「い・・・いやだあああぁぁぁっっっ!!!」 平和な放課後は演劇部の部室から響いてきた大絶叫で壊された。 |
変身 |
「ちょっと待ってよ、!私にこの役をやれというの!?」 台本に書かれている配役を指し、は叫ぶ。が演じるように言われた役は踊り子。しかも、内容からしてかなり妖艶なタイプだ。 「もちろん」 「今までメイド頭とか、家庭教師とか、学者とか、そんな役ばっかり演じていたこの私に!?」 「演れるでしょ、は」 渡された台本を掴み、ふるふると手を震わせているには至極あっさりと言い放つ。 「まず、外見で無理でしょうがっ」 確かに、の外見は髪をきっちり纏めた上に細い銀縁の眼鏡を掛けているという、どちらかと言えば『お堅い』イメージである。だが、部長であり親友であるは呆れたため息をつくとじろりとを睨んだ。 「、あんたねぇ・・・。この私にその言い訳が効くとでも?」 「うっ・・・」 狼狽るには更に畳み掛ける。 「だいたい、その眼鏡だって伊達でしょうが。わざわざ自分でお堅いイメージを作り上げて他人に見せていたことを知らない私だと思っているの?」 「・・・イエ、オモッテイマセン・・・」 態と地味に作っていることも、その理由も知っている親友だけに、は何も言えなかった。 「役を割り振るとどうしたって、今回はあんたにそれを演ってもらわなきゃならないのよ」 「・・・ん、分かった。けど、条件」 「何よ」 「どうせ、部員達に緘口令を引いたってどっかから漏れる事は間違いないから。だから、私は今回、完全裏方だってことにしといて。家の事情で部活にも顔を出せないから、家でもできる衣装か小道具係りになったとでも言ってよ。で、この役を演る人はゲスト出演で呼んだことにしてくれる?」 「OK、それで手を打ちましょ」 が指定した条件は納得できるもので尚且つ、根回しできる範囲内だったのでも頷き、了承する。 「じゃ、裏を固めるために細かいところを打ち合わせしときましょ」 「了解」 その約2週間後に発表した演劇部の舞台は大成功で終了したが、一人の人物の正体が取り沙汰されるようになったのだった。 「!なら知っているだろ、踊り子をした子のこと!」 「知らないわよ」 「演劇部の癖に知らないわけはないだろ!いいから教えろよ、あれは誰なんだ?」 「しつこい。知らないと言っているでしょう」 「何でだよ!」 「いいこと?今回、私はまったくこの舞台に関わっていないの。家の事情で全然部室にも顔を出していないのよ。そんな私がどうしてあの人のことを知ることができるの?」 まったくもって取り付く島もないの答えにそれでも何とか情報の一端でも引き出そうと頑張る男子生徒。ある意味、立派な根性を持っているといえよう。 「じゃあ、どうしてまったく関係ない人間が演劇部の舞台に出るんだ?」 「私に聞かないで。あるいはなら知っているかもしれないけど・・・貴方達、から聞き出す勇気、あって?」 さすがにこの台詞には男子生徒達は首を横に振るしかできなかったらしい。心なしか顔色も青く見えるのもきっと、気のせいではないだろう。 演劇部部長であるはかなりの策士家でこっそり裏から手を回していることなど日常茶飯事、彼女の逆鱗に触れれば学園生活を平穏無事に過ごせないなどとまで言われている。実際、演劇部の後輩に降りかかったある事件に激怒したがその事件の首謀者を突き止め、じわじわと追い詰め、いたぶり、とうとう泣きながら土下座させたというシャレにならない逸話を持っているのだ。さすがにそんな相手を向こうに回す気概のある人物はいなかったらしく、の前から人影が消え、もそっとため息をついた。 「大変だな、」 隣から響いた静かな声に横を向くと声と同様、静かな視線がを見ていた。 「そうでもないわ。この熱狂も一時的なものだと思うし、しばらくすれば静かになるでしょう。どちらかといえば手塚君の方が大変だと思うわ。貴方達の周囲の騒ぎは半永久的なものだもの」 暗にテニス部に押し寄せるファンの女の子達のことを言われた手塚の眉間に皺が寄せられる。わざわざ言葉にはしないが、鬱陶しいと思っていることは一目瞭然だ。 眉間に皺を寄せたまま、軽く首を振った手塚は再び視線をに戻す。 