闘天女


「きゃあああぁぁぁっ!!」
「藤姫!こっちへ!!」
 悲鳴を上げる小さき星の姫を背後に庇い、少女は護身用の短剣を目の前にかざすと一枚の札を実現化させた。
「お願い、結界を張って」
 古鏡という怨霊は反射させるという鏡の性質を利用して自分の主の要望に応える。
「み、神子様・・・」
 恐怖に震える幼き姫を抱きしめながら、短剣を構えた『龍神の神子』と呼ばれる少女は冷静に周囲の状況を判断した。
 お付きの女房達は少女の指示で皆、別の部屋へと避難している。この騒ぎはすぐに八葉達へと伝わり、誰かが来ることは間違いない。自分はそれまで、持ち堪えていればいい。ただ、問題は・・・。
「私を狙ってのことじゃないわね。今の攻撃は・・・」
 ポツリ、と呟いた言葉に少女自身がはっとし、慌てて自分の腕の中の小さな姫を覗った。幸い、この騒ぎで動転しているらしく、星の姫は少女が呟いた言葉に気づかなかったようだ。
 安堵の吐息を漏らし、少女は改めて古鏡が張っている結界の外、そこで大暴れしているある物体を見詰めたのだった。

 一日中、京の町を駆け回っていた『龍神の神子』、<元宮 あかね>は星の一族の末裔だという<藤姫>を相手に一日の出来事を話していた。
 この京の町に召喚されてから少女は同性との気軽なおしゃべりというものが出来ず、なかなかにストレスが溜まっていたりしていたのだ。だが、さすがに気配りの権化というか、少女のその様子に敏感に気づいた幼き星の姫が自ら話し相手を買って出たお陰で少女の精神は安定し、今では夕餉の後に一日の出来事を話すのが習慣となっていた。
 そんな時である、誰かが放った何かに襲われたのは。
 考えるより先に体が動き、短剣を抜き放った少女は襲いかかったモノを薙ぎ払うと左手で刀印を結び、九字を唱える。
「臨兵闘者皆陣烈在前!!」
「ギャアアアァァァッ!!!」
 空中に横、縦、横、縦・・・と気を込めて九本の線を描き、最後の九字を唱え終わった途端、異形のモノが凄まじい叫びを発し、床に落ちた。
「きゃあああぁぁぁっ!」
 床に落ちたモノを見た女房達が悲鳴を上げ、バタバタと失神する。
 それは一見、猫のようだった。だが、猫にしてはあまりにも異形である。
 爛々と光る瞳は瞳孔がなく、血のように真っ赤な色。耳まで裂けた口から覗くのは鋭い牙。それは口の中には収まりきらず、顎の下まで伸びている。それは口を開閉する度に上下がぶつかり、ガチガチと音を立てる。犬ぐらいの大きさの胴体に太い足。四本の足からは長く伸びた爪が床に突き刺さっている。触れるだけで切り裂かれそうな鋭さだ。
「藤姫は私が守るから、早く別の部屋に避難して!そして、八葉の誰かに知らせてください!!」
 強い声に我を取り戻した女房達はよろける足を必死に動かし、少女の指示に従ってその場から避難するとこの緊急事態を各方面へと知らせたのだった。

「神子と藤姫が!?」
「はい、どうか、どうか、お助け下さいませ」
 たまたま、師匠の使いで左大臣家を訪れていた<安部 泰明>は少女が生活している棟の大騒ぎに気づき、何事かとその場へ駆けつけると数人の女房達が失神したり取り乱したりしている。
 取り乱している女房達から何とか事態を聞き出すと、青年は急いで少女の部屋へ飛び込もうとして・・・何かに弾かれた。
「これは・・・結界を張っているのか」
 手を伸ばせば弾力のある何かに触れる。そして、その向こう側には何も見えない。・・・いや、部屋の中身は見える。だが、そこにいるはずの少女と星の姫の姿が見えないのだ。
 ちっ、と舌打ちをした青年は背後を振り返り、二人の名前を呼ぶ。
「月華!蒼夜!」
「御前に」
 何もない空間を割って出た二人の式に、青年は矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「蒼夜、ここにある結界を破れ。月華、私の身に結界を張れ。・・・お前達も一緒に来い」
「承知」
「御意」
 軽く頭を下げた二人に頷き、数枚の呪符を取り出した青年は結界を見詰めた。
 蒼の髪、蒼の瞳の涼やかな美青年が背負っていた刀に手を掛け、自分の主へと視線を向ける。その視線を受けた青年が頷くと短い気合と共に、蒼の美青年は刀を振り下ろした。

