金酒の見る夢

 カラン、と店の扉に付けられているベルが鳴り、客が入ってきたことを店の者に伝える。
「いらっしゃいませ」
 チラリ、と入ってきた客に視線をやり、マスターらしき人物が静かに出迎えの言葉をかけた。
 かけられた言葉に軽く頷き、さっと店内に視線を向けると同時にカウンターの端からヒラリと白い手が挙げられる。
 柔らかな笑みを口元に浮かべ、青年は白い手の持ち主の元へ足を進めた。
「お待たせしてすみません」
「いいえ。それほど待ってはいませんよ」
 律儀に頭を下げる青年に白い手の持ち主である女性は穏やかに微笑み、自分の隣を指し示す。無言の勧めにもう一度軽く頭を下げ、青年は女性の隣に腰を下ろした。
「いい店をご存知ですね」
「気に入られましたか」
「ええ。静かで落ち着いていて。お酒も美味しい」
 自分の手の中にあるワイングラスを揺らし、女性は一口、それを含む。香りと味を楽しむようにゆっくりと酒を味わう女性に青年の瞳が柔らかく細められた。
はワインが好みなのですか?」
「そうですね。様々なアルコールがあるけれど、ワインが一番私の体質に合っているみたいです。オスカーはどのようなものを好んでいますか?」
「そうですね・・・私もワインを飲むことが多いです」
「だからですね、ここを選んだのは。いいワインがありますもの」
「ええ。・・・随分とお誘いを受けられたのでは?」
 自分達に向けられる視線の多さにオスカーは苦笑を浮かべる。視線の中に嫉妬めいた感情を読み取ったが為に。
 それも無理はないとオスカーは思う。
 隣で静かにグラスを傾けるはここの店の雰囲気に静かに溶け込むような涼やかな美女なのだ。己に自信がある者ならばまず間違いなく誘いをかけるだろうが、約束がある彼女はあっさりと袖にしたようである。
「お断りいたしました。貴方を待っていますのに、他の方の誘いを受けるはずがありませんでしょう」
 予想通りの答えにオスカーの苦笑が深まった。それを嬉しいと思う自分も隣に座る美女に囚われていることを自覚している。
「・・・どこから、お話しましょうか」
 静かな問い掛けに我に返り、オスカーはへ視線を向ける。
 オスカーの視線を受け、澄んだ蒼の瞳が穏やかな光を浮かべた。
 そう、彼女は知っているのだ。
 まだ記憶に新しい、世界をも巻き込んだ大事件によってこの国を出て行った『彼ら』の事を。今現在の消息を。
 元気でいる事は昼間、手合わせの前に聞いた。
 では、今、自分は何を聞きたいのだろう。
 そう、思考を巡らせたオスカーは以前より抱いていた疑問を思い出した。この際、それを聞くのもいいだろうと口を開く。
「その前に、に聞きたい事があるのです」
 ただ静かにオスカーの言葉を待っていたは僅かに首を傾げることで彼の言葉を促した。
「何故、あの時−−−ヴェンツェルを倒しに時空塔へ入った時、あの二人の攻撃を一人で受け止めようとしたのですか?」
 ヴェンツェルを倒すためにパワーストーンを精製しなくてはならなかったのだが、その為には大量のグローシュが必要だった。それこそ、一国人数分のグローシアンからのグローシュ程に。
 だが、偶然にも彼女の義弟に人をグローシアンにする能力がある事が判明し、更に時空塔の機械を利用すれば世界中の人々をグローシアンにできると計画、一気にヴェンツェルをも倒そうとしたのだ。
 しかし、問題点が一つだけあった。彼女の義弟一人だけでは体に多大な負担が−−−命を落とす程の負担がかかるという問題が。その負担を減らす為に彼と同じ存在であるオスカーの元の主君に協力を仰ごうとした。
 だが、その時既に彼はヴェンツェルの支配を受けており、時空塔に侵入した途端、達は彼とオスカーの元同僚の攻撃を受けたのだ。
 説得にも耳を貸さない二人を見たは義弟達を先へ進ませた。後から必ず、二人を連れて行くからと。
