光の少女


 光とランティスが旅を始めてから数日がたった。
 セフィーロの柱になる人物を捜すため、反対する海や風、クレフ達を説得し、ランティスと共に城を出た光だが、未だ柱になる人物どころか唯の人でさえ見つける事は出来ていない。
 代わりに、様々な魔物達と頻繁に起こる天変地異が光達を襲っている。
 魔物を倒す度、光は胸に鋭い痛みを覚える。
 セフィーロは、心の世界。
 魔物は、人々の心の不安の現れ。
 魔物が強ければ強いほど、光はセフィーロの人々の不安を思い知らされ、己の力のなさに歯噛みする。
『セフィーロに残された時間は、少ない』
 導師クレフの綺麗に整った顔が脳裏に浮かぶ。
『次の柱が立たなければセフィーロは・・・消滅する』
 エメロード姫が最後まで案じた、この世界を光は守りたかった。
 今度は、後悔したくない。
 たとえ、この世界で命を落とすことになろうと、その瞬間まで後悔をするようなことは絶対、したくなかった。
 魔物を倒す度、哀しい表情でその跡を見つめる光を、ランティスの闇の瞳が見つめていることを光は知らなかった。

 体の変調に気づいたのは、少し前からだった。
 全身が奇妙なだるさに覆われ、皮膚の表面は熱いのに体の芯が凍えるような感覚が次第に強くなる。
 光の額に汗が浮かびはじめ、背中に脂汗が流れ落ちるころには絶え間無い頭痛と吐き気が光を襲い、視界までもが霞みはじめていた。
 しかし、光は何も言わず、ランティスの後をついて行く。
−−−一晩、よく眠れば大丈夫。
 そう、自分に言い聞かせ、足を進める。
 こんな所で立ち止まっていられない、というのもあるが、何より光はランティスに心配をかけたくなかった。
 ランティスが無口でぶっきらぼうではあるが、とても優しい人物であることを数日という短い期間に、光は理解していた。
 ランティスに心配をかけたくないという一心で光は歩き続け、野営するのにちょうどいい洞窟を見つけた頃には、精も根も尽きようとしていた。
 たき火を起こし、モコナが出してくれたスープを一口、二口啜っただけで光は猛烈な眠気に襲われ、毛布にくるまって横になる。
「今日は・・・少し、疲れたみたいだ。先に・・・休むね」
 それでも、ランティスに断りを入れ、光はたちまち深い眠りに引きずり込まれた。
 しばらくは光の寝顔を見ていたランティスだが、ふと、奇妙な違和感に襲われ、光の側に寄り、よく顔を見てみる。
 光の額には汗が引っ切り無しに流れ落ち、顔は赤く、息が荒い。
 鋭く息を吸い込んだ後、掌を頬に当てると火のように熱い。
「ヒカル。起きろ、ヒカル」
 名前を呼んでも、一向に光は目を覚ます気配がない。
−−−一体、いつからだ。
 舌打ちをしたい気持ちで、少女の肩の下に左手を差し入れる。
 おそらく、光は自分に気を遣ったのだ。そして、それに気づかなかった自分。
 差し入れた左手を持ち上げ、少女の上半身を起こす。
 軽かった。
 十四歳という年齢と、光が平均よりも小柄な少女だということを差し引いたとしても、ランティスの左腕にかかるはずの負担は驚く程、軽かった。
 この幼い体で、大きな戦いに巻き込まれ、心に深い傷を残しながらも今、再び己の身を戦いに投じようとする少女に哀れを感じる。
 上半身を起こすと、代わりに力を失った頭ががっくりと後ろにのけぞるように倒れ、少女の細い首筋があらわになる。そして・・・あらわになった喉元の下半分、いつもは制服のリボンで見えない喉元に、毒々しく赤黒い痣のようなものが浮かび上がっているのが見えた。
 すぐさまリボンを解き、喉元から鎖骨のあたりまで調べる。
 奇妙な痣のようなものは、胸元まで広がっていた。
「ランティスゥ。そのおチビさん、どーしちゃったの?毒にあたったようなオーラを出しているけどぉ」
 妖精のプリメーラの言葉に、ランティスは原因を知る。
−−−おそらくは、あの時。
 例によって、何度目かの魔物の襲撃を受けた時、その魔物は剣では太刀打ちできないほど堅い皮膚−いや、甲殻というのか、それを持ちあまつさえ魔法を中和してしまう能力の持ち主であった。
 これにはさすがにランティスも苦戦を強いられたが・・・ 光はとんでもない奇策を打って出たのである。
『皮膚に剣を突き刺すのは駄目、魔法も使えないとしたら・・・これしか、ない』
 そうして剣を手甲の宝玉に収めたかと思うと、魔物の口の中へ自分から飛び込んだのである。
 驚いて立ち止まり、一分経つか経たないか。
 いきなり魔物は苦しみ出したかと思うと、内側からの圧力に耐え切れなかったように破裂した。
 破裂した後には紅く輝く剣を手にした光が、魔物の体液にまみれながらも立っていた。
 嬉しそうにモコナが走り寄り、飛びつこうとする寸前で光はその行動を止める。
『待って、モコナ。私の体中、体液でベチョベチョなんだ。モコナが汚れちゃうよ』
 光のその姿を、プリメーラが呆れたという表情で見つめる。
『あっきれた。そりゃあ、体の中まで硬い殻に覆われているものはいないけどぉ、自分から口の中に飛び込むなんて、随分な無茶をするわねぇ』
 その後、折よく振り出した雨で光は体液を落としたのだが・・・
 何らかの形で、魔物の毒が入り込んだのだろう。そして今、目の前の小さな少女は高熱を出し、意識を失っている。
 ランティスは左手の位置を変え、光の頭部を安定させるとその口元に水をすくったスプーンを持っていく。少女の体は高熱により大量の水分を失い、脱水になりかけていると判断した青年の行動は正しかったが、すでに水分も飲み込む力も少女からは失われていた。
 多量の水分補給により毒素を薄め、また、高熱による脱水を回復させたいが、今の光にはその力がなかった。
 わずかに眉をひそめたがランティスは口に水分を含むと、少女の小さな唇に己の唇を重ね、水分を分け与える。
「きゃあああああ!!ランティス、なにをするのよぉ!!」
 周囲でぎゃいぎゃい騒ぐプリメーラを無視し、どこからか一粒の丸薬を取り出すと水分と一緒にもう一度、口移しで光に与える。
 コクン・・・と、少女の喉が丸薬を飲み込んで動いたのを確かめると、そっと小さな体を腕から降ろす。
 毒消しの薬がどれほどの効果があるかわからないが、やらないでいるよりましであろう。
 次の行動を起こすことにランティスにはためらいはなかったが、プリメーラがまた煩く騒ぎ出すだろう事を予測し、さりげなくたき火にあるものをくべる。
 しばらくすると、スースーと寝息が聞こえ、確認するとプリメーラとモコナは岩壁にもたれるようにして眠りこけていた。
 ランティスがくべた物は妖精用の眠り粉で、朝までは起きないほどの量を使っている。
 完全に寝ているのを確認した後、おもむろにランティスはマントを外し、己の上半身に纏っている衣服を脱いで半裸となった。剣士としての体は綺麗に引き締まり、そして鍛えられた筋肉に覆われていた。
 無防備に横になっている光を見たランティスの瞳に一瞬、ためらいが浮かんだがすぐに振り切るようにして少女の防具に手を伸ばす。
 手際良く少女から衣服を剥ぐと、今度は己の上半身で少女の体を包み込むように抱き込み、毛布と自分のマントにくるまる。
 高熱による悪寒のためか、光は無意識にランティスに擦り寄り、体の温もりを受け取ろうとしていた。
 小さな、体だった。
 ランティスの上半身だけで、光の体を包み込んでしまえるほど。
 だが、こんな小さな体でも光は全身から生命力を発散させ、眩しいほどの煌きを振り撒き、その瞳は強い、何者にも勝る意志が光っている。
 ふいに、愛しい気持ちが湧き上がる。
 この小さな体のどこに、あれほどの−魔神を動かすほどの意志の強さが潜んでいるのだろう。
 ランティスは己の腕の中にいる少女をまじまじと見つめた。
 この少女の『仲間』達が少女を大切にする気持ちが少しだけ、わかる気がする。
 少女は『光』だ。希望に向かって突き進む、『光』なのだ。
 そして、その『光』は、自分にとっても大切なものかもしれない・・・
 その想いに瞠目し、ランティスはそっと光の唇を塞いだ。
 その後、ランティスは高熱でうなされる光を己の体温で暖めながら、時折口移しで水分を与え、一晩中その小さな体を抱き締めていた。

