月の魔法


月の光を飲み干そう
銀の光を飲み干そう

蒼き静かな満月の夜
願いを込めて飲み干そう

月の光  銀の光
輝き映す清らかな清水

願いを捧げ飲み干そう

あなたの願いは・・・何?


「月の・・・魔法?」
 アクアマリンの瞳を瞬かせ、純金の髪の少女は軽く首を傾げた。首を傾げた拍子に、陽光を弾く髪がサラサラと肩から零れ落ちる。
「うん、そーなのぉ。レーネちゃん、知ってるぅ?」
 ふわふわとしたピンクの髪の少女がホットココアを飲みながら口にした話題に、純金の髪の少女は記憶を探る顔つきになった。
「・・・いいえ。初耳だわ、月の魔法というのは。マリーンは知っているの?」
「もっちろん、知っているよぉ」
 胸を張って言いきる友人にそういえばそうだ、と純金の少女は苦笑する。占いだの魔術だの、そういった類いのものが大好きな彼女が知らないはずはないと。
「どんな魔法?」
「うふふふふふ。知りたい?」
 教えたくてうずうずしていながらも、もったいぶっている友人の『らしい』姿に少女の苦笑は更に深くなった。それでもご機嫌を損ねないよう、彼女の望む答えを口にする。
「マリーンがよければ是非、教えてくれる?」
「レーネちゃんもやっぱり、こういうのに興味があるんだ」
「うーん・・・興味、というほどでもないけれど・・・好奇心はあるかしら?で、どんなものなの?」
 思ったほど乗ってくれないことが少々不満で口をとがらせた彼女だったが、少女の重ねての問いに機嫌を直し、あっさりと自分が振った話題の答えを目の前の友人に教えた。
「あのね、とっても綺麗な満月の夜にね、綺麗な水のあるところへ行くの。水には月が映っているでしょう?その映っている月を掬って自分の願いと共に飲み干すと願いが叶うっていうものなの」
「清水に映っている月を飲み干すの?なんだか、ロマンティックね」
「そうでしょお〜?いつか、実行してみようかな〜?」
 実行するのなら寮を抜け出さないといけないわよ、という指摘にそうよねぇ、それが難しいかもねぇと頷いた友人はあっさりと別の話題へと話を変えたのだった。

 以前交わした、何気ないその会話を思い出したのはこの綺麗な満月を見たからだろう。
「本当に、綺麗な月・・・」
 窓辺に肘をつき、両手に顎を預ける格好で銀色に輝く円盤を眺めていた少女はほぅっ・・・と密やかなため息をついた。
 浩々と輝く夜の主人は辺りを涼やかな銀と蒼に染めている。それらは冷たい色でありながらしかし、闇夜に沈めない暖かさが微かに感じられる。
「『月の魔法』・・・か」
 魔法とはいっても、話を聞く限りそれはおまじないの類いに分類されるだろう。だが、こんなに綺麗な満月を見ると試してみたい、という気持ちがふつふつと湧き上がってくる。
「明日は・・・日曜日。約束もないし・・・ちょっとぐらい、寝坊しちゃっても大丈夫、よね?」
 考え考え、呟いてはいるが、すでに心は外へと向かっていて・・・・・
「んしょっと」
 数分後、こっそり女子寮を抜け出している純金の影があった。

