誰もが一度は聞いた事があるのではないだろうか。
 『ファースト・キスはレモンの味』
 じゃあ、ファーストではないキスってどんな味?


キスの味



「キスってどんな味がするのかなぁ?」
 ボソリ、と呟いたの台詞にパックの紅茶を飲みかけていたは思わず盛大に噎せ返ってしまった。
「ぐっ・・・げ、げほっ、ごほっ、ごほっ・・・・・・っ!?あんた、いきなり何を言い出すのよっ!?」
「大丈夫、?」
「誰のせいよ、誰のっ。あんたが突拍子もないことを言い出すのは今に始まったことじゃないけど、今度の疑問はどこから沸いて出たわけ?」
 昼休みの屋上、日向ぼっこをかねた昼食は結構気分のいいものであるのだが、それを一瞬にして叩き壊した親友をは睨みながらも呆れたため息をつくという器用な真似をしてみせる。
「ん〜、次の文芸誌に出す原稿の案を練っていただけなんだけど」
「・・・それとさっきの発言とどう関係があるっていうのよ」
「部長に宿題を出されたのよ。『恋愛物』をって」
「・・・・・大概、チャレンジャーよね、部長もも」
「私も、そう思う」
 聞きようによってはかなり失礼な発言だったがは気にした風もなく、それどころか深々と同意の頷きをに返してみせた。
「私の作風ってとことん、恋愛物からかけはなれているからなぁ。正直、どこから手をつけていいものか、まったく分からないよ」
に恋愛経験がないっていうのも、痛いよね」
「いや、サン。私だって一応、初恋は経験しています」
「だったら、それをネタにすれば?」
「5歳児の恋愛物を書けと言うんかい。しかも、自分のことを」
「そのものを書けとは言っていないでしょ。あくまでもネタよ、ネタ」
「できるかっ。相手は兄さんだったんだよっ」
「じゃあ、のファーストキスもお兄さんなの?」
「違う!っていうか、そっちの経験はないっ」
「・・・お前ら、さっきから何の漫才を繰り広げているのさ」
 話が脱線しかかっていた達の上に影がかかったかと思うと、頭上から呆れた声が降ってきた。慌てて視線を上げると(本人はかなり嫌がっているが)全女子生徒のアイドルと言っても過言ではないクラスメイトが声に相応しく、呆れた表情で2人を見下ろしている。
「さっきから聞いていればどんどん本筋から脱線していっているじゃないか。漫才をしたいっていうのなら別に止めやしないけど」
 綺麗な顔とは裏腹に毒舌を吐きまくるというクラスメイト−椎名翼の台詞に周囲を見回せば、翼率いるサッカー部の面々が腹を抱えて笑い転げていた。
「そんなに笑わなくっても・・・」
 遠慮もなにもない豪快な爆笑ぶりにの抗議も力なく。途中で消えた言葉の代わりにため息が零れた。
「で、キスがどうしたって?」
 ニヤリ、と意地悪げに笑った翼には再びため息をつく。
「椎名君、人を玩具にするのはやめてくれる?」
「誰がいつ、人を玩具にしたのさ」
「今からするつもりなんでしょうが」
 睨みつける視線をものともせず、翼は何かを企んでいるような笑顔のままの側に陣取った。

 ファンクラブの女子達のようにキャーキャーと騒ぐことのないは翼の『お気に入り』だ。やたらと話しかけて気を引こうとするような媚びも、それに付随する鬱陶しさもは持ち合わせておらず、相手が誰であろうとも態度を変えることのないさばさばとした気質は側にいるだけでも非常に楽だった。

