君を守るため この地に
 君と出会うため 生まれた

 眩い白光が辺りの大地を染め、瘴気に覆われていた空気を清らかなものへと変えていく。
「神子!」
 悲痛な叫び声が清められた空気を切り裂いた。
「行くな、神子!!」
 いつも、人形のように表情が動かなかった青年の端麗な顔が悲痛に歪み、聞いた事もない悲鳴のような声でただひたすら、視線の先にある少女を呼ぶ。
 サラリ、とした髪が揺れ、少女は振り向くと自分を呼んだ青年を見つめた。ひたすら、自分を見つめる金と深緑の瞳を見返した少女はふわりと微笑む。
 見返りなど求めない、ただ、慈しみのみが宿る、そんな微笑み。
 その少女の上に、召喚された龍神が舞い下りる。
「神子!!」
 青年の目の前で少女は龍神の宝玉に取り込まれ、天高く龍神と共に空へと駆け上って行った。
「神子!神子!神子ーーー!!!」
 喉も嗄れよとばかりに絶叫する青年の声はただ、蒼天に吸い込まれるばかり。
「神・・・子・・・」
 呆然とした視線を龍神が消えた空へと向け、力を失った青年の両膝が地面につけられる。
「何故だ、神子・・・。お前を守ると言ったのに、何故、お前は行ってしまうのだ?」
 自覚のない涙が溢れ、青年の頬を濡らしていく。
「あの日、あの時、言ったではないか。お前を守るために、お前と出会う為に私は生まれたのだと」
 北山で少女と向き合った出来事が脳裏をよぎった。
 自分が変わることの出来た日。『愛しい』という想いを初めて理解・・・いや、感じられた出来事。決して失えないと自覚した少女の温もりがまざまざとこの腕に甦るというのに、当の少女は天へと消えてしまった。
「神子、神子、神・・・子・・・」
 静かな、青年の嘆き。だからこそ、魂の奥深くから溢れ出る嘆きは深く、激しい。
「神子、帰ってきてくれ。お前がいなければ、私はただの人形に成り下がる。龍神よ、私から神子を取り上げないでくれ。神子は私の感情、私の心、私の命。私の唯一人の、愛しい者なのだ・・・」
 ひたすらに少女を求める青年の脳裏に突然、厳かな声が響いた。
『八葉が一人、地の玄武。そなたの想い、我が神子に届いた』
「!?」
 若々しいと思える声音なのに、声に宿る重々しさは年月を重ねた者だけが持ち得るもの。
「龍神・・・」
『我が神子は我の宝玉の中、眠りについていたがお前の魂からの叫びで目覚めた』
 空から一筋の光が青年の前に射し込んだ。その光の中、瞳を閉じた少女がゆっくりと天から降りてくる。
「神子!」
 降りてくる少女を両手を出して受けとめ、その温もりを確かめるように胸の奥深くに抱き締めた。
 全身で感じる少女の柔らかさと暖かさに、自分の元に帰って来た事を実感する。
『よく聞け、地の玄武。そして我が神子を守る八葉達、星の一族の末裔よ。我が神子が我を召喚した後、お前達の神子を想う心が神子を呼び戻した。これは、神子とお前達にとっての最後の試練だったのだ。我が神子とお前達の絆の深さを試す・・・な』
 京の守護神として奉られてより、永遠とも言える時間を人には分かりづらい慈しみで見守ってきた龍神の言葉が脳裏に響く。その言葉に宿る感情は確かな暖かさと慈しみ。
『確かな絆と深い想いがなければ我の宝玉に取り込まれた我が神子にはそなたたちの声は届かず、また、我が神子も目覚めぬ。だが、声は届いた。届いた声に応え、我が神子は目覚めた。目覚めれば我が元にいようと、神子の心はお前達を・・・いや、地の玄武。お前を想って静かに嘆く。我とてそんな神子の姿を見たくはない』
 姿は見えない龍神の視線が確かに、少女へと注がれたのを青年は感じた。
『故に、我が愛する神子を地上へと戻す。だが、心せよ。我が神子の魂が嘆き、哀しむ事あれば神子を我の元へと呼び戻す』
 厳しさを内包した声が青年に問う。
『誓うか、地の玄武。我が神子を嘆きの淵に沈めないと』
「もちろんだ。私の全てをもって神子を愛し、守る」
『その誓い、けして忘れるな』
 響く声は心から満足したようなほっとしたような雰囲気が漂っていた。