「は、この騒ぎは一時的なものとみているのか?」 「物珍しさからくるものだと思っているのだけど・・・何かあるの?」 好奇心とは縁遠い人物だと知っている為、も首を傾げて問い返した。それに手塚は軽く頷いてみせる。 「今朝、乾から聞いたが・・・新聞部が動いているらしい」 「新聞部・・・が?」 「ああ」 肯定する手塚を見たの顔に困惑の表情が浮かんだ。 「乾君からの情報となると・・・ほぼ、間違いないとみていいわね」 「そうだな」 「わざわざ有難う、手塚君。とりあえず、に知らせておくわ」 「にか?」 「に知らせておけば、大抵の事態は回避できるもの。それに、新聞部もを怒らせるような馬鹿な真似はしないでしょう?」 「同感だな」 あまりにも有名な逸話を思い出したのだろう、納得した表情で手塚は頷く。 「・・・というか、新聞部が動いたという時点ですでにの怒りを買っていると思うよ」 急に頭上から響いた声に驚いたが勢いよく顔を上へと向けると、そこには長身の影。テニス部No.3と言われている人物が側に立っていた。 「・・・びっくりした・・・」 「ああ、ごめん。手塚に用があったんだけど、近くに来たら話が聞こえてきたんだ」 「別に内緒話をしていたわけじゃないから、気にしなくてもいいわよ。手塚君に、用?」 「そう。今日の練習ノートを渡すのを忘れていたから」 手にしていたノートを手塚に差し出すと、彼も分かっていたのか無言で受け取る。そのやり取りを見ながら、はちょっとした疑問を乾に尋ねた。 「ねえ、乾君が青学きっての情報通だっていうのは知っているけど、どうして演劇部の謎の出演者に新聞部が乗り出しているって分かったの?」 「ああ、それはね」 僅かにずれたのだろうか、眼鏡に手をやり、位置を直しながら乾は何でもないようにサラリと事実を告げる。 「新聞部の一年が俺のところに来たからだよ。の弱点を知らないかって」 「・・・・・ストレートだな」 「命知らずもいいところだわ」 「美味しいネタだと新聞部も思ったんだろうけど、さすがに俺もの弱点なんか知らないからね。だいたい、俺だって命は惜しいし、丁重に断ったよ。知らないものは情報として提供できないし、何よりも青学の女帝の逆鱗に触れるような事はしたくないって」 呟く乾にさもありなん、と二人は頷いた。 「新聞部、無事に済むといいんだけどね」 更に呟く乾だったが『絶対無理だろう』と、その顔に浮かぶ表情が物語っている。そして、それは手塚もも同じ心情であったのだった。 「ふぅん、新聞部がねぇ」 放課後の図書室で次のコンクールの為の資料を探しながら、は乾から聞いた情報をに話していた。 「いい度胸をしているわね、新聞部も。この私の弱点を探ろうなんざ、百年早いっての」 からからと笑い飛ばす豪胆さはさすが、青学の女帝と言おうか。 「ほーんと、いい度胸をしているわぁ。ふっふっふっふ、どうしてやろうかしらぁ、新聞部」 「・・・、怖すぎよ。その台詞と笑いは」 不気味な笑みを零す親友に『ああ、やっぱり怒らせたな、新聞部』などと胸中で十字を切りつつ、とりあえずは突っ込みを入れる。何せ、場所が公共の場、図書室なのだから。 「ふっ、以前のようなストーカー被害を避けるためならなんだってしてやるわよ、私」 「いや、だから、がそれを言うとシャレにならないんだってば」 「あら、本気だもの」 「尚、シャレにならないって・・・」 自業自得とはいえ、親友を本気で怒らせた新聞部に対し、哀れみの念を抱かずにはいられない。一つ、ため息をついたは視線を本棚へ戻すと資料探しを続行したのだった。 演劇部の資料探しを終えたは置いていた鞄を取りに教室へ戻っていた。はタイムセールスの販売品を買うように親から頼まれたとかで、時間を気にしながら先に帰っている。 机の上に置いていた鞄を手にした時、の耳に教室の扉の開く音が届いた。視線を向ければ教室の入り口に手塚が立っている。 「手塚君、部活は終わったの?」 「ああ」 言葉少なに頷く手塚だったが、浮かんだ疑問には首を傾げる。 「でも、わざわざ教室に来ることはないわよね?」 