少女は鏡に映る自分の顔をじっと見つめた。
 まだまだ、子供っぽさを残した顔立ちだと思う。見られない顔ではないと思うけれど、恋しい人の凄絶な美貌を見慣れてしまうと平凡でつまらない顔に感じてしまうのは仕方がないことだろうか。
 ・・・・・実際には、今はまだ多分に子供らしさが残ってはいるものの、2〜3年もすれば匂い立つような美しい乙女になるだろうことを十分に予想できる愛らしい少女なのだが。
 ちらり、と鏡の側に置いているものに視線を向ける。
 鮮やかな紅の色が視界に映った。
 逡巡すること、一時。
 そっと紅皿を手に取った少女は小指に紅を取ると、ゆっくりと自分の唇の上に色を置いた。
 唇が艶やかな紅色に染まっただけなのに、何故だか雰囲気が婀娜っぽくなったよう。
「・・・やっぱり、似合わないな」
 実際はよく似合っていたのだが、がらりと変わった雰囲気が少女に『似合わない』と思わせたのだ。
 だが、そんなことなど思ってもいない少女は一つ、溜息をつくと唇の紅を取ろうとして庭の方から近付いてくる気配に気づき、緩く首を傾げる。
 時刻はもう遅いと言えるだろう時、そんな時刻に訪ねてくるような者はいないはずだ。
「泰明さんじゃ、ないわね」
 少女の恋人であり、背の君である青年なら気配も感じ取れないような歩き方をする。
「月華さん?ううん、この気配は男の人・・・じゃあ、蒼夜さん?でも・・・彼らの気配とは違う」
 青年の式神である清楚な女性と涼やかな青年を脳裏に思い浮かべるが短い期間とはいえ、すでに馴染んでしまった式特有の空気に溶け込むような、鮮やかに浮かび上がるような気配ではない。明らかに現実の人間・・・それも、若い男性。
 あまりにも不審なその気配に眉を寄せ、少女は気配が近付く前に自ら御簾の外へと歩み出た。
 月の光の中、少女の姿が浮かび上がる。
 夜着として使用している小袖の上に袿を羽織った格好の少女は気配を感じる方向へ視線を向け、鋭く誰何した。
「そこにいるのは、誰?」
 紅を乗せ、落とされなかった唇が動く様は艶やかで女性としての色香が微かに漂う。だが、そんなことには気づかない少女は緊張した、厳しい顔つきで不審な気配の方向を見詰めていた。
「そのような厳しい顔をなされるな、尊き龍神の神子姫よ」
 物陰から1人の公達が現れる。少女の記憶にはない人物。
「・・・誰?」
「尊き御身に名乗るほどの者ではありませぬ。しかし、遠くから一目、御身を見た時から恋い焦がれ・・・」
 洗練された仕草で少女の側に近寄った若者の手が、驚きに瞳を見開く少女の体を抱きすくめた。
「なっ・・・」
「わたくしをどうか、哀れと思し召したまえ・・・美しき、龍神の神子姫」
 呆然としていた少女はしかし、次の瞬間、自分を取り戻すと体の自由を取り戻そうとして猛然と暴れ出す。
「神子姫、龍神の神子姫、どうかそんなに暴れなさるな」
「己の意志にそぐわない事をされれば、抵抗して当然でしょう」
 強い意思の宿る輝く瞳が怒りを孕んで公達を睨みすえる。
「ましてや、私はすでに背の君を持つ者。私を抱き締めていいのは、触れてもいいのは、ただ1人」
 怒りという感情が苛烈な気をかたどり、雅しか縁がないであろう若き公達を圧倒する。
「・・・されど、長い間恋い焦がれてきた御身を目の前にして退く事もわたくしには出来ようはずがありませぬ」
 いくら龍神の神子といえ、その身はか弱き少女。その公達はそう思ったのだろう。しかし、少女は外見からは予想も出来ない護身術の持ち主だった。
