風天女


 少女は風。
 奔放に外を駆け巡り、人の手に捕えられない自由な風。
 時に優しく人を包み、時に激しく荒れ狂う。

 万物の中心。五行の中心。聖なる少女。
 聖なる桜に導かれし清らかなる乙女。
 この世で唯一無二の至高の存在。
 それが、龍神の愛し子、龍神の神子。

「神子様、神子様ぁ〜」
 星の一族の末裔である小さき姫の屋敷へ足を運んだ青年は、慌しい足音と心配そうな声を耳にして思わず溜息をついた。
 何日かに一度はある、いつもの騒動。
「失礼する」
「あ、泰明殿。神子様がまた、どこかへ行かれてしまったのです」
 案の定、顔一杯に『心配』と書いている星の姫の言葉に、青年は再び溜息をついた。この騒動も一体何度目か・・・数える気にもならない。
「分かった。神子を探してくる」
「お願いします」
 深々と頭を下げる姫の言葉を背中に青年は外へと足を向けたのだった。

 ぴーるる、ぴーるる・・・
 川辺で子供達に囲まれ、1人の少女がぎこちない手つきで草笛を吹いていた。
「お姉ちゃん、上手だよ!」
「そう?でも、君の方が上手いと思うけどなぁ」
 笑顔で自分を囲む子供達に、少女もにっこりと笑うと自分に草笛を教えた男の子の頭を撫でる。
「ねぇ、ねぇ、お姉ちゃん。この花でも、こんな風にできる?」
 近くで咲いていたのだろう。女の子達の手の中には名も知らぬ小さな花があり、風を受けてゆらゆらと揺れていた。
「そうねぇ・・・」
 草笛から手を放した少女は花を受け取ると花弁が散らないように気を付けながら、器用に花輪を編んでいく。
「はい、どうぞ」
 興味津々で少女の手元を覗き込んでいた女の子の頭の上に、出来た花輪をポンッと置いてやると、女の子は嬉しそうに笑った。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「どういたしまして。さ、そろそろ帰らないと、あっという間に暗くなってしまうわよ」
 ポンポンと服の裾を叩いて立ちあがった少女に、子供達は不満そうな表情を浮かべた。
「お姉ちゃん、もう帰るの?」
「ねぇ、もうちょっと、遊ぼうよ」
 服の裾を引っ張り、まとわりつく子供達に少女は柔らかくも、きっぱりとした顔で首を横に振る。
「お姉ちゃんもね、もう少し一緒に遊びたいけれど、駄目なの。ほら、君達に教えてもらったでしょう?この川の向こう側に怨霊がいるって。日が暮れたらその怨霊がここまで出てくるからね、日の高い今のうちに帰った方がいいよ」
 少女の言葉に子供達は忘れていた怨霊の存在を思い出し、不安そうに顔を見合わせた。それでも、帰ろうという素振りを見せないのは仲良くなった少女を思ってのこと。
「お姉ちゃんは?」
「え?」
「お姉ちゃんも帰らないと、危ないんでしょう?」
 無垢な瞳が雄弁に『心配』と言っているのが分かる。そんな子供達に少女はふんわりと微笑んだ。
「私なら大丈夫。もうすぐ、迎えが来るから」
 それも、とびっきり頼りになるけれど、怖い迎えが。
 太陽の高さで時刻を測り、迎えに来るだろう人物の顔を思い浮かべる。
 毎度のように藤姫の館を抜け出し、屋敷中を大混乱の渦に落としているが、その度に迷うことなく的確に自分のいる場所を探り当てるのは陰陽師の青年だけだ。今回もまず、間違いなく彼がくるだろう。
「だから、ね?早く、お帰りなさい」
「うん!お姉ちゃん、また、一緒に遊んでね!」
「ええ、また、ね」
 バタバタと駆け去って行く子供達を見送ると少女は適当な草を取り、唇に当てると草笛を吹き出した。

 ぴーるる、ぴーるる、ぴーるる・・・

 素朴な音が川辺の上を流れ、静かな時間が流れる。

 ざわり。

 一瞬、川の水が大きく揺れた。

 ぴーるる、ぴーるる・・・

 確かにその様子を目にしたはずなのに、少女は草笛を吹くのをやめず、しかし纏う雰囲気は臨戦体勢へと変化していく。

 びーるる、ぴー・・・
        ざばぁっ!!

 再び、川の水が大きく揺れ、少女へと襲いかかった。
 手にしていた草笛を捨て、大きく飛び退いてその攻撃を避けた少女は隠していた棒を手に取るとすかさず気を込めて現れた怨霊−ミズチへと振るう。

 バシィッ!!

