ひらひらと薄桃の花びらが舞い落ちる。 水に一滴の青インクを落としたような薄い青色の空にその花びらはよく映え、時間の感覚もなくなるような気にさせた。 (いい、天気) 一陣の風が花ぼんぼりの枝を揺らせ、一時の花吹雪を演出する。 舞い落ちる薄桃の花びらと薄青の空を見上げ、はふわりと微笑んだ。 |
「明後日の土曜日、花見に行こうぜ」 そう言い出したのは飛葉中のアイドル、椎名翼であった。 「いい穴場を知っているんだ。たまには息抜きをしてもいいだろ」 提案する形ではあるが、彼が言い出せばその事柄はほぼ決定事項なのである。 「柾輝もを連れて来いよ。最近、ちっともデートしていないらしいじゃないか」 フットサルで一汗かいた後の休憩時間、水分補給をしていた柾輝は翼からいきなり話の矛先を向けられ、飲んでいたものを気管に入れて咽るというお決まりのオチをやらかした。 「なんで翼がそれを知っているんだよ」 「俺の情報網を侮るんじゃないね」 胡乱気な視線で傍らの美少女然とした顔を見下ろすが、悪魔の尻尾を生やした天使の笑顔の御大に効く筈もなく。 「柾輝だって、とゆっくり過ごしたいだろ。そのためにセッティングをしてやるんだ、有難く思えよ」 止めとばかりの台詞は的を得ていただけに、柾輝も何も言う事は出来なかったのだった。 「綺麗・・・」 うっとりと薄桃の景色に見惚れていたの呟きに反応するように、隣の人物も軽く頷く。 「ああ。確かに、見事だな」 たった一本の桜だが樹齢百年は軽く越えるだろう、巨大な幹と見事な枝振りは下手な桜並木よりもよほど見応えがあった。 樹の根元にピクニックシートを広げればあっさりと桜の天蓋が出来あがり、少しきつめの日差しも和らげてくれる。 「本当に穴場よね。こんなところを知っているなんて、さすがは椎名先輩だな」 場所も人から忘れ去られたような神社の更に奥で、まさかこんなところにこんな見事な樹がと全員が驚いたものだ。 神社の境内を借りるのだからと一応しおらしく本社に参拝したのだが、シートとお弁当を広げるとあっという間に宴会へと突入したのは・・・誰かが宴会好きなためだろうか。 まだ男集団の中にいることに慣れないだったが、賑やかな雰囲気に緊張を解され、割と自然に彼らと会話を交わしていた。その賑やかさが一段落した頃、は皆とは少し離れた場所に座り、視線を上に上げる。柔らかな色彩でありながら、独特の凛とした雰囲気に見惚れていたの隣に柾輝が当然のように座り込んだ。 「こういうのを、目の保養っていうのかな」 ふわり、と華が咲き綻ぶような微笑みを浮かべるの髪を撫でた柾輝はコロリ、とその場に横になる。 だが、しかし。 「えっと、柾輝君?」 「嫌か?」 いわゆる『膝枕』状態の柾輝の瞳に、至近距離で真っ直ぐに見つめられたの頬が微かに染まった。重ねて問いかけられ、慌てて首を横に振る。 「ううん、柾輝君だから、いいよ」 「そっか。じゃ、しばらくこうしていてくれ」 「うん」 再び微笑んだに柾輝も瞳を和ませると徐に手を伸ばし、の髪を一房、指に巻き付けた。 「・・・綺麗だな」 「うん、こんなに綺麗な桜を見たの、初めてかも」 「まぁな。けど、も綺麗だぜ」 「え?」 「と桜、よく似合う」 恋人の髪を巻いては解き、巻いては解きを繰り返しながら、さらりと口説き文句のような台詞を吐く柾輝にの顔は一瞬にして真っ赤に染まる。 「・・・・・柾輝君だって、似合うよ、桜」 「へぇ?」 ニッ、と唇の端を上げる恋人には柔らかな微笑みを向ける。 「優しいのに凛とした雰囲気とか、潔いところとか、すごくよく似合う。私、大好きだよ」 「ああ。俺も好きだ」 具体的な指示語はないが、それだけで相通ずるものがあるのだろう。二人は視線を合わせると幸せそうに微笑みあった。 「・・・・・あいつらの周り、花が咲いていないか?」 「咲いているやろ、桜が」 すっかり、周囲を忘れているとしか思えない二人の会話を少し離れた場所で聞いていた翼がポツリと呟く。関西人間のサガなのか、その台詞に思わずツッコミを入れてしまう直樹は当然の如く、翼の蹴りを食らっている。 「いや、でもなぁ?」 「ああ、そうだな」 顔を見合わせ、うんうんと頷き合う畑兄弟。 「何やねん、二人とも。