 自分の体が公達の体重をかけられていることに気づいた少女はその力に逆らわず、背中から後ろに倒れる。
「たぁっ!」
「!?」
 しかし、倒れた勢いを利用し、少女は短い掛け声と共に自分を抱き締めて離さない若い公達を投げ飛ばした。
 激しい物音と共に、公達は方向の違う庭へと放り出される。
 受け身など当然取れない公達はすっかり伸びてしまい、投げ飛ばされた格好のままぴくりとも動かない。
「姫、姫君」
 涼やかな声が辺りに響き、何もない空間から二人の人物が現れた。
「月華さん、蒼夜さん」
 純銀の髪に菫の瞳の清楚な美女と蒼の髪と瞳の涼やかな美青年が笑顔で迎えた少女の目の前に、ふわりと降り立つと片膝をついて頭を下げる。
「我が主に命じられて来たのですが・・・」
「すでに、姫君が手を下されていたのですね」
 ちらり、と伸びている公達を見遣る式神達に少女はゆるりと首を傾げた。
「泰明さんに命じられて?」
「結界に何かが触れたことを察知されたようで・・・自分が出向くには時間が掛かりすぎるからと我らを派遣されました」
「主様はもうじき、こちらに来られるでしょう」
「そうなの?・・・じゃあ、あの人をそのままにしておくと、命が危ないわね。月華さん、蒼夜さん、一つお願いしていいですか?」
「なんなりと、姫君」
「あの伸びている人、塀の外へ出してやって。このまま放っておくと、冗談じゃなく泰明さんに殺されそうだから」
「御意」
 さらりと物騒な事を言う少女に顔色も変えず、純銀の美女と蒼の美青年は公達の両脇を抱えるとひょいっと塀を越える。そうして時間を置かず、二人の式神達は再び現れると少女の目前に控えた。
「ご苦労様、有難う」
 礼を言い、少女は式神達の前に座るとふわりと微笑む。
「もうすぐ、泰明さんが来るのね?」
「いえ、姫君」
「我が主はもうここに」
 式神達の言葉と同時に、馴染み深い気配がほとんど駆けるようにしてやって来るのが少女にもはっきりと分かった。
「あかね。何事もないか」
 現れた途端、最愛の少女を抱き締める青年に少女は柔らかく微笑む。
「ええ。少し危なかったけど・・・」
「・・・どういうことだ?」
 目つきを厳しくして問いかける青年を見た少女は思わず言葉に詰まった。
 下手をすれば殺生沙汰になりそうな事態を避けるため、自分を襲った公達を放り出したのだが、それも無駄だったのではないかと思うほど殺気だった目つきなのだ。
「その・・・」
「結界に触れた感触はお前によからぬ想いを抱いている者のものだった。あかね、何があった?」
 ・・・バレている。こうなると、下手な隠し事や言い訳はかえってマズい。
「あの、ですね・・・」
 ポツポツと少女が話す内容に青年の怒りが静かに巻き起こっていることが、気配に聡い少女にはよく分かった。時間にして1分そこそこの説明だが、すでに青年の怒りは最高潮に達していたと言っても過言ではない。
「・・・その者はどうした?」
「見るのも嫌なので月華さんと蒼夜さんに外へ放り出してもらいました」
 この辺りは自分の気持ちそのままなので正直に答える少女である。
「そうか。・・・とにかく、お前が無事でよかった」
 きつく・・・何者にも奪われまいとする抱擁に、少女はそっと抱き返して青年の肩に頬を預けた。
「私に触れてもいいのは泰明さんだけです」
 甘く響く声に誘われるように、青年の唇が少女の紅に染まった唇へと触れる。二度、三度、軽くついばむように重ねた後、深く求める口付けへと変わった。
