CROSS EYES〜蒼の輝石と冷血の貴公子〜


瞳が交わったその瞬間、何かが生まれた


「今度会うときは地獄だな。あばよ、サフィア!!」
 捨て台詞を吐いて遁走した、ノーブル代官の置き土産に少女の美麗な眉が僅かにしかめられた。
「ちっくしょうっ、こんなところで食われてたまるかっ!」
 少女の弟の声が動揺で揺れている。
「チャカ、スピアを構えなさい」
 自分も愛用の剣を構え、真っ直ぐにモンスターを見据える少女の瞳は強い意志に輝いていた。
 女神もかくや、という美貌だった。その美貌を縁取るのは腰まである豊かな蒼の髪。絶妙なバランスで配置された蒼の瞳はまるで宝玉のような輝きをみせる。少女を見た者は誰もが思うだろう、絶世の美貌がかたどられていたが、ただ、綺麗なだけの少女ではないことは聡明な光と強い意志が浮かぶ瞳を見れば分かる。
「姉ちゃん?」
「ここで文句を言っていてもこのモンスターが攻撃をやめるわけではないわ。だったら、何が何でもコレを打ち破って生き延びるしかないでしょう?」
「そ、そうだよな・・・よしっ、やってやるぜ!」
 姉弟の二人がそれぞれの得物を構えたその直後、背後から冷たささえ感じる冷静な声がかけられた。
「おい、女。助太刀してやる」
「助かります」
 モンスターから目を離さない少女だったが、自分の直感を信じて助太刀を申し出た男を振り返りもせずに感謝の言葉を呟く。
 ・・・戦いはあっというまに済んだ。助太刀した男の二刀流がモンスターをあっさりと倒したのだ。だが、その剣の使い方が少女の記憶を刺激する。様々な知識と情報を詰め込んだ頭脳がフル回転を始める。
「リベルダム製の戦闘用モンスターか。何故、ここに・・・?」
 不思議そうに呟く男の言葉に、少年が大地を蹴り飛ばす。
「ここの領主はリューガ家だ。ノーブルなんて田舎町、大貴族のボンクラ領主は気にもしない。それをいいことにボルボラは重税をかけて私腹を肥やし、その金でモンスターを買ったんだ」
「チャカ」
 モンスターと戦い、勝利した高揚感からか口の軽い少年に少女は眉を顰め、たしなめるように少年の名を呼ぶ。不満をぶちまけている相手はどう見ても貴族だ。貴族に貴族の不満を並べ立ててどうなるというのだ。
 だが、少年は姉のたしなめを気にする風もなく言葉を続ける。
「だが、そのモンスターもいない今、皆も立ちあがってくれる!」
「チャカ!!」
「皆?」
「あ」
 迂闊としか言い様がない。よりにもよって、貴族であろう男の前で反乱の兆しがあるということを漏らすとは。少女の鋭い制止は間に合わず、男の問い掛けるような呟きと少年のばつの悪そうな呟きが重なった。
「な、なぁ、姉ちゃん。この人も森の会合に来てもらったらどうかな?すごく腕がたつし、仲間になってもらおうよ!」
 思わず深いため息をついた少女は左右にかぶりを振る。自分の迂闊さをフォローしたつもりなのだろうが、それこそ冗談ではない。この貴族から計画が漏れるとも限らないのだから。
「女。だいたいの察しはついた。ここの代官を倒す計画か?」
 男の察しの良さに少女は唇を噛み締めた。男の言葉を警戒して少女の表情が堅く強張っていく。
「お前は反対のようだがその会合、参加させてもらう。いいな、女」
「女、女って言うな!姉ちゃんにはちゃんとサフィアって名前がある!」
 シス・コンの気のある少年が少女の呼び方に抗議をすると男はあっさりと頷いた。改めて少女の方へと視線を向けた男と少女の視線が交差する。
 形状しがたい何かが胸の奥をよぎったが、男は自分の胸をよぎったそれを追及することなく軽く頷いた。
「それは失礼した。俺の名はレムオンと言う。では、また後でな、サフィア」
 男の名前を聞いた瞬間、少女の頭の中で一つの図式が組み上がる。
 男が剣を使った時から刺激していた記憶が再構築されていく。
 『二刀流・貴族・レムオン』
 この情報と推測に−そう、まだ推測でしかない−少女はますます顔を強張らせていった。

 森の会合では少年の予想通り、反乱の最大の障害だったモンスターを倒したと聞いた者達が喜び、反乱を起こそうと言い出した。静かに考え込んでいる少女が口を開く前に見事な剣技でモンスターを倒した男が静かな制止をかける。だが、熱くなった男達は聞く耳を持たず、反乱を起こすべきだと少女に迫った。
