One Day


 朝六時。目覚ましの助けを借りる事なくぼたんはぱちりと目を覚ました。そのままじっとすること十数秒。
「よいしょっ」
 隣で寝ている人物を起こさないように気をつけながら、そっと布団から抜け出す。
「ほんと、まだ信じられないなぁ」
 この人物にしては信じられないほと無防備で平和な寝顔を眺めながら、ぼたんは呟いた。
 ほとんど、どさくさにまぎれてとしかいいようのない結婚(同棲)だったが、それなりに幸せだったりする。
 いつから好きになっていたのかなんて知らない。気がつけばこんなに好きになっていた。こんな生活が送れるとは思っていなかっただけに、大切にしたいと思う。
「おはよ、飛影」
 いまだ、眠りを貪っている飛影にそっとキスをする。
 どうせ普段の彼からは貰うこともないので、この時間はぼたんの密かな楽しみとなっている。
 朝ご飯を作りにぼたんが寝室を出た後。
「あの、バカが・・・」
 ゴロリ、とうつ伏せになった飛影は首まで真っ赤になっていた。毎朝のぼたんの恒例行事を実は気がついていたのだが、気恥ずかしくて毎度寝たふりをしているのである。
 なんだかんだいいながら、シャイな飛影であった。

「今日も幽助のところかい?」
「そうだ。おまえはどうする?」
「んー。一旦、コエンマ様のところへ行くよ」
 結婚した一ヶ月ほどはぼたんも専業主婦をしていたのだが、なにせよく言えば個性的、悪く言えば我が侭な連中の助手を努められる人物がいなかったのだ。
 幽助達の助手につくもの、入れ替わり立ち代わり十余人。(たった一ヶ月の間だというのに、である)
 結局、彼等と堂々と渡り合い、手綱も取れていたぼたんにSOSがはいったのだった。
「新しい情報があれば、そっちへ行くから」
「わかった」
 飛影が幽助のところへ出掛けた後、しばらく家の後片付けをしてからぼたんも出勤する。
 ここのところ、やっかいな妖怪を相手にしている為、少しでも情報が欲しい。ぼたんの霊界通いはこのためだった。

「よう、ぼたん。どうだ、新婚生活は」
 部屋に現れた途端、かけられた声にぼたんは無言で声の主(幽助)の頭をはたいた。
「ってー。なにも殴ること、ないだろうが」
「やかましい!」
 怒鳴るぼたんの顔は真っ赤で迫力のかけらもなく、ますます幽助にからかわれるはめになる。
「照れるなって。人間界だって夫婦で同じ職場に勤めている奴ってそう、いないぜ。いい環境じゃないか」
「夫婦仲がよくないと、できないことですよ」
「蔵馬〜〜〜っ」
 ニッコリと、笑顔魔神の異名をとる蔵馬のとどめをもらい、もはや泣くしかない。さらに調子に乗った幽助が嬉々としてぼたんをからかいだす。
「それで、夜の飛影は優しいのか?」
 面白がる幽助の目は、しっかりカマボコ型になっている。が、ここまでだった。
「そこまでにしろ。こいつはキレるとなにをするか、わからん」
 剣を肩に担ぎ、連中の後ろに仁王立ちする飛影はなかなか迫力があった。もちろん、そんな飛影を後ろにしょってまでぼたんをからかう度胸は誰も、持ってはいない。
「それで、霊界からなにか、新しい情報は入ったのか」
 静かになった周囲にはおかまいなく、飛影は情報公開をぼたんにせまる。落ち着きを取り戻したぼたんは飛影の要望に応え、ガサゴソと紙の束を取り出してきた。
「例の妖怪が潜伏していそうな場所の範囲を絞り込むことができたってさ。だいたい・・・この辺り。んで、襲われた人達の共通点ってのが・・・」
 一旦、言葉を切ったぼたんは言いにくそうに上目遣いで全員を見渡し、告げる。
「若くて、霊力のある女性で、・・・恋人のいる幸せいっぱいの人物だって」
「・・・は?」
「つまり、ぼたんに囮になってもらおうというんじゃ」
 いきなり出現したコエンマに全員、思わずつんのめった。
「コエンマ、脅かすんじゃねぇ!」
 振り向いて怒鳴る幽助の隣で蔵馬が眉間に皺を寄せる。
「ぼたんを囮に、ですか?」
「ぼたんなら若いし、霊力はあるし、何より今、幸せいっぱいの新婚じゃろうが」
 それはそうなのだが、しかし、コエンマがそれを言うと妙に違和感があるように聞こえるのは何故だろう。
「しかし、ですね・・・ぼたんにそんな危ない真似をさせるわけには・・・」
 蔵馬のフェミニスト的な意見をしかし、コエンマはけろりと聞き流した。
「なあに、そこにおる奴が何が何でもぼたんを守るよ。そうでなければ、ワシもこんな策を立てはせんわ」
「まぁ、たしかにそうでしょうが・・・」
「けど、これしかないよな、やっぱり」
 まだこだわりのあるらしい蔵馬だが、幽助はあっさりとうなずく。
「おい」
「確かに、これ以上犠牲者を出すわけにはいかねーし」
「おいっ!」
「ぼたんは旦那にまかせておけば大丈夫だし」
「おい、こら、本人を無視して話を進めるな!」
 幽助達はどんどんと話を進め、飛影の抗議など馬耳東風、右から左へと通り抜け・・・
「よし、ぼたんのことはまかせたぞ」
「・・・」
 結局、ぼたんにしっかり惚れていることを皆に利用されまくった飛影だった。

