鬼の霍乱。
 意味−−−普段、非常に丈夫な人が病気にかかったりすること。

 健康優良児の代名詞とも言えるがまさに、この諺通りの事態を引き起こしたのは冬の歓迎されない流行の真っ只中のことであった。


鬼の霍乱



?ねえ、もしかして熱があるんじゃないの?」
「え?そんなこと、ないよ?」
 心配そうなの問い掛けにはにっこり笑顔で否定した。
「そんなことないって言ったって・・・」
 心配そうに眉を顰めるだったが、それも無理はない。は否定しているが、普段と比べると顔が僅かに赤く、体の動きもどことなく鈍いのだ。だが、そんな心配をはあっさりと笑い飛ばした。
「だって、咳もでないし、頭も痛くないし、どこもどうもないもの」
 まぁ、確かに今朝は少し喉が痛くて、風邪を引いたかな?と思ったのだが自覚症状はそれだけで別段悪くなっている様子はない。
「それに、今日は委員会があるし、休んでいられないよ」
「・・・無理だけは、しないようにね」
 にこり、と本当に無理をしていないの笑顔にまぁ、大丈夫だろうと判断しただったが、無理矢理にでも保健室へ引っ張っていくべきだったとこの後、大いに後悔するはめになる。
 後悔先に立たず−−−昔の人は偉大だと、しみじみ諺の奥の深さをが噛み締めるのは放課後になってからであった。

 朝、起きた時は喉が少し痛くて、ああ、風邪を引きかけたかな?と思った。気にするほどのこともないと判断し、いつも通りに学校へ行っていつも通りに授業を受け。
 昼、妙に肩の関節や膝の関節が痛いな、と思ったけど何かにぶつかった記憶もなく。首を傾げながらもお昼のお弁当を美味しく、残さず食べて元気良く図書室での仕事をこなした。
 放課後、関節の痛みが肘や手首、足首にまで及んだ時点でようやく、自分の体の変調を疑った。疑ったが、思考はクリアで関節の痛みさえ気にしなければ普段通りの行動も行なえた為、何の躊躇いもなく当然のように委員会へと−−−は図書委員に属している−−−出席。
 そして現在に至る。

