青少年性教育


 跡部景吾といえば、テニス部部長を務める氷帝の有名人である。3ケタにも及ぶテニス部部員の頂点に立っている部長という点でも有名だが、付き合った女も3ケタに及ぶというかなりシャレにならない噂が流れる女ったらしという点でも有名だ。
 まぁ、顔も頭もテニスの腕も一流で、どこぞの御曹司らしいともなれば女の方が放ってはおかないだろうが、桁が違いすぎることは確かである。
 もう一人、氷帝の有名人がいる。
 名前はといい、図書委員長を務めている。自ら本の虫と言うだけあってその知識は豊富、模試などでもトップレベルの順位を叩き出す一方、その外見はミス氷帝に選ばれるほどの美貌の持ち主だ。日本人形のような外見に凛とした雰囲気を漂わせる彼女に告白し、見事玉砕した男達は数知れず。

 そう、は跡部とはまったく逆の難攻不落の華なのだった。

 時計が最終下校時刻を指し示すのを見て、は開いていた本をパタリと閉じた。窓から差し込む西日に瞳を細めつつ、閉じた本を鞄に仕舞うと図書室のカウンターから出る。
 図書室の当番は公平に順番に行われるのだが、もともと図書室にいる事を好むが当番でもないのにカウンターに座る事はよくある事だ。
 苦にする様子もなく本の整理を行い、カウンター業を勤め、本の滞納者を調べる。結局、とことん本が好きなのだろう。
 最終下校時刻を知らせるチャイムを聞きながらは窓の鍵を閉め