「・・・ん、は・・・」
 甘やかな吐息を零す少女を愛しげに見つめ、青年は己の背後に控えている式神達に命を下す。
「お前達は屋敷に戻れ。今夜、私は戻らぬ」
「承知」
 聞くともなしに聞いた青年の言葉に、少女の瞳がもの問いたげに青年の瞳を見上げた。
「泰明さん?」
「私以外にあかねに触れた者がいるのは腹立たしい。・・・その痕跡をすべて、消す」
「消すって・・・だって、抱き締められただけ・・・ん、んむうっ!?」
 苛立たしげに唇を塞ぐ、いささか乱暴な口付けに少女の瞳が驚愕で見開かれる。
 酸欠寸前になるまで深く求め、青年がようやく唇を離す頃、少女の力はすっかり奪われ、青年に支えられなければ立つことも出来ないまでになっていた。
「お前も言っただろう。触れていいのは私だけだと。なら、お前の体に残っている男の気配を消すのは当然ではないか」
 ごく当たり前のように言い放つ青年に少女は一瞬、目を丸くし・・・次いで鮮やかに微笑むと頷いた。
 青年の独占欲をも幸せに感じる自分を青年に示しながら。
「私を、貴方で一杯にしてください」
 差し伸べられる腕を取り、少女を抱き上げた青年は御簾の中・・・少女の寝所へと入って行った。

「・・・あ」
「どうした?」
 褥に横たえられ、自分の上にある美貌を見詰めた少女の口から零れた呟きに今しも少女に口付けようとしていた青年が問い掛ける。
「泰明さん・・・私の紅が移っている」
 唇に指を当ててみるとうっすらと紅が青年の繊細な指に付着した。改めて少女を見てみれば唇が艶やかな紅に染まっている。そして、その紅で少女はいつもよりも艶やかな雰囲気を醸し出していた。
「紅、か」
「泰明さん、似合いますね」
 くすくすと楽しげに笑みを浮かべる少女に、青年はごくごく真面目に思ったことを告げる。
「私よりもお前の方が似合う」
 真正面からの褒め言葉にたちまち少女の顔が真っ赤に染まった。
「に、似合わないと思っていたんだけど・・・」
「そんなことはない。綺麗だ・・・他の者には見せたくないぐらいに」
 囁きと共に口付けが降り、少女の腕が青年の首に絡まる。
「ん、ふ・・・」
 悩ましい吐息を零す唇に軽く触れた青年の唇は耳元へと移り、耳朶を軽く噛んだ後、そっと吐息を吹きこんだ。
「あ・・・」
 ぴくっと返す反応を楽しみながら青年の手は少女の小袖の合わせ目に滑り込み、柔らかく暖かな果実を手にする。
「は、んっ」
 やわやわと揉みしだかれる感触が少女の背筋へ淡い電流となって流れる。
「ああ・・・あ、んっ」
 首筋にいくつもの赤い華を咲かせながら、青年の手は休むことなく少女の豊かな果実の形を変え続ける。
「ふ、あ・・・あぁっ」
 青年の唇が細い首筋を通り、柔かな胸へと辿り着いた。誘うような紅色の蕾を口に含んだ途端、少女の嬌声が零れ落ちた。
「ふぁっ、あ、やぁっ」
 口の中でますます固くしこる蕾を転がすように舐め、吸い、甘噛みすると少女の腕が青年の頭を抱え込み、その艶やかな髪を掻き乱す。
「・・・やはり、お前の方が似合う」
「え・・・?」
 乱れた息を整えようとしながら、少女は自分を見下ろす青年を見詰めた。
 与えられる感覚に潤んだ瞳、中途半端に乱された小袖から覗く上気した肌、その肌に付けられた所有の華と青年の唇から移った紅。
 普段の清純な少女からは想像も出来ないほどその姿は艶めかしく、青年の情欲に訴える。
「もっと・・・もっと、お前が欲しい」
「泰明、さん・・・」