さん?まだ、いたんだ」
「うん、図書委員会があったから」
 クラスメイトの問い掛けににっこりと笑顔を浮かべただったが、すぐに不思議そうな表情になり、首を傾げた。
「郭君こそ、どうしてこの時間までいるの?よほどのことがない限り、HRが終わるとすぐに帰るのに」
 漆黒の髪と瞳が涼しげな顔によく似合うクラスメイトは確か、遠くのサッカークラブに通っているとか言っていたように思う。最近ではもっとすごいところにも選ばれたんだ、といったようなことを彼のファンの女の子達が話していたのも耳にした記憶がある。
 だとすれば、今現在の彼は非常に忙しくてこうしてのんびり、放課後に居残るなんてことはしないはずなのだが。
さんの言う通り、よほどのことがあったから」
「?」
 頭上に大きくクエスチョンマークを張り出しているのあまりにも分かり易い表情に、英士の無表情な顔が僅かに笑みを浮かべた。
「しばらく欠席していたからね、先生達にプリント提出を命じられただけ」
「あ、なるほど」
 ぽん、と手を打ちつけ、納得したように頷くに英士の笑みが更に深くなる。
 天真爛漫と言ってもいい、真っ直ぐなのころころと変わる表情は本当に可愛く、見ていて飽きない。
「サッカーとの両立も大変だよね。でも、それを郭君はこなしているんだもん、凄いよ」
 裏など何もない、心からの純粋な言葉は素直に相手の心に響く。は無意識にそれをやってのける人物だった。
「好きだから。サッカー」
「うん、郭君はサッカーが好きだってこと、よく分かる。でも、好きと両立は全然別物でしょ?すごく努力しているってことだよね。本当に凄いし、私、尊敬するもの」
「うん、ありがとう」
 どこまでも素直に、そして何の裏もなく相手を評価し、尊敬できることは稀有な資質であろう。だからこそ、英士も何かを考えるよりも先に素直な言葉を口にし、それに気づいた瞬間、自分自身で驚いた。思わずそれを言わせたの顔をまじまじと見つめてしまう。
「どうしたの、郭君?」
 じっと自分を見つめる英士には不思議そうに見つめ返す。普通の女子生徒ならば顔を赤らめるか、下手をすると何やら誤解をしてしまうところだが、に限ってはそういった感情とは無縁であった。ただ、不思議そうにクラスメイトの綺麗なポーカーフェイスを見返すだけ。
 奇妙な沈黙に陥りかけた二人だったが、英士の冷静な観察眼がの僅かに赤みがかった頬と少しばかり乱れた呼吸に気づき、意識をそちらへと向ける。
さん、もしかして体調、良くないんじゃないの?」
「え?そんなことないよ」
 英士が自分を見つめていた理由がそれであるとは勘違いし、笑顔で否定するが納得しない英士は椅子から立ちあがっての側に寄った。手を伸ばし、の額に触れる。
「・・・・・さん、保健室へ行くよ」
 英士の手に伝わった体温は平熱とは言い難いほど高い。疑うべくもなく、は確実に発熱していた。
「で、でも、郭君、プリントは?」
「後は提出するだけ。それよりも、さんの方が先」
 英士の手により、目を白黒させたがほとんど強制的に保健室へと連行されている途中で二人に声をかけた人物がいた。
?一体、何事なの、それ」
ちゃぁん」
 親友の大きな瞳に浮かぶ『助けて』コールと無表情ながらも何やら心配そうなクラスメイトを見比べ、こちらも委員会帰りだった(まったくの余談だが彼女は放送委員である)は大きなため息をつく。
「郭君、この子をどこへ連れていくつもりなの?」
「保健室」
「保健室・・・って、、具合が悪いの!?」
「具合なんて、悪くないよぉ。でも、郭君がいきなり、突然、保健室へ行くって・・・」
 困惑気味のの台詞には半ば確信し、数分前の英士のように手を伸ばして親友の額に触れた。
 数秒の沈黙後。
「・・・・・・・・・・、保健室へ行きなさい」
 親友の睨む迫力に負け、すごすごと保健室へ連行されるの姿があった。

「38度5分」
 体温計が示した温度を保健医は読み上げ、からからと笑う。
「よくもまぁ、この熱で放課後までいたわね。完全な風邪よ。時期が時期だからインフルエンザかもしれないわ。とにかく、早く家に帰って大人しく寝なさいな」
「はぁ」
 気の抜けたような返事をするの額をが軽く小突く。
「『はぁ』じゃないわよ。なんだって、そんな熱を出していて平気なわけ?」
「いや、もともと私、熱には強い方だし」
「強いにも限度があると思うけど。それに、普通気づくでしょ、風邪をひいたら」
 呆れたような英士の言葉にはのほほんと答える。
「いつもの風邪とタイプが全然違ったんだもん。普段なら喉が痛くて咳とかが出て、でも熱はないものなの。今回のは熱だけで喉の痛みも咳もなかったから本当に気づかなかったんだよね」
「健康優良児のさんがこんな高熱をだすなんてね〜。『鬼の霍乱』を地でいっているわよ。そうそう、念の為に病院へは行きなさいね」
「はぁい」
 どこまでも呑気なの返事に、と英士の二人は同じように眉間に指を当て、深いため息をついたのだった。