 瞳を伏せ、何かを考え込んでいた少女の視線が上がり、輝く蒼の宝玉が周囲を見まわす。
「・・・分かりました。立ちあがりましょう」
 わっ、とばかりに気勢を上げ、駆け出す男達の後ろ姿を見送った貴族が理解しがたいというように首を振った。
「・・・自ら陰謀の炎の渦に飛び込んで身を焼こうというのか?」
 男の言葉に反応した姉弟の方へ男は視線を向ける。
「これは仕組まれた反乱なのだ。それも分からぬとは・・・愚かな」
 そう呟き、一人去って行く男の後ろ姿を見送った少年が苦々しげに睨み付けた。
「ふん、なんだ、あいつ!」
 自分が男を仲間にしようと言い出したことなど記憶の彼方へと放り出しているらしい。苛立たしげに男を睨み付けている少年とは逆に、少女の顔は奇妙なほど平静だった。静かなとでもいうのだろうか。輝く蒼の宝玉に浮かぶのは戦いに赴く高揚感など欠片もなく、逆にどこか悟りきったような静謐さが浮かんでいる。もし、男が今の少女の瞳を覗き込んでいたならば先程の言葉は紡がれなかったかもしれない。
「姉ちゃん・・・?」
「行くわよ、チャカ」
 事実、少女の瞳を覗き込んだ少年が言葉を失い、黙り込んでしまった。
 それほど、少女の瞳は聡明な光で輝いていた。

 ノーブルの町は反乱の渦で混乱していた。
 女子供達は家の奥深くに避難させ、戦える、戦う意志のある男達がいたるところで代官の私兵たちと戦闘を繰り広げている。
「サフィア、ここは任せろ!」
「お前達はボルボラを打ち倒せ!」
 男達の声に頷き、少女は駆ける足に力を込めた。疾走するまるで蒼い輝石のような少女は城の門で目的の人物を見つけ出した。
 姉弟を認識した代官が中へ逃げ込むのを追い、二人もまた、中へと走りこむ。
 そして、代官の私室らしき場所で追い詰めた二人に、代官は下卑た笑いを振り撒いた。
「バカ姉弟がまんまとおびきだされやがって。俺のモンスターが倒されたのも罠、反乱も罠。お前らはそれにまんまと引っかかりやがったのさ」
「なんだと、ボルボラ!?」
 高らかに哄笑する代官に少年は顔色を変え、詰め寄る。その姿に満足したのか代官は事態の裏舞台を話しはじめた。
 王妃と貴族筆頭のリューガ家当主との確執、暗躍した王妃の密使の存在、仕組まれた反乱。
「成功すれば、俺をノーブルの領主様にお取立てくださるとよ!これで俺も貴族の仲間入りだぜぇ!」
「・・・分かっていたわ、そんなこと」
「何!?」
「姉ちゃん!?」
 静かな、まるで緊迫感がないような平静な声に代官どころか少年までもが驚いて発言した少女を振り向いた。そこに立つ少女は、森の会合で反乱を起こすと決めた時から瞳に浮かべている静謐な光を代官へと向けている。
「私が反乱のリーダーに祭り上げられてから何をしていたか、知っていて?ずっと、情報を集めていたのよ。何をするにもまず、情報が・・・それも出来るだけ正確な情報が必要だったから」
 淡々とした様子で少女は自ら倒すと決めた代官に自分の予測を語る。
「王妃とエリエナイ公の政治争いを知れば知るほど、疑惑が募ったわ。いくらノーブルが取るに足らない田舎町だとしても首都のロストールからは目と鼻の先。切れ者と言われるエリエナイ公が手をこまねいているとも思えない。そんな矢先にフリントという人が私の目の前に現れた」
 静謐な光を浮かべていた瞳にもう一つの光が浮かぶ。それは、自分の信念に従うという強い意志。
「それで、確信したの。この反乱は起こすように仕組まれたものだと。私達はエリエナイ公を失脚させるための駒にされたのだと」
「そ、そんな・・・姉ちゃん、何時から気づいていたんだ!?」
「疑い始めたのはもう随分と前よ。確信したのは今朝だけど」
 動揺する少年に静かな視線を向け、少女は言いきった。
 この姉は何時も、そうだった。並外れた美貌と頭脳を持ちながらそれをひけらかすことなく万事が控えめ。だのに、蒼い宝玉のような瞳は何時も遠くを見ているようで、何かに引きとめておかなくてはどこかへ行ってしまいそうな気がしていた。
「じゃ、じゃあ、あいつが言ったことは本当で、そして姉ちゃんは全てを知っていて・・・」
「全てを知っているわけではないの。でも、あの方が言ったことは本当だと知っていたわ。それでも、あえて反乱の狼煙を上げたのはそうしなければ貴方達が納得しないと思ったから。反乱のリーダーになったからには、責任は全て私が負わなくてはならないものだもの」