「ちょっと、椎名君。何、当然のような顔をして隣に居座っているのよ」
の話に興味があるからね。それよりも翼と呼べって前から言っているだろ。何で呼ばないのさ」
「当たり前でしょ。自分から地獄の一丁目に足を踏み入れるほど、私は人生を捨てちゃいないわ」
 『翼』と呼んだが最後、嫌味に陰口、針のむしろにファンクラブからの呼び出しというフルコースが待っている。いくらが超合金並みの強い心臓やワイヤーロープ並みの図太い神経を持っているといっても、進んで餌食になりたいとは思わない。
「あいつらのことなら、俺が言わせない」
 きっぱりと言いきる翼には頭を抱えた。
 一応、自分が翼の『お気に入り』らしきことは自覚している。何度もマシンガントークをぶっ放されたとはいえ、ファンクラブの女子達とは明らかに態度が違うのだ。自分でも翼とはいい友達だと思っている。
 だが、しかし。女の嫉妬は恐いのだ。
 たとえ、いい友達付き合いだと言っても基本的に女子にはそっけない翼がには自分から話しかける。笑顔もみせる。それだけでも嫉妬の対象となりうるのだ。現在、何も起こっていないのはの翼に対する態度が友人に対するものと何ら変わりはないからである。この微妙なバランスを保っている今の状態を、は出来れば壊す事はしたくなかった。
「頼むから、火に油を注ぐような真似はしないで」
ならいくらでも機転をきかせること、できるだろ」
 出来ないとは言わせないからね、と更に付け加える翼に再びは頭を抱える。
「確信犯」
「何を今更」
 ボソリ、と呟いた非難も翼はあっさりとかわし、のため息を誘った。
「じゃ、言い方を変える。面倒だからやめて」
「知らないね」
「椎名君・・・」
 あっさりすっぱり切り捨てた翼にももはや、がっくりと項垂れる事しか出来ない。
 そんなの様子など分かりきっているくせに、意図的に無視した翼はアイドルばりの整った顔に意地悪な笑顔を浮かべて先程の質問を繰り返した。
「で、さっきの話。キスがどうしたって?」
「どうしても、その話をしたいわけね、椎名君は」
 すでに諦めの境地に達しているに追い討ちをかけるように、翼はますます浮かべている笑顔に磨きをかける。一目、ファンクラブの女子達が見れば一発KOされるぐらい、それはそれは見事な笑顔を。
「もちろん。こんな面白いネタ、聞かなくてどうするのさ」
「面白いって・・・」
「恋愛音痴のが真面目な顔してキスがどーの初恋がどーのと話していれば俺でなくても興味を持つと思うけどね」
「やっぱり、玩具にする気じゃないの。ったく、分かったわよ、白状すればいいんでしょ」
「最初っから素直にそう言えばいいんだよ」
 当然のように尊大に頷く翼の姿に、はもう何度目なのか分からなくなったため息をつくしかなかったのだった。

 ちなみに。
 まったくの余談ではあるが、親友のもサッカー部の連中も、何時の間にか屋上から姿を消している。
の、薄情者ぉ〜〜〜)
 誰にも助けを求められない現状にはただ、胸の中でボヤくしかなかった。

