追いかけて


 追いかけて
 ずっと追いかけて
 私だけをずっと・・・

 目の前の木を眺め、屋敷を囲んでいる塀との距離を目測する。ちらっと周囲を見回し、人気が無い事を確認した少女は握り拳を作って気合を入れた。
 中腰に構え、力を溜めると思いっきりジャンプして目指した枝に取り付き、逆上がりの要領で体を引き上げると危なげなく枝の上に落ち付く。
「周囲に人影は・・・なし、と」
 屋敷の方向はもちろん、塀の外にも人影がないことを確認した少女は実に身軽に塀の上へと飛び移り、そして外へと飛び降りた。
「藤姫・・・ごめんね」
 塀の中の幼い姫君へ両手を合わせ、謝罪した少女はしかし、足取りも軽くどこかへと駆け去って行ったのだった。
 ほどなくして屋敷のある一角から幼い姫の驚愕の叫び声が響き渡る。
「お姉様ーーー!?」
 青くなっている星の姫の小さな手には少女の書き置きが握り締められている。
『ちょっと、遊びに出かけます。ごめんね、藤姫』
 つまりは・・・脱走、であった。

 桜花爛漫、春もたけなわの頃、ある一人の少女が異世界より召喚された。
『龍神の神子』
 召喚された少女はそう呼ばれ、約3ヶ月の間京の都を駆けまわったのはある使命を負わせられたから。
 『鬼』と呼ばれる者達から京を守るのだという、ある意味横暴な要求を少女は自分の世界へ帰る為だと納得し、尽力したのだ。
 そして、使命を果たした少女はある理由から自分の世界へは帰らず、この世界に留まっている。

「あかねがいなくなっただと!?」
 慌しい足音と共に現れた人物に幼き星の姫はため息をつきながら書き置きを手渡した。
「お姉様は・・・閉じ篭るのがお嫌いだとはおっしゃっていましたけど・・・」
 再び、ため息。
「確かに、あの性格からしてよく大人しくしているものだと思っていたが。・・・抜け出すとは本当に、あかねらしい」
「感心している場合ではありませんでしょう、泰明殿」
 目尻を険しくする星の姫の、小さい体からの怒気に青年は軽く肩を竦めてみせた。
「ああ、分かっている、藤姫。あかねを探そう」
「分かっているのなら、よろしいのです。では、よろしくお願いします」
 深々と頭を下げる星の姫に頷いて見せた青年は、来た時とは打って変わって足音もさせずに部屋を退出したのだった。