「あのぉ、郭君?」
「何?」
「何って・・・それはこっちの台詞なんだけど」
 何だって私の鞄を当然のように持って、それでもって、どうして当然のように病院まで付き添っているのでしょうか?
「そりゃあ、これだけの高熱を出している人を放っておけないし、一人にするわけにもいかないでしょ」
「いや、だから、一人で大丈夫だって言ったけど、私」
さんにも頼まれたしね」
ちゃんが?」
 英士の口から出た親友の名前にはぱちくりと瞳を見開いた。
さん、病院嫌いなんだって?で、普段でも病院へ行かずに寝て治すとか言っているんだって?」
 にっこり笑顔で確認を取る英士に、は思わず冷や汗を流す。笑ってはいるが、漂う雰囲気が非常に、コワい。
「え・・・と、まぁ・・・うん、そうだけど」
「そんなさんが素直に病院へ行く訳がないとさんは断言したんだよね。本当は自分が連れて行きたかったらしいけど、今日はどうしても外せない用事があるらしくって。で、俺がさんを病院へ連れて行くことになった訳」
「さすがに今回はちゃんと病院へ行くつもりだったんだけど・・・」
「信用できなかったんでしょ」
「あ、あはははは・・・」
 あっさりと言ってのけた英士には乾いた笑いを零した。以前、風邪をひいたときに病院へ行くと言っておきながら結局は行かなかった前科があるだけに、反論も出来ない。
 そうこうするうちに病院へ着き、英士が監視・・・もとい、見守る中、受付を済ませる。受付を済ませたはくるりと振り向くと右手を英士に差し出した。
「何?」
「私の鞄。ここまで来たら、いくらなんでも逃げはしないから、人質を返してくれる?」
「この場合は人質じゃなくて、ただの質だけど」
「細かいツッコミはいいから」
 ずずいっ、と迫るに英士は軽く首を傾げ、ポンポンと自分の隣の椅子を叩く。
「まぁ、落ち付いて、ここに座ったら?立ったままだと疲れるよ」
「え?あ、うん」
 どんなに怒って拗ねていようとも、基本的に素直なは勧められるまま、英士の隣に腰を下ろす。
「で、郭君」
「ん?」
「鞄、いつまで捕獲しているつもりなの?」
「うん、さんの家まで」
 つまり、が診察を終えて家に帰るまで付き合うということ。
「いいよ、そこまでしてくれなくても。後は家に帰るだけだもの。だから、鞄、返して」
 そう言ってもう一度手を差し出すに英士は軽く首を振って拒否の意を示した。
「ねぇ、さん。俺、ここに来る前にも言ったよね?これだけの高熱を出している人を放っておくわけにはいかないって」
「でも、郭君に悪いよ」
「ここでさんを放って帰る方がよっぽど後味が悪いんだよ。それに、ちゃんと無事に家に帰れたか気になって仕方がないしね。俺を安心させる為にも家まで送らせて」
 英士にとって、それは破格の扱いなのだが彼を唯のクラスメイトとしか捕えていないは言葉通りの意味しか捉えない。そして、ここまで言われればとて英士の申し出を無下に断ることは出来なかった。
「・・・うん、じゃあ、家までよろしくお願いします」
 ペコン、と頭を下げたは英士と顔を見合わせると照れくさそうに笑ったのだった。