カッシャーーーン

 硝子が割れるような音を立て、結界が破られる。その破られた場所から毒々しい瘴気が流れ出してきた。
「主様、結界を張りました」
 純銀の髪、菫の瞳の清楚な美女の言葉と同時に青年は結界内へと飛び込む。その後を蒼の美青年、純銀の美女が続けて飛び込んだ。
「神子、無事か!?」
「泰明さんっ!」
 少女の声がする方へと視線を向けた青年の顔が僅かに歪む。
「猫鬼・・・だと?やっかいな・・・」
 少女が張った結界の外をうろついている異形の正体を即座に言い当てた青年の声は苦々しい。
 猫鬼・・・蠱毒法の中でも最も凶悪なものだといわれている。年を経た山猫の精を蠱毒といわれる魔物へと変化させ、蠱物使いといわれる人々が使役するのだが、この術はあまりにも凶悪な邪法であるが故に、厳しく取り締まっているものなのだ。
「・・・しかも、破った筈の結界がまた元に戻っているとは、な」
 蒼の式に破らせた筈の結界。・・・だが、三人が飛び込んだ直後、それは跡形もなく修復され、再び閉塞された空間へと戻っている。
「泰明さん。これは、私ではありません」
 星の姫を胸の奥深くに抱き締め、ショックを与えないよう、彼女の目と耳を封じている少女が言葉少なに告げた事実は正確に青年に届いた。
「目的は・・・左大臣、か」
 年端はいかずとも星の姫としての役割を十分に果たし、左大臣家の重要な位置を占めている少女は他の権力者から見れば脅威の姫なのだろう。少女を排すれば少なくとも左大臣家は打撃を被る。そんな考えまでもが青年には読み取れる。
 深い吐息をついた青年の手には何時の間にか数枚の呪符が握られていた。
「いつまでもこうしているわけにはいかない。猫鬼を排除するぞ」
 静かな闘気を漲らせ、青年の視線は冷たい刃と化す。
「月華、呪符を猫鬼に縫いつけろ」
「御意」
 純銀の清楚な美女が頷くと同時に青年の手から呪符が猫鬼に向かって放たれた。紙とは思えない動きで猫鬼へと飛んだ呪符に向け、純銀の美女が息を吹く。純銀の美女が吹いた息は数本の細い針に変化して呪符へと突き刺さり、更には猫鬼にも突き刺さった。
「ギャアアアァァァッ!!」
 甲高い悲鳴をあげ、転げ回る猫鬼だが純銀の美女によって縫いつけられた呪符は少しも剥がれはしない。
「・・・効き目が薄いな」
 冷静に猫鬼の様子を見ていた青年の眉が顰められる。
「やはり、猫鬼というべきか。ならば、これでどうだ」
 別の呪符を取り出した青年だったが、それを使う前に弱っていたはずの猫鬼に襲いかかられた。
「っ!?」
 寸でのところで避ける事ができたが、纏っていた衣服の袖を猫鬼の爪でばっさりと裂かれる。
「迂闊に爪に引っ掛けられればこうなるということか」
 しみじみと裂かれた袖を見ていた青年だったが、耳に届いた声によって今までの冷静さを全て捨て去る事になった。
「泰明さんっ!怪我はありませんか!?」
「なっ・・・神子!?」
 古鏡を使って張っていた結界の中にいた筈の少女が短刀を片手にそこから飛び出している。
「危ない、神子!結界の中へ戻れ!!」
 素直に従う性格ではないと知ってはいるが、言わずにはいられない。
「嫌です。泰明さんに危険な事を押し付けて、自分だけ安全圏の中だなんて卑怯者の様な真似、私は絶対に嫌」
 予想通りの少女の答えに青年の顔が歪んだ。真っ直ぐな少女の気質は好ましいが、この場合は大人しくしていて欲しかったのだ。
「猫鬼は蠱毒の中でも最凶といわれるものだ。神子の実力は認めるがこれはそれで敵う相手ではない。いいから、早く結界に戻れ!」
 焦るあまりに呪符を投げるタイミングを逃したらしい。気がつけば猫鬼は視線を少女へと向け、今しも飛びかかろうと姿勢を低く構えていた。
「蒼夜、神子を守れ!」
「承知」
 呪符が間に合わない−−−そう判断した瞬間に青年は蒼の涼やかな美青年に少女の守護を命じ、蒼い式は主の命に従う。

 ガキイイィィンッ!!

