drunken girl


 この時、全員が心の中で叫んだ。
『そこで眠るんじゃないっ!!』

「・・・」
「あ、ナル、お茶を飲むの?」
「・・・・・」
「今ね、ぼーさん達がいろんな種類の紅茶を持ってきてくれたんだー」
「・・・・・・・・・・」
「ナル?どうしたの?」
 所長室の戸口に立ったまま、うんともすんとも返答のない黒衣の青年に少女は首を傾げて振りかえった。少女の両手には自称・父親の手土産らしい紅茶の缶が抱えられている。
「一体、何時の間にここは居酒屋になったのか、聞きたいのですが?」
 平静、平坦な口調に絶対零度並の視線がオフィスのテーブルの上に広げられている酒類や食べ物を眺め、それを持ちこんできたであろう人物達を見遣るが、この程度の視線はまだ序の口とばかりに視線を受けた者達はケラケラと笑い飛ばした。
「どうせ、もうすぐオフィスを閉める時間だろうが。最近、なかなか皆と会う事もなかったし、たまには集まって騒ぐのもいいだろう」
「時間の無駄です」
 彼らの言葉に一刀両断並の返答を返す美貌の所長様であった。
「だいたい、ここを喫茶店代わりにするなと何時も言っていたと思いますが?喫茶店では飽き足らず居酒屋代わりにまでするつもりですかあなた方は」
 冷え冷えとした冷気が漂ってきているような気がするのはおそらく、気のせいではない。丁寧な言葉遣いになっているのがその証拠である。
 だが、しかし。結構長い付き合いになる彼らはその冷気をあっさりと無視した。
「麻衣、お前さんもそろそろ飲み会の誘いとかあるんだろう?自分の酒量の限界を知っといた方がいいぞ」
 山程の紅茶缶を棚にしまっている少女に言外の誘いをかけるのは自称・父親。
「そうそう、ちゃんと自分の限界を知っておけば危ない目にもあわないしね」
 手料理をテーブルの上に並べながら男の言葉に同意するのは腰まである黒髪を持ち、バッチリ化粧をきめているゴージャスな美女。
「確かに。世の中の殿方って判を押したように同じ事を考えますものね」
 上品な言葉遣いながら、その言葉に冷ややかさを込めるのは艶やかな髪を肩口で切り揃えた和服姿の美少女。
「谷山さん、可愛いですからねー。狙っている人はかなりいると思いますよ」
 にこにこにこ、と笑顔のポーカーフェイスを浮かべるのは理知的な眼鏡をかけた甘いマスクの青年。
「そういえば、いろいろと声をかけられると困っていらはりましたねぇ」
 流暢なというか、妙なというか、そんな関西弁を操るのは金髪に青い瞳の外見は完璧な外人少年。
「あ、うん、そーなの。バイトに行くんだって言ってもさー、ぜんっぜん話を聞いてくれなくて。引きずられそうになったのって一度や二度じゃないんだよ。人数合わせなら幾らでも他にいると思わない?」
 握り拳で力説するのは栗色の髪と鳶色の瞳の小柄な少女。
「・・・谷山さんだけに、声をかけるのですか?」
 少しだけ、心配そうな口調で確認を取るのは片目を前髪で覆った長身の青年。
 こっくりとその質問に少女が頷いた途端、黒衣の青年を除く全員が深いため息をついた。
 人数合わせというのは口実で、本当の目的は少女自身なのだろうと話を聞くだけでも推測できるのに、当人がまったく気づいていない事実はどうしてもため息を誘われる。
「でも、まだコンパには行ったこと、ないわよね?」
 もし、行くことになれば必然的にバイトを休むことになる。だが、少女は大学に入学して以来、まだ一度もバイトを休んでいないはずだ。
「うん、ずっと断っているもん」
「随分、強引に誘われているように聞きましたけど・・・どうやって断っていますの?」
「バイトに行かなきゃ生活できない」
「・・・強力な断り文句だな」
「あたしにとっては事実。コンパなんてバイトに行かない分生活費が苦しくなるし、コンパ代で更に財政を圧迫されるだけ。損ばっかりで得になることなんてひとっつもないよ」
「現代女子大生の台詞とは思えませんが・・・しかし、そこまで言われたら引き下がるしかありませんね」
 苦笑するバイト事務員に同意する者、数名。
「うん、そうなんだけどさ。やっぱり付き合いっていうのもそのうち、あるんだろーなー」
 それを思うと今から頭が痛いよ、と少女はため息をつく。
「そういう場合はね、最初の1,2時間だけ顔を出しておいて、さっさと退場するのよ。適当な口実を作ってね」
「ま、その為にはあまり飲み過ぎない酒量を把握しておく必要があるな」
 この即席居酒屋はつまり、娘のコンパの現状を心配した父親が発案したと、まぁ、そういうことらしい。
 イレギュラーズが座りこんでいてはオフィスを閉めることも出来ず、なし崩しに黒衣の青年もこの飲み会に参加することになった。

