闘華


 空中庭園に華やかな笑い声が響く。軽やかで、光のようなその声はロストールが自慢する光の王女・ティアナのものだ。
「まぁ、サフィア様ったら、そんなこともされましたの?」
 光の王女がにこやかな笑顔を向ける先には蒼の髪と瞳を持つ絶世の美貌の少女が控えている。慎ましげに微笑むその様は光の王女と並んで立っても何ら遜色はなく、身分の高い貴族の令嬢に見えた。
「おかしいでしょうか、私がモンスター退治をするのは」
「おかしいとは思いませんわ。でも、サフィア様のように綺麗な方がと思うと少し、違和感があるかもしれません」
「兄が目の前に現れるまで、私はどこにでもいる普通の野娘でした。毎日、田畑を耕す生活でしたし、容姿など関係ない土地だったのです。今更、顔の造作を言われましても・・・」
 困ったように首を傾げる様子は優雅でさえあり、会話の端々に出ていた『モンスター退治』だの『田畑を耕す』だのといった単語とはおおいに掛け離れている。
「昔は昔、今は今でしょう。サフィア様はこんなに綺麗なんですもの、今みたいなおしゃれをもっとして、ティアナに会いに来て欲しいですわ」
「このような格好で、ですか?」
 蒼の瞳が自分の纏った衣服を戸惑ったように見下ろした。
 喉元をきっちりと止め、ラインが出るようなぴったりとした上半身に対し、スカート部分は薄い生地を何枚も重ねたような不思議なデザイン。よほど軽い生地なのか、ストンとしたスカートラインの割に動くと裾がひらひらと舞ってまるで、妖精が歩いているようである。
「それにしても、不思議なドレスですわね。でも、サフィア様によく似合っていますわ」
「有難うございます、ティアナ様」
 王女はお気に入りの少女を一人占めする為、人払いをして空中庭園で散歩をしていた。城の中でもあり、警備を信用していたのだ。だが、世の中の事件はその安心の裏をついて起こるものである。

「ティアナ様!」
「きゃあっ」
 いきなり腕を引かれ、小さな悲鳴をあげた王女だったが、ほんの一瞬前まで自分が立っていた場所に大きな剣がめり込んでいるのを見た途端、大きな瞳を更に大きく見開いた。
「何者!?」
 王女を背後に庇い、油断なく相手を睥睨する少女はさっきまで纏っていた穏やかな雰囲気をすっかり捨て去っている。襲撃者はおよそ6人ほどで全員が黒ずくめの格好。おまけに目元を隠す仮面までつけている。穏やかに微笑んでいた蒼の瞳は鋭い光を放ちながら油断なく周囲に視線を配り、襲撃者達が容易に踏み込めない立ち位置を確保していた。
 その身のこなしで少女の力を僅かなりとも察したのだろう。一人の男がボソリと呟く。
「邪魔をするな」
「お断りいたします」
「邪魔をするのならば・・・お前も殺す」
「殺れるものなら、殺ってごらんなさい」
 恐ろしいほど明晰な少女の頭脳は、この短い問答から大量の情報とそれによる推測を導き出していた。様々な対処方法を検討していた少女が出した結果は『全員、潰す』という、外見に反してかなり荒っぽい回答だ。
「貴方方に『剣聖』の称号を受けた私を倒せて?」
 推測を確かなものにするため、カマをかけた少女の言葉に対峙していた男から驚愕の空気が流れる。
「お前・・・『蒼の輝石』か!?」
 思わず零れた男の言葉に周囲の者たちは明らかな動揺を見せた。
「『蒼の輝石』だと?『剣聖』であるレーグを倒した、あの・・・!?」
「『ノーブル剣聖伯』なのか、あの少女が!?」