「つまりね、今度の文芸誌で恋愛小説を書けと、部長に言われたわけよ」
 すっかり観念しただったが視線は空に向け、翼を見ようとはしていない。
「ふーん、それで?」
 それに気づかないはずはないのだが、ニヤニヤと笑ったまま翼は続きを促す。
「恋愛物を連想するとキスなんだよね。で、俗説の『ファースト・キスはレモン味』っていうのを思い出してさ。レモン味がファースト・キスに限定されるのなら、その後のキスの味ってどんなものかなって思ったわけ」
らしいっていえばらしいな、それ」
 この台詞を聞いた時のの態度が今更ながらによく分かる。
 ヘアバンドで押さえただけの背中で揺れる髪は今時珍しい、脱色も染めてもいない綺麗な黒髪で、日本人形のような整った顔立ちのによく似合っている。この綺麗な黒髪に触ってみたいという男子連中は数多く、結構モテてはいるのだが、知らぬは本人ばかりなりを地でいっていたところにのこの発言。側にいたのが自分でよかったと、つくづく翼は思った。
「そういえば、さっきの発言の中にキスもまだって言ってたっけ、は。だったら、キスの味なんて知らないよな」
「・・・椎名、君?」
 何となく不穏な空気を察したが翼へと視線を向け、少しずつ距離を取ろうと後ずさる。
「何、逃げてんの?」
「いや、その、ね」
 心なしか青くなったの顔を見た翼は素晴らしいほど晴れやかな笑顔を浮かべたかと思うと、ささやかな努力の結晶であるが取った距離をあっさりと縮めてしまった。
「し、椎名君っ!」
 フェンスに追い詰められ、顔の両脇に手を置かれれば逃げることはできず、動揺しまくりの声では開放して欲しいと目の前のクラスメイトに言外に訴える。
「俺が、教えてやろうか、キスの味」
「え、遠慮しま・・・んんっ、んぅっ」
 言葉は最後まで紡ぐ事が出来なかった。その原因である目の前の体を押し退けようとしてもビクともせず、こんな場合だというのにさすがサッカーでDFをしているだけはあると妙な感心をする。
「・・・は、も・・・や、め・・・」
 触れては離れ、離れては触れる暖かな感触にの抗議の言葉も途切れがちで次第に抵抗する体力も削がれていく。
「しぃ・・・な、くぅん・・・」
「翼って呼べよ」
「そ・・・んな、こと・・・言わ、れて・・・も・・・」
 力ない抵抗を続けるから一端離れた翼にほっとしたのもつかの間、今度は腰と頭をしっかりと押さえられ、深いキスが襲いかかってきた。
「ん、んんっ、ぅん〜〜〜っ」
 熱く柔らかい固まりが口腔内を我が物顔に侵略していく。逃げようと必死に体を捩っても許されず、キスが激しくなっていくばかりである。
(いったい、どこでこんなキスを覚えたのよーーーっ!!)
 の心からの叫びはキスで塞がれていた為、当然声にはならなかった。

 初めて受けるには激し過ぎたキスで、半ば失神しかけているを胸の奥深くに抱き込んだ翼は至極満足そうに、男子連中が触りたいと願っている綺麗な黒髪を弄んでいた。
 腰も足も力が入らない現状では教室に戻ることもできず、なし崩しに授業をさぼってしまっているは大人しく翼の手を受け入れている。逃げられないので大人しくしているだけとも言えるが。
「で、、分かった?」
「何がよ」
「決まっているだろ。キスの味だよ」
 ニヤッと笑う翼の腕の中、はがっくりと項垂れる。
「初心者に分かるわけ、ないでしょう?」
「ふぅん。じゃあ、分かるまで試してみようか」
「遠慮します」
 そんなことになれば、地獄の一丁目どころか涅槃を見ることになるかもしれない。
「いい加減、覚悟を決めれば?ま、がどう言おうと、俺はやめる気はないし」
 何も知らない者が見れば天使の笑顔かもしれないが、の目には悪魔の笑顔としか見えないものを浮かべ、翼は晴れやかに宣言する。
「勘弁してよぉ」
 翼の笑顔と宣言に思わず、くらくらと眩暈を覚えるだった。

(だいたい、こうして大人しく抱き締められていることが一種の答えを出しているっていうのに、本人だけが分かっていないんだよな)
 の髪を弄びながら、翼はくすくすと笑う。
 本気で嫌ならば、たとえ力が入らなくてもは絶対に腕の中に納まろうとはしない。大人しくするはずがない。けれども、は軽い言い合いをするものの、その場所を動こうとはしなかった。
 つまり、自覚はないものの翼に気を許しているということである。
(いいさ、後は自覚させるだけなんだし。まずは名前を呼ばせることから始めようか)
 不敵に笑う翼を幸か不幸か、その時、は目にする事はなかった。

、いろんなキスの味を味わせてやるよ」
「だから、遠慮するってば・・・」
 が地獄の一丁目に足を踏み入れるのももうすぐである。
 ・・・・・・・・・・合掌・・・・・・・・・・


END