家が近くにあって、幼稚園から一緒で。 いくら母親同士が親しくても、子どもはそれほど仲が良いわけではない。 特に、その子たちの性別が違っていては尚更である。 と郭英士は、中学2年までそういう関係だった。 「、最近英士くんと遊ばないの?」 中学校から帰宅した入浴前の少女に、脳天気な母の声がかけられる。 「あのね、一緒に遊ぶのは幼稚園まで。クラスも違うし。第一サッカーとかで忙しいんじゃない?」 彼に関しては、母から入って来る情報の方が絶対に多いと思う。 「そんなもんなのぉ?」 長期の海外出張から夫が戻ってくるせいか、の母はかなり浮かれているようだった。 「ママ、まだ食べちゃダメ?」 時計は7時半を指している。父はまだ戻らない。 テーブルには父の好物が所狭しと並べられている。 「そうねえ、もう少し待ってみましょうよ」 ピン・ポーン 玄関のチャイムが鳴った。 「きっとパパかも、私出るね!」 嬉々として少女はドアを開けた。 「お帰りなさ…あっ…」 予想を外れ、玄関先にいたのは包みを持った郭英士だった。 ごめんなさいと詫びるに、彼は無表情に首を振った。 「別にいいけど。それより、これ、持ってけって」 「わあ、おばさまのキムチ?嬉しい、売ってるのと違ってすっごく美味しいから大好き!ありがとう…えっ?」 奥でドタッと大きな物が倒れる音がした。 「ちょっと待ってね、見てくる」 郭もうなずいた。 ぱたぱたとリビングに走ってきたは息を呑んだ。 ソファの手前で母が倒れていたのだ。 戻らないを不審に思った郭も上がり込み、遅れてその場に立ち尽くす。 (うそっ、どうしよう?えっと、110番?119番?) 自分の心臓の鼓動ばかりが響いて、何をしていいのか思い浮かびもしない。 「落ち着いて。息はしてるね?」 「う、うん」 冷静な郭の言葉に、母の様子をようやく確認できた。 「じゃあ、俺が救急車呼ぶから、毛布持って来て。板の間は絨毯の上でも冷えるから」 「はい」 動揺している時は、命令される方が動きやすいこともある。 少年の的確な判断で、風邪をこじらせ軽い肺炎を起こしていた、少女の母の命に別状はなかった。 一人娘であるが救急車に同乗して無人になる家では、英士少年が自分の母を呼び、帰宅して驚くであろう氏に説明するために、わざわざ彼も残っていてくれたのだった。 全快したの母がお礼にと、郭一家を自宅に招待したり、年末年始の交流も続いたのだが、高校受験で進路が別々になってしまったこともあり、次第に、また元の母親同士の付き合いに戻っていったのだった。 偶然、道で出会えば話はするが、待ち合わせて出かけたり、互いの家を行き来することもなかった。 「、ちょっとおつかい頼める?」 「うん、いいけど」 明らかに出かける支度をしている母が、大きめの紙袋を差し出した。 「ほら、郭さんとこ、今旅行中なのよ。サッカーやってる英士くん、寝込んでるんだって」 「郭くんが?」 お互い20歳を過ぎ、大学生であると違い、プロのサッカー選手として活躍している郭英士は、既に有名人だった。 「私が行く予定だったんだけど、急に用事ができちゃって…」 「え、ちょっと、それは…」 それほど親しくもない若い男性の、一人暮しの部屋に行くのは勇気が要る。 「受けた恩は返さなきゃね」 「う…」 これを切り出されては、断るわけにもいかなくなる。 「マンションは○駅から近いらしいわ。入り口の暗証番号も、このメモに書いてあるから」 ドアの鍵と共に手渡された。 「ママよっぽど信頼されてるのねぇ…。あ、待って!」 戸惑うを残し、母は機嫌よく出かけて行った。 (病気で寝込んでるって…。介抱してくれる彼女くらいいるでしょうに) 気乗りはしないが、任された以上責任がある。 白のコーデュロイブラウスにスリムジーンズという一応動きやすい服装に着替え、ジャケットを引っ掛けて、も家を出た。 簡単な地図と住所からマンションはすぐにわかった。 エントランスで念のため部屋番号を押したが、返答はない。 しばらく待って再び試しても、無反応だった。 (よっぽど具合が悪いのかな?) テンキーに暗証番号を入力すると、厚めの褐色のガラス扉が左右に開いた。 エレベーターを降りたは部屋番号を何度も確かめてから、預かったカギでドアを開けた。 「お邪魔します」 初めて訪問する他人の家は、やはり緊張する。 スリッパを勝手に使うのはためらわれ、ソックスの足でそろそろと上がった。 長い廊下を突き当たった所がリビングらしい。 そっとドアを開け足を踏み入れた。 静かな無人の室内はやけに広く感じる。 「寝室かな…?」 やはり起き上がれないほど悪いのだ。 手にしたジャケットと荷物をソファの近くに置いて、は寝室を探した。 「開けますよー」 手近なドアを開くと奥の大きなベッドに膨らみがあった。 こちらに背中を向けていて、顔は見えない。 「あのー、ですけど、母の代理で来ました。お加減いかがですか?」 小さめの声で話しかけてみる。 膨らみが動き、寝台上の人物がゆっくりと身を起こした。 「郭くん…?」 最近では顔を合わすことも少なくなったため、じっくり観察する機会もなかったが、体格も顔立ちも中学時代と比べ、男性らしく変化している。 唯一変わらないサラサラの前髪を揺らし、彼はけだるげにこちらを向いた。 「…ああ、さん、来てくれたんだ」 「お、起きなくていいわよ」 郭が病人であることを思い出し、慌ててベッドに近付き横になるように言う。 