裸足のフェアリー
「・・・・・」 彼は立ち尽くしていた。目の前の光景がまるで幻のようで、下手に音を立てれば掻き消えてしまいそうで。 ただ、息を潜め、見つめる事しか出来ない。 見詰める青年の視線の先には一人の少女。 シンプルな白いワンピースをまとい、幼子のように裸足になって小川の水と戯れている。 陽光を弾いて煌く純金の髪。 澄みきった湖のようなアクアマリンの瞳。 華奢で可憐な容姿はまさに妖精。 少女の姿を取った妖精はスカートの裾を両手で持ち上げ、無邪気な笑い声をあげながら小川の浅瀬を歩いている。 歩く度に跳ねあがる水飛沫にうれしそうに笑い、わざと水を蹴り上げてみたり身軽に石の上を飛び跳ねてみたり。 ワンピースの裾を持ち上げている為に白く細い足が膝の上まで露わになっている。貴族の娘としてははしたないと眉を顰められるだろう。だが、どこまでも無邪気な笑顔はそんな言葉など蹴っ飛ばしてしまうほど無垢で、そしてその姿に妖精を重ねて見せるほどに自然だった。 妖精が動きを止め、水面をじっと見つめる。人差し指を頬に当て、可愛らしいポーズで考え込みながら何度か視線が空と小川の間を往復した。やがて何かを諦めたように一つ、ため息をつくと近くの石に腰掛け、水面を足で蹴り出すがアクアマリンの瞳はどこか、残念そうである。 その瞳の意味を知りたくて、青年はずっと身を潜めていた木陰から足を踏み出した。 「こんにちは、レーネ殿」 「ナ、ナオジ様っ!?・・・っ、きゃあっ!」 「レーネ殿!」 バッシャン!という派手な水飛沫とともに、少女は小川の中へと転落した。さほど深い場所ではなかったものの、転げ方が派手だった為か頭の上から足の先までずぶ濡れである。 「レーネ殿、大丈夫ですか!?」 「え、ええ・・・大丈夫、です」 突然の災難に呆然としながらも青年の問い掛けに少女は律儀に答える。小川の浅瀬に座りこんだままの少女に手を貸し、立ちあがらせながら青年は迂闊に声を掛けたことを詫びた。 「申し訳ありません。貴女を驚かせてしまったようで・・・」 「あ、いえ、ナオジ様のせいではありません。必要以上に驚いた私のミスです」 ふわり、と柔らかな笑顔を浮かべながら少女は首を振り、次いで困ったようにずぶ濡れになった自分の体を見下ろした。 「それにしても、派手に濡れてしまいました・・・乾かす時間もないし、帰ったらオーガスタ達に笑われてしまいますね」 困ったような表情ではあったが、それでも浮かべる笑顔は柔らかい。真実、彼女の友人達を好いているからだろう。 「どちらにせよ、早く帰った方がいいでしょう。いくら夏とはいえ、このままだと風邪を引きます」 「はい、そうします」 素直に頷いた少女は脱いでいた靴を履き、それを見ていた青年に軽く頭を下げる。 「それでは、ナオジ様。また、明日」 「レーネ殿!」 「は、はい?」 少女の言葉に青年は思わず普段よりも大きな声を上げてしまった。聞きなれない青年の声の音量に少女は脅えたように体を震わせ、おずおずと視線を上げる。 「すみません、つい、大声を出してしまって・・・」 「いえ・・・あの、何か?」 我に返り、謝罪する青年に気にしていないと首を振る少女は視線で自分を呼び止めた理由を問いかけた。 「貴女を一人で帰すわけにはいきません。部屋までお送りします」 「で、でも、ご迷惑ですし・・・それに、ナオジ様、ここで時間を過ごしたかったのではありませんか?」 「迷惑などとは思いません。それに、自分は貴女と一緒にいたいのです」 「え・・・」 あまりにも自然に、そしてさらりと言われた為、言葉が脳裏に染みこむまで数瞬を要し・・・そして、少女は頬を薔薇色に染める。 「小川にいる貴女を見た時、妖精が人の姿を取ったのかと思いました」 青年の繊細な指が少女の濡れても見事な輝きを失わない純金の髪に触れ、頬に張り付いていた数本の髪をそっと剥がした。髪を剥がした指はしばらく純金の髪を弄んだ後、滑らかな頬へ添えられる。 「水と戯れている貴女はとても綺麗で・・・うかつに声を掛ければ消えてしまいそうで・・・」 「ナオジ様」 「今でも、貴女は本当にここにいるのだろうかと思ってしまいます」 そっと、壊れ物を扱うように青年は少女の頬を撫でる。少女は自分を見詰めている漆黒の瞳にただ、陶然と見惚れていた。 青年と知り合うまで、漆黒という色がこれほど綺麗なものだということを少女は知らなかった。漆黒にも温度を感じるなどとは思いもしなかった。 だが、目の前にある漆黒は艶やかに光り、熱い熱情を少女に伝えている。 「レーネ殿・・・エイレーネ・・・」 至近距離にある青年の顔が傾き、滑らかな瞼が漆黒を半ば隠す。サラリ、と揺れた漆黒の髪に心を奪われたその時、少女の唇に熱が灯り、そして離れた。何が起こったのか理解できていない少女の様子に青年は苦笑し、細い顎に指を絡めるとその視線を自分のと合わせる。 「ナオジ、様・・・?」 「好きです、エイレーネ。貴女を愛しています」 漆黒の瞳を甘く、そして熱く輝かせ、青年は再び少女の珊瑚の唇を求めた。しっとりと重ねた後、徐々に深くしていく。少女の手が震えながら青年の服を掴み、意識を奪われまいと懸命にしがみ付いた。 「あ・・・ふ、ナ、ナオ、ジ、様・・・わ、私、も・・・」 くらくらとするような口付けを受け、思考もままならない状態ではあったが、これだけは伝えなくてはと少女は必死に、口付けの合間に言葉を紡ぐ。 「レーネ殿?」 「あ・・・わ・・・たし、も・・・貴方、が・・・す、き・・・で・・・す・・・」 告白した後、安心したのだろう、ふわり、と柔らかな微笑みを少女は浮かべた。 「愛、して・・・います、ナオジ様・・・」 「レーネ殿」 頬に触れていた両手が少女の腰に回り、青年は思いっきり目の前の華奢な肢体を抱き締める。 「ナオジ様・・・濡れますよ」 「かまいません、貴女と一緒ならば」 夢の中の少女は抱き締めても冷たかった。けれども、今、自分の腕の中にいる少女は冷たくても暖かな体温を感じる。 それが、とても嬉しい。 「誓います。今度こそはきっと、貴女を守ると」 「誓います。今度こそはずっと、貴方とともにいることを」 今生はと誓う二人を見詰めるのは小川に写る二人。 そして、誓いは成就される−−−−−。 END |