Pure
「こんにちは、クライヴ」 剣を腰に佩き、部屋の中央に立っていた青年はゆるりと首を巡らす。 「もしかして、これからお仕事でした?」 「・・・いや、別に。用があるのなら、聞く」 決して冷たいわけではないが、普通ではない出生故に人との関わり合いを避けている青年の言葉は短く、ぶっきらぼうである。何も知らない人間なら引いてしまうだろうほどの。 だが、青年に声をかけた人物は臆することなくふわりと微笑んだ。 闇を凝縮したような漆黒の髪と夜明けの空のような紫紺の瞳を持つ青年の名は<クライヴ・セイングレント>。ヴァンパイアハンターを生業とする氷のような冷たい美貌の青年である。 月の光を紡いだような純銀の髪と蒼天と森を写し取ったようなサファイアとエメラルドの瞳を左右に持つ麗しい美貌の少女の名は<ラビエル>。この世界、<アルカヤ>の守護を任命された、正真正銘の天使である。 出会いは突然のようで必然だった。 混乱の兆しをみせる<アルカヤ>の守護を任命されたものの、天の御使いである彼女は、その身に宿っている天の力を地上で振るう事は許されない。必要以上に世界に介入してしまえば、その世界を構成している因果律が狂ってしまうからだ。 代わりに勇者と呼ばれる協力者達を捜し出し、彼らと共に世界を正していく。 その過程で青年と天使は出会った。 片や『勇者』として。片や『天使』として。 「用というほどのものではないのですけど」 ふわり、と青年の目の前に舞い降りた天使は頭1つ分、背の高い青年の顔を覗き込んだ。 「この間の傷は大丈夫ですか?」 「ああ」 3日程前に青年は1つの小さな事件を解決していた。その時、腕に大きな怪我を負っていたのだ。 「見せてもらえますか?」 おずおずと尋ねる天使に、青年は無言で服の袖を捲り上げる。 細くとも綺麗に筋肉のついた、鞭のようなしなやかさと力強さを秘めた腕が天使の前に曝け出された。その腕には傷どころか跡さえもない。 「・・・良かった」 「あの後、お前が治癒をかけただろう」 ほっと息をつく天使の上に、青年の無感情な声が落ちる。だが、無感情に聞こえる声の中には微かな戸惑いが含まれていた。 その戸惑いに気がついている天使は怯むことなく、極上の微笑みを浮かべる。 「ですが、やはり心配ですから」 ますます戸惑いの気配を漂わせる青年を気にする風もなく、天使は手を伸ばすと青年の長めの前髪をかきあげると髪で隠されていた顔を露わにし、その瞳を覗き込んだ。 躊躇うことなく自分に触れる暖かな感触に、青年の体がビクリ、と硬直する。 「少し、疲れていませんか?」 「・・・いや」 「だと、いいのですけど。もし、疲れているのならこれを使って下さい」 パチリ、と指を鳴らした天使の掌の上に眩い光が凝縮され、やがて一つの形をかたどった。 「それは?」 「『天使の羽』と呼ばれるものです。本当はもっと、高度なアイテムもあるのですが、まだ私はそれを手に入れられるほどの実力を持ってはいなくて」 申し訳なさそうに首を竦める天使に、だが青年はふっと唇の端を上げ、微笑した。 「いつも、すまない」 思いがけない、青年の柔らかな表情にさすがの天使も一瞬惚け、慌ててふるふるとかぶりを振る。 「いいえ、私にはこれぐらいしか、貴方にしてあけられません。・・・何時も、何時も、危険なことをさせて、私はただ見ているだけで・・・」 「ラビエル」 いつも穏やかで暖かな微笑みを浮かべている天使の、初めて聞く苦悩に青年は思わず手を伸ばしかけた。だが、その手が純銀の髪に触れる直前、我に返り、伸ばした手を握り締める。 純白の無垢なる天使に触れて、どうしようというのか。彼女は光の住人。闇の住人である自分が安易に触れていい人物ではない。 「・・・すみません、つい、気が緩んでしまいました」 「・・・・・いや」 何時もの表情を取り戻した天使だったが、計らずともその心の一端を聞いた青年は天使の麗しい美貌に隠された心労と疲労を見て取る事が出来た。 「ラビエル、顔色が悪いようだが・・・」 「そうですか?」 首を傾げる天使はだが、ふわりと微笑んでみせる。 「心配してくださって有難うございます。でも、大丈夫ですから。そろそろ、お暇しますね・・・あ?」 背中にある純白の翼を広げた瞬間、天使の体が崩れ折れた。無意識に羽ばたかせたのだろう、背中の翼が2、3度打ち振られ、バサバサと音をたてる。華奢な体はそのまま床に倒れるかと思われたが、咄嗟に差し出された青年の腕によってそれは免れた。 「ラビエル!?」 「ラビエル様、そろそろお戻りにならないと・・・って、ラビエル様!?」 鹿の姿をモチーフにしているという妖精のローザが現れ、青年の腕に抱えられている天使の姿に大慌てに慌て出す。 「だから、あれほど体力にはお気をつけ下さいと言ったのに!!」 「・・・どういうことだ?」 天使が倒れた事情を知っているらしい妖精に青年の疑問が投げかけられた。その声で少し、落ち付きを取り戻したのだろう。妖精は普段の生真面目な口調で青年の疑問に答える。 「ラビエル様が地上界に姿を現す時、かなりの体力と精神力を要求されます。慣れればそれらも少しですむのですが、今のラビエル様はそれほど無理は出来なくて・・・だから、私も度々注意をしていましたが・・・」 はぁ、と意外に苦労性な妖精はため息をつくと青年の視線に自分の姿を合わせるとペコリ、と頭を下げた。 「クライヴ様、すみませんが、しばらくラビエル様をお願いします」 「・・・お前は?」 「はい、一度天界へ戻って、ラビエル様を迎えに来て下さる方を呼んできます」 いくらなんでも、私ではラビエル様を連れて帰ることは出来ませんから、と妖精は掌に乗るくらいの小さな自分の体を見下ろす。 「では、お願いします」 ふっと消えた妖精から青年は自分の腕の中にいる天使へと視線を移した。 先程、触れることを躊躇った純白の天使が、柔らかな感触と共に青年に無防備に体を預けている。その事実に青年の心に湧き上がったのはどうしようもない罪悪感と歓喜だった。 触れることを躊躇うほど純粋で穢れない存在を手にしている罪悪感。 他の勇者が目にすることはないだろう姿を抱いている歓喜。 相反する感情が示すのはただ1つの心故。 「・・・・・愛、して・・・・・い、る・・・・・」 どこか、脅えたように呟いた青年はすぐに頭を振ってその言葉を振り払った。 言ってはいけない。言う事など出来ない。 それは、青年にとって禁忌の言葉だった。何よりも大切な存在を穢してしまう言葉だった。 それでも、青年は腕に抱いている暖かな存在を手放す事が出来ず、疲労が滲んでいながらも変わらずに麗しい美貌を見つめ続けた。 青年は知らない。 禁忌の言葉を呟いた時、青年が纏っていたオーラが柔らかく天使を包んだことを。 そのオーラに包まれ、天使の心が癒されていったことを。 自分が行った奇跡には気づかず、ただ、青年は静かに天使を抱き締めていた。 純粋な愛と共に・・・・・。 END |