CROSS EYES〜風の娘と月光〜


視線を交わしたその時に何かが生まれた


「・・・さすがは、俺が唯一人認めた男の妹だ」
 村人達を避難させるため、村の出口にいたモンスターを一蹴した少女に一部始終を見ていたらしい青年が声をかける。村人達の安全を確認し、再び村へ・・・神殿へと駆け戻ろうとしていた少女が振り返った。
 銀を帯びた青い髪がサラリと背中で揺れ、驚く程澄みきった菫の瞳が真っ直ぐに青年を見つめる。
 可憐な少女だった。思わず守りたくなるような儚げな雰囲気を持っているのに、少女が手にしているのはあまりにも不似合いな片手剣。しかも、未熟ではあるものの、先が楽しみだと思えるような太刀筋を見せたのだ。
 視線が合った。少女の澄んだ瞳を見た瞬間、青年の胸に判断不可能な何かがよぎったが、ほんの一瞬だった為に青年自身も己の心の変化に気づかなかった。
 ただ、思ったのだ。『風の娘』と。
 少女の印象が風を思わせ、また、その身に宿る性質も風を感じさせた。
「・・・どなたですか?」
 村の惨劇の直後に現れた男など特大の不審人物であろうに、可憐な容貌と声の持ち主は少しも疑う様子もなくただ、不思議そうに青年の瞳を見詰めている。
「俺の名はセラ。お前の兄とは一時期、行動を共にしていた。・・・戻るのか?」
 少女の質問に対し、必要最低限の答えを返した青年は駆け戻ろうとしていた少女に自分の予測を語った。己が知る親友なら取るだろう行動の予測を。
「お前の兄はお前を逃がすために、村人の避難を任せたのだぞ」
「はい、知っています」
 可憐な声が当然のように頷く。
「なのに、戻るのか?」
 更に問いかければきっぱりとした響きで可憐な少女は青年に答えた。
「それでも、です。兄が・・・ロイ兄さんが私のことを思っていてくれるように、私もロイ兄さんのことを思っています。私にとってすでに、ロイ兄さんだけが唯一人の家族であり、今の私にとって一番大切な人だから・・・だから、戻ります」
「・・・ロイは向こうなのだな」
 澄みきった瞳の真摯な光を見た青年は少女が向かっていた場所へと足を向ける。少女が兄を思う心は今の自分とよく似ていたが為に、強く引き止める事は出来なかった。
 スタスタと歩を進める青年を一瞬、唖然として見ていた少女はしかし、すぐに我をとりもどし、青年の後を追いかける。
 破壊の後が生々しく残っている村の中を通り、奥に位置する神殿へと向かう。その神殿の入り口、少女が兄と共に魔人アーギルシャイアと対峙した場所に巨大なモンスターが居座っていた。
「リベルダムの戦闘用モンスター・・・そういうことか」
 ポツリ、と呟いた青年の後ろで少女は剣に手をかける。しかし、気配でそれを察した青年がその必要が無い事を告げた。
「こいつはもう、機能停止・・・つまり、死んでいる」
「機能・・・停止?」
 不思議そうに呟いた少女の前でモンスターは放電すると跡形もなく消え去る。それにはまったく注意を払わず、青年は自分の剣に注意を向けていた。
「月光に反応はない。ロイはここにいないということか」
「何故、そんなことが分かるのですか?」
 独り言のつもりだった言葉に反応を示された青年は質問を投げかけた少女へと振り向く。澄みきった菫の瞳が真っ直ぐに青年を見つめていた。
「・・・この剣<月光>はロイが持っている剣<日光>と対になっている。お互いが近くにいれば剣が反応する」
「その剣が?」
 男の剣に視線を走らせ、しばらく考え込んでいた少女は何かを決心したように青年の瞳を見つめた。
「・・・あなたについて行ってもいいですか?」
「兄を探すつもりか」
「はい。モンスターを倒したのに兄がいないのは、何かが起こったためだと思います。兄は黙っていなくなるような者ではありませんし、この村のこともあります。私一人では、この村を立て直す力はありません。なら、今、私が出来る事と言えば、兄を探す事でしょう。あなたの剣が兄を探す手掛かりになるというのなら、私はあなたについて行きます」
 外見とは裏腹な芯の強さを感じさせる言葉。己の力量を正しく評価する精神は驚きに値する。
「・・・ついてくるというのなら、好きにすればいい。ただし、面倒はみないぞ」
 青年の遠回しな承諾に少女はふわりと微笑み、コクン、と頷いた。
「分かりました。あの、すみませんが一日だけ、時間をもらえませんか?少し、やりたいことがありますので」
「ああ。では、明日の朝、出発する。遅れれば置いて行く」
 旅に出るのならそれなりの準備がある。それをするのだろうと思った青年は最低限の連絡だけを告げ、村の外へと行こうとした。
「あの、セラさん。村の外れ辺りに焼け崩れていない家が少し、あったと思います。どうぞ、お使い下さい」
「それはありがたいが、かまわないのか?」
 確かに、野宿よりも屋根のある場所の方がモンスターに襲われる心配がない分、ゆっくりと体を休められる。だが、他人の家に無断で侵入するような真似をするほど、青年も図太くはない。
「もう、誰もいませんし・・・セラさんはただ、体を休めるだけなのでしょう?でしたら、ゆっくり体を休められるところがよろしいかと思います」
「分かった。有り難く、休ませてもらう」
 ふわり、と可憐に微笑んだ少女は青年に背を向けると青年の予想もしなかった行動を起こし始めた。
 近くに倒れていた、神官と思しき女性の死体へと近づくとその小柄な背に背負ったのである。
「何、を・・・?」
 あっけにとられている青年をしりめに、事切れている神官を背負った少女は破壊されながらもまだ形を保っていた神殿内へと足を進め、祈りの場であろう場所に神官を横たえる。両手を祈りの形に組ませた少女はまだ、その場に立ち尽くしている青年を見ると気遣わしげな表情を浮かべた。
「あの、どうかされましたか?何か、不都合な事でも?」
 自分の行動が原因だとは少しも思っていない少女。その純粋な心配顔に青年は軽くため息をついた。
「まさかとは思うが・・・村人達の埋葬をするつもりなのか?」
「埋葬・・・というほどではありませんけれど。でも、神官の娘としてこのままにしておくのもできませんから、せめて神殿の中へ安置していきたいと思いまして」
 何も気負うことなく、それこそ当然というように話す少女に青年は再びため息をつく。この少女は分かっているのだろうか。いくら隠された小さな村とはいえ、この襲撃で命を落とした村人がどれだけの数に上るのかということを。
「・・・手伝おう」
「え?あ、あの、でも・・・」
「お前一人でどれぐらい時間がかかると思っている?それこそ、一晩かかっても出来るわけがない」
 ぶっきらぼうに告げた青年は手近に倒れていた男・・・少女の父親を担ぎ上げた。
「どこに安置すればいい?」
 澄んだ瞳でじっと青年を見つめていた少女はふっ、と頬を綻ばせると神殿の一角を指し示すと自分も一人の女性を背中に背負う。
「あそこにお願いします。・・・有難うございます、セラさん」