 男達の動揺を見た少女は二流だ、と判断する。
 一流ともなればそんなに簡単に動揺を悟られるようなヘマはしない。相手に付け入る隙を与えるからだ。また、口調に僅かなディンガルの訛りが入っており、彼らがディンガル人、もしくはそこを根城にしている者だと推測できる。
 この襲撃の目的が王女の暗殺であることを明確にしている点を考えると、ディンガル帝国の貴族の誰かが勝手にしでかしたことだと思えた。
 ディンガル帝国の皇帝・ネメアは少女から何度も実質上、実権を握っている王妃のことを聞いている。
 一人娘である王女を暗殺されたとしても、表向きは動揺することなく対処するだろう人だと。
 心の中ではどんなに泣き叫ぼうと、国を守る為に冷たい仮面を被るだろうと。
 逆に何が何でも証拠を突き止め、それをもとにディンガル帝国に襲いかかる人物で、その事を知っているネメアが王女暗殺などという愚を犯すとは思えない。

「ティアナ様。すぐに終わらせますので、ここの影に隠れて、しっかり目と耳を閉じていてください。絶対に、見たり聞いたりしてはいけません。気持ちのいいものではありませんから」
 王女が大人しくこくり、と頷き、テーブルの影に座り込んだのを目の端に捕えた少女は履いていた靴を脱ぎ捨て、裸足になった。少し踵の高い靴は動きにくく、下手をすると足を挫くことになりかねないからだ。
「はっ」
 いまだ動揺している男達との距離を一気に詰めた少女は、短い呼気と共に相手の剣を握った手を蹴り上げた。
 悩殺ものの脚線美が、巧みに隠されていたドレスのスリットから惜しげもなく晒され、男の手から剣が跳ね飛ばされる。太腿まで露わになった足に手を伸ばし、次の瞬間、少女の手に黒い鞭が握られていた。
 くるくると空高く舞った剣に黒い鞭が巻き付き、鞭を操った腕とは逆の少女の手の内にそれは納まる。鞭を納めて手にした剣を2、3度振り、重さや長さを確認した少女はそれをゆっくりと構える。
 戦士の顔になった少女の蒼の瞳が強く輝いた。
「倒せますか、私を」
 強い意思の宿る蒼の宝玉が男達を圧倒する。女神もかくやという美貌の持ち主でありながら、この気迫はどこからくるのだろうか。
 動いたのは襲撃者の方だった。
 次々と襲いかかってくる攻撃を苦もなく受け流し、男達の僅かな隙を見逃さずに反撃する。
 上から切りかってくるのを刃に添って滑らせるようにして受け流し、体勢を崩したところを頚椎に肘を打ちこんで地面に沈める。
 水平に薙ぐ剣を身を沈めてかわし、足払いをかけて転倒させると剣を握っている手を踏み付け、逆の足で背後から襲いかかってきた男の顔面に後ろ回し蹴りを食らわせた。
 男が取り落とした剣を開いていた手で受けとめると、少女は二刀流の構えを取った。血が繋がっていないにも関わらず、その構えは名目上の兄と非常に酷似している。

 ドレスの裾が翻り、赤い雫が飛び散る。

 女神のように麗しい美貌は冷たく冴え渡り、蒼の瞳が強い意思を持って輝いた。艶やかな蒼い髪が踊る度に襲撃者達の呻き声が零れ、しなやかな手が操る剣は命あるもののように正確に彼らを屠る。

 いまや、空中庭園はただの戦場と化していた。
 だが、その中にあっても少女の輝きは損なわれず、逆に生きようとする意志が彼女を輝かせる。
 そう、まるで華のように華やかに。
 ただ綺麗なだけの華ではない。
 彼女は闘うが故に華やかに輝く華だ。
 名付けるとすればそれは『闘華』。