自分達だけで分かり合うなや」 「いや、この場合、分かっていないのは直樹先輩だけよ」 極々冷静な声に直樹は傍らに座る少女を見下ろした。 「?どういうことやねん」 「・・・直樹先輩の告白にOKした自分が今更ながらに不思議だわ」 ぐりぐり、と眉間の皺を揉み解しながら、の親友で直樹の彼女であるは深いため息をつく。 「それは俺らも不思議だけど?何でみたいな才色兼備がこんなサルと付き合う事になったのか、柾輝じゃないけど飛葉中の七不思議の一つだよね」 「放っといてください、椎名先輩。仕方ないでしょう、直樹先輩がいいなって思っちゃったんですから!」 翼のツッコミに真っ赤になる。その側ではじーんと幸せに浸る直樹。 「・・・あっちもあっちで幸せだな」 「・・・そうだな」 畑兄弟のため息が微妙に空しい。 「?どうしたの?」 の叫び声が聞こえたのだろう、膝に柾輝の頭を乗せたまま視線を向けるには軽く首を振る。 「別に何でもないわよ。いいから、そこでゆっくりしていなさい」 「うん」 ふわん、とした幸せに彩られた微笑みはとてつもなく甘く、見ている方が照れそうなほどだ。 「んー・・・?」 「まだ、寝てていいよ、柾輝君」 うたた寝をしていたらしい柾輝の呟きに、はそっと囁く。その囁きは優しく柔らかく、真綿に包み込むような暖かさで柾輝の耳元をくすぐった。 「」 「なぁに?」 「お前の声、気持ちイイ、な」 「そう?」 華が咲き綻ぶような微笑みを浮かべ、の手が柾輝の少し硬い髪をゆっくりと梳く。 「それに、この手も気持ちイイ・・・」 目を閉じたまま、自分の髪を梳いていた優しい手を捕まえ、柾輝はその掌に軽くキスを落とした。 「ま、柾輝、君っ」 「・・・嫌?」 「嫌じゃないけど・・・」 うろうろと視線をさ迷わせていたは思い切ったように、柾輝に捕われているのとは逆の手を伸ばす。 「?」 伸ばした手は柾輝の手を捕え、自分の方に引き寄せる。そうして、は引き寄せた柾輝の手に柔らかな唇を落とした。 「柾輝君・・・」 不安そうに自分を見るに柔らかな笑顔を見せ、柾輝もまた、の掌に唇を落とす。 「好きだ」 「大好き」 お互いの視線の先にはお互いの瞳のみ。ただそれだけの幸せに、二人は微笑みあった。 「・・・・・ね、直樹先輩。あれを見ても、畑君達が言いたかった事が分からない?」 「いや、さすがに分かるわ。あれだけ二人の世界を作られたら」 「周囲、ピンクの世界だよな」 「甘すぎて近寄る気にもなれないし」 「少女漫画でいえば、バックに華と点描が散っているって感じだよな。ったく、あの二人をからかってやろうと思っていたのに、アテが外れたよ」 (翼(椎名先輩)、少女漫画を読むのか(んですか)?ってか、あの二人をからかうためだけに、この花見をセッティングしたのか(んですか)?) この場にいた翼以外の4人の心のツッコミは見事にシンクロしていた。 「ね、柾輝君」 「ん?」 相変わらず恋人の特等席で微睡みながら、柾輝はうっすらと片目を開けて名前を呼んだの顔を見上げる。 「また、こんな風にお出かけしたいね」 「ああ、そうだな」 可愛らしい恋人に瞳を和ませ、柾輝は手を伸ばして自分とは違うやわらかな髪を軽く梳いてやる。 「もう少ししたらもっと暖かくなるし、そうしたらどこかへピクニックに行ってもいいよね。私、お弁当を頑張って作るから」 「ああ、楽しみにしている。今日のも美味かったし」 「本当?嬉しい」 満面の笑顔が可愛くて、柾輝は手に巻いたの髪をくいっと引いた。 「え?」 引かれるままに体を倒したの頬に、暖かで柔らかな感触が当たる。 「〜〜〜っ」 真っ赤になって恋人を見るにキスの張本人はただ、楽しそうに笑うだけ。 「が可愛かったから。キスしたくなった」 「柾輝君の、馬鹿ぁ」 どこまでも甘甘な恋人達の瞳にはお互いのことしか写っておらず、そして周囲の状況はまったく写っていなかった。 「なぁ、翼。あれ見てもまだ、二人をからかう精神力、あるんか?」 「・・・うるさい、サル」 「つまり、ないわけですね」 「あればあったで翼を尊敬するけどな、俺」 「同感」 二人に当てられまくられ、精神的に疲労困憊したチームメイトと親友の姿がここにあった。 (END) |