 結局は時空塔にあった資料で別の存在の可能性に気付き、その彼からの協力でパワーストーンの精製に成功したのだが、ヴェンツェルが倒れるその瞬間までは仲間と別れた場所でずっと二人と切り結んでいたのだ。
 インペリアルナイツとインペリアルナイツ・マスターであるあの二人と。
 しかも、よく聞けば彼女からの攻撃は必要最小限で、彼ら二人にほとんど傷を与えないようにしていたという。
 ずば抜けた腕の持ち主でなければできない芸当だ。
「余程の事でない限り、二人に傷を与えないようにしながらずっと攻撃を受け続けていたそうですね。何故、そこまで?」
 菫の瞳が浮かべる真剣な光にただ、は穏やかな微笑みを浮かべる。
「そうですね。彼の−−−リシャールのゲヴェルの支配から解放された素顔を、私は一度目にしています。ですから、時空塔でリシャールを見た時、ヴェンツェルに支配されている事が分かりました」
 半ば目を伏せたは記憶を反芻するようにゆっくりと話を続けた。
「リシャールがヴェンツェルの支配を受けている・・・それはつまり、支配から逃れた時、ヴェンツェルから抹殺されるという危険性を示唆していました。私は、アンジェラ様の苦しみも貴方方の苦しみもこの目で見ています。その上、更なる悲しみを与えたくはありませんでした。リシャールをリシャールとして存在させてあげたかった。その為の時間稼ぎをしたに過ぎません」
 蒼の瞳をオスカーに向けたはふわりと微笑む。
 彼女の持つ深く広い愛情と優しさにオスカーは瞠目した。
 彼女の優しさは果てがないように思える程、深いものだった。単純にお人よしと言えないのはその底なしの愛情故だろう。
「しかし、リシャール様の代わりの人がいたからいいようなものの・・・」
 そう、もし代わりがいなければ彼女の義弟は命を落としていたのかもしれず、そして彼女自身も力尽きて二人に倒されていたのかもしれなかったのだ。
「アリオストに・・・仲間に頼んでいましたから。別の方法を時空塔に残されている資料から捜して欲しいと」
「え・・・・・?」
「仲間達を先へ進める前に、アリオストだけに私の予測を話していたのです。彼も私の予測が間違ってはいないだろうと、私の計画を承知してくれました」
 その言葉に宿るのは仲間に対する無条件の信頼。
 チリチリとした痛みが胸を焦がす。それは彼女が信頼を預ける仲間に対しての紛れもない嫉妬。
「・・・・・それでも、随分な無茶をしたと思うのは私だけではないと思います」
「そうですね。今だから言えますが、自分でもよくあの二人を相手に生き残れたと思います。人間、死に物狂いになれば実力以上の事ができるものだと後でしみじみ感じました。もっとも、時空塔から出た後で達に散々怒られて泣かれましたが」
「当たり前です」
「オスカーもそう思いますか」
 穏やかだった微笑みを苦笑に変え、は首を傾げた。サラサラと青銀の髪が肩から零れ落ち、彼女の涼やかな美貌を際立たせる。
 剣を握ることも想像できないようなこの容姿から一体誰が、彼女の途方もない剣術の腕を察することが出来るだろう。だが、紛れもなくは一級の剣士なのである。
。貴女ほど他人の感情に敏感な方なら分かりますね?残された者がどれほど悲しみ嘆き、苦しむのかを」
 静かに諭すようなオスカーの言葉に、今度こそ、彼女は痛みを与えられたかのような表情を浮かべて黙り込んだ。が手にしているワイングラスの中のワインが店の照明を受けて金色に淡く輝く。
「・・・・・それを突かれると、痛いですね」
 しばらく黙り込んだ後、手の中のワインを喉に滑らせたはため息と共に小さな反省の声を零した。
「勝利は生きて帰ってこその勝利。・・・達に言っていたのに、自分が破ってはあの子達が怒るのも無理はない・・・」

