シークレット・ガーデン


 薔薇の垣根の中で紡ぐ秘密。
 決して告げられない想いを薔薇達には告げよう。
 遥かなる昔から抱えてきたこの想いを。
 魂が求めたこの想いを。
 紡ぐことの出来ないこの想いを。
 どうか受け止めて・・・

「ふぅ、何とか、無事に終わったわね」
 机の上に所狭しと置かれていた参考書を片付けつつ、一人の少女がほっとしたように呟いた。陽光を弾く純金の髪と澄みきった湖面を思わせるアクアマリンの瞳が印象的な可憐で清楚な美少女である。
 学園から与えられた女子寮の自室で数日間に渡る猛勉強の後片付けをしている彼女の名は<エイレーネ>。親しい者からは<レーネ>と呼ばれていた。
「・・・・・卒業まであと二ヶ月・・・・・」
 ふっ、と少女の瞳が曇る。
 5日間に渡って行なわれた中間試験も今日で終わりだ。10日ほど後には春期連続休暇が待っており、その後には学園祭、そして期末テストを経て卒業式である。
 入学した時は長く思えた学園生活だったが、過ごしてみれば時間などあっというまに過ぎていった。それはおそらく、個性的な友人達と更に個性的なシュトラールの人物達が影響を及ぼしているからだろうと思う。彼ら・彼女らに関わった日々の騒動はなんと賑やかで、そして輝いていたことか。
 机の上をさ迷っていた少女の華奢な指が1冊の本に触れた。
 それは、ある人から勧められた物語。
「ナオジ様・・・」
 切ない想いに襲われ、少女は本を胸に抱きしめる。
 不思議な雰囲気を持つ異国のシュトラール。
 初めて出会った時、何故か驚いたように自分を見詰め、逢ったことがあるような気がすると呟いた彼。自分はただ、彼の美しい漆黒の瞳に見惚れてしまっていたけれど。
 逢う度に、言葉を交わす度にどんどんと彼に惹かれていき・・・もう、今では思い切る事も出来ないほどこの心は彼で占められてしまっている。
「それでも、私は、この想いに鍵をかけなければ・・・」
 一粒の涙が頬を零れ落ち、机の上で弾けた。唇を強く噛み、嗚咽をこらえた少女は些か乱暴な仕草で目元の涙を拭う。
 視界の滲む瞳で窓の外を見れば夕方にはほど遠い時間であり、天気も上々のようである。
「薔薇園へ行こうかしら」
 薔薇の香りにはリラックス効果がある。不安定になっている精神を少しは安定させることができるかもしれない。
 決断は一瞬。そうと決めた少女の行動は早く、制服から私服へと着替えると本を手にして薔薇園へと向かったのだった。