「ん〜、気持ちいい〜」
 抜け出した屋敷を大混乱の渦に落とし入れている元凶の少女は河原に座りこみ、呑気に日向ぼっこをしていた。
「外に出るのってホント、久しぶり」
 前々から興味のあった市にも顔を出し、無花果を買いこんだ少女は河原で嬉しそうに齧りついている。
「美味しい〜」
 にこにこしながら食べていた少女の上に影が落ちた。
「・・・一体、何をしているのだ」
 呆れたような声に顔を上げた少女はにっこりと笑顔を浮かべる。
「無花果を食べているんですよ」
「そんなことは見れば分かる。私が言いたいのは今の屋敷の状態を知っているのかと・・・」
「分かっています」
 サラリ、と肯定した少女に青年は一瞬虚をつかれ、まじまじと少女を見つめてしまった。
「分かっていて、こういう行動に出た、と?」
 無意識に眉間に皺を寄せている青年の表情を見た少女は軽く肩を竦めると、一転して真剣な表情を浮かべる。
「黙って屋敷を抜け出した事は悪いと思います。・・・でも、こうしないと泰明さんに会えないと思ったから」
「私に・・・?」
「はい」
 とまどう青年に鮮やかな笑顔を向けると、少女は青年の服の裾を引っ張り、隣に座るよう促した。
「私に・・・会うために、こんなことをしたと言うのか?」
 問いかける青年に少しバツが悪そうな顔をするものの、少女は正直にこの騒ぎの原因を説明しだした。
「泰明さん・・・最近、ちっとも会いに来てくれませんでしたよね?お仕事が忙しいのは分かっています。だから、私も会いたいのを我慢していたし。でも、お仕事のきりがついたのにそれでも来てくれないのはどういうことですか?」
「誰から聞いたのだ、私の仕事のことを」
「晴明様です」
「・・・お師匠・・・(怒)」
 青年自身はある計画があって少女の元を訪れることが出来なかったのだが、あっさりと青年の師匠がバラしたらしい。思わず握り拳を作り、脳裏に浮かんだ師匠に怒りをぶつける。
「これでも、結構我慢した方なんですよ?でも、お仕事が終わったって聞いても泰明さんはちっとも来てくれないし!私が泰明さんに会いに行こうと思ってもどこにいるか分からないし!だったら、私がどこかに出かけちゃえば泰明さん、私を追いかけて来るでしょう?」
 そして少女はその考えを実行した、と言う訳らしい。
 眉間に指を当て深いため息をつくが、長い間少女を放っていた自分にも非はある。
「分かった。確かに、あかねに会いに行かなかった私にも非はある」
 自分の願いに応え、少女は何もかも捨ててこの世界に留まってくれたのだ。寂しくないわけがない。不安にならないわけがない。それでも、少女は留まってくれた。そのことを、自分は失念してしまったようだ。
 ふわり、と隣に座る少女を引き寄せ、抱き締める。
「すまなかった。お前に寂しい思いをさせてしまった」
「いいんです。だって、泰明さん、こうして私を追いかけてくれたんですもの」
 青年の胸に頭を預け、嬉しそうに少女は微笑んだ。
「泰明さん・・・ずっと、私を見ていてね。私だけを追いかけてね。私、泰明さん以外に捕まるつもりはないんですから」
「当然だ。私はあかね以外、欲しいとは思わぬ」
 即答する青年はふと、少女の頬に手を添えると小さな顔を上げさせ、澄んだ大きな瞳を覗き込む。
「あかね、私の屋敷に来い」
 突然の青年の提案に少女はぱちくりと目を瞬かせる。
「いまから・・・ですか?」
「そうではない。私の屋敷で暮らさないかと言ったのだ」
「それって・・・」
 更に大きく目を見開いた少女に青年は頷いてみせた。
「ずっと、私の側にいて欲しい。お前が私の屋敷に住むようになれば、毎日一緒にいられる」
 少女の頬に添えた手で、ゆっくりと優しい曲線を描く頬を撫でながら、青年はこの数日間、姿を見せなかった理由を話す。
「お前を屋敷に迎えようとして、ずっと準備をしていたのだ。お師匠にも了解を得たし、左大臣にも話を通した。後はあかね、お前の返事だけだ」
「それじゃ・・・ずっと、会いに来てくれなかった・・・ううん、来れなかったのは、この為・・・?」
「寂しい思いをさせてすまなかった」
 謝罪の言葉を告げる青年に少女はふるふると首を横に振った。
「ううん、私こそ、ごめんなさい。泰明さんがそんなことをしてくれているだなんて・・・知らなかった。本当に、ごめんなさい」
「知らせなかった私も悪い。黙っていて、後で驚かせた方が喜ぶと言われたのでそうしたのだが・・・」
「・・・誰に、ですか?」
「友雅だ」
「・・・・・・・・・・そう」
 心の中で、少女は悪戯好きの少将に盛大に文句をぶつけ、深くため息をついた。
 この騒ぎもしばらく、仕掛け人の少将のからかいのネタになることだろう。
「それで・・・あかね」
「はい?」
「来て・・・くれるか?」
 青年の問い掛けにまだ返事をしていないことを思い出した少女は満面の笑顔を浮かべて大きく頷いた。
「はい、行きます!」
 少女の返事を聞いた青年の顔もまた、幸せそうな笑顔が浮かび、少女を抱き締める。
「あかね・・・愛している」
「愛しています、泰明さん」

 数日後、幸せそうに左大臣家から引越しをする青年と少女の姿があった。

 あの人に追いかけて欲しくて
 我が侭だと思っても追いかけて欲しくて
 追いかけられて嬉しくて

 ねえ、ずっと私を追いかけてね
 私だけを見て、追いかけてね

 私もあなたを追いかけるから・・・


END