桜天女


 ひらり
    ふわり
       ひらり
 ふわり
    ひらり
       ふわり
 ひらひら
     ふわり
 ふわふわ
     ひらり
 ひらひら
     ひらひら
         ひらひら
             ひらり・・・

 月明かりを受けた桜が一枚、また一枚と花弁を散らす。
 幻想的な空間。まるで幻のような景色。

 その中で一心に桜の花弁を追う一人の少女。
 女童のように無邪気に、笑い声をあげて。
「あっ、また・・・」
 捕まえ損ねた花弁は地面に降り積もり、その地を桜色へと染める。
 別の花弁を追い掛け、桜色の地面を歩く少女はその風景に溶け込み、輝く存在感を示しながら消え去ってしまうような錯覚をも起こす。
「きゃうっ!?」
 あと少しで花弁を捕らえられるその直前、少女は急に腕を引かれ、その身をすっぽりと抱き締められていた。
「や、泰明さん?どうしたのですか?」
 抱き締められているというより、抱きつかれているような感覚に少女は顔を背後へと向ける。
「・・・お前が・・・消えそうな気がした・・・」
「消えませんよ、私は」
 自分を抱き締めている腕に手を添え、少女は微笑んだ。
「消えるわけがないじゃありませんか。・・・泰明さんがいるのに」

 一年前の今頃の季節、聖なる桜に導かれて少女はこの京の町に降り立った。
 清らかな心を持ち、龍神と意志を通い合わせられる唯一無二の存在、『龍神の神子』として。
 常に前を見つづける澄んだ瞳、清らかな精神に宿る慈愛の微笑み。清冽に輝く神聖な気を纏う穢れなき乙女。

「あれから、もう一年が経つんですね」
 青年に抱き締められたまま、少女は満開の桜を見上げる。青年の腕の中から淡い桜色に手を伸ばしながら。
「そう、だな」
 少女と共に桜を見上げ、青年は一年前の出来事に思いを馳せた。
 ただの人形だった自分に心を与え、感情を覚えさせた出来事を。
「なんだか、とても不思議」
 不意にくすくすと少女は笑い出した。
「あかね?」
 問いかけてはいるが、少女を見詰める青年の瞳は優しく、口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。
 純銀の鈴の音のような、綺麗な声の笑い声は何時までも聞いていたい気にさせる、青年のお気に入りの一つだ。
「だって、本当なら私達、会えることなど出来なかったんですもの」
 お互い、違う世界に住む者達。決して重なり合うことなどない異世界の住人。
「なのに、こうして出会えた。・・・泰明さんに恋をして、そして愛した」
 それは、奇跡。出会うことのない者達が出会い、想いを重ねた奇跡。
「泰明さんに出会えた奇跡を・・・私をこの京へと導いた桜に感謝しなくてはなりませんね」
 桜に導かれ、この世に降り立った天女。
 麗しくも穢れなき乙女が自分の腕の中にいることもまた、奇跡。
「私も感謝しよう。あかねと出会わせてくれた全てに。お前が私の手を取ってくれた奇跡に」
 腕の中の暖かな存在を手放したくなくて、離れたくなくて、無理を言っていると分かっていながらも願わずにはいられなかった。
 一度、暖かさを知ってしまえば、それを知らなかった頃には戻れない。
 我が侭な願いを、少女は暖かな微笑みと共に受け入れた。それもまた、一つの奇跡。
「いろいろな奇跡が重なって・・・こうして私達はここにいられる」
「そうですね。どれか一つでもすれ違ってしまったら・・・今の私達の姿はありえませんものね」

 『龍神の神子』が少女でなかったら。
 少女がこの世界に召喚されなかったら。
 少女が青年を想わなかったら。
 青年が少女を恋わなかったら。
 青年が少女に手を伸ばさなかったら。
 少女が青年の手を取らなかったら。

 仮定は仮定でしかない。けれども、どれか一つでも欠けてしまえば『今』はなかった。
「ねぇ、泰明さん。毎年、春になったら一緒にここに来ましょう?ここで全てのことに感謝しましょう?」
 桜の乙女が紡ぐ言葉はいつも青年の心に柔らかく、水のように染み込んでいく。
「ああ、そうだな。あかねと一緒なら、それもいいだろう」
 決して忘れない。出会えた奇跡を、愛し愛された奇跡を。
 この腕の中に居る暖かく、愛しい桜天女と共にその奇跡に感謝しよう。

 この世に降り立った龍神の神子。
 清らかで清冽な精神を持ち、暖かな腕で包み込む天女。
 澄んだ瞳で真実を見据え、揺るぎなく未来を見詰める少女。
 生涯唯1人、愛した乙女。

 龍神に愛されし神子
 聖なる桜に愛されし天女
 万物と五行に愛されし乙女
 そして、何よりも陰陽師の青年に愛されし少女

「愛している・・・誰よりも、何よりも・・・あかね。お前だけを」
「愛しています、泰明さんを。ずっと・・・ずっと、側にいさせて下さい」

 囁き合い、口付けを交わす二人の周りに桜の花弁が舞い落ちる。
 祝福するように、見守るように。
 優しく、そっと・・・。


END