星夜
タンクトップの上にハイネックのセーター。その上からゆったりとしたセーターを重ね着する。厚手の靴下に裏起毛のついたスウェットパンツ。手袋をつけて、用心の為に大き目のショールを持てば防寒は準備万端。 わくわくとした気分を抱えて、私はベランダへと続くガラス戸を開いた。 明後日の夜に流星群が流れるという話を、天体好きのお兄ちゃんから聞いた私は思わず朝御飯を食べていた箸を止めて、真向かいに座っている顔を凝視してしまった。 「それ、ホント?」 「ホント」 ズズッとお味噌汁を飲みながら、お兄ちゃんは頷いた。そして、お母さんが側にいないことを確認すると、お兄ちゃんはこそこそと小声で私に聞いてくる。 「俺はその晩、それを観測するつもりだけど、香夜、お前はどうする?」 「もちろん、見るに決まっているじゃない」 次の日に学校がある平日に夜更かしをするという相談は当然、褒められたものじゃないから私もお兄ちゃんにならってこそこそと答える。 「そう言うと思った。じゃ、見つからないように、ベランダに出て来いよ。ちゃんと防寒もするんだぞ」 「了解」 お兄ちゃんと観測の約束をしたところで、お母さんからの『学校に遅刻するわよ』という忠告に、私もお兄ちゃんも慌てて朝御飯の残りを食べ出した。 明後日かぁ・・・楽しみだなぁ。 「香夜?あんた、どうしたのよ」 「どうしたって?」 「異常なほど、機嫌がいいじゃない。一体、何があったわけ?」 学校の休憩時間、親友の星乃と舞夢が私を取り囲んで問いただしてきた。 「私・・・そんなに機嫌が良かった?」 「自覚がないの?」 「はっきり言って、不気味なぐらい機嫌が良かったわよ」 はっきりきっぱり言いきってくれるなぁ。・・・自覚がなかったとは言わないけれど。 「今日は特別、何もなかったわよね?」 「小テストも返してもらっていないし」 二人の問い掛ける視線にいけない、とは思っていてもつい、頬が緩んでしまった。もちろん、それを見逃すような二人ではない。 「かーよ?」 「その笑顔は何かしら?」 しまった、と思っても後の祭りで。 「ほ、星乃?舞夢?なんだか、その、お二人さんの笑顔が恐いなーって、思うのだけどぉ」 「そう?気のせいじゃない?」 「香夜が上機嫌の理由を白状したら恐くなくなると思うわよ?」 だから、笑顔のままで迫ってこないでってばっ!! 「さぁ、とっとと白状しなさいっ」 「分かった、分かったから、離してぇっ」 二人に押さえこまれ、くすぐられるという攻撃をされた私はあっさりと白旗をあげた。さすがに親友だけあって、私の弱点をしっかりと把握している。 「で、どうしたのかしら、その上機嫌は」 「えーっと、実はね、明後日の夜、流星群が流れるんだ」 「なるほど。確かに、天体好きの香夜なら喜ぶニュースだわ」 「でね、お兄ちゃんと一緒にその流星群を観測するの」 明後日のことを思い浮かべ、たぶん、満面の笑顔を浮かべただろう私を見て、何故か二人は顔を見合わせてため息をついた。 あのぉ、そのため息と、妙な沈黙は一体、何なの? 「香夜って・・・つくづく、ブラ・コンなんだね・・・」 「そんなの、今更じゃない」 二人に即答したら今度は机に突っ伏した。 だってねぇ、私の天体好きもお兄ちゃんの影響だし、流星群の観測ももちろん嬉しいけど、お兄ちゃんと一緒だから尚、嬉しいし。 「この調子だと、初恋もお兄さんだなんて言いそうね」 「そうだけど」 「はぁ!?」 言ったこと、なかったのかな、この驚きようでは。 私の初恋は物心ついたころから側に居たお兄ちゃんで、小さい頃はお兄ちゃんのお嫁さんになるんだと言っていて。その延長で今もしっかりブラ・コンなんだってこと。 「それでよく、お兄さんに彼女が出来た時、荒れなかったわね」 「だって、お兄ちゃんが選んだ人だよ?それに瑠璃さんってすっごく素敵な人だし、さすが、お兄ちゃんが好きになった人だって思ったもの」 「ここまで、香夜が重度のブラ・コンだとは思わなかった」 「この子、まともな恋愛が出来るのかしら?」 「それ、私もすっごく疑問に思う」 「本人を目の前にして言う言葉ですか、それ。いくらブラ・コンでも好きな人ぐらい、出来るよ」 「絶対、無理」 「ステレオで即答しないでっ」 断言までしてくれた二人に猛然と抗議した私だったけど、やっぱり、二人の意見は変えられなかった。 