 金属的な音が響き、猫鬼の唸り声が響く。
 ガチガチと牙が鳴る猫鬼の口には少女の短剣と蒼の美青年の刀がしっかりと噛まされており、間一髪で牙と爪から少女を守った蒼い式がため息をついた。
「・・・姫君。あまり、我が主の肝を冷やすような行動を起こさないで下さい。姫君に何かがあれば、我が主はとても正気ではいられないのですから」
「え、えっと・・・はい、すみません」
 短刀の背に手を添え、両手で猫鬼の牙から遠ざけているとはいえ、猫鬼の力と体力は侮れなかったらしい。少女と同じように噛ませた刀で猫鬼を遠ざけている蒼の美青年の力添えがなければおそらく、長い牙と爪の餌食になっていただろう。
「どうも、これの・・・猫鬼の力を読み間違えたようです」
 自分の無茶を認め、素直に謝る少女の言葉に純銀の美女がそっと首を傾げた。
「珍しいこともあるものですね。姫君が相手の力量を読み間違うだなんて」
 短い期間ではあるものの、自分達の主が大切にしている少女の性格や体術の腕を呑み込んでいる純銀の美女の疑問は少し離れた場所にいる少女にも届き、彼女の顔を赤らめさせた。
「えっと・・・その、泰明さんが危ないと思ったら体が勝手に動いちゃって。ごめんなさい、心配をかけて」
「あら、まあ。姫君も主様に何かがあれば正気ではいられないのですね」
 口元に手を当て、くすくすと笑みを零す純銀の美女に蒼の美青年も涼やかな笑みを浮かべて答えを返す。
「我が主に似合いの姫君と言えよう。何かがあれば、我らが守ればいいのだし」
「ええ、そうですわね」
「・・・いい加減に、その軽口を納めないか、蒼夜、月華。まだ猫鬼を排除したわけではないのだぞ」
 自分の式達とはいえ、食えない性格である二人の会話に眉間の皺を押さえ、青年は嘆息した。とはいえ、その頬が極々、微かに赤くなっていることは近くにいた純銀の美女のみが目撃した事実。
 さて、問題の猫鬼はといえば口に二種類の刃物を噛まされたまま、時々苛立たしそうに唸り声をあげていたりする。この状態で先程の会話を繰り広げるあたり、外見とは裏腹に豪胆な性格の式達だ。
「こうなっては仕方ない。神子、お前の力を貸してくれるか」
「もちろんです、泰明さん」
 即答する少女に青年の顔に僅かな笑みが浮かぶ。信頼の篭った青年の笑顔に少女もまた、信頼した瞳と笑顔を向ける。
「蒼夜、猫鬼を神子から引き離せ。月華、蒼夜と共に猫鬼を束縛するように」
「承知」
「御意」
 軽く頭を下げた二人の式は次の瞬間、それぞれの行動を起こした。
 蒼の美青年は両手で支えていた刀に自分の気を込め、短い気合と共に猫鬼を部屋の隅へと薙ぎ払う。その落下地点を読み取った純銀の美女は腰まで伸びている自分の髪を数本手にすると猫鬼へと放った。キラキラと輝く純銀の髪はふわっと広がると細かい目の網へと変化し、猫鬼をすっぽりとくるむ。
「効き目が弱い・・・蒼夜、貴方のも少し頂くわ」
「っ!月華、我の髪を取るのはいいが、もう少し丁寧にしてくれないか」
 かなり痛かったのだろう、盛大に顔をしかめる相棒の文句などどこ吹く風とばかりに蒼の美青年の肩までの髪をいささか乱暴にぶん取った純銀の美女は手にしたそれを投げ放った。先程と同じように細かい目の網へと変化した髪は純銀の網を破ろうと暴れていた猫鬼を再びくるむ。
「蒼夜、今よ」
「分かった」
 二つの網によって動きを止められた猫鬼へ蒼の美青年は走り寄り、まるで毬か何かのようにポンッと猫鬼を足で空中へと蹴り上げるとすかさず手にした刀を突き刺した。器用な事に、突き刺した刀はただ、網の目の間を通り抜けるだけで猫鬼には掠りもしておらず、刀の切っ先は深々と壁に埋まっている。
 結果、二重の網によって動きを束縛された猫鬼が刀によって宙吊りという状態が出来あがったのである。
「神子、宮司に息吹法を学んでいたな」
「はい」
「では、この呪符に息吹を頼む」
 差し出された呪符を手にした少女は教わった祓え言葉を唱え出した。