 あちこちで燻っていた火の手もすっかり消え、夜半も過ぎようという頃、ようやく少女と青年の二人は絶命した村人達を全員、神殿へ安置することが出来た。
「・・・これで最後か」
「はい」
 頷いた少女は神殿の奥の部屋から重そうな器を抱えて出てくるとそれを祭壇に供え、短い祈りを捧げる。そして微かな風になびいていた、銀を帯びた青い色の自分の髪を掴むと手にしていた剣でザックリと断ち切った。
「な・・・お前!?」
 驚く青年を見上げ、微かに微笑んだ少女は断ち切った自分の髪を器の中に入れ、それに火をつける。
 蛋白質が焦げるような、独特の臭気を放ちながら燃える自分の髪を見つめつつ、少女は両手を祈りの形に組んだ。
「慈悲なる女神、ライラネート様。我が父と母、そして村人達に安らかな眠りをお与えください。そして父なる神、ノトゥーン様。私は誓います。兄を探し、この地に平和を取り戻す事を。どんなに苦しい旅になろうとも、決して諦めず、投げ出さない事を。今、貴方に捧げた私の体の一部を誓いの証しとし、この誓いが破られる時、命を奪われても異論はないことを明言します」
 言葉に宿る意志の強さ、芯の強さはその可憐な容姿からはとても想像がつかない。
 短い間に、立て続けに起こった惨事を考えれば、それは脅威に値する。普通なら、泣き喚いてもおかしくはないというのに、その澄んだ瞳は涙をみせず、しっかりと未来を見つめている。
「・・・すみません、セラさん。すっかりつき合わせてしまって」
「・・・いや」
 短い返答を返した青年はチラッと空を見上げ、踵を返した。
「朝までまだ時間はある。少しでも体を休める事だ」
 青年の言葉は、少女の同行を認める意志。それも、しぶしぶ認めるものではなく、自分の仲間・・・相棒としての、自分から認めるもの。
 これから、どれほど時間がかかるか分からない、冒険の道連れとして、青年は少女を認めたのだった。