「う・・・わぁ・・・」
 綺麗な清水のあるところと聞かされ、少女の脳裏に浮かんだのは森の中にある小さな湖だった。以前、森を散歩していた時に偶然見つけ、それ以来時々散歩に寄っている場所である。少しばかり奥まった場所にあるためか、人の気配はまったくなく、自然そのままの澄んだ水を湛えている湖は友人曰く『月の魔法』の条件に合っているように思われたのだ。どうやらそれは正解だったようで、木々が途切れた天から月光が降り注ぎ、湖を銀色に染めているその風景は想像以上に綺麗で幻想的で・・・少女はしばし、言葉を忘れて見惚れていた。
「こんなに綺麗な景色、初めてかも・・・」
 完全に魅せられた少女はふわふわとした足取りで湖の岸辺に近付き、そっと湖面を覗きこむ。
 綺麗に澄み、凪いでいる湖面には夜の主人の姿が銀色の輝きとともに映っていた。そっと両手を差し出し、清水に触れるか触れないかといったその時。
「レーネ殿」
「え?」
 湖へと差し出していた両手を掴まれ、驚きに瞳を瞬かせたその瞬間、少女の華奢な体は青年の広い胸にすっぽりと抱き締められていた。
「一体、何をされていたのです、レーネ殿?」
「ナオジ様・・・」
 甘く響くその声に自分を抱き締めた相手を知り、もう一度瞳を瞬かせた少女は抱き締められた体勢のまま、そっと相手を見上げる。
 銀色に輝く夜の主人を背に少女を見下ろしている青年は普段よりも清冽な印象であり、その涼やかな美貌を更に際立たせていた。
「驚きましたよ。こんな夜更けに貴女一人。しかも、足元も危ういような森の中へと足を進めるのですから」
「あの、ナオジ様、何時から私を・・・?」
 そう、青年の言葉はかなり前から少女の姿を見守っていたということに他ならない。少女の疑問に青年は柔らかく微笑むとそっと手に触れている純金の髪を撫でる。絹糸のような少女の髪を己の指で梳きながら青年は彼女を見かけた状況を語り出した。
「満月の光に誘われて外を眺めていました。そして、楽しげに森へと駆けて行く貴女を見かけたのです」
 これが昼間ならさほど心配はしないだろう。だが、時刻はすでに夜半を過ぎたところ。心配するなというのが無理な話である。
「大事はないようですが・・・一体、何をされるつもりだったのですか?」
 再度の質問に少女は僅かに頬を染め、しかし案外素直に自分の行動を青年に説明した。
「『月の魔法』を試してみたかったんです」
「『月の魔法』?」
 少女を懐深くに抱き締め、飽かず純金の髪を梳いていた青年は軽く首を傾げる。その単語から連想するのは少女の友人であるピンクの髪の同級生。
「マリーン殿、ですか?」
「はい。マリーンから聞いたんです。こんなに綺麗な満月の日に、清水に映った月を願いと共に飲み干せばその願いが叶うと」
 どちらかといえば、おまじないのようですけど、とくすくす笑う少女は多少、気分が高揚しているようだ。夜中に寮を抜け出すということ自体、一種の冒険であるというのに、更に森の中へ一人で入りこむとなればテンションが高くなっても無理はない。
「こんなに綺麗な夜にさっさと寝てしまうのももったいないですし」
 魔法と名付けたおまじないよりも少女にとってはそちらの方が重要な位置を占めていたのだろう。せっかくのおまじないを邪魔されたという不機嫌さは少女にはない。
「本当に、綺麗ですよね・・・」
 抱き締められたまま、天を見上げた少女はうっとりとしたため息をつき、誘われるように月光へと両手を伸ばした。
 己の両手に銀が纏い付くのを嬉しそうに眺め、銀に染まった湖をもまた、うっとりと眺める。
「レーネ殿は何を願うつもりだったのですか?」
「『月の魔法』で?」
「ええ」
 自分を見下ろす甘い漆黒の瞳に、少女はやはり甘い微笑みを浮かべた。
「ナオジ様と一緒にいられるように・・・」
「レーネ殿」
「ずっと・・・これからも、ずっと、ナオジ様と一緒に」
「ならば・・・貴女は『月の魔法』に頼る必要はありません」
 きっぱりと言いきった青年の唇が少女の額に落ち、頬に落ちる。
「自分が・・・ようやく得ることのできた至宝を手放すはずがありません」
 甘い口付けは少女の顔中に降り注ぎ、少女はくすぐったさからか、先ほどから可憐な笑い声を零していた。
「迷いも躊躇いも捨てた自分が、貴女を側から離すとでも思っていたのですか?それこそ、ありえない話です。この先、貴女が傷つこうと涙を流そうと、自分は決して貴女を離しはしません」
 宣言とともに少女の珊瑚の唇に甘い温もりが宿る。眩暈がするような甘さと激しさに少女の膝がかくり、と力を失った。
「貴女を、愛しています、エイレーネ」
「ナオジ様」
 深い囁きに少女は幸せそうに微笑むと、そっと青年に口付けを贈る。
「では、ナオジ様が私にとっての『月の魔法』ですね」
「レーネ殿?」
「私の『願い』を、叶えて下さる・・・『月の魔法』。私が一番愛している・・・ナオジ様が」
 ふわり、とした微笑みに誘われ、青年はもう一度少女に口付けた。軽く触れ、離れた青年は少女に囁く。
「貴女も、自分の『願い』を叶えてくれる『月の魔法』です」
「私が、ですか?」
「ええ。・・・・・ずっと、側にいて欲しいという、自分の『願い』を」
 青年の言葉に少女はくすり、と笑みを零した。
「私達はお互いにお互いの『願い』を叶えるのですね」
「『月の魔法』は必要ないでしょう?」
「ええ、そうですね」
 恋人達の密やかな笑い声は静かな森の空気の中に溶けていく。
 銀色に染まった月を揺らすことなく。天に輝く月を曇らすことなく。
 それは、ひどく、幸せな静寂だった。


END