 怨霊は大きくうねり、受けた衝撃の大きさを少女に知らせた。
「やっぱり、残った私の方に来たわね」
 純粋な子供達は怨霊に狙われやすい。それを、この少女は自分を囮にして怨霊をこの場に留まらせたのだ。自分もまた、怨霊に狙われる清らかな『龍神の神子』だということを逆手に取って。
 油断なく構える少女へミズチは尻尾を振るい、水撃破を放つ。その攻撃を見切った少女がその場を飛び退くと、行き場を失った力は地面に大きな穴を穿った。
「急急如律令!!」
 玲瓏たる声が辺りに響き、ミズチに大量の石飛礫が振りかかる。
 突然の援軍に、ミズチの気が大きく揺れた。それを見逃す少女ではない。
「泰明さん、太上鎮宅霊符を使います!」
「分かった」
 必要最低限のやり取りだけだが二人の息は何故だかぴったりと合い、大きな力を発揮した術はミズチを跡形もなく消し去ってしまった。
「・・・神子」
「はい?」
 淡々とした呼びかけに、少女は殊更無邪気に、にっこりと笑って首を傾げる。
「一体、お前は何をしていたんだ」
 青年の質問はもっともである。少女の気を探って来てみれば当の本人はたった1人で怨霊と対戦中だったのだ。驚かない方がおかしい。
「鬼の呪詛の影響を調べていたんです」
「ならば、八葉の誰かを連れて行け。1人で出掛けて何かがあってからでは遅いのだ。今のも、私が駆けつけなかったらどうなっていたのか・・・」
 顔をしかめる青年に、少女はやはり、にこにこと笑う。
「今のミズチのことですか?あれは泰明さんが来るって分かっていましたから、不安でもなんでもなかったですよ」
「分かって、いた?」
「時間的にそろそろだと思っていたし、何時でも一番に私を見つけるのは泰明さんだし。怨霊は笛の音を嫌うって言っていましたよね?で、草笛でも有効かなって思って吹いてみたら結構効果があったみたいで、以前と比べて気力が少なかったんですよ。ミズチは水属性ですし、少しだけ持ち堪えれば後は土属性の泰明さんとの術でなんとかなりますから」
 少女の一つ年上の同級生が聞けば確実に『確信犯』と言われるであろう、とんでもない言葉を彼女はケロリと吐いた。
「つまり、神子の計算通りという訳か?」
「別に、そこまで考えていたわけじゃないですけど。まぁ、思った通りに事が済んだからいいじゃないですか」
 のほほんとした少女に、青年は思わず眩暈を覚える。
 少女の性質が自由を好み、縛られる事を厭う傾向であることはなんとなく察してはいた。だが、それに加え、無意識にそこまで計算してしまうとなると、ほとんど無敵状態だ。
 溜息をつきかけた青年は少女の腕から血が滲んでいるのに気づき、細いその腕を取る。
「泰明さん?」
「・・・穢れが入りこんでいる」
「え?そうなんですか?ただの掠り傷だと思っていたんですけど」
 無頓着といえば無頓着な言葉に、青年の眉がぎゅっと潜められた。
「神子。お前は大事な身だということを自覚しているのか?些細なものでも清らかなお前にとっては大打撃になりかねないのだ。その旨、しっかりと肝に銘じておけ」
 殊更厳しい口調で言い放った青年はその傷口に唇を寄せ、強く吸い上げる。
「や、や、や、泰明さんっ!?何をしているんですか!?」
「穢れを落としている」
 淡々とした物言いは冷静そのもので、少女の動揺など何処吹く風といった感じである。
 不思議な事に青年が唇を寄せた後は綺麗に傷がなくなり、その変わりとでも言うように薄紅の跡が残っていた。それに気づいた少女はぎょっとするが、頓着することのない青年の鋭い視線は少女の身に残っている穢れを探しだし、それを落とす行動へと移る。
「泰明さん!!」
「静かにしろ」
 左耳の後ろ・・・普段は髪で隠れている場所に穢れが残っているのを見つけ出した青年は驚く少女を抱き締めることで縛め、唇を寄せた。
 全身に青年の体温を感じ、少女はきつく目を閉じる。耳の後ろに青年の唇を感じ、カッと体温があがった。緊張で体が硬直する。
「・・・これでいい」
 青年が離れたのを知り、思わず少女は安堵の吐息をついた。今の青年の行動は、あまりにも心臓に悪すぎる。
「穢れって・・・こんな風にしか落とせないものなんですか?」
 もし、そうなら出来る限り気をつけなくては、と肝に銘じていた少女に青年はあっさりと首を振った。
「いや。呪符でも落とせる」
「・・・・・・・・・・は?」
 ピキッと少女の顔が引きつる。数秒の後、少女の大絶叫が辺りに響いた。
「なぁんで、それを使わないんですかぁっ!!!???」
「神子。うるさい」
 顔をしかめる青年に少女は彼の服の襟を掴んで叫ぶ。
「誰のせいですかっ!!いえ、それよりも、呪符で穢れが落とせるのなら、それで落としてくださいよっ!!」
「呪符を使うと時間がかかる。それに、今日は持っていなかった」
 顔をしかめながらも少女の言葉に答える青年はなかなか律儀である。
「・・・じゃあ、今度からは時間がかかってもいいですから、呪符を使ってください」
「神子がそうしたいというのなら、そうしよう。だが、1人で出かける事を自重すればその必要はなくなるのだぞ」
 がっくりと肩を落としてお願いをする少女に、やはり、律儀に頷く青年は、少女の動揺のわけをまったく理解していなかった。

 余談であるが、青年が他の八葉の前でボソリと
「神子の体は柔らかいな」
 と呟いて彼らを混乱に陥れ、真っ赤になった少女が青年の頭をはたいた事を付け加えておこう。

「神子様、どこにおられます、神子様」
 数日後、いつもの騒動に出くわした青年は額に手を当て、嘆息した。あの後、少女に懇願されて呪符を数枚手渡したのを今更遅いと思いつつも後悔する。
「あ、泰明殿!」
「・・・また、か?」
「はい」
「分かった。捜してこよう」

 人の手には捕えられない風。
 人の手を擦り抜ける自由な風。
 それが少女であり、少女が風であり続ける限り、この騒動はずっと続く。
 しかし、それもまた良しとする心が生まれている事をこの時、青年は気づいていなかった。
 少女も無意識ながら青年を待っている自分の心に気づかず、気ままな外出を繰り返す。

 彼らが自分の心に気づくのはまだ、もう少し時間が必要だった。

 少しだけ、信頼が生まれたある日の出来事。


END