私にちゃんと好きな人が出来るまで、この意見を覆すことは無理らしい。 そんなに私のブラ・コンって重症なのかなぁ? 秋の夜はさすがに冷える。だけど、澄んだ空気は星をとても綺麗に見せて、見上げるだけでわくわくとしてくる。 「香夜、こっちだ」 「うんっ」 お兄ちゃんの手招きに私はすでにセットしていた望遠鏡の側へと寄った。 「まだ、時間はあるな」 「ね、大体、あの辺りなんでしょう?」 望遠鏡を覗き込んで他の星を眺めながら質問した私の頭をお兄ちゃんはポンポンと軽く叩く。子供扱いのような仕草だけど、お兄ちゃんの大きな手でされると怒る気もないし、逆に嬉しい。こういう思考が私を子供扱いさせている一因なんだろうけど、でも、嬉しいものは嬉しい。 「そうだ。ちゃんと調べていたな、感心、感心」 「だって、お兄ちゃんが言ったじゃない。天体観測をするつもりなら、少しぐらいは下調べをしておけって」 たぶん、私達兄妹は他と比べて格段に仲が良いのだろう。喧嘩をしたって、仲直りをするスピードはすごく早い。私が覚えている一番長い喧嘩だって、一昼夜しか続かなかった。 「うーん、これはやっぱり困った事態なのかなぁ?」 「どうした?望遠鏡の具合でも悪いのか?」 内心の想いがつい、言葉として出てしまったらしい。お兄ちゃんの呼びかけでそれに気づいた。 「あっ、違う、違う。ちょっと、この間、星乃と舞夢と話していたことを思い出してね」 「あの二人とか。女同士の話ってやつか?」 お兄ちゃんの何気ない言葉に、私はちょっと首を傾げた。話題は・・・何時の間にか私の初恋とブラ・コンのことになっていたから、女同士の話というのとは違う気がする。 「うーん、ちょっと違う気がするけど・・・そうだ、お兄ちゃんの初恋って、誰だったの?」 「はあ?お前達、そんなことを話していたのか?」 「うん。ね、誰だったの、初恋」 一度質問すると、そのことばかりが気になってきた。考えてみれば、いくら仲が良いと言っても男であるお兄ちゃんとはこんな話なんてしたことがない。 思わずお兄ちゃんの腕を引っ張り、ねだってしまう。 「ねぇってば、教えてよ」 「お前、なぁ・・・」 また、お兄ちゃんの大きな手がポンポンと私の頭を叩く。そんなに困る質問なのかな? 「お兄ちゃん?」 「・・・お前だよ」 「へ?」 目を丸くしてお兄ちゃんを見上げれば、困ったような笑顔を浮かべている。 「お前、小さい頃は俺の後ばっかり追いかけて来ていたんだぞ。それも、満面の笑顔で『お兄ちゃんが大好き』だとか言ってさ。あれだけ好かれれば、俺もお前が可愛いし」 「そうだったんだ」 そうか、私達ってば、両想いだったんだ。なんだか、ものすごく嬉しくなって私はお兄ちゃんの腕にしがみつく。 「おいおい、どうしたんだ」 私がしがみついてもお兄ちゃんは笑ったまま、あやすように私の頭を撫でてくれる。知っているのかな、私がお兄ちゃんに頭を撫でられたり軽く叩かれたりするのが好きなんだってこと。 「あのね、お兄ちゃん。私の初恋もお兄ちゃんだったんだよ」 「そうか」 「私ね、きっとお兄ちゃんよりも素敵な彼氏を見つけるからね」 私の宣言にお兄ちゃんは笑って頷く。 「ま、頑張れよ。俺も瑠璃を見つけたからな、お前もいい奴を見つけるさ」 「・・・お兄ちゃん、さりげなく惚気ているね」 お兄ちゃんが瑠璃さんにベタ惚れしているのは知っているけど、妹にまで惚気るかな、普通。 「なかなかいないぞ、俺の初恋がお前だと知っても笑っている女なんて」 「・・・瑠璃さんってば、豪気」 でも、いいな。お互いに昔の恋を笑って話せる間柄なんて。私もそんな人を見つけたい。 「香夜、流れたぞ」 お兄ちゃんが流星群の始まりに気づいて望遠鏡を覗き込んだ。 空を見上げればキラキラと銀色の光の筋を残しながらいくつもの星が流れていっている。 この星空のように、人もたくさんいて、でも邂逅するのはほんの一握り。 その中でたった一人の人を見つけるのは難しいかもしれないけど、でも、もし、そんな人を見つけたら。私はその人に胸を張って言うだろう。 私の初恋はお兄ちゃんだったけど、でも、ずっと一緒にいたいという恋をしたのはあなただったと。 そんな人をきっと、私は見つける。 END |