仮面 |
「付き合っている奴、いないんだろ?だったら、いいじゃないか」 「でも、困ります。私、今は誰とも付き合う気がないし・・・」 図書室へ向かおうとしていたの耳にやや強引な雰囲気のセリフと何とか断ろうとしているらしい女の子の声が飛びこんできた。思わず立ち止まり、声が聞こえてきた方向・・・左側の階段を見上げる。 (あら、まぁ。こんなところで告白?場所としてはまぁまぁかもしれないけれど・・・ちょっと声を張り上げればすぐに気づかれる場所よ、ここは) 屋上へと通じるこの階段の扉の前は確かに死角になる。図書室への一本道、しかも放課後となれば人通りも少ない。告白や交際の申し込みなどには都合がいいといえるだろう。・・・ただし、小さな声であれば。 「何で駄目なんだよ!いいじゃないか、付き合ってくれたって!」 「やっ・・・は、離して・・・っ」 あまりにも分かりやすい会話にはため息をつく。聞いて・・・というか、耳に入ってしまった以上、知らん振りするわけにもいかない。 (それ以上に、男の態度が気に食わないし) 内心で呟きつつ、目の前の階段を上る。躍場へと足を進めると予想通りの光景が展開されていた。 「・・・そこまでにしたらどうかな?女に無理矢理言うことをきかせようなんて男としては褒められたものじゃないよ」 「先輩!」 「は?」 いきなり自分の名前を呼ばれたは思わず、間の抜けた声を零してしまう。瞳を瞬かせつつ、の名前を呼んだ女子生徒をよくよく見ると、活動している演劇部で衣装作成を担当している後輩だ。こうなるとますます放っておけない。 「由奈ちゃん、おいで」 にっこりと笑い、は後輩へと手を差し出す。しょっちゅう男役を演じるが舞台上の笑顔と仕草を意識して使うと後輩は顔を赤く染めながらもこくり、と頷いた。無意識に自分の手を取った後輩をさりげなく後ろへと庇う。 「な、なんなんだよ、お前!」 「ん?とりあえず、この子の部活の先輩」 さらり、と男子生徒の怒りを受け流す態度は度胸や肝があぐらをかいて座っていそうなぐらい、立派である。 「いくら先輩だからって、余計な口出しをするんじゃねぇよっ」 「でも、私は口出しさせてもらう」 すぅっ、と低くなったの声色に男子生徒はもとより、背後に庇われた後輩も戸惑ったように慕っている少女の顔を見詰めた。 「相手が困っている事ぐらい、見ててわからない?それとも、相手の気持ちなんてお構いなし?もし、そんなことを考えているとしたら最低としか言いようがないね。自分本意にしか考えられない恋愛なんて長続きしないし、幸せにもなれない。貴方、そういう恋愛をこの子としたいわけ?」 感情の伺えない低い声色の台詞は聞きようによっては相当な怒りを感じさせ、かなり怖かったりする。案の定というか、顔を青くさせた男子生徒にちらっと冷たい視線を送ると更に青くなる。 「行きましょう、由奈ちゃん」 後輩の肩を押し、歩き出す二人に声は掛からなかった。 何度も礼を述べる後輩を笑顔で制し、先に部活へと向かわせたは図書室で目当ての本を探しながら何とはなしにため息をつく。 「・・・・・疲れた」 「どうして?」 唯の独り言に反応があるとは思っていなかった為、思わず勢い良く後ろを振り返るとそこには割と仲の良いクラスメイトの姿があった。 「驚いた・・・」 「ああ、すまない。そんなに驚かすつもりはなかったんだが」 中学生とは思えない体格と中学生とは思えない落ち着きを持つ彼の穏やかな声にはゆっくりと首を横に振る。 「気にしないで。独り言に声がかかるとは思っていなかったせいだから」 「そうか。・・・で、どうしてその独り言が出たんだ?」 「・・・さすがに、誤魔化されてくれないか、渋沢は」 苦笑を浮かべ、髪を掻き揚げるの顔を強豪サッカー部キャプテンである渋沢は変わらぬ穏やかな微笑みでじっと見詰める。 物言わぬ催促に今度は額に手を当て、ため息をついた。 「渋沢・・・聞くまで開放しないつもり?」 「よく分かっているじゃないか」 「貴方、ねぇ・・・」 穏やかな中にも有無を言わせない雰囲気を漂わせるあたり、流石、大所帯の一癖も二癖もある部員達を纏めているだけのことはあると感心してしまう。 「鮮やかに後輩を助け出したがどうしてそんなに疲れたため息をつくのか、俺としては本気で知りたいのだが?」 「見ていたの、さっきの?」 「まぁな」 「ん〜、じゃあ、予想できないかな?」 