ギンッ、という音と共に愛用の武器に掛かる重圧。 蒼と銀の色が目の奥に焼き付けられた。 |
バーンシュタイン王城の謁見の間から穏やかな話し声が漏れる。 「ローランディア国王に返書を書きますので、少し待って・・・あ、そうだ。さん、この返書は急がなくてもいいですよね?」 14歳という幼い年齢でありながら国王という重圧を受け止め、尚且つしっかりと自分の足で立っているエリオットの問い掛けに世界を救った英雄として有名な青年は軽く頷いて返す。 「ああ、別に今日明日って訳じゃないな。忙しいのなら後日、また受け取りに来るが?」 「いえ、せっかくですから今日はここに泊まって下さい。久しぶりに皆さんといろいろな事を話したいんです」 少年王のささやかな・・・ささやか過ぎる願い。叶えられないのならともかく、その願いは十分に叶えることの出来るもので、また、その願いを無下にする者も青年の仲間にはいなかった。 「そっちが迷惑でなければ、世話になるが」 「こちらがお願いしているのに、迷惑な訳、ないじゃないですか。それじゃ、部屋を準備しますね」 年相応な、嬉しそうな顔の国王に青年も、その仲間達も優しい笑顔で頷いたのだった。 夕食までの時間を持て余したはぶらぶらと城内を散策する。 ローランディアの特使として何度もバーンシュタインへ訪れている為、王城の人間にはすっかり顔を覚えられている彼女である。お陰で不審人物として呼び止められることなく気ままな散歩を繰り広げることができた。それでも、忙しそうな場所−−−兵士の詰所や訓練場所等は遠慮して避け、あまり人気のない場所を選んで歩く。 「殿?」 ふと耳に入った自分の名前に散策をしていた足を止め、聞こえてきた声の方向へ視線を巡らせる。 薄紫の髪に菫の瞳。女性めいた綺麗な顔に浮かぶ優しげな笑み。バーンシュタイン王国が誇るインペリアルナイツの一人、オスカー・リーヴスがそこに立っていた。 「リーヴス将軍」 堅苦しい呼び名に青年の笑みが優しげなものから困ったようなものに変わる。 「殿・・・私のことはオスカーと呼んでください。貴女に将軍と呼ばれるのは少し・・・辛いものがあります」 オスカーの台詞には彼の心情を察した。この二人に関する事柄と言えばほんの少し前の世界を揺るがす大事件。彼も彼女もその事件の中心部に位置し、剣さえ交えたこともある。その時はこの優しげな笑みのインペリアルナイツの側にもう一人、冷たいほどに冷静な表情のインペリアルナイツがいた。 「では、私のこともと呼んでください。私だけ、堅苦しい呼ばれ方は不自然でしょう?」 ふわり、と涼しげな美貌の上に暖かな微笑みを浮かべ、は青年に要求する。実際、呼ばれ慣れない呼称であるが故に、自分の事だと判断するのに一瞬の遅れがあるのだ。人に気付かれるほどのものではないのだが・・・。 「では、殿、と?」 「・・・出来れば『殿』も外して頂く方が嬉しいのですが」 苦笑を浮かべ、ゆるりとは首を傾げた。 「貴方にとっては呼び難いかもしれませんが、『友人』にそのような呼ばれ方はされたくないのです」 さらり、と告げられた台詞の内容にオスカーの菫の瞳が見開かれる。 「・・・友、人・・・」 「ほんの少ししか会っていない方に対して図々しいとお思いでしょうが、貴方が気になさっている『友人』とも私は『友人』なのです。・・・・・ずっと、気になさっていたのでしょう?」 察しの良すぎるの台詞に彼は瞠目した。 彼女の言う通り、世界が安定してからずっと、かの『友人』の消息を気にしていた。表立って態度に出せなかったが、ずっと、ずっと、知りたかったのだ。 「殿・・・貴女は、知っているのですね」 「ですから、その呼称を止めてくださいと言っていますのに・・・」 浮かべていた苦笑を更に深め、けれども優しく暖かな雰囲気を纏った美女は穏やかに頷く。 