 キョトン、と光はランティスを見上げていた。
 朝になり、嘘のように熱の下がった光は昨日の記憶が朧で、今の自分とランティスの状態がよくわかっていなかった。
 自分は下着だけの格好でランティスの裸の上半身に抱かれているという状況は羞恥を感じるはずなのだが、光はなんとも思っていない。
 それは、羞恥心がないというわけではなく、あまりにも純粋無垢でなにも知らないからこその態度。
 ランティスにもそのことが容易に知れ、無表情のまま普段通りに振る舞う。
 光の額に大きな掌を当て、熱を測る。
「熱は下がったようだな。体はだるくないか」
「うん、だるくない。私、倒れたのか?」
「魔物の毒にやられていた」
 短い言葉に、光は状況を察する。
「そうか。ありがとう、ランティス、看病してくれて」
「服を着た方がいい」
 光のお礼にランティスは黙ったまま頷き、己も服を着るために光に背を向ける。
 防具をつけ終えた頃、目を覚ましたモコナが食事がわりのスープを額飾りから出す。スープ皿を手に取るが、高熱の後のため手に力が入らない。持ち上げるのに四苦八苦していると、横から大きな手が皿を持ち上げる。
「随分、体力を消耗しただろう」
「そう・・・かな」
 首を傾げる光を横目で見ながらランティスはスープを口に含み、昨夜と同じように口移しで与えた。
「ぷううう!?」
 光の横で驚いて引っ繰り返ったモコナが叫んでいたが、ランティスは続けざまにスープを少女に与えて飲ませ、スープ皿が空になる頃プリメーラが目を覚ました。
 運が悪いとしか言いようがない。最後の一口を飲ませているところに目を覚まし、しっかりその場面を見てしまったのだから。
 妖精の口から、特大の悲鳴が飛び出る。
「何なのよ、それぇ!!」

「いいこと、ランティスはあたしのなんだからね、ヘンなちょっかい出さないでよね」
 出発の準備をしている光の周りでプリメーラは何度も同じ事を繰り返して言っている。
 光はなぜプリメーラが怒っているのかわからず、わからないなりにも頷き返す。
「本当に本当なんだからね!」
「準備はできたか」
 洞窟の奥からゆっくりとした声が伝わり、長身の黒い影が出てくる。
「うん、できた。行こう、外へ」
 ランティスの問いに、光は頷き洞窟の外へ出る。
 光そのもののような少女。
 少女はいまだに希望を捨ててはいない。
 この世界に必ず、柱となる者がいると信じている。信じて、捜し出そうとしている。ランティスの目的も知らずに。
 それでも、光は歩き続ける。明日を信じて。希望を信じて。

 再び、光とランティスの危険な旅が始まった。


END