 輝く蒼の宝玉が最後の一人に向けられた。
「あと、残るは貴方一人。・・・覚悟なさい」
 静かに告げる言葉は死刑執行の言葉。気負いもなくただ、淡々と少女はこれから自分が行うことを男につき付ける。
「こ、この・・・っ」
 闇雲に突っ込んでくる男を僅かに体を逸らす事で避け、少女は冷静に剣を振るった。
 ドゥッと音を立てて倒れた男を見た少女の口から初めて、ため息が零れた。
 空中庭園を流血で汚してしまったが、守るべき王女には掠り傷一つ無い。王女を守りつつ、半ダースものの暗殺者と切り結んだ結果としては上等だろう。もっとも、この後の大騒ぎと事後処理が多いに面倒ではあるが。
 脱ぎ捨てていた靴を指に引っ掛け、少女は目を瞑り耳を塞いでしゃがんでいる王女の目の前にひざまづくとそっと両手を耳から離してやった。
「ティアナ様、お怪我はありませんか?」
「サフィア様!?ご無事ですか!?」
「あ、まだ目は閉じていてください。私は大丈夫なのですが、周囲がちょっと、見せられない状態ですので・・・」
 慌てて顔を上げようとする王女の目を細い指で覆いながら少女は改めて周囲を見回す。
 物言わぬ物体と化した男達はともかく、血の海と化した庭園は修羅場を見た事のない王女にとってはあまりにも衝撃が強すぎる。警備兵を呼ぶとしても、血の匂いが充満しているここに、王女を一人にして待たせる訳にはいかないだろう。
「ティアナ様、ちょっと、失礼します」
「きゃ・・・」
 ふわり、と体が浮き上がる感覚に驚いた王女は咄嗟に、手に触れたものにしがみついた。しがみついて、気がつく。自分が少女に抱えられていることに。
「そのまま、目を閉じていてください」
 素直に少女の言うことを聞いたのはおそらく、抱き上げられた腕に不安なものがひとつもないためだろう。王女が素直に身を預けたのを感じた少女は危なげない足取りで庭園を後にする。
 少女が空中庭園を出た途端、少女はバッタリと一人の男と顔を合わせた。男が目を丸くして少女と少女に横抱きにされている王女を見詰める。
「フィー?それにティアナ。それは一体、どんな冗談だ?」
 『ロストールの遊び人』と称される男の言葉に少女はため息をついた。
「冗談でこんなことをすると思いますか、ゼネテス閣下。警備兵を呼んで下さい。あっちに不審者ご一行様がいますから」
 僅かな嫌味を込めて少女が返答を返すと、男の顔がたちまち緊張を孕んだものになった。僅かに入っていた嫌味よりも重大な事実に反応する辺り、本人は嫌がっていてもやはり、有能な総司令官なのだと思わせる。
「一体、何があった、フィー」
「それは・・・」
「サフィア!!」
 冷たく、冴え冴えとした声が響いた瞬間、少女の視線が現実逃避をするかのような動きで虚空を滑り、次いで諦めたように声が聞こえた方向へ視線を向けた。
「こちらから物騒な気配を感じたぞ」
「兄上」
 『蒼の輝石』と呼ばれる自分の妹と妹に抱き上げられた王女の姿に『冷血の貴公子』と仇名される男もさすがに一瞬、凍り付く。
「説明を。サフィア」
 それでもその一瞬だけで立ち直る辺り、彼の並々ならぬ精神力が伺えた。
「・・・不審者が6名、空中庭園に」
 言葉少なに答える少女だったが、それで兄が妹を開放するわけがない。
「それで、どうした」
 ある意味、仕事中毒な兄に少女はため息をついた。
「詳しい報告は後でかまいませんか?ティアナ様を部屋に送り届けたいのです」
「・・・あのさ、フィー。送り届けるのはいいとしても、だ。その格好、どうにかならないか?結構、視覚の暴力だぜ、それ」
 ほっそりとした絶世の美貌の少女が、同じ年頃の王女を横抱きに抱えている。・・・・・確かに、違和感バリバリな上、幻想をブチ壊す絵だ。事実、騒ぎを聞き付けて駆けつけて来た警備兵達がそれを見た途端、瞬間冷凍されていた。
「でも、脅えていらっしゃいますし・・・」
「わたくしなら、もう、大丈夫ですわ、サフィア様」
 腕の中から聞こえてきた声に、少女は視線を落とした。視線があった王女は健気に微笑んでみせる。