「『彼』も『あの方』もお元気ですよ。ご自分の進むべき道を見つけようと、努力なさっています」 「そう、ですか・・・」 「詳しいお話をお望みですか?」 真っ直ぐに見つめてくる蒼の瞳に頷きかけ、けれどもオスカーは首を横に振った。 「話を聞く前に・・・お願いがあるのですが」 「私で叶えられることでしたら」 「私と、手合わせをして頂けませんか?」 蒼の瞳が見開かれる。 「インペリアルナイツである貴方とですか?あまり、お相手にはならないかと思いますけど」 「謙遜を。以前、貴女は私と剣を交えたではありませんか。あの時、私の武器に受けた衝撃と重圧はそうそう忘れるものではありません」 「あの時は必死でしたもの・・・」 死に物狂いで戦えば実力以上の動きができるもの。そう、は告げるがそれでも、真摯な菫の瞳の視線は揺るがず。 「・・・本当に、あの時とは違いますよ?それでもよろしければ・・・」 「ありがとうございます」 それでもかまわない、と頷く青年に美女も諦めたような微笑みを浮かべるしかなかったのだった。 オスカーに連れて行かれた場所はやはりというか、彼らの訓練所で、一般の兵士達の視線がやたらと痛い。 「じゃないか。どうしたんだ、こんなところに。普段は近寄りもしないだろう?」 「ジュリアン・・・お久しぶりね」 陽に透けるプラチナブロンドの柔らかな髪と澄んだアクアマリンの瞳の人物はバーンシュタイン王国初の女性インペリアルナイツになったというジュリアン。ジュリアンの美貌は女性の持つものであるが、常に浮かべている凛々しい表情が青年にも見える。 「ジュリアン、今、訓練所は開いているかい?」 「あ、あぁ。訓練ならちょうど休憩時間に入ったところだが」 「少し、場所を借りるよ」 さっさと前を通り過ぎる先輩同僚を一瞬唖然として見送ったジュリアンは次いで、自分の年上の友人に視線を流した。 「なんだかね・・・彼と手合わせをすることになっちゃって」 肩を竦めるにジュリアンは驚きに目を見張る。 「もしかして、オスカーが申し込んだのか?」 付き合いは短いが、ジュリアンはの性格をよく知っていた。基本的に穏やかな彼女は自分の訓練以外では決して手合わせを申し込まない。だとすれば、残る一方の申し込みによるものだと推察できるが、もう片方の先輩同僚もと同様に基本的には穏やかな性格だ。それが、何故手合わせを申し込んだのか。 「・・・まぁ、彼にもいろいろとあるのでしょうね」 何かを知っているような口ぶりにジュリアンの視線が突き刺さる。それに気付いたは口元に穏やかな微笑みを浮かべ、ゆるく首を振った。 「駄目よ。これ以上は彼のプライベート。彼から言うのならともかく、私が言うわけにはいかないわ」 彼女の言うことは正論で、ジュリアンもしぶしぶ引き下がる。 「けど、達の手合わせを見学するのはかまわないだろう?」 「それは、もちろん。・・・あまり、彼の相手にはならないと思うのだけど」 「謙遜して・・・いるわけじゃないのか」 控えめなの言うことだと思って見てみれば、当の本人は至って真面目な顔。思わずため息をつくジュリアンである。 穏やかな性格と母親に似た涼やかな美貌は剣を扱う者だと伺わせないのだが、一度剣を手に取り、闘いに赴けば外見を大きく裏切る動きを見せる。その実力ははっきり言って、インペリアルナイツ並。なのに何故、彼女にその自覚がないのか、ジュリアンは本気で不思議だった。 「。オスカーはインペリアルナイツ。君が全力で掛かっても大丈夫な男だ」 いきなり掛けられたジュリアンの言葉には首を傾げ、そしてジュリアンが本当に言いたいことを察した。 