「あーあ、飲み薬よりも注射の方が良かったんだけどなぁ」
 無事に診察も終わり、家路を辿るは少々不満げな顔で先ほど渡された薬の不満を呟いていた。
「注射をするほどひどいものじゃなかったってことでしょ。どうしてそんなに不満そうなわけ?」
「だって、風邪薬を飲むとすごく眠くて、授業中でも居眠りしちゃうから」
 病院嫌いが原因か、は風邪薬を飲むとその副作用である眠気が容赦なく襲いかかってくる体質である。下手に指示通りに服用すると一日中眠気との戦いになるのだ。
「だから、風邪薬を貰うよりも注射をしてもらったほうが良かったんだけど。・・・しょうがない、夜だけ飲むことにしよう」
「きちんと飲まないと治らないよ、風邪。・・・っていうか、それだけの熱を出していて、明日、登校するつもり?」
 呆れたように聞いてくる英士にはけろりんとして頷く。
「たぶん、明日は熱、下がっているから」
「・・・どうして、断言できるのかな」
「小学校の頃にも一回、同じ事があったから。すごい熱を出したけど、一晩寝たら治っちゃったの。だから、今度も明日には治っていると思うよ」
 現在、高熱を出しているとは思えない呑気さで予想を立てるに英士も脱力するしかない。
「すごい自信だね」
「元気だけがとりえだからね、私」
「いや、そういう問題でもないような気がするけど」
 どうも、と話していると自分のペースが崩れる気がして英士は眉間に指を当て、ため息をついた。
 とにかく、には英士のファンと称する少女達のような、英士に対する女性特有の『媚び』というものがない。唯々、真っ直ぐで天真爛漫で。素直な言葉を素直に伝え、尚且つその言葉を受け取った者をも素直にさせるという、恐ろしいほどに稀有な性質を持つ少女なのだ。
 少々・・・いや、かなり、英士にとって分が悪い相手ではある。本人に自覚がないのもまた、質が悪い・・・とは言い切れないのもなにやら複雑だが。
「どうしたの、郭君?」
 きょとん、として英士を見上げるの瞳を見返し、英士は僅かに苦笑を浮かべた。
「いや、なんでもないよ」
「ふうん。郭君がそういうのなら、いいけど。・・・あ、ここが私の家」
 深く突っ込む事をあまりしないは英士の言葉に軽く頷くと話題を変えるように一軒の家を指差す。ほんの2、3軒先にある家を示したは鞄の中を探り、鍵を取り出すとちょうど着いた家の扉にそれを差し込んだ。
「ここまで送ってくれて有難う。お礼にお茶をご馳走するからちょっと、上がっていかない?」
 何度も言うようだが、は高熱をだしている立派な病人である。普通、客をもてなす以前に自分の体を労わる方が先のはずである。
「・・・・・俺のことよりも、自分のことをする方が大事でしょ」
 何度目か分からない英士のため息もすでに、疲れたものとなっているのは致し方ないだろう。いい加減、に病人の自覚を持ってもらいたいのだ。
「お茶を入れるぐらい大丈夫。それに、私も喉が渇いていたからお茶を飲みたかったし・・・付き合ってくれると嬉しいな」
「そういうことなら・・・お邪魔するよ」
 にっこり笑うからまだ目が離せないと判断した英士は促されるまま、リビングらしき場所に足を踏み入れ・・・そこでようやく、一つのことに気づいた。
「そういえば、さん。親はどうしたの?」
「お母さんのこと?」
 ヤカンをコンロにかけてお湯を沸かしながらお茶の準備をしていたはちらっと時計へと目を走らせる。
「んー、今、6時過ぎだから・・・もう少ししたら帰ってくるよ」
「知らせていないわけ?風邪のこと」
「帰ってきたら言うけど?」
 呑気である。本当に、とことん、呑気である。
さんさ、自覚ある?自分が病人だってこと」
「一応ね」
 そう言うであったが紅茶ポットに茶葉を入れ、沸いたヤカンのお湯を紅茶ポットとカップに注ぎ、砂時計を引っ繰り返してセットするという一連の動きは滑らかではっきり言って、『本当に自覚しているのか?』と突っ込みたくなるようなものであった。
 砂時計の砂が落ちきったのを確認したはカップの中のお湯を捨て、紅茶ポットの中身をそれぞれのカップに注ぐ。漂ってくる嗅ぎ慣れない香りに英士の首が傾げられた。
さん、この香り・・・?」
「ハーブティーだよ。癖はそれほど強くない種類だから、あまり抵抗なく飲めると思うんだけどな」