「もう、目を開けてもよろしいのでしょう?」
「はい。でも、立てますか?」
 意外と心配性な少女の言葉に今度こそ、王女は何時もの微笑みを浮かべた。
「怪我もしていませんのに、何時までもサフィア様に甘えてはいられませんわ。それよりもサフィア様。随分とお怪我を・・・」
 丁寧に地面へ下ろしてもらいながら、憂いの視線を向ける王女に少女は安心させるように微笑んでみせた。
「かすり傷です。気になさるほどでは・・・」
「いけません!!」
 だが、安心させようとした王女の思いもかけない大声にふいを突かれ、少女は目をぱちくりさせる。常に冷静な態度を取っている少女の大人びた顔に、妙に幼い表情が浮かんだ。
「どんなにお強くてもサフィア様は女性です。傷ついたままでいてはいけませんわ。・・・・・こんなに、綺麗な方なのに・・・・・」
「ティ、ティアナ様」
 浅く切られ、そこから糸のように細い血が流れている頬の傷に触れ、涙を浮かべる王女に少女はおろおろとした。そんな少女の肩を大きな手が掴んで引き寄せる。
「兄上?」
「こっちを向け」
 素直に兄に向き直った少女の両頬を少し冷たい手が覆った。すぐに自分の身を包んだ癒しの魔法に少女の蒼の瞳が見開かれる。
「レムオン兄上!!」
「静かにしろ。お前が魔法による治療は重傷の時と緊急事態の時だけだと決めているのは知っているが、こうでもしないとティアナが納得しないだろう。この後、お前にはいろいろと報告をしてもらわなければならん。時間の無駄を省く為に、この場は素直に受けろ」
「・・・・・分かりました」
 背中に感じる王女の心配そうな視線に、少女もこれ以上の抵抗をやめた。もし、このままで王女を部屋まで送ればそこであれやこれやと手当てされるに決まっている。下手をすれば王宮付きの医者まで呼ばれかねない。さすがに、それは避けたかった。
 治癒魔法を受けながらあれこれと思考を巡らせている少女はだから、聞き逃した。兄が小さく呟いた言葉を。
「・・・それに、お前が傷ついたままでいるのは業腹だ」
 その言葉は、確実に兄の心の一端を吐露したものだった。
 大切そうに妹を癒す兄の姿に、王女は受けた恐怖を忘れてはんなりと微笑み、総司令は苦笑を浮かべる。
「なんだかんだ言って、結構兄妹仲はいいじゃないか」
「・・・・・そう、見えますか?」
 首を傾げようとして兄に叱責された妹はそれでも疑問を口にし、それを聞いた王女が大きな瞳を瞬かせた。
「違いますの?」
「これも一応、俺の妹だからな」
 突き放したような、けれども妙に暖かみの篭った台詞に少女の美麗な眉が困惑に顰められる。
「レムオン兄上、それってどういう・・・」
「言葉通りに取れ」
 それでも悩む妹に兄は呆れた視線を投げかけた。
「馬鹿者。そこで悩むな」
「悩みます」
「ほう、そうか。私の言葉を信用できないと、お前はそう言うのだな?」
「拗ねないでくださいますか?何もそこまで曲解をしなくてもいいでしょう」
「誰が拗ねている!」
「レムオン兄上が」
「お前こそ、私の言葉を捻じ曲げて捕えるな!」
「怒鳴らなくても聞こえます」
「誰のせいだと思っている」
「私がそうさせていると?」
「他の誰がいるのだ」
 ほとんど兄妹漫才と化した会話に、周囲の者達は爆笑したいのを必死に堪えた。あの『冷血の貴公子』が妹と漫才(としか思えない)会話を繰り広げるのを意外に思う反面、本当に妹を大切にしているのだと感じる。彼にとっては無駄であろう会話を律儀に交わしていることからもそれが伺えた。
「やっぱり仲がよろしいのですね、お二方は」
「まぁ、たぶんなぁ・・・」
 呑気に、のほほんと微笑む光の王女に頷きながら、男は集まった警備兵達に暗殺者ご一行の死体を片付けるように指示し、かつ、報告書を揃えるように伝言する。
 その間、ずっと兄妹は漫才を繰り広げ、少女から詳細を聞くのはすべての事後処理が済んだ後だった。

 少女は闘う。華のように。
 少女は輝く。華開くように。

 少女は華。闘うが故に咲き誇る・・・闘華。


END