「訓練だと思って、全力でいくことにするわね」 「ああ」 涼やかな美貌に浮かぶ微笑みは本当に剣を扱う者には見えない。そこかしこから感じる視線の大半もそこからくる好奇心なのだろう。中にはあからさまに侮っている気配を持つ者もいる。 「・・・外見で侮ると火傷をするぞ」 小さく呟いたジュリアンの言葉はすでに訓練所の中央へ足を進めているにはもちろん、近くにいる者もいないために聞き咎められることはなかった。 「では、よろしくお願いします」 「こちらこそ、お願い致します」 訓練所の中央に立ち、礼儀正しく頭を下げた二人はお互いの武器を構えた途端、その身に纏う気配を一変させた。 キン、と張り詰めた緊張感が辺りの空気を支配していく。 誰もが固唾を呑んで見守る中、それは突然始まった。 ギィィィィィーーーーーン!! オスカーの大鎌とのレイピアが交錯し、二人の身体が擦れ違う。 普通、大鎌と比べるとレイピアはどうしても強度に劣る。だが、は剣に掛かる力を上手い具合に受け流して切り返す。 対してレイピアに比べると大鎌は格段にスピードに劣る。しかし、オスカーの技量はレイピアにも劣らぬスピードで技を繰り広げる。 本気の手合わせだった。触れれば切れそうな程の張り詰めた空気が周囲で見守る者達の言葉を奪っていた。 大鎌が振り下ろされる。レイピアで軽く受け流し、軌道を変えると身体を捻りざま、切り上げる。大鎌の柄でレイピアを弾くと下から刃が襲い掛かり、跳躍してそれをかわす。 隙を見せれば、もしくは気を抜けば間違いなく大怪我に繋がる技の掛け合い。それがどちらも紙一重で避けられているのは二人共が傑出した技量の持ち主だからこそ。 「流石だな」 壁際で見学していたジュリアンの小さな呟き。思わず零れた本当に小さな呟きだったが為に、その言葉に答えられた驚きは大きかった。 「何が、流石なんだ?」 「っ、?」 「久しぶり、ジュリアン」 蒼と金の綺麗な色違いの瞳を和ませ、軽く手を上げる青年にジュリアンは飲んだ息を吐き出した。 「何をそんなに驚いているんだ?俺は気配はまったく殺していなかったぜ」 言外に自分が近づく気配ぐらい察していただろうと問われたジュリアンは苦笑を浮かべるしかない。落ち着いているように見せて、実は自分も訓練所で繰り広げられる手合わせの気迫に飲まれていたのだと気付かされて。 「仕方がない。言い訳にしかならないが、アレに気を取られていたんだ」 「アレって・・・」 訓練所の中を指し示すジュリアンにひょいっと中を覗いたの色違いの瞳が大きく見開かれる。 「!?」 自分の義姉が壮絶な剣技を繰り広げているのを見たは呆然とする。 「なんでまた、こんな命懸けの舞を舞っているんだ?」 「・・・それは、何かが違うような気がするが・・・」 確かに、技量の傑出した者の動きは一種の舞を舞っているような綺麗な動きをするが『命懸けの舞』と表現する辺り、彼もまた、尋常ではない性格の持ち主だとジュリアンはズキズキと痛みだしたこめかみに指を当てた。妙なところでズレた反応をするところは義理とはいえ、さすがに姉弟だと思いながら。 「私も詳しいことは知らないが、いつの間にか手合わせをすることになったらしい」 「ふーん・・・けど、これ、何時終わるか分からないぜ。下手をすれば、一晩中かかる」 「・・・・・え?」 「あれだけの本気なんだ、まずストップの声は聞こえないと思っていい。だからと言って武器を手放すのは自殺行為だ。しかも、二人の実力は拮抗しているし、一晩なら体力も持つ」 が冷静に指摘する事実にジュリアンの顔色が変わる。 「そんなことになったら、二人して共倒れになるじゃないか」 「そうなんだよな」 「暢気な事を言っていないで、、何とかならないのか?」 「ん、今からするよ」 事も無げに頷いたは無造作に彼曰く『命懸けの舞』を舞っている義姉へと歩み寄る。