 君を愛するために 今
 君を抱くため 生まれた

「神子!行くな、神子!」
 今にも泣きそうな声・・・無表情なくせに、どこか涙もろいあの人。
(泣かないで。悲しまないで。ああ・・・でも、あの人にこんな声を出させているのは、私・・・)
 胸の奥深くが痛い。
 瘴気に侵され、身動きも出来ない八葉達。瘴気の影響などまったくなかった自分。取るべき行動はただ一つ。
 この後に及んで京を守るだなんて建前を言うつもりはなかった。自分の存在がなくなるかもしれない、そんな時まで自分の心を偽ることはしたくない。
 龍神の宝玉の中に包み込まれる寸前、空気を切り裂くような青年の声が、少女の心を切り裂いた。
 守りたかったのだ。真っ直ぐ過ぎて不器用な青年を。
 なのに、その青年を悲しませているのは紛れもなく自分。
 その矛盾に少女の心は泣いた。瞳から流れる涙はなく、しかし心は止まることのない涙に濡れる。
『我が神子よ』
 脳裏に厳かな、しかし慈しみに溢れる声が響いた。
『泣くな、我が神子。そなたを地上に戻す』
(戻す?地上に?何故?)
『地上よりそなたを呼ぶ声が強く、そなたを目覚めへと導いたが故に』
 龍神の言葉に少女は戸惑いを示す。
(でも・・・)
『確かにそなたとの約定はある。そなたが我に身を捧げ、我はそなたの望みを叶えるという・・・な』
 言葉にしない少女の心を読み取り、龍神は先回りをして言葉を紡いだ。
『だが、これはそなたの約定と共に、そなたと共にいた者達への試練でもあった。そなたと、どれだけ深い絆を持つ事が出来たのか見極めるための』
 ふっと、気配で龍神が微笑んだのが感じられた。
『我とて、そなたを嘆きに沈めるつもりはない。地の玄武の誓いも聞いた』
 だから、戻るがいい。
 言葉にしない龍神の声に、少女は再び泣いた。
 しかし、今度のは嬉しさ故に流す涙だ。
『幸せになれ、我が神子よ。我は何時でもそなたを見守り、そなたの幸せを願っている』
 龍神の声が遠ざかり、そして別の声が近付いてくる。
「・・・子、神子」
 遠くから呼びかけられる声に、少女の意識がゆっくりと浮上していく。
「神子、頼む、目を覚ましてくれ、神子!」
「やす・・・あ、き、さん?」
 ゆっくりと瞼を開け、自分を抱き締めている青年の名を少女は呟いた。途端に、少女の体は力一杯青年に抱き締められる。
「戻ってきたんだな、神子!良かった・・・良かった・・・」
 苦しいほどの抱擁の中、少女も青年の肩に頬をつけ、抱き締められる暖かさを感じていた。
「皆が・・・泰明さんが私を呼んでくれたから、戻ってこれたんです。泰明さんのお陰です」
「神子、神子!もう、私の前から姿を消さないでくれ。お前がいなければ私は壊れてしまう。私は、お前のために生まれたのだ。お前を守るために・・・いや、出会い、愛し、そしてこの腕で抱き締めるために」
 どこにこれほどの激情を秘めていたのだろうか。青年の告白と抱擁は少女に確かな幸せをもたらしていた。龍神を召喚したために削り取られた体力と気力を必死にかき集め、両腕を青年の背に回す。
「龍神様が言ったの。幸せになれって。私の幸せは泰明さんと一緒にいること。・・・ねぇ、私、願ってもいい?泰明さんと一緒にいたいって、望んでもいいかしら?」
「神子。私は龍神に誓った。お前を幸せにすると。誓いではあるが、それは私の望みでもあるのだ。お前が側にいて、幸せに微笑んでいることが」
 うっとりするような優しい微笑みが青年と少女の顔に浮かんだ。
「ね、泰明さん。名前を呼んで。もう、龍神の神子ではないもの」
 少女の願いに青年は応える。
「あかね」
 名前を呼び、呼ばれることで二人は幸せへの第一歩を踏み出した。

 龍神の元へと呼び込まれながらも少女が戻ってこれたのは心と心が結び、縒り合わさった絆があったから。
 その絆があったこそ、少女は青年の元に戻り、青年は少女を取り戻した。
 目に見えない、けれども確かな絆。それがあれば、この二人に恐れるものは何もないだろう。きっと、どんな困難にも打ち勝つ強さを持てる。
 二人の間に結ばれた絆があれば、きっと。

 お互いの温もりを感じ、幸せを感じている二人の上に、龍神の最後の祝福であろう光の欠片がそっと、振り撒かれた。

(おまけ)
「・・・まったく、いい加減にしろよな」
 ぶつぶつと呟く天の朱雀がガリガリと頭を掻く。
「泰明さんって、すごく情熱的だったんだねー」
 ひたすら感心する地の朱雀は赤くなりながらも二人を見ている。
「いやはや、なかなか面白いものを見せてもらったよ」
 広げた扇の影で地の白虎は笑いを零す。
「何と言いますか・・・私達の存在を見事に忘れていますね」
 苦笑を浮かべる天の白虎の視線はしかし、柔らかい。
「だーっ、いい加減、気づけ、俺らの存在にっ」
 いまにも噛み付きそうな視線で地の青龍は抱き合う二人を睨みつける。
「・・・この場合、どうすればいいのだろうか・・・」
 堅物故か、天の青龍は真剣にこの場面の対処を考えている。
「何時になったら、私達を思い出していただけるのでしょうか?」
 おっとりと、物柔らかに言いながら天の玄武が首を傾げる。
「でも、神子様がご無事で、そしてお幸せになれて良かったですわ」
 にこにこにこ、と星の一族の末裔の姫が満面の笑顔を浮かべる。

 二人の世界を作り上げていた龍神の神子と地の玄武が他の者達の存在を思い出すのに時間はまた少し、必要だった。


END