「とりあえず、この辺りをてきとーに歩いてみてくれよ」
「人を囮に仕立てる割に、随分ずさんじゃないかい?」
「まっ、気にしない、気にしない」
 ぶすくれているぼたんと飛影を残して、全員他の場所へ身を隠す。
「飛影?」
 まだその場に残っている飛影にぼたんは首を傾げて問いかける。
 ぼたんの無言の問いに、飛影はフンッと鼻を鳴らした。
「ここにいるほうが守りやすい」
「そりゃ、そうだけどさ・・・囮になんなきゃ意味、ないよ?」
「俺の妖気を消せばいいだろう。あとは・・・」
 いきなり飛影はぼたんの腕を引き、驚くぼたんを尻目に唇を盗む。
 遠くで誰かがコケたような音がした。
「ひっ、ひえいっ」
 声が裏返り、首まで赤くなったぼたんに、ニヤリと意地の悪い笑みをみせる。
「そんなぶすくれた顔ではバカな魚が食いつくもんも、食いつかんぞ。コエンマの話では幸せいっぱいの奴と聞いたがな」
「幸せ、ねぇ」
 ちらり、と隣にいる飛影を眺める。
 そういえば、こんな風に二人で歩くことなどなかったような気がする。そのことを考えると・・・
「うん、幸せだわ」
 にっこり笑うぼたんに飛影は内心、呆れる。
−−−本当に単純な奴。

「ところで、共通点の意味はあるのか」
「意味?」
「若いのも分かる。霊力の高い者という事も、女であるというのも。魂を食うのにそれらは上等の部類に位置するし、力をつけることもできる。味もいいらしいしな。だが、最後の・・・」
「幸せってとこ?」
「そうだ。それが、わからん」
「あたしも、よくはわかんないけど」
 飛影と並んで歩きながら、肩をすくめてみせる。
 しかし・・・二人で歩いていても、この会話では色気がなさすぎるのではないだろうか。
「コエンマ様がおっしゃるには、生きる執着心が力になるんだって」
「生きる執着・・・か」
「幸せいっぱいの人はそれだけ、執着が強いってとこでしょ」
「よくはわからんが・・・そんなものか」
「そんなもんね」
 そうして、飛影と連れ立って歩くこと約二十分。飛影曰く、バカな魚が見事に餌に食いついた。
「今までの中で一番の餌だな。お前を食えば、今まで以上に力がつくことは間違いない」
 飛影の存在を見事に無視して、自己完結している。
「生憎だな。これはすでに俺のものだ」
 剣を抜き去り、特徴のある三白眼で相手を見据えながら飛影はぼたんを背後に庇った。
「よーやく、尻尾をつかまえたぜ」
「手間をかけさせてくれましたね」
「ここで年貢を納めてもらおうじゃないか」
 何時の間にか、ぼたんの後ろに幽助達三人がそろって立っている。
「ぼたん、さがっていろ」
 目の前の相手から目を離さないでいる飛影の指示通り、ぼたんは素直に安全圏まで避難した。
「ま、まて・・・」
 餌(ぼたん)が逃げるのをみて焦ったのか、それともぼたんしか見ていなかったのか、幽助達を無視して追いかけようとしたが・・・
「させん」
 飛影の言葉と同時に全員、それぞれの得物を持って飛びかかっていった。