「忘れ物だ」 「ああ、そうなの」 納得、と頷くの側まで歩いてきた手塚は自分の机の中を探り、目的のものを取り出しながら隣に立つを見た。 「こそ、どうした?今日は随分と遅いようだが」 「と次のコンクールの為の資料探しをしていたから」 「演劇部のコンクールか。今度はは出るのか?」 「どうかしら。選ぶ演目にもよるわね」 手塚の質問には片手を口元に当て、考え込む。そのの顔に影がかかり、顔を上げると目の前に手塚が立っていた。 「手塚君?」 「・・・この間の公演・・・本当は、出ていただろう?」 「え?」 「話題になっている踊り子を演じたのは・・・だろう」 確信に満ちた声で問われ、の瞳が大きく見開かれる。 「どうして、そんなことを言うの?」 「他の者は分からなくても、俺には分かった」 呟いた手塚の手が伸ばされ、戸惑うから掛けていた眼鏡を取り上げた。はっとして眼鏡を押さえようとした時はすでに遅く、眼鏡で隠されていた濡れた黒曜石のような瞳が顕わになる。 「て、手塚君!?返して!!」 慌てて取り返そうとするをかわし、眼鏡を机の上に置いた手塚は伸びてきた華奢な手を捕まえた。障害物のなくなった小さな顔をじっと見つめると、その視線に耐えられなくなったは顔を背け、手塚の視線から逃れようとする。 「やはり、な」 手塚が呟いた後、は後首の辺りで何かの気配を感じた。すぐにそれが、シニヨンに纏めている髪を手塚が解こうとしているのだと気づく。利き手ではない右手で事を済ませようとしているためか、シニヨンはなかなか解けない。 「やめて、手塚君!」 押さえられている手を振り解き、髪を解こうとしている手塚の腕を両手で押さえようとしたが、今度はその両手を戒められてしまう。しかも、右手のみで戒められているというのに、男女の力の差を見せ付けられるかのように、どんなに力を込めてもびくともしない。 が必死になって両手の自由を取り戻そうと足掻いている間に、手塚の手が再び彼女の髪へと伸びた。 今度は利き手であるからか、スムーズに纏めているピンを一本一本外していく。後二、三本、となったところで重力に耐えられなくなったの髪がパタッと落ち、一本のお下げへと変化した。 「こんな風に、纏めていたのか」 「感心しなくていいから、離して」 「悪いが、それはできない」 「手塚君!?」 手を離せばは速攻で逃げ出すだろう。そんなこと、データ男の乾でなくとも簡単に予測できる。だからこそ、ここで逃がすわけにはいかなかった。滅多にないチャンスなのだ。他に誰も来ない、と二人きりになれるこの時は。 更に手を伸ばした手塚は一本のお下げに纏めているゴムを取り、三つ編みを解すように何度か髪を梳いた。髪に残っていたピンが床に落ち、微かな音をたてる。 そして、そこには濡れた黒曜石の瞳の、話題になっていたあの踊り子がいた。 ただ、雰囲気はまったく違う。 舞台に出ていた踊り子は妖艶な空気を纏い、次々と男達を堕落させていた。今、目の前にいるは何時もと同じ涼やかな空気を纏っている。 それでも、たとえ纏う空気が違っても、この姿を見れば踊り子とが同一人物だと気づかない者はいないだろう。 「ねぇ・・・どうして、気づいたの?不二君とか、乾君が気づくのならまだ分かるけど・・・手塚君が気づくなんて意外としか言いようがないわ」 すでに誤魔化すのは無理だと悟ったのか。誰も気づかなかったの姿を暴いた手塚に尋ねる声は何時もの、落ち着いた涼やかな声だ。 「、お前な・・・」 あまりといえばあまりな言いように手塚は眉間を押さえた。だが、すぐに思い出す。何時もは誰にも媚びない態度を取っていたと。 そんなの態度は非常に珍しく新鮮味があり、彼女が纏っている涼やかな空気は側にいると非常に楽で落ち着けるものだった。 また、よくよく見れば地味だと思われているが実は綺麗な顔立ちをしていることにも気づいた。 それから何かにつけを見るようになり、いくつか気づいたことがあった。 例えば、掛けている眼鏡は伊達であるとか。 例えば、青い色が好きでほとんどの小物が青だとか。 例えば、本当に気を許した者だけには非常に優しい顔で笑うとか。 小さな発見の積み重ねが恋心へと発展するのに時間は掛からなかった。 それほど見ていた手塚だったから、気づいたのだ。