「・・・あ、そういえば」
 翌朝、まだ森に朝靄がかかる時間に隠された村を出発した少女はふと、思い出したように横に並ぶ青年を見上げた。
「どうした」
「私ったら。セラさんにきちんと自己紹介をしていませんでした」
 ロイ兄さんのことをあまりにも親しげに言うものだから、私もすっかり顔見知りのような気になっていました、と少女はすまなさそうに頭を下げる。
「改めて、自己紹介をします。私の名はジルフェリア・ミイス。皆にはリアと呼ばれていましたから、セラさんもそう呼んでください」
「ジルフェリア・・・<風の娘>か」
 風になびく、短くなってしまった青銀の髪を眺めつつ、青年が名前の意味を呟いた。
 まるで風のような印象を与える少女にピッタリの名前と言えよう。
「では、リア。俺のこともセラと呼べ。そしてその丁寧な言葉遣いもなしだ」
「・・・でも」
「お前は俺の連れとしてついてくると言った。そうだな?」
「はい」
「俺はお前を守ろうとはしない。お前も、俺に庇われることを望んではいない」
「その通りです」
「つまり、対等だ」
「ああ・・・分かりました」
 青年が何を言いたいのか理解した少女はふわり、と笑った。可憐な容貌に浮かぶ優しげな笑みは少女本来の性格を如実に表している。
 これから、少女は冒険者として世界を駆け巡ることになる。
 この澄み切った菫の瞳に世界はどう映るのだろうか。清も濁も飲み込んだ時、この純粋な魂はどのように輝くのだろうか。
 少女の笑みを見た数瞬、青年の脳裏にそんな思考がよぎったが、すぐに打ち消した。いずれは、分かる事なのだ。
「まずは・・・エンシャントだ。そこでお前の冒険者登録をする。そして・・・」
 そして、世界を巡り、お互いの大切な者を取り戻すのだ。
 言葉にしない青年の声を聞いたのだろうか。少女は途中で切った青年の言葉を聞き返すことなく再び微笑む。
「エンシャントへ。そして、世界へ。・・・行きましょう、セラ」
 二人は知らない。
 この小さな旅立ちがやがて、世界を巻き込む冒険に発展することを。
 この可憐で儚げな雰囲気の少女が大陸中に名を轟かせる冒険者に成長し、更には己に圧し掛かる運命という名の重圧を切り開くようになることを。
 その中で二人がお互いを必要と意識するようになることを。
 今はまだ、なにもない関係の二人だが、それでも、小さな・・・細い絆が生まれたことだけは、確かだった。

 激動へと動く歴史の中へ、今、二人は踏み出して行った。


END