 色も種類も様々な薔薇が咲き誇る薔薇園はまるで別世界のようである。
 ベンチに座った少女は瞳を閉じ、深呼吸をしてその芳醇な香りを楽しんだ。
 張り詰めていた心が解け、自然と笑顔が浮かぶのが分かる。ここなら、疲れた心と体を休めるのにちょうどいいだろう。
 少女が座っているベンチは上手い具合に薔薇の垣根で隠されている。つまりは人の目につかない死角になっており、人から邪魔をされずゆっくりと過ごすにはちょうどいい場所だった。
 夕方までここで過ごす事に決めた少女は手にしていた本を広げる。すぐに少女はその世界へと意識を沈ませ、没頭していった。
 陽光が少女の髪を照らし、煌くような輝きを放つ。澄んだ瞳は半ば伏せられ、長い睫毛が滑らかな頬に影を落としていた。白い陶磁器のような肌は焼けることを知らないような瑞々しさを保ち、ほっそりとした華奢な肢体は保護欲を刺激する。
 知らぬ者が見れば妖精が写し身を取ったのかと思われるような可憐な姿はしかし、本人にはあまり意識されていなかった。身近に種類も様々な超絶美形を誇る人々が揃っているがために、自分の容姿はそれほどではないと思い込んでいるのである。実際は人の目を惹き付ける魅力溢れる少女なのだが。
 ぽかぽかとした暖かな日差しはゆっくりと睡魔を招き寄せる。自分では本に集中していたつもりだったが試験勉強の疲れが次第に浮上し、ゆるやかに瞼が下りていった。パタリ、と軽い音と共に本をめくっていた手がベンチに落ちる。それにつられたかのように小さな頭がコトリ、と傾いた。澄んだアクアマリンの瞳は瞼の奥に隠され、珊瑚色をした小さな唇から穏やかな寝息が零れる。
 そんな、無垢で無邪気な少女の姿を偶然見かけたのは一人の青年だった。
 漆黒の髪と瞳が美しい、凛とした雰囲気を持つ青年は<ナオジ・イシヅキ>。少女が通う学園のシュトラールであり、少女の想い人であった。
「レーネ殿?」
 耳に心地良い滑らかなテノールの声が少女の愛称を呼ぶ。だが、眠りの翼に護られた少女の耳には届かず、意識を呼び起こすまでには至らなかった。
「こんなところでうたた寝をすると、風邪を引きますよ」
 微笑ましい思いで少女に近付き、耳元で囁くがよほど深い眠りに陥っているのか、穏やかな寝息は変わらない。
 くすり、と微笑み少女の隣に腰掛けるとそっと手を伸ばして頬にかかっていた純金の髪を払ってやった。サラリとした手触りのいい髪に触れていた青年のその手がふと、止まる。僅かに眉を寄せ、少女の頬に指を這わせた。
「涙の、跡・・・?」
 微かに残る泣いたらしい気配に青年は唇を噛む。
「何故・・・」
 少女の笑顔が好きだった。清楚な笑顔は月光のような慎ましさで、けれどもほっとするような安心感をもたらしてくれる。
 少女の声が好きだった。水晶の煌きを連想させるような、透き通った声で名前を呼ばれることがどれほど嬉しかったことか。
 初めて出会った時から惹かれていた少女。いや、出会う前から愛していた少女なのだ。
 不思議な夢に導かれ、彼女とは出会うべくして出会ったのだと信じている。そう、前世から紡がれた想いを今度こそ撚り合わす為に。
 前世の想いがあったために、少女を愛するのか?と聞かれれば『是』と答えるかもしれない。けれども、その後すぐに『否』とも答えるだろう。
 前世はただの切っ掛けだ。その記憶があった為に彼女を見詰めるようになり、彼女自身の魅力に取り付かれたのだから。
 だから、青年は自信を持って言える。
 自分は、<ナオジ・イシヅキ>は<レーネ>こと<エイレーネ>を愛している、と。
「レーネ殿。あなたには笑顔でいて欲しいのです。それでも、泣いてしまうと言うのならば・・・どうか、一人では泣かずに自分の元へ来て欲しい。それは、自分の我が侭でしょうか?」
 涙の跡を拭う青年の繊細な指が珊瑚色をした唇に触れる。穏やかな寝息が指にかかり、思わずぞくっとした感触が背筋を走り抜けた。一瞬の衝動を耐え、再び少女の頬に触れた時、微かに少女の唇が動いて風に溶けるような囁きを零した。