 口付けを交わし、深く、深く求め合う。
 愛しくて、狂おしいほどその存在を感じたくて、なのに、口付けだけでは物足りない。抱き締めるだけでは物足りない。
 もっと、もっと、もっと、強欲なほどに欲してしまう。
 いっそ、一つに溶け合えばこの想いはなくなるのだろうか。
「・・・ううん。一つになってしまったら今度は寂しくて狂ってしまうわ、きっと」
 青年の想いを受け、少女が囁く。
「こうして抱き締め合う腕があるからこそ相手が愛しくて・・・そして、こんなに求め合えるの」
 快楽に染まりながらも少女の微笑みは優しくて。
「ねぇ・・・こうしていられることはとても幸せだと思いませんか・・・?」
 二人だからこそ感じる幸せ。伝え合えるからこその幸せ。
「愛している、あかね」
「愛しています、泰明さん」
 そして、抱き締め合える、幸せ。

「ふあ・・・あ、あふっ」
 青年を体の奥に受け入れ、後から後から襲い来る快感に少女は必死で耐えていた。
「あ、ひゃっ、やぁっんっ」
 しかし、青年は少女から嬌声を引き出そうと容赦なく責め、そして少女の肢体は快楽に正直に応える。
「ん・・・も、ゆるして・・・」
 下肢は溢れ出る欲望の蜜でしとどに濡れ、際限なく鳴いていた少女の声は擦れかけていた。
「まだだ・・・まだ・・・」
「や・・・す、あき、さ・・・あぁっ」
 青年を受け入れたまま抱き起こされ、更に奥深くに受け入れた形になった少女は悲鳴を上げる。
「お、ねが・・・いっ、わ・・・たし・・・」
「あかね・・・愛している・・・」
 囁きと共に落ちる口付けを受け、少女の瞳に涙が浮かんだ。まだ、青年が離す気がないことを悟って。
「泰明さん・・・ずるい」
 首筋に口付けを受け、背筋を反らせながら少女は弱々しく抗議する。
「そんなこと・・・言われたら、何も・・・言え、ない・・・」
「もっと、あかねが欲しいから・・・」
 情欲を孕んだ金と深緑の瞳。真っ直ぐに見つめ、真っ直ぐに己の心をぶつけてくる、不器用なほど真っ正直な萌葱の青年。
「やっぱり、ずるい」
 少し膨れ、けれど少女は優しく青年の唇に口付けを返した。
「でも、大好き」
 何をしたって、されたって、貴方だから、許せる。許してしまう。
「愛しています」
 何よりも、誰よりも愛している貴方だから。

 東の空が白々と空けゆくのを少女は青年の腕の中でぼんやりと眺めていた。
 体中が酷くだるく、今日は一日起きれそうもない。
「・・・あかね。私の屋敷に来る気はないか?」
 少女の体を満足そうに抱き締め、飽きることなく艶やかな髪を梳いていた青年がふと呟いた言葉に、少女はゆるりと首を傾げた。
「泰明さんの、ですか?」
「そうだ。藤姫の屋敷も結界を張ってはいるが、私の屋敷ならばもっと強力に張っている。それに、もし結界を越えて来る者がいたとしてもお前を守護するもの達は無数にいる」
 確かに、青年の屋敷へ夜這いに行こうなどと思う者は皆無であろうし、万が一来る者がいたとしてもそこには青年に忠実な式神達がいる。
「私、行っても・・・いいのですか?」
「言ったはずだ。側にいて欲しいと」
 断言する青年の言葉に、少女はこの上もなく幸せな笑顔を浮かべ、大きく頷いた。
「はい、泰明さんの側にいさせてください」
 紅の華が咲き誇る肢体は艶めかしいのに、浮かべる笑顔は清々しいほど純粋な幸せに彩られている。
 そんな少女を抱き締め、青年もまた、幸せな笑顔を浮かべた。
 ずっと、少女を抱き締められる幸せを思って。


END