 そして、二時間後。

「あーやーこー」
 ・・・見事な酔っ払いが出来あがっていた。
 美女にべったりと懐き、普段甘える事のない少女は酔っているからだろうか、珍しい程ベタベタと甘えまくっている。
「ほら、麻衣。少し、これを飲んでおきなさい」
「うん」
 美女から手渡された水を少女は素直に飲み、再び美女にべったりと抱き付く。
「随分、松崎さんに懐きますのね、麻衣」
 まるで子供のような甘え方をする少女に、くすくすと笑いを零しながら和服姿の美少女が少女の柔らかな頬をつついた。
「だってぇ、あやこ、やわらかくってきもちいいんだもん」
「・・・羨ましい発言だな」
 ボソッと呟いた男の顔面に木製のお盆が激突したが、その場にいた者達は全員、見て見ぬふりをした。
「まさこもねぇ、いいにおいがするのー」
 隣に座っていた和服姿の美少女にも少女は懐き、にっこりと笑う。途端に、美少女の顔が赤く染まった。屈託のない好意を受け止めなれない美少女にとって、少女のそれは時々不意打ちで襲ってきて照れてしまうのだ。
「あやこも、まさこも、だぁいすき」
 素直な少女の素直な心の吐露。美女と美少女が顔を見合わせ、ふわり、と微笑んだ中で父親代わりの男の手がポンポン、と少女の栗色の頭を撫でた。
「なぁ、麻衣。おとーさんは?」
「うん、ぼーさんもだいすきー」
 緩やかに忍び寄ってくる睡魔に身を任せつつ、少女は幸せそうに微笑む。
「あやこも、まさこも、ぼーさんも、ジョンも、やすはらさんも、リンさんも、みんな、みぃんな、だぁいすき」
「・・・・・・・・・・」
 意図的なのか、無意識なのか、除かれた一名の名前にオフィスの気温が一気に氷点下まで下がった。居酒屋もどきをしていた時の冷気とは比べ物にならないほどのブリザードが黒衣の青年から吹き出している。
 ・・・怖い。非常に、怖い。とてもじゃないが、黒衣の青年に視線を向けられない。
「ま、麻衣?ナルはどうなんだ?」
「・・・ほぇ?」
「今、ナルの名前がなかったわよ?どういうこと?」
「ナルゥ?ナルはねぇ・・・」
 かなり、眠くなっているのだろう。ボケボケした口調で呟く少女の言葉を待ち、全員が息を飲む。
「・・・・・・・・・・ぐぅ」
 答えを出す前に、少女は眠りの淵へと落ちていた。

 この時、全員が心の中で叫んだ。
『そこで眠るんじゃないっ!!』

「そ、それにしても、困ったわね。この子を置いて帰れないじゃない」
「そう、ですわね。本当、困りましたわね」
 あえて、ある一角に視線を向けないようにしつつ、美女と美少女は抱きかかえている少女の処遇を相談する。
「麻衣?おーい、麻衣」
 ためしに起こしてみようと父親が少女を揺すろうと手を伸ばすが・・・途中で固まってしまった。
 少女に手を伸ばした途端、殺気の篭ったブリザードが吹きつけられ、娘に触れられなくなったのだ。手を伸ばした格好のまま、だらだらと冷や汗を流す。
『この視線に物質的な力があったら俺、確実に命がないぞ』
 ぐるぐると思考が回っている男を尻目に、黒衣の青年は少女に近付き、軽く頬を叩いた。
「麻衣、起きろ」
「ん〜〜〜」
 子供がぐずるような声を漏らし、少女はしがみついていた美少女に更に抱き付く。一瞬、眉を吊り上げかけた青年だが、抱き付いている相手が女性だったからかすぐに無表情に戻り、続けて少女を揺する。
(「麻衣が抱き付いていたのが真砂子ちゃんだったからいいようなものの、もしそれが俺か少年だったりしてみろよ。絶対、命はなかったぜ」とは、この騒ぎの後の父親の言葉である)
「麻衣」
 何度目かの呼びかけの後。ふいに、少女の瞳がぱっちりと開いた。だが、その大きな鳶色の瞳の焦点は合っていない。
 ぼんやりと視線をあちこちにさまよわせ、黒衣の青年の上に視線を向けたかと思うと少女はにっこりと笑った。
 少女の最大の魅力である、華のような太陽の笑顔。
 美少女に抱き付いていた両手を黒衣の青年へと差し出し、抱き付いたかと思うとまた、眠ってしまったのである。
「あったかぁい」
 ・・・という、ただ一言を残して。
「・・・・・えっとー、それじゃ、そろそろお開きにするか?」
「そう、ですわね」
「谷山さんは所長に任せればいいようですし」
「と、いうことで、ナル、麻衣をよろしくね」
 手早く後片付けを済ませた彼らはとっとと帰宅の途についた。その素早さはまるで疾風のようである。
 そして、空になったオフィスに残ったのは美貌の所長様と、彼に抱き付いた少女のみ。
「麻衣」
 先程、オフィスを極寒の地へと変化させた青年だったが、少女に懐かれた途端、そのブリザード並の不機嫌をあっさりと払拭させ、今も抱き締めている少女の栗色の髪を大切そうに、愛しそうに梳いていた。・・・非常に、現金である。
「麻衣、帰るぞ」
 少女の耳元に囁くと今だ、眠りの淵を漂っている少女を抱き上げた。
『あったかぁい』
 少女が零した一言が、青年の胸に暖かく甦る。
 深読みかもしれない。己の願望かもしれない。だが、青年にとって、少女が零した言葉は、こんな風に聞こえた。
『ナルの側は、暖かい』
 暖かみのある性格だとは自分でも思っていない。だからこそ、少女の言葉は青年の胸を暖かくした。
 無防備に眠っている少女の額に唇を寄せる。
「側に、居ろ。僕はお前を離さない」
 青年の呟きを聞くものは夜空の主人と従者達のみだった。

 この青年の宣言が実現されるのはこの後、すぐのことである。


END