「困ってることない?洗濯でも掃除でも、あ、お腹すいてたらおかゆでも食べる?」 確か紙袋の荷物にレトルトのおかゆもあった気がする。 は身を翻し、リビングに歩き出した。 (え…?) 音もないのに、背後に人の気配を感じ振り向く。 「君が欲しい」 上半身には何も着けず、柔かい素材のロングパンツ姿の郭がすぐ傍まで来ていた。 「何ふざけてるの?病人はおとなしくベッドに戻って」 「風邪は治ったよ。もう健康体」 「嘘!さっき寝てたじゃない」 「それは君をここに呼ぶための口実」 「…!私帰る」 (せっかくのお休みをコイツの悪ふざけに潰されるなんて。冗談じゃないわ) 「帰さないよ」 素早く先回りをして、郭はドアの前に立ち塞がる。 「なんで?ご近所のよしみで、こうしてお見舞いに来ただけじゃない」 母の窮地を救ってくれたことには感謝しているし、その後も恩着せがましくなく、相変わらず涼やかな彼に、好意を寄せていたのも事実だ。 しかし、サッカーで東京地区の選抜メンバーに選ばれて、郭が更に忙しくなったことを母から聞いた時、自分の想いなど押し付けでしかないと、心の奥に押し込めた。 季節がいくつも過ぎて行く中で、郭家に出入りする女のコの姿を見かけないことに、胸を撫で下ろす自分が滑稽に思えた。 友人の紹介で幾人かの男のコとお見合いデートをしたこともあるが、郭と比べると数段落ちる気がして、付き合うまでは至らなかった。 ほのかな憧れを抱き続けてきた相手だからこそ、このマンションを訪れる気にもなったのだ。 「ひとり暮らしの病気は大変だろうからって、ママに頼まれたのよ。前に助けてもらったこともあるし…。元気なら私は必要ないじゃない」 どいて、と彼の胸を勢いよく突き飛ばし、出て行く、はずだった。 「…きゃ!」 (…この目の前の滑らかな肌色は何?) 伸ばした腕をあっさりかわされ、気付けば彼の胸の中に閉じ込められていた。 「うわっ、ちょ、この状況は困りますって」 裸の異性の肌に触れたことすらないにとって、非常事態なのだ。 「知ってる。男性経験ないんでしょ?」 「うっ…何でそんなこと」 「家に戻ってた時、君のお母さんから聞いた」 (ママったら、余計なことを…!) 帰ったら文句のひとつも言ってやらないとおさまらない。 自分の置かれている立場も忘れ、憤慨するに郭は苦笑している。 (はっ、今はそれどころじゃなかった) なんとかこの状態を打破しなくてはならないのだ。 「俺って、周りから固めるタイプだから」 「はぁ…?」 「欲しいものを必ず手に入れるためにね」 すっと、彼がその身を離した。 言葉と反対の郭の行動に気を抜いたのブラウスのスナップボタンが、一気に開かれた。 「なっ、何すんのよっ!」 胸元を隠す腕ごときつく抱き締められ、息が止まりそうになる。 「俺は本気だよ」 頭上からの熱い吐息にゾクッとした。 頬から滑り落ちてきた唇が、の小さなそれと重なる。 「…んっ、やっ…んん」 そのまま抱え上げられベッドに降ろされた。 (こ、わい…) 抵抗を許さない郭は、彼女のブラウスを取り去った。 「やだって言ってるの、聞こえないのっ…んうっ」 器用に片手でジーンズを脱がせながら、彼は暴れるに何度もキスを繰り返した。 (どうしよう、逃げられない…) 決して暴力的ではないのだが、抗っているのにやめてはくれない。 初めてのときというものは、もっと甘く優しく迎えられるものだと信じていたのに、騙された気がしてくる。 (あっ…) 胸の開放感に上半身に着けているものが、何もなくなったことに気付いた。 下の方すら、時間の問題だ。 「ねえ、郭くんだったら、いっぱいお相手いるでしょう?こんなこと、やめようよ。私は自分を大事にしたいの」 直にふくらみに触れてきた郭の手が止まった。 「大事にし過ぎて、手が出せなかった。いつ他の男に攫われるんじゃないかと思ってハラハラのし通しだよ、まったく」 意外な発言に、は涙のたまった瞳を彼に向ける。 「自分がどれだけ魅力的なのか、自覚ないでしょ?」 額をこつんと当てられた。 「ずっと…たぶん物心ついた時点から好きだった。いや、愛してる、と言った方が当てはまるかな。1人で暮らし始めて、君の気配を感じない生活がたまらなく淋しいと気付いた」 情けないことに、と郭は薄く笑った。 「私だって…ホントはずっと好きだった」 思わず想いが溢れてきた。 「でも…いきなりはやだ」 「今だから話すけど、心の中では何度も君を俺のものにしていたよ。それに、この件は君のお母さんの了承も得ているしね」 (…!) 「というより、とっくの昔に婚約してたんだよ、俺たち」 「婚約…?」 仲良しの母たちがやりそうなことだ。 「そういうわけで、続き、してもいいでしょ?」 「いや、それは、ちょっと、やっぱり…はああっ」 大切な部分を下着の上からなぞられて、甘い声が出てしまった。 「感度良好、だね」 思わず口を塞いだに、彼は最高の微笑みを浮かべた。 「そろそろ、名前で呼んでくれる?」 恥かしそうに、こくりとうなずいた彼女は、郭の耳に小さく、『英士』という名を囁いた。 どうやら母たちの思惑通りに、彼らは無事、初めての夜を迎えてしまったということは確からしい。 <おわり> 2002.3.20 風深
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