 勧められるままに口にしたハーブティーは爽やか系で確かに飲む事にあまり抵抗はない。
「ミントとレモンハーブのブレンドティーだから初心者でも飲み易いの。疲れた時に飲むとほっとするのよね」
 と、いうことは、やはり、風邪で体力を消耗しているのか、とその会話で冷静に判断しながらも英士は先程目にした疑問を口にした。
さんってさ、もしかしてハーブが好きなの?さっき戸棚の中がちらっと見えたけど、瓶とか缶の数が結構多かったよね」
 それにわざわざ紅茶ポットを使ったり、砂時計で時間を計ったりとかなり本格的でもある。
「うん、好きだよ、ハーブティー。だけど紅茶も好き。そうね、お茶道楽の初心者ってところかな」
 そんなことを言っているうちに時間がたったのだろう。玄関の開く音がした後、の母親らしき人がリビングに顔を出した。
「ただいま、。お客様?」
「うん、クラスメイトの郭君。わざわざ病院に付き添ってくれて、家まで送ってくれたの」
「まぁ、そうなの。どうも、有難う」
「いえ。一人にさせてはおけなかったものですから」
 にっこりと笑顔を浮かべ、お礼を言う母親に英士は軽く首を振って簡単な理由を口にする。それを聞いた母親は再びにっこりと笑顔を浮かべた。さすがというか、その笑顔はとそっくりである。
「で、、病院って?」
「熱、出しちゃった」
 てへっ、と笑う娘に母親は呆れたため息をついた。
「まったく、笑い事じゃないでしょう?ご飯は食べられるの?」
「あ・・・ちょっと、無理、みたい」
 母親のツッコミにの笑顔が僅かに引き攣る。あまり気にしてはいなかったが食事のことを考えた途端、胃が拒否反応を起こしていることに今更ながら気がついたのだ。
「お粥を作ってあげるから、はそれを飲んだら部屋で寝ていなさい」
「はぁい」
「あ、郭君、だったわよね?悪いんだけど、お粥が出来るまでこの子を見張っててくれるかしら」
 いきなり頼まれた内容に英士よりもの方が慌て、母親に抗議の声をあげる。
「お母さん、どうして郭君にそんなことを言うの?郭君が迷惑でしょ」
が大人しく寝る子なら、お母さんもこんなことを頼まないわよ」
 ぴしゃり、と抗議を撥ね退けるあたりはさすがに母親というべきか。
「ごめんなさいね、郭君。でも、この子、一人で放っておくと本を読み出すか、パソコンの前に座るか・・・とにかく、大人しく寝てくれないのよ」
「確かに、ありえそうですね」
「・・・・・」
 母親の言葉とそれに同意する英士。突っ込まれた事柄が確かに自分が起こしそうである行動であるだけには反論も出来ず、視線を逸らすしか出来なかった。
 そうこうするうちにハーブティーを飲み終えたは反論する時間も糸口も与えられないまま、母親に自分の部屋へと追いやられ、英士はその後をついていく。
「ちょっと、そこで待ってて。着替えるから」
 英士を部屋の外で待たせ、は急いで部屋着に着替えると簡単に部屋の中を片付けた。見られて困るもの、というわけではないが日記や手紙類などはそこらに放って置きたいものではない。
「待たせてごめんね。どうぞ、入って」
 促されて入ったの部屋の第一印象は。
「・・・・・すごい本の数だね」
「皆にも、言われる」
 小さな鏡台だとかアクセサリー入れだとか、年頃の少女らしいものはある。だがしかし、そんなものよりも壁一面を占めている本棚とそこに詰まっている本の数にまず圧倒されるのだ。
 しかも。
「守備範囲がものすごく広いんじゃない?」
 少女小説は言うに及ばず、国内・海外ミステリーにSF、ファンタジー、神話に伝説、エッセイに自伝書。
「それに、これって何?天使の辞典に悪魔の辞典?幻想動物辞典に神々の辞典、果ては呪術全書に護身術、プログラムの本に料理の本にお菓子の本・・・無節操にも程があるよね」
「うーん、興味のあるものに手を出したらこんなになっちゃっただけなんだけどな」
 首を傾げながら手を伸ばし、一冊の本を手に取っただったが、その本を開かないうちに英士の手によって奪われる。
「郭君?」
「おばさんにも言われたでしょ。大人しく寝ていろって」
「あ・・・そうだった」
 無意識の行動には気まずそうに首を竦め、英士の顔を見上げた。
「まったく。おばさんが見張りを頼むのも分かる気がするね。とにかく、ベッドに寝たら?」
「うん、そうする」