『神の御息は我が息、我が息は神の御息なり。御息を以て吹けば穢れは在らじ。残らじ。阿那清々し、阿那清々し』

 三度唱えた少女は強い調子で手にした呪符に息を吹きかけると青年に返す。
「あの、これでいいですか?」
「ああ。十分過ぎる程だ」
 呪符を手にした青年にははっきりと分かった。少女の息吹を受けた呪符が神々しいまでに清らかな輝きを放っていることが。
 少女に清められた呪符を構えた青年は未だに闘心を衰えさせていない猫鬼を睨み付けた。
「誰に雇われたか知らないが・・・相手が悪かったと思って、諦めろ」
 猫鬼を通じて操っている蠱物使いに最終通告を出した青年の手から呪符が放たれる。
 呪符が猫鬼に張り付いた途端、猫鬼がグズグズと溶け出した。少女が吹きかけた呪符の神気に耐えられなかったのだ。
「・・・この際、神道法でいくか」
 ボソリ、と呟いた青年はパンッと手を打ち払うと静かな声で呪詛返しの秘言を唱え出した。

『天切る、地切る、八方切る、天に八違、地に十の文字、秘音、一も十々、二も十々、三も十々、四も十々、五も十々、六も十々、ふっ切って放つ、さんぴらり』

 唱え終わったその瞬間、猫鬼の断末魔の悲鳴が響き、白い光が辺りを染めたかと思うと後には何も残っていなかった。
 気がつけば、聞こえなかった外界の音も耳に届いてくる。張られていた結界も呪詛を返されたことにより、解けたようだ。呪詛を返された術師はおそらく、生きてはいないだろう。次の日辺り、どこかで凄惨な死体が発見されるのは間違いない。
「あの、泰明さん。助けてくれて、有難うございます」
「当然のことをしたまでだ。神子が礼を言う必要はない」
「でも、私がお礼を言いたいのですから、言わせてください」
 いつもと同じ、青年のそっけない言葉にしかし、慣れてしまっている少女は切り返す術をすっかり獲得している。
「神子が、そうしたいと言うのであれば・・・」
 戸惑いながらも納得する青年は少女の腕に気を失っている星の姫の姿を見つけ、問いかける眼差しを向けた。
「見ていて気持ちのいいものではありませんから、斎姫の霊のお札にお願いして藤姫を眠りに落として貰ったんです」
 避難していた女房に星の姫を預けながら青年の視線に答えた少女に、思わず青年は眉間の皺を押さえた。
 道理で、少女が古鏡の結界から飛び出してから少しも星の姫の声が聞こえなかったわけである。
「判断としては悪くないが・・・」
 なんとなく、眩暈を覚えるのは気のせいだろうか?
「とにかく、神子の実力は認めるが、相手の力量を見誤ることだけはするな」
「はい、気をつけます」
 今回はさすがに、身に染みたのだろう。青年の忠告を素直に聞く少女をやんわりと純銀の美女が庇った。
「主様、そんなきつい物言いをするものではありませんわ。主様とて、先程は冷静さを忘れて機を逃しましたでしょう?」
「我が主よ。我も忠告申し上げる。事実ばかりを見詰めすぎて大事なものを見落としなさいますな」
「・・・大概、お前達も神子に甘いな」
「それは主様とて同じことでございましょう?それに、こんなに可愛らしい姫君をしょげさすのも心苦しいではありませんか」
「姫君はお優しい。我らの忠誠は我が主にあるが、それとは別に姫君を大切に思う心も我らにはあるが故に」
 さすがに青年の式だけあって、一筋縄ではいかない式達である。すっかり言い負かされてしまった青年は深く、深く嘆息するしかなかった。

 余談だが、各々の都合で現場へ駆けつけられなかった面々に昼間の騒ぎを話した少女は、一つ年上の同級生に
「お前、段々と人間離れしてきていないか?」
 と呟かれたとか。

 お互いの危機に心を揺り動かされたある日の出来事。


END