悪魔の手先となり、男達を堕落へと導く妖艶な踊り子を演じていたのがだと。 あまりの雰囲気の違いにさすがの手塚でさえ見間違いかと思ったぐらいだ。に対して興味を持っていない人間が分かるはずもない。逆に言えばそれほどの演技が凄かったということだが。 軽くため息をついた手塚は三つ編みの癖がついて軽いウェーブのかかったの髪をゆっくりと梳く。ずっと触ってみたかった髪はとても柔らかく、するりと指の間をすり抜ける感触は極上の絹糸のようで。・・・下手をすると、癖になりそうな心地良さだった。 「手塚君?」 「ずっと、見ていたからな」 「はい?」 「ずっと、を見ていた」 「・・・・・」 「が、好きだ」 思いもかけない告白に、は驚きで大きく瞳を見開いたまま絶句している。髪を梳いていた手塚の手が頬に移り、端正な顔が近づいてきた時、ようやく正気に返ったは咄嗟に後ろへと逃げた。とはいえ、両手は未だに掴まれたままなのでほんの二、三歩下がっただけだったが、手塚の行動を止めるには十分な距離だった。 「ちょ、ちょっと、待ってっ」 「?」 「あ、あのね、私、今まで手塚君をそういうふうに・・・その、つまり、恋愛対象としてみたこと、ないの。友達としてはもちろん、好きだし、尊敬もしているけど・・・」 大きく息をついたは真っ直ぐに手塚の瞳を見つめる。 「少し、待ってくれると嬉しい。手塚君のことは確かに好きだけど、恋愛の好きじゃない。そんな気持ちで応えるのは手塚君の真剣な気持ちに対して失礼だと思うの。手塚君にとっては蛇の生殺し状態で悪いけど・・・でも、これはお互いにとって大切なことだから」 惹き込まれそうな、濡れた黒曜石の瞳に浮かぶ強い意志の光。がこの出来事を真剣に考え、捉えようとしていることは明白で。 「・・・分かった」 頷くしかなかった。けれども、それで引き下がる手塚でもなかった。 「だが、アプローチはさせてもらう」 「・・・はい?」 瞬きする間もなく引き寄せられたは唇の上に感じた暖かな感触に呆然とする。ドアップで見る手塚の端正な顔で自分に何が起きたのか理解はできても感情がついていかない。 「嫌がらないのなら、期待はできるということか」 「て、手塚君っ!?」 「アプローチはさせてもらうと言っただろう」 「た、確かに言ったけど、でも、あの、その・・・っ」 「少し、静かにしろ」 (手塚君ってこんなに積極的だったっけ?なんか、キャラが違うんですけどっ。っていうか、これだってアプローチというものをとっくに通り過ぎていると思うんですけどーっ) 今度こそ、本格的に唇を塞がれたは結局、どうすることもできずに手塚の情熱を受け止めるしかなかったのだった。 が手塚の申し込みを受けたのは三日後。もちろん、手塚の熱烈なアプローチに陥落した結果である。 (おまけ) 「ところで、どうして目立たないようにしていたんだ?」 「中学に入学する直前だったかしら。舞台を見た人にストーカーされて・・・」 「ストーカー!?」 「なんか、ちょっと鬱が入っていた人らしくて。あの時は天使の役をしたんだけど『自分のところに来た天使だ』なんて思い込まれたの。その頃はまだ、ストーカーに対する法律はなかったし」 「だから、そんな風にしていると」 「そういうこと。だから、新聞部の行動もちょっと、困るのだけれど。まぁ、に話したら本気で怒ったし、そろそろ収まるかしら」 「は知っているんだな?」 「でなきゃ、私の正体隠しを全面的に協力するわけないでしょう」 「確かにそうだな」 二人がこんな会話をしたすぐ後、新聞部に対する風評が青学の中で流れた。曰く、『踊り子役をした彼女はストーカー被害に遭ったので正体を隠している。それにもかかわらず、今度は新聞部がストーカーになって彼女を脅かしている』というもの。 この風評が流れた途端、新聞部に対する視線は一気に白く、冷たいものになった。スッポン並みのしつこさを持つ新聞部も流石にこの風評と視線の中で取材を続けることなど出来ず、踊り子の正体を突き止めることを断念したそうな。 言うまでもなく、裏で糸を引いていたのはである。 青学の女帝を怒らせたツケは大きい。 (END) |