「予測は出来てもそれが正解とは限らないだろう」 穏やかな笑顔を浮かべたままの渋沢には再びため息をついた。この笑顔が実はくせものなのだ、彼は。 「分かった、白状するわよ。ったく、案外と強引なんだからなぁ、渋沢は」 「だが、はそれを知っているだろう、始めから」 「知りたくもなかったけど」 動揺もせずに切り返すクラスメイトにも軽く切り返す。なんだかんだ言っても彼と交わすこんな会話はありのままの自分を曝け出せて、結構気楽で気に入っているのだ。 「渋沢なら分かったんじゃないかと思うけど・・・私、演技をする時は人物に添った別の人格を作っているのよね」 「そのようだな」 「あ、やっぱり、気づいてたか」 くすり、と小さく笑ったは後ろの本棚に軽く背を預けると腕を組んで目の前に立つ渋沢を見上げた。 「舞台ではその人格を作るのも1人だけですむけど・・・さっきのは立て続けに3人分を演じたからねぇ。さすがにちょっと、疲れたわけ」 「恋人を守る男と殺気を篭めた人物と優しい先輩という3人分の仮面か」 「正解」 まさしく、演じた内容を正しく言い当てる渋沢に腕を組んだまま、は頷く。 「確かに、それは疲れるかもしれないな」 「でもね、私の場合は一過性のものだもの。その場面が終われば素の自分に戻れる。・・・でも、渋沢は違うでしょう?」 「・・・?」 「私の目を誤魔化せるとはまさか、思っていないわよね?」 ニヤッと悪戯っぽく笑いながらも、の声は暖かい。 「強豪サッカー部を率いる頼れるキャプテン。学校では先生方の覚えもめでたい優等生。おまけにサッカー部員全員が一つの寮に収まっているから問題が起こる度に何かと頼りにされて。渋沢の場合、もともとの性格もあるからそれほど苦にしてはいないだろうけど、それでも疲れないハズはないでしょ?」 組んでいた腕を解き、背の高い渋沢の頭にそっと触れる。 「自分で言うのもなんだけど。一応、私、渋沢がどんな醜態を見せようが受け入れられる自信、あるし。愚痴でもいいし、弱音でもいいから・・・吐いちゃいなさいな」 「・・・・・参ったな」 苦笑した渋沢の頭がの肩にかかった。ただくっついているだけという渋沢の頭をはそっと撫でる。 「俺が疲れているらしいを癒すはずだったんだが・・・逆に癒されるとは思っていなかったよ」 「私の性格、舐めていない?自分が凭れ掛かるだけっていうのは嫌いだって知っているでしょう」 ただ、甘えるだけなのはごめんだと言いきったの肩で、渋沢のくぐもった声が呟いた。 「俺だけに甘えて欲しかったと言ったら?」 「はい?」 予想しなかった渋沢の言葉にキョトンとしたの声が零れる。 寄りかかっていたの肩から頭を上げた渋沢は穏やかな笑みを消し、試合中に見せるような真剣な瞳で自分よりもはるかに小さなクラスメイトを覗き込んだ。 「だけだよ、どんな俺を見せても笑って認めてくれるのは。勝手な理想像を抱く事もなく、ありのままの俺を認めてくれるのは・・・」 を見詰め、語りかけていた渋沢の自軍のゴールを守る大きな両手がの頬に添えられる。 「・・・、だけ」 囁かれた言葉と同時に、唇に感じた温もりにの瞳が大きく見開かれた。 「だから、が俺を認めてくれるように、俺もの甘える場所になりたい。人に甘える事のないの、唯一の甘える場所に・・・なりたいんだ」 口付けを繰り返しながら囁く台詞に、瞳を見開いたまま聞いているの顔を再び覗き込んだ渋沢はずっと抱いてきた想いを告げる。 「が・・・が、好きだ」 「渋・・・沢・・・」 「好きだ」 ふと、の両手が動き、渋沢の両頬をそっと包んだ。 「?」 「好きよ」 ふわり、と微笑んで告げた台詞とともに爪先立ち、柔らかな口付けをは贈る。 「知っている?私も渋沢だけに弱みを見せていた事。寄りかかる事を良しとしない私が気を抜いていた唯一の場所が・・・渋沢の前だって、知っていた?」 穏やかな、柔らかな笑みを浮かべたまま、は渋沢の瞳を見上げた。 「私も、渋沢もある意味、仮面をつけて生活している。仮面をつけたままでは疲れるけれど・・・でも、お互いの前では仮面を外す事が出来る、そんな存在になれるわよね」 「ああ。きっと、なれる。今までもそうだったんだからな」 「そうね」 微笑むを引き寄せ、渋沢が顔を近づけるとそれに応えるようにもそっと瞳を閉じる。 静かな図書室に暖かな沈黙が漂った。 (END) |