「・・・ナオ・・・ジ、様・・・好き、で・・・す・・・」
「・・・レーネ殿・・・」
 少女の囁きを聞いた瞬間、青年の理性が崩れ去った。
 無意識に体が動き、珊瑚の唇に自分のそれを重ねる。
 初めて触れた少女の唇は儚いほど柔らかく、そして甘かった。その感触に夢中になって何度も何度も唇を重ねる。
「愛しています、レーネ殿」
 唇を重ねる合間に青年は囁く。眠りの淵を漂う少女を洗脳するかのように、ただ自分だけを見詰めるように願いを込め、言葉を紡ぐ。
「あなたを愛しています。ずっと、ずっと、あなただけを見詰めていました」
「う・・・ん・・・」
 少女が僅かに身動きしたのに気づき、青年は小さなその顔を覗き込んだ。長い睫毛が震え、澄んだアクアマリンの瞳がゆっくりと現れる。焦点の合わない視線が青年の瞳を捕え、ゆっくりと瞬きをした。
「ナオジ、様・・・?」
「おはようございます、レーネ殿」
 そっと微笑む綺麗な顔が超至近距離にあることに気づいた少女の頬がさぁっと薔薇色に染まる。慌てて飛び離れようとして、しかし青年の力強い腕に阻まれた。
「あ、あ、あ、あの、あの、ナ、ナオ、ジ、様?」
「はい」
「そ、その、は、離して、いただけませんか・・・?」
 おずおずと申し出る可憐な少女に愛しさが募る。くすり、と微笑んだ笑顔が艶やかで思わず見惚れてしまった少女に青年は優しく、けれどもきっぱりと拒否をした。
「嫌です」
「・・・・・は?」
 優しい声で、けれども自分の我を通そうとする青年に少女は困惑する。普段は決して、こんなことなどしない・・・つまり、彼らしくない行動にただ、戸惑うしかできない。
「こうして愛しい貴女を抱きしめることができて・・・手放せるわけがありません」
 ダイレクトとも言える青年の言葉に少女の瞳が大きく見開かれた。自分が都合のいい夢を見ているのではないかとさえ思う。
「先ほど、貴女はどんな夢を見ていたのですか?」
「ゆ、夢、ですか?」
「眠っていた貴女は涙を流していて・・・そして、呟いたのです」
 ひどく幸せそうな表情で青年は少女に囁く。
「私を好きだと・・・貴女は呟きました」
「う、嘘、そんな・・・」
 再び真っ赤に染まった頬に手を滑らせ、青年は甘く響く声で自分の想いを告げた。
「それを聞いた私がどれほど歓喜したか、分かりますか?ずっと、貴女を見詰めていて、ずっと貴女を愛していた私がどれほどの喜びに包まれたか」
 惚けたように自分を見詰め続ける少女を更に虜にしようと、青年は限りなく甘い微笑みを浮かべる。
「もう、貴女に選択権はありません。たとえこの先、貴女が私の元を去りたいと願っても・・・私は、貴女を決して離しません」
「・・・離れません」
 澄んだアクアマリンの瞳を潤ませながら、少女ははっきりと言いきった。
「ずっと、ナオジ様が好きでした。でも、貴方は遠い日本の国を導く立場の方。私の存在はただ、邪魔になるだけ。そう、思っていました。けれど・・・けれども、オナジ様がこんな私でもいいとおっしゃってくださるのなら、私はずっと、貴方の側にいます」
 水晶の雫がアクアマリンの瞳から零れ、太陽の光を反射して煌く。その光に惹かれるように唇を寄せ、青年は零れた雫を舐めとった。零れる雫を辿り、目元に口付けると少女の瞳が閉じられる。僅かに開いた珊瑚の唇に青年が触れ、力強い腕が少女の華奢な肢体を抱きすくめた。
「遥かなる過去からずっと貴女だけを求め、そして貴女に出会って更に愛しさが増え、やっと・・・貴女を手に入れることが出来ました。もう、決して離しはしません」
「ナオジ様・・・ずっと、側にいます。貴方が好きです」
「レーネ殿・・・」
「愛して、います」

 薔薇の垣根に囲まれた秘密の場所で、魂が求め続けた恋人達がお互いを抱き締め合う。
 再び、離れはしないと。
 もう、胸が引き裂かれるような別れはしたくないと。
 誓い、重なり合う影は切ないほどに真摯で・・・・・そして純粋だった。

 魂は巡る。
 愛しい人を求めて、再び出会うその時を求めて。
 そして、成就する為に。
 ・・・・・求め、巡る。


END