何事かと周囲の者達の視線が集まるが気にすることもなく、手にしていた剣の鞘を払うと一気に二人の間に割り込んだ。 左手に持った鞘でオスカーの大鎌を払い除け、右手のバスターソードでのレイピアを弾く。手首を捻るようにしてレイピアをもぎ取るとは瞬時にバク転でその場から離脱しようとした。それを許さず、はタックルを仕掛け、床へと押し倒す。 「。いい加減、正気に戻れ」 「・・・・・・?」 「俺が分かるか?」 軽く頬を叩く義弟に焦点の合っていない視線を向けていたの意識が徐々に鮮明になっていく。パチパチと瞬きを繰り返し始めた義姉の様子に大丈夫だと判断したは身体を起こすと抜き身だったバスターソードを鞘に収めた。 「殿、彼女は一体・・・?」 堅苦しい自分への呼びかけには眉を顰め、ひらひらと手を振る。 「そんな堅苦しい呼び方はやめてくれないか?でいい」 他人行儀な呼び方を嫌う辺り、血の繋がりがなくともの弟だと思わせる。何気ない所でこの姉弟は似通った所を見せていた。 「は言ってみれば一種のバーサーク状態になっていたんだよ。なにせ、インペリアルナイツのあんたと手合わせをするんだ、片手間で相手を務めることなんて出来るはずがない。全力で掛かって、ああいう状態になった」 眉間に指を当て、軽く首を振っているを指差し、は先程までの義姉の状態を説明する。それに気付いたのか、が顔を上げ、へと視線を向けた。 「?貴方、どうしてここにいるの?」 「を探していたんだよ。何時から手合わせをしていたのか知らないが、もうすぐ約束した夕食の時間だ」 「え?嘘でしょう?」 義弟の台詞に慌てて立ち上がり、訓練所の窓から外を伺うと確かに外の気配は夜へと移り変わるところでかなりの長時間、手合わせをしていたことが分かる。 「さっさとシャワーを浴びて着替えた方がいいな。アイツを待たせることになる」 「ええ、分かったわ」 頷く義姉に手を振り、少し離れた場所にいたジュリアンとも何か話した後、はその場を去って行った。 「すみません。私はこれから約束があるので、お話は出来ませんが・・・」 「いいえ。手合わせをお願いしたのは私ですから、どうぞ気になさらないでください」 穏やかな笑みを浮かべるオスカーにもふわりとした微笑みを浮かべる。 「・・・・・どうやら、落ち着かれたようですね」 涼やかな美貌が華やぐ笑みを浮かべながら、は軽く首を傾げた。 「夕食の後なら、私も時間があります。それでよろしければ、お話しますが・・・」 「よろしいのですか?」 躊躇いつつも『友人』の近況を聞きたいらしいオスカーの様子に、の笑みが深まる。 「かまいません。・・・お待ちしていますね、オスカー」 何気なく呼ばれた自分の名に、一瞬、菫の瞳を見開いたオスカーはしかし、嬉しそうに微笑み、頷いた。 「後で伺います、」 初めて戦場で剣を交えた時、その涼やかな美貌に似合わない戦闘能力と自分の武器に受けた重圧に衝撃を受けた。受けた重圧と共に心に焼きついたのは彼女が持つ銀と蒼。心の奥深くに焼きついていた彼女の色。 改めて彼女と話してみれば、戦場で見かけた激しい戦闘能力とは180°違う穏やかな優しさと聡明な察しの良さ、深い思いやりを持つ魅力的な女性で。 これで惹かれないはずはない。 涼やかに凛と立つ華のようなこの女性を手に入れたいと願う。 「ライバルは多いようだけど」 けれども、本気になってしまったのなら、後は行動するのみで。 「・・・。貴女を手に入れてみせる」 本気になったインペリアルナイツの菫の瞳が深く、煌いた。 バーンシュタイン王国インペリアルナイツのオスカー・リーヴス。 彼が争奪戦に名乗りを上げた事により、青年達の戦いが混戦模様をきたしたことを記しておく。 END |