朝の風景


 ダイニングに入ると味噌汁の香りが漂う中、くるくると動く女性の動きに合わせて揺れ動く栗色の髪が視界に入る。
 いつもの朝、いつもの風景。
「ナスティ、おはよう」
「あら、おはよう、征士」
 腰まで伸びている栗色の髪をスカーフで軽く結わえた女性は覗きこんでいた鍋から顔を上げ、ダイニングに入ってきた青年を認めるとふわりと微笑んだ。
 玄関から新聞を取ってきた青年は指定席であるソファに座り、忙しそうにパタパタとキッチンの中を動き回っている女性を眺める。味噌汁の味見をしていた女性はそれに気づき、青年へと視線を向けた。
「何かリクエストでも?」
 軽く首を傾げ、訊ねてくる女性に青年はかぶりを振る。
「いや」
「そう?何か欲しいのなら言ってちょうだいね。出来るものなら何でも作るから」
 にこにこと笑顔を浮かべる女性に、青年は珍しく微かな笑顔を浮かべた。
「ナスティの料理はどれも美味しいから、特にリクエストする必要はないな」
「そうなの?」
 軽く目を見開いた女性は手にしたお玉を小皿の上に置くと、セットしていたサイフォンからコーヒーをカップに注ぐと新聞を広げて読み出した青年の前に置く。
「ああ、有り難う」
「いいえ、どういたしまして」
 青年の礼に微笑んだ女性はふいに、くすくすと笑い出した。
「ナスティ?」
「さっきの征士の言葉。ずいぶんと口がうまくなったわね」
「?」
「私の料理はどれも美味しいって言った事。褒めてくれるのは嬉しいけど、征士から言われるとは思わなかったもの」
「・・・私は思った事を言っただけだ」
 むすっとした口調ではあるが、青年の頬は微かに赤くなっている。それを認め、女性は柔らかく微笑んだ。
「ナスティ」
 ちらり、と時計を眺め、時間を確認した青年は新聞を脇によける。そしてまだ側にいた女性の腕を掴むと軽く引っ張った。
「きゃっ」
 青年に腕を引っ張られ、体のバランスを崩した女性はソファに座っている青年の膝の上に腰を下ろした格好になる。それに気づいた女性は一気に赤くなった。
「せ、征士、急に何をするのよっ」
「朝の挨拶がまだだったろう?」
 ボンッと音をたてるかと思うほど真っ赤になった女性に青年はくつくつと笑う。笑いながらも女性の栗色の髪を梳き、その感触を楽しんだ青年は顔を近づけた。
 訪れる、静寂の時間。
 それを破ったのは炊飯器の終了音だった。
「いけない、皆が起きてくるわ」
 まだ赤い頬を押さえながら女性は慌ててキッチンに駆け戻り、青年は何事もなかったかのように新聞に手を伸ばす。
「征士!移った私の口紅、ちゃんと落としてよ」
 キッチンから飛んできた声に、青年は鏡を探して自分の顔を映し出してみた。鏡に映った自分の唇にうっすらとチェリーピンクの色が乗っている。何となく惜しいような気もしたがそろそろ起き出してくるだろう、同居者の追及も鬱陶しいので手近にあったウエットティシュで口紅を拭い去った。
「おはよう、ナスティ。何か手伝うことあるかな?」
「おはよう、伸。じゃあ、テーブルをお願いできるかしら?」
「ナスティ、おはよう」
「おはよう、征士。いつも早いな、お前」
「・・・・・・・・・・はよ・・・・・・・・・・」
 次々とダイニングに入ってきた同居者達でその場は一気に賑やかになる。
 これもまた、いつもの朝、いつもの風景。
 こうして賑やかな一日が始まる。

(おまけ)
「・・・なぁ、伸。いつ、入っていったらいいと思う?」
「僕に聞かれても困るけど・・・」
「しっかしさぁ・・・あれって、どうみても新婚夫婦だよな」
「・・・・・ZZZzzz・・・・・」
 青年が朝の挨拶と称しているキスシーンに毎朝、ダイニングへ入るタイミングを計りかねている四人の同居者達がここにいた。


END