「すみません、オスカー。貴方にまでお説教をされるとは、私もまだまだ精神的に未熟ですね」
 気遣うように自分の名を呼ぶオスカーには何時もの穏やかな微笑みを向ける。
その微笑みを見れただけで安堵の吐息をついた彼に彼女は更ににこやかな微笑みを浮かべた。
「心配もかけてしまっていたようですね。すみません」
「いいえ。私こそ、差し出がましいことをしました。貴女なら自分で気付かれるだろうとは思っていましたが、どうしても言いたくなったのです」
「気にかけてくださったのですね。ありがとうございます」
 ふわりと微笑んだはすっかりと話が逸れてしまったことに気付き、改めて青年の菫の瞳を覗き込んで何を聞きたいのか問うてみる。
「では、この話はこれで終わりとしまして。オスカーはあの二人のことを聞きたいのでしょう?」
「あ、はい」
 ずっと気にしていた二人の消息にオスカーは何をどう聞こうかというように少しの間、店内に視線を彷徨わせた。
「二人は元気だと、昼間に伺いました。自分の道をそれぞれに模索しているとも。二人は今、何をしているのでしょうか?」
「そうですね。取り合えず今、二人は私の母が身元を預かっています」
「サンドラ殿が?」
 噂に名高いローランディア王国の宮廷魔術師の名にオスカーは驚きの声を上げる。
「母の元が一番軋轢もないだろうとの判断です」
 確かに彼らの事情も事情だったとはいえ、世界に対してしでかした事件は簡単に洗い流せるものではない。英雄となったの母親であり、実力も折り紙付きのサンドラが預かるのが確かに無用の争いを避ける一番の方法だろう。
「リシャールは今まで培った王としての知識を生かして、王女の家庭教師のようなことをしています。なかなか、様になっていましたよ?」
「王女の?しかし、よく周囲がそれを許しましたね」
「ルイセも一緒にいますから」
 グローシアンである彼女の妹の名にオスカーは納得し、頷く。魔術の腕はまだ未熟かもしれないが、それでもリシャールのお目付けとして十分だと認識されたのだろう。リシャールもかの王女も厳つい大人よりも同年代の少女の方がいいに決まっている。
「もっとも、あの子はお兄ちゃん子ですから・・・が任務を受ける度にごねて大変なんです」
 大変といいながらもくすくすと笑みを零すその姿は妹の我侭さえも可愛く捕えているようである。
「アーネストは・・・時々、と行動を共にしています」
「彼と・・・?」
 目を見開くオスカーの心情を察したはほんの少し、瞳を曇らせ、ワイングラスへ視線を逸らせた。
「アーネストはとても真っ直ぐで・・・不器用な人ですね。ただ一途にリシャールの事を思って、リシャールの事だけを考えて。融通というものが利かない、本当に不器用な人」
 金に輝く液体を揺らし、そして口に含んだはゆっくりと話す。
「今回、彼がと一緒に来なかったのはまだ、心の整理がついていないからです」
「・・・無理もないと思います。まだ、それほど時間が経ったわけではありませんから」
 オスカーもまた、視線を自分の手元に移し、ゆっくりとワインを口に運んだ。
「そうですね。アーネストもまた、貴方を気にされていながら、行動に移せないことを心のどこかで引け目に感じているようでした。・・・貴方方三人は互いを本当に大切に思っていながら、その思いの深さ故に足踏みしている。一歩を踏み出すことを躊躇っている。そんな感じを受けます」
「間違ってはいないでしょう」
 の言葉にオスカーもただ頷く。
 確かに、自分達は何かに囚われたように、一歩を踏み出すことを躊躇っている。
 あの時の選択はお互いに話し合い、己の意思で決めたことだというのに、それでも心の片隅で躊躇う何かがあるのだ。
「大丈夫です」
 ふと、柔らかな声が物思いに沈んでいたオスカーの耳朶を打った。
「大丈夫ですよ」
 優しく囁くを見るとふわりとした微笑みを浮かべている。
「貴方達がお互いを思いあっていて、そしてそれを忘れていなければいつかきっと、笑い会える日が来ます」
・・・」
「諦めなければ道は開けます。私は先の闘いでそれを身をもって知っています。ですから・・・オスカー。貴方も諦めないで希望を持っていてください」
「ええ・・・そうですね、。私もいつか会える日が来ると、信じます。ずっと、希望を持ち続けていましょう」
 吹っ切れたように微笑み、オスカーはカウンターの上に置かれていたの手を取り、そっと握り締めた。
「ありがとう、
「お礼を言われることなどしていませんよ」
 微笑むにオスカーは何も言わず、ただ柔らかな笑みを浮かべるだけだった。
 心の中に蓄積していた後悔という闇をは穏やかに未来を指し示すことで追い払った。
 希望という光を指し示した彼女。
 それを心から感謝したいと思う。
「貴女に、敬意を表して・・・」
 握り締めた手にオスカーは唇を寄せ、口付けを落とす。
「オ、オスカー?」
 途端に頬を赤く染める意外に純情な姿に微笑みが浮かぶ。
「また、一緒にここに来てくれますか?」
「あ、え、ええ。私でよろしければ」
 頬を赤く染めたまま頷く彼女に微笑み、オスカーはもう一度自分の手の中の細い手に唇を落とした。

 いつかきっと、出会うだろう、我が友等よ。
 それまで息災であれ。健やかであれ。
 私もいつかきっとという希望を持ち、己の職務を果たそう。

 いつかのその日まで、希望という宝玉を胸に、優しく暖かな彼女と極上の金酒が見せる夢にまどろんでいよう。

 いつか・・・そう、いつかお互いに笑いあえるその日まで。


(END)