 気まずそうな顔のまま、はごそごそと自分のベットに潜りこむと、側にいる英士の顔を見上げる。
「郭君も適当に座っていてね。もし、興味のある本があれば適当に見ていてもいいし」
「有難う。そうさせてもらうよ」
 頷く英士の顔を見上げていたはふと、浮かんだ疑問を口にした。
「ねぇ、郭君。どうして、ここまで世話を焼いてくれるの?」
「これだけの熱を出している人間を放っておくほど俺は冷血漢ではないつもりだけど」
「うん、まぁ、そうだろうけど」
 しかし、この英士の答えが腑に落ちないのか、の顔は微妙に複雑である。
「それとも、そんなに信用ないのかな、俺の言葉は」
「そうじゃない、そうじゃなくて。郭君ってさ、女の子に対しては一線を引いているでしょう?必要以上に関わらないし、関わらせないって感じで。そんな郭君がいくら熱を出していたからって、ここまでしてくれるかなって思うの」
 素直で真っ直ぐな性格が伺える視線に見つめられ、英士は戸惑ったように視線を揺らせた。
 事実、英士は戸惑っていた。
 いくら頼まれたからといって、半ば強引に家まで送ったり見張り役を引きうけたりしないことに、が指摘するまで気がつかなかったのだ。
 天真爛漫なところのあるは英士を唯のクラスメイトとして扱う。そんなだからこそ、英士も自分から構うことも度々で。構う度にころころと変わる表情が可愛くて、更に構った事もある。
 普通に自分を扱ってくれるの雰囲気が居心地良くて、ころころと変わる表情から目が離せなくて、真っ直ぐな感情がとても可愛かった。
 そう、だからこそ、だ。だからこそ世話を焼くし、自分の領域を許すこともできる。
「あの、郭君?ごめん、私、何かヘンな事を言ったかな?」
「いや、そんなことないよ。っていうか、どうして今までこの事に気づかなかったのか、自分の鈍さ加減に呆れているところ」
 何時の間にか、心の中に存在していた彼女。存在している事があまりにも自然だった為に気づかなかったのか。
「まったく、参ったね」
「あ、あの、郭君?」
 横になっているの頬に手を伸ばし、その柔らかくて滑らかな肌触りを楽しんだ英士は、突然の行動に目を白黒させているの額に自分の額をくっつけて大きな瞳を覗き込んだ。
 触れた額はまだ熱く、病人らしくないがしっかり風邪をひいている事を伝えている。
「早く風邪を治しておいで、
「か、郭君?」
 駄目押しとばかりに名前を呼ばれたの顔がぼぼっと赤くなった。熱ももしかして、上がったかもしれない。
「元気になったら、が俺の中でどんな位置にいるのか、教えてあげる。嫌だと言っても無理。だって、がそのことを俺に気づかせたんだからね。、絶対に逃がさないよ」
 一度気づいた想いは加速度的に膨れ上がる。ただ一途に相手へと想いが向かっていく。
「覚悟していて。本気で落とすから」
 何も言えず、唯、赤くなるだけのの頬をもう一度撫でた英士は徐に立ちあがった。それと同時にの部屋の扉が開く。
、お粥が出来たわよ」
「それじゃ、さん。俺、帰るね。あと、この本も貸してもらうから」
「あ、う、うん」
 何事もなかったかのように帰る旨を告げる英士に、お粥を運んできた母親がにっこりと笑った。
を見張ってくれて本当に有難う。今度また、遊びにいらっしゃいね」
「はい」
 部屋を出て行く英士を見送った後、は赤くなった顔を膝に押し付け、五月蝿く鳴り響く鼓動を静かにさせようと何度か深呼吸する。
「もう、参ったはこっちの方だよぉ」
 あんな風に言われて、意識するなというのが無理だ。
「もう、落とされちゃっているかも・・・」
 深々としたため息とともに呟いた台詞は1週間後、事実となった。

 そう、1週間後。何故、こんなに時間があいているのかといえば、と入れ替わりに英士が風邪を引いたからで。
 は翌日しっかり熱が下がって登校していたのだが、お約束なことに英士がしっかりの風邪を貰って寝こんでいたのだ。
「健康優良児のに取っ付く根性のあるウィルスだもの、郭君に移らないはずはないわよね」
 一部始終を聞いたのコメントに英士もも反論は出来なかった。

 なにはともあれ、鬼の霍乱が引き起こした熱は別の熱をも引き起こし、そしてそれは半永久的に続くようである。

 別の熱−−−恋という、麻薬のような熱が。


(END)