「おー、ハデにやっとるな」
「コエンマ様」
「やっぱり、おまえに食いついたか」
「はぁ。そのようです」
「そうか。しかし・・・飛影の奴、みょーに荒れとるようじゃな?」
「ええ、まあ。やっぱり、コエンマ様にもそう、見えますか?」
「微妙なもんじゃ。なるほど、おまえに目をつけた腹いせか」
「あ、あのう・・・」
「幸せだな、ぼたん」
 きっぱりとコエンマに言い切られ、ぼたんは脱力する。幸せなのを否定する気はないのだが、どうも遊ばれているような気がする。
 と、脱力していたその時。
「ぼたん!危ねぇ!」
 幽助の声に、はっと顔を上げた時にはすでに遅く、目の前に彼等が相手をしていた妖怪のちぎれとんだかけらが飛んで来ていた。
 かけらといっても並の大きさではなく、大人の胴体ほどの大きさである。
 どうやら最後の止めに幽助が放った霊ガンが見事に命中した後、破裂した妖怪の塊がものすごいスピードでぼたんの方へ飛んで行ったようである。
 そのかけらをとっさに、顔の前で両腕を上げてカバーをしたのは上出来と言えるだろう。
「きゃああああっ!」
 だが、さすがに勢いまで止める事はできず、ぼたんは軽々と後方へ吹っ飛ばされ、樹に激突した。
「ぼたん!」
 倒れたぼたんは気を失ったのか、ぴくりともしない。
「おい、しっかりしろ!」
 やはりというか、さすがというか、真っ先に駆けつけ、飛影はぼたんを抱える。
「蔵馬、どうなんだ」
 幽助達のお抱え医者と成り果てている蔵馬に声がかかり、飛影が抱えているぼたんに蔵馬は屈み込んだ。
「・・・大丈夫、だと思うけど・・・」
「だと、思うけどって、何かあるのか」
「ぼたんならもう、気づいても・・・つまり、俺達が起こさなくても、起きてくるはずなんだ」
「おい、それってけっこーヤバいんじゃ、ないのか」
「とりあえず、家に運ぼう」
 蔵馬の言葉に皆はうなずき、飛影がしっかりと抱えたまま、飛影とぼたんの家へ急いだ。

 カチャリ、と寝室の扉が開き、雪菜が顔を覗かせる。
「ぼたんさん、気がつきましたけど・・・」
「大丈夫なのか、あいつは」
「あ、はい、もうすっかり。ただ、これからぼたんさんに無茶な事をさせないで下さいね。普通の体じゃないんですから」
「え?」
「ぼたんさんから、聞きますか?」
 ニコニコと笑う雪菜に促され、そろってぞろぞろと寝室へ入って行った。
 そうして、ベッドに身を起こしたぼたんが照れ臭そうに言ったことは・・・
「妊娠、しただぁ〜〜!?」
「あはははは、どうもそうらしいんだよ。さっき、雪菜ちゃんにさんざん怒られちまってね。確かに最近、変な体調だとは思っていたんだけどさ」
「聞くのが少し、怖い気がするんですが、いったい、何ヶ月なんですか」
「実は、さ」
「三ヶ月ぅ〜〜!?」
 蔵馬の質問と、その後の答えに、白々とした空気が部屋の中を流れたのは決して気のせいではないだろう。
「飛影、おまえらたしか、一ヶ月だよな、同棲してから。それで三ヶ月って、覚え、あるのかよ」
「ある」
 きっぱり、言い切る飛影にまたもや、部屋が静まり返る。
「飛影・・・おまえ、手が早かったんだな・・・」
 脱力してしまった幽助のつぶやきは、他の仲間達の気持ちを代弁していた。

 そうして、騒がしかった一日が終わり、ぼたんはのんびりとリビングでお茶を飲んでいた。飛影は隣で幽助達が持ち込んでくる雑誌を眺めている。
 極自然にお互いが側にいる、そんな今のような時間がぼたんは好きだった。
−−−子供、かぁ。
 そっと、自分の腹部に手を当ててみる。妊娠していると分かった今でもまだ、実感がわかない。
「どうした」
 何時の間にか、飛影がぼたんの顔を覗き込んでいた。
「ううん。どんな名前にしようかなって」
「大分先の事を、今から悩んでどうする」
「そうかなぁ」
 呆れた顔になる飛影を見ながら、ぼたんはやっぱり幸せだと思う。
「子供が産まれたら、賑やかになるだろうねぇ」
 きっと、子供が出来ても自分達は変わらないだろう。お互いがそこにいることが自然であること。ずっと、そんな風に生活していくのだろう。
 微笑むぼたんの顔は、幸せに輝いていた。


END