「責任・・・って・・・」
「チャカにまで負わせないわ」
 ふわり、と意外なほど暖かな微笑みが少女の顔を一瞬だけ彩る。それは、確かに肉親に対する慈しみの笑みだった。
「それにしても・・・貴方はエリエナイ公がまったく手を打たなかったと本気で思っていたの?そんな人が宮廷で王妃と対立出来るわけがない。・・・王妃は貴方も駒として扱ったのよ」
 静かな少女の指摘に、しかし代官は高らかな哄笑で否定した。
「なるほど、お前が出来た人間だというのは分かった。だが、どうしたって限界はあるものだな。ここでお前達を始末すれば俺の貴族入りは決まったも同然。死んでもらうぜ、サフィア!」
 叫んだと同時にでっぷりと太った代官の体が変化する。メタリックブルーの金属に覆われた人型のモンスター。そうとしか形容のしようがないものが姉弟の前にあった。
「・・・欲のあまり、人であることも捨てたというの?」
 少女の呟きはモンスターへと変化してしまった代官には届かず、代官は嬉々として姉と弟の二人へと襲いかかる。
 少女が扱う剣も、少年が携えているスピアも、装甲と思しき金属に掠り傷を負わせるだけで本体に決定的な打撃を与えられない。逆に、二人が追う傷は時が経つ毎に深刻になっていった。
 ついに、少年の膝が床に落ちた。続いて、少女の膝も。高らかに笑った代官がまさに、止めを刺そうとした瞬間、その男は悠然と姿を現した。笑いを浮かべていた代官の顔が強ばる。
「レ、レムオン様・・・」
「随分と俺の領地で勝手をやってくれたな、ボルボラ。覚悟は出来ているだろうな?」
 冷静すぎて冷たささえ感じる声。無表情に冷たい視線。姉弟が出会った貴族の男、彼こそがリューガ家の当主、エリエナイ公レムオン・リューガだった。
 冷血の貴公子との異名を取る男の視線にたじろいた風だった代官はしかし、自棄になったのだろうか地位としても実力としても格上である男に刃を向ける。それに対し、男は態度を崩すこともなく尊大な態度で床に膝をついている姉弟を回復した。
「サフィア、回復してやる!立て!このブタ野郎に殺されたくなければな!」
 男の意外な口の悪さに少女の頬が微かに緩んだ。自分達の攻撃がまったく役に立たないことなど証明済みだ。なのに男は自分達を回復させた。それらの断片から少女は男が求めている行動を割り出す。時間稼ぎと男への攻撃を防ぐ事。それを念頭に少女は動いた。
 男は一度だけ剣を使ったがまったく効かないのを見て取ると魔法攻撃に切り替えた。炎の攻撃を受けた代官の体がたちまちのうちに機能停止寸前まで追い詰められる。
「ゲヘッ、もう遅ぇよ。俺はもう、フリントに密書を渡した!あんたの秘密を暴く糸口のな!!」
 装甲を破壊され、元の姿を現した代官は哄笑を残し遁走した。だが、たとえ逃げたとしてもリューガ家から逃れられはしないだろう。男が現れた時点で、代官の末路は決まっていたのだ。
 代官を追わず、剣を納める男に、少年は改めて驚きの視線を向ける。
「あんた・・・あんたが、ここの領主の大貴族リューガ家の当主。エリエナイ公レムオンだったんだな」
「そうだ」
 醒めた、冷たい視線が二人の方へと向けられた。冷静な表情のまま、男は一度納めた剣を再び抜き放つ。
「何をする気だ!?」
 明らかな殺気を放つ男に少年は叫び声を上げた。
「俺がここにいたことになれば、俺は反乱を知っていることになる。そうなれば、俺はこの町に鎮圧軍を差し向けねばならぬ。犠牲は二人ではすまなくなる」
 明らかに二人を抹消するという意志の言葉に、しかし少女は薄く微笑んだ。あまりにも微かで男も少年も気づかなかったが。
 男は言った。『犠牲は二人ではすまなくなる』と。それはつまり、反乱を起こした他の者達やか弱き女子供達を救いたいという意志の現れだ。本人は認めたがらないだろうが、それは分かりづらい男の優しさだった。
 だが、少年はそんなことまで気がまわらなかったのだろう。血相を変えて男に詰め寄る。
「・・・姉ちゃんと俺を殺す気か!?」
「そういうことよ」
 静かな少女の言葉に少年は振り向き、必死になって掻き口説いた。
「これは貴族の権力争いだ!こんなくだらないことで姉ちゃんが死ぬことなんてないよ!!」
 だが、少女は少年の言葉に耳を貸す様子もなく剣を構える男の前へと進み出る。
「姉ちゃん!!」
「チャカ。どんな理由であれ、この国での反乱は重罪なのよ。リーダーとなった者、そして主要人物は処刑されることになっている。私は、リーダーを引き受けた時から覚悟をしていたわ。最後に、リーダーの責任として処刑されることを。・・・・・だから、公。処刑するのは私一人にしてください」
「姉ちゃん!?」
「リーダーの処刑が必要ならば、私一人で十分なはず。違いますか?」
「確かに。お前はそれでいいのか?」
「先程も言いました。私は、リーダーを引き受けた時から、処刑を覚悟していたと」
 静謐な光を浮かべる蒼い宝玉が男を真っ直ぐに見つめる。
「・・・・・よかろう」
(惜しい人材だ)
 少女の瞳を見つめながら、男は率直に少女を賞賛した。己を律する精神、知識を生かす聡明さ、度胸も覚悟も少女が持つには珍しいほどのものだ。
(まるで蒼の輝石だな。それも極上の・・・スターサファイア)
 輝く蒼の瞳はサファイアという名で知られている宝玉を連想する。だが、少女の瞳をよくよく見れば、銀の虹彩が瞳を彩っていることに気づく。そう、まるで星をかたどっているかのように。
 サファイアは慈愛や誠実、徳望、貞操を意味し、スターサファイアは信頼、希望、運命を意味する。
 まさしく、少女は蒼の輝石のような存在だった。
 一つの可能性を思い付いた男は少女を試す行動をとることにした。
 振り上げた二本の剣が目に見えない軌跡で振り下ろされる。
「姉ちゃん!!」
 少年の叫びが響く中、バサバサと何かが落ちる音がした。
「紙一重で切ったとはいえ、まったく動じないとは・・・いい度胸だ」
 チン、と鍔を鳴らしながら剣を納めた男を眺め、不思議そうな顔で少女は自分の髪に触れる。
 腰まであった豊かな蒼い髪は男の剣によって肩口でバッサリと切り落とされていた。視線を落とせば蒼く染めた極上の絹糸のような髪が床に散らばっている。
 体に傷一つつけず、髪だけを断った男の剣技は驚くべきものだが、自分に振り下ろされる剣を真っ直ぐに見つめ、逸らしも逃げもしなかった少女の覚悟の座り方も半端ではない。
「・・・来い、サフィア。お前の力が必要だ」
「私が協力せずとも、公ならば切りぬけられると思いますが」
 たった今、自分に剣が振り下ろされたというのに、動揺の欠片も見せず冷静に問いかける少女。一体、どんな育ち方をすればこのような精神を持ち得るのだろうか。
「ならば、こう言おう。お前はいずれ、役に立つ。そのために今は生かす。ここで処刑したことにしてな」
「私と弟の命の代わりに公の子飼いになれ、と?」
「話が早くて助かる。だが、お前に拒否権はない」
「・・・分かりました」
 頷いた少女に男は出発時間を告げ、部屋を出ていった。
「ちくしょう、こんな話ってあるかよ!」
 悔しがる少年に少女はそっと背を向け、窓の外を眺めた。窓から見える町の混乱は代官が逃げたことと自分達がリーダーの責任を取って処刑されたことで急速に治まっているようだ。
「いいのよ、これで」
「姉ちゃん?」
「確かに、父さんの畑は人手に渡ってしまうわ。でも、このノーブルの町は確実に良い方へ変化する。それだけでも、この反乱は成功したと言えるわ」
「・・・うん、そうだよな。これからはここもきっと良くなるよな」
 自分に納得させようとしている少年を背後に感じながら、少女はもう、二度と帰ることの出来ない故郷を眺めた。
 サワサワと、風が吹くたびに揺れる黄金色の大地を。守りたかった町を。記憶に刻み付けるように、しっかりと。
「・・・きっと、良かったのよね、これで」
 呟く少女は知らない。これから自分を待ち受けている運命を。
 自分がノーブル伯の称号を得てリューガ家の一員に・・・男の妹となることを。
 世界中を駆け巡る冒険者となり、やがて世界の歴史と運命に関わることを。
 誇り高い魂を輝かせ、己に圧し掛かる運命という名の重圧を切り開いていくようになることを。
 何も知らない少女はただ町を眺め、故郷に別れを告げていた。

 <無限のソウル>と呼ばれる少女の魂はまだ、まどろみに包まれたまま目覚めを待ち、少女は己の魂を更に輝かせる為に世界へと飛び込んで行く。
 その少女と兄となった男が奇妙な信頼関係を築くようになるのはまだ先のこと。
 そう、未来は始まったばかり・・・。


END