが、その時少女の側には一人の青年の姿があった。
 『龍神の神子』を守る『八葉』の1人であり、彼自身、凄腕の陰陽師である<安部 泰明>である。
 彼の出自は複雑で、それ故に感情を排した言動を取りがちであったが、『龍神の神子』として召喚された少女と接するうちに感情を覚え、心を覚え、そして少女自身を望むようになった。
 少女自身も不器用なまでに自分の役割を果たそうとする青年を知り、孤独を孤独と知らない寂しい魂を癒したいと願うようになり、青年自身を恋うるようになった。
 そうして、お互いの手を取り、少女の世界へと帰ってきたのである。
 帰ってきてまず、最初にしたことは青年の存在を確立することだった。
 何せ、青年は別世界の人間。当然ながら戸籍や住民票、その他もろもろの青年を表す書類は一切、ない。それらの問題を少女はある人物の手を借りて解決した。
 ・・・それが違法行為であることは察していただけよう・・・。
 なにはともあれ、少女の世界で<安部 泰明>という青年の存在がしっかりと確立できたのである。そしてこの時、少女は青年と結婚する意志を固め、<安部 あかね>となった。
 もっとも、通っている高校で結婚したことをバラせばとんでもない騒ぎになることは目に見えているので、高校では今まで通りの名前で通している。
 そして青年は、少女の世界に慣れるまで、とりあえずとして本屋でバイトをしていた。・・・そのバイト先の本屋が少女の通う高校の近くで、勤務時間が少女の登下校時間とほぼ同じであることを蛇足ながら付け加えておく。

「あかね」
 昼休み時間の級友との会話に少々疲れた少女が校門を出た途端、横から体を攫われ、耳元で滑らかなアルトの声が響いた。
「や、泰明さんっ!?」
 いきなり抱き締められ、しかも腰が抜けそうな甘さを込めた声で名前を呼ばれた少女は顔を真っ赤にさせて背後を振り仰ぐ。
 かの世界では萌葱色だった長髪は緑がかってはいるものの不審に思われない程度の黒髪に変わり、金と深緑だった色違いの瞳は両方とも金色に変化している。それでも、冷たいまでの美貌は損なわれず、少女だけに見せる甘い微笑みは青年の美貌を見慣れた少女でさえ見惚れるほど、華やかだった。
「あ、あの、どうしたんですか?まだ、バイトの時間ですよね?」
 自分を抱き締めて放さない青年に顔を赤くしながらも無理に振りほどく事はせず、少女は首を傾げる。
 大抵の場合、少女が青年のバイト場所である本屋へと赴き、一緒に帰宅するか、夕食のリクエストを聞いて先に帰宅するか、どちらかのパターンなのだ。
「仕事が早く終わった」
「珍しいですね」
 端的な話し方をする青年は冷たい美貌と相俟って近寄りがたいのだが、すでに慣れてしまっている少女は特に臆することなく大きな瞳を瞬かせる。
 青年がバイトをしている本屋は結構大きく、どちらかといえば残業までさせられそうな店だ。だからこそ、少女が青年のバイト先まで赴くのであるが。
「予定していた本の入荷が遅れたらしい。お陰で仕事がなくなって早く帰れるようになった。私としてはあかねの顔を早く見ることができて嬉しいが」
「や、泰明さんってば・・・」
 にっこりと、満面の笑みで言われると嬉しいより恥ずかしい気持ちが先にくる。
 真っ赤な顔でうろたえる少女が可愛くて、青年の笑みはますます甘くなった。
「あかねは本当に可愛いな」
「・・・泰明さん〜〜〜」
 嬉しくない訳ではないが、甘い微笑みと甘い声を惜しげもなく振舞わないで欲しい、と少女は真剣に思う。たとえ見慣れていようが、やたらと心臓が自己主張して胸が痛くなるのだ。
 自分達が校門の脇という目立つ場所でずっと立ち話をしていたことに、遅まきながら気づいた少女は慌てて抱き締められていた青年の腕から離れると自宅へと歩き出す。明日、登校した時は質問攻めにあうだろうな、と確信しながら。
「と、とにかく、帰りましょう?何か、食べたいもの、ありますか?」
「あかねが作るものならなんでもいい」
「・・・・・」
 さらり、と殺し文句を吐く青年に、少女はまた、顔を真っ赤にさせて絶句するしかなかった。

「・・・・・あれ?」
 途中のスーパーで買い物をした少女と青年は、自分達が住んでいるマンションの前で見覚えのある青年が立っているのを視界に入れ、思わず顔を見合わせた。
「確か、お前の従兄とか言っていなかったか?」
「ええ。どうしたんでしょうね、一体」
 少女と青年が住むマンションの前で人待ち顔で立っているのは確かに、少女の10歳年上の従兄である。2年前、10年越しのお付き合いをしていた少し訳ありの女性と結婚し、そのまま大阪に居住をかまえているはずなのだが。
 お互い首を傾げるが、そうしていても始まらないのは分かりきっているので少女は従兄に声をかける。
「兄さん、当麻兄さんでしょ?」
「よ、あかね。久しぶり」
 青みがかった髪と蒼い瞳の長身の青年は軽く手を上げると明るく笑った。
「そうして見ると、おまえも人妻に見えるな」
「と、当麻兄さんっ!!」
 真っ赤な顔で睨みつける従妹の頭を軽くポンポンと叩いて宥めた青年は、無表情なままで少女の隣に立っている青年へと視線を向ける。
「どうだ、少しはここの世界に慣れたか?」
「問題ない」
「そうか、それなら俺が骨を折ったかいがあったというものだな」
 実は、異世界の青年の存在を確立すべく、いろいろと手を回したのが少女の従兄であるこの青年なのである。
 うんうんと満足げに頷く青年に、少女は呆れた視線を向けるとため息をついた。
「IQ350がなに言っているんだか。迦遊羅さんと一緒にいる為に戸籍を偽造したコト、叔母さんから聞いて知っているんだからね」
 中学時代に両親を亡くし、高校入学まで世話になっていた女性からの情報を少女が指摘すると今度は青年がため息をつく。
「あいつと一緒にするなって。あの場合はナスティの妹として偽造するだけでよかったが、今回は何もかも真っ白の場合から作らなきゃならなかったんだ。苦労も並じゃない」
「まぁ、そのことに関しては感謝しているけど」
 誰に話しても耳を疑うような話をこの親子は真剣に聞いてくれて、あまつさえ違法行為に手を出してまで少女を結婚させてくれたのだ。
 もっとも、常識外れの事はこの青年にしてもすでに経験済みであり、少女もそれを知っていたので安心して話せたということもあるのだが。
 因みに、その常識外れの経験を生かした従兄夫婦はなんらかの術を用い、この世界で支障なく生きていけるだけの知識を少女の最愛の青年に与えたようである。
「あっさり事情を納得してくれた叔母さんには助かったけど、いきなり『じゃあ、結婚しちゃえば?』なんて言われるとは思わなかったなぁ」
「・・・まぁ、あのノリで親父と結婚したお袋だからな。俺としてはお前が本当に結婚してしまうとは思わなかったが・・・幸せそうで安心した」
「泰明さんと一緒にいられるのだもの、当たり前じゃない」
「私も、あかねと一緒にいられて幸せだ」
 目の前で堂々と惚気られた青年はボソリ、と呟いた。
「俺はあてられに来たわけじゃないんだけどな・・・」

 少女の従兄の用事は結局、近くに用事があり、一泊させてくれというものだった。
「じゃ、夕食、一緒に食べようよ」
 久しぶりに会った従兄に誘いをかけたが、青年は軽く笑って首を横に振り、少女の誘いを断る。
「せっかくの新婚の邪魔をする気はないさ」
 誰だって目の前で惚気られながら食事をしたいとは思わないぞ。
 青年の心のうちの呟きである。
「それに、俺もちょっと約束があるからな」
「・・・浮気だったら、迦遊羅さんに告げ口するわよ?」
「アホ、征士とナスティだ」
「なら、いいけど。じゃ、これが隣の部屋の鍵。部屋の中は好きに使ってもかまわないけど、泰明さんの部屋のものには一切、手を触れないでね」
 ポンッと従兄の手に借りている隣の部屋の鍵を渡し、最重要事項だけを言い渡すと青年も生真面目に従妹の言葉に頷いた。
「今度は一緒にご飯、食べようね」
「まぁ、機会があったらな」
 その日が来るのはまだまだ先だろうな、と思いつつ、どことなく乾いた笑いを浮かべる青年だった。

「あかね、何をしている?」
「学校の課題ですよ」
 一緒に夕食を食べ、片づけをすませた後、少女がリビングのテーブルに本とノートを広げ、課題と取っ組んでいると風呂から出てきた青年がそれを覗き込み、問いかけてきた。教科書から目を離さず、答える少女の後ろに陣取った青年は腕を伸ばすと少女の体を抱き締める。
「ちょ、泰明さん、離してください」
「嫌だ」
「嫌って・・・課題が出来ないんですよ」
「このままですればいい」
 離そうとしないばかりか、少女の肩に顔を乗せ、深く抱き締めてくる青年に少女は顔を天井へ向け、深く嘆息した。
 少々、冷たいかなと思わないでもないのだが、気が散ってしまうのできっぱりと言い渡す。
「駄目です。気が散ってしまいますから、少し離れていて下さい。終わったらいくらでも相手をしてあげますから」
「・・・どれぐらいかかる?」
「あと15分ほどです。ですから、待っていてください」
「・・・・・・分かった」
 しぶしぶ、本当にしぶしぶと少女を離した青年は近くの壁にもたれると片膝に顎を乗せ、待ちの姿勢に入った。
 じっと、自分を見詰めているのを感じる。振り返らなくても分かってしまう。青年がどんな瞳で自分を見ているのか。情熱を秘めた熱さと、寂しさの篭った切なさが入り交じった、子犬のように真っ直ぐな瞳で見詰めているのだろう。
 思わず課題を放り出して青年を抱き締めたい衝動にかられるが、ぐっと我慢する。
 青年と結婚して一緒に住むと決めた時、自分の中でひとつのルールを作ったのだ。
 曰く、高校に通っている間は学生の本分を忘れないこと、と。
 恋に溺れ、周りが見えなくなり、自分達を見る視線が負のものになるような事だけは絶対にしたくなく、また、自分の矜持にかけても許せるものではなかったから。
 意識と気配を完全に思考から追い出し、少女は課題に没頭した。

 少女が真剣に課題と格闘している横顔を青年はただひたすら見詰める。
 本当はずっと抱き締めていたいけれど、少女を困らせたくないので青年は見詰めるだけで我慢していた。
 我慢・・・と言ってはいるが、少し離れたところで少女を見詰めるのも青年は嫌いではない。課題に没頭している少女の真剣な瞳は強い意思に輝き、見ていて飽きないものだから。ただ、少女の体温を感じられないことが不満なだけ。
 青年の感情を大きく動かす唯一の者。何よりも誰よりも愛しい、清らかな龍神の神子。
「出来たっ」
 ほっと息をついて何気なく振り返った少女の視線とずっと少女を見詰めていた青年の視線が合った途端、少女の顔が赤く染まった。
「・・・泰明さん、ずっと見ていたんですか?」
「ああ。・・・あかね」
 柔らかく微笑んだ青年の両手が少女に向かって広げられる。
 無言の誘いに顔を更に赤くさせながら、少女は青年の腕の中に体を滑り込ませた。
 腕の中にすっぽりと入る小さな体を抱き締め、さらさらとした艶やかな髪に頬を押し付けた青年はようやく、落ちついたかのように満足げな吐息をつく。
 腕の中に居心地良く納まる体は柔らかく、腰は驚く程細い。この華奢な体のどこに、強大な怨霊と対決する精神を隠し持っていたのだろうか。
「泰明さん?どうしました?」
 安心しきって体を預けていた少女が自分を抱き締める腕の力が増したことに気づいて顔を上げ、青年の顔を覗き込んだ。
「いや。ただ・・・お前が愛しいと思っただけだ」
 さらりと答えた言葉にいつものこととはいえ、慣れない少女は赤くなった顔を隠すように青年の胸に顔を埋めてしまう。
「あかね、何故顔を隠す?」
 顔が見れないと不満そうに呟く青年だが、少女に抱き付かれていること自体は不満でもなんでもない。自分の目の前にある艶やかな髪をゆっくりと梳いている仕草がそのことを少女に教える。
 穏やかで、幸せに満ちた空間。
 必死ではあったけれど、ある意味刹那的な生き方をしていた京の世界では味わえなかった心安らぐぬくもり。
 手放せない・・・決して離せない愛しい少女。この少女が消えてしまうことがあれば狂ってしまうだろうほどに、青年はこの存在に執着していた。
「愛している」
 この世界に来て覚えた言葉。幸せになる呪文だと、腕の中の少女が笑顔で青年に教えた言葉。
「愛しています」
 その幸せも、応えてもらえれば何倍にも膨れ上がるのだと少女に教えられた。
 視線が合い、幸せな笑みを浮かべた二人はそっと口付けを交わす。
 これからもずっと側にいることを、その口付けで誓って。

「ずっと・・・永遠に愛している」

 幸せの呪文と誓いの口付けはこれからも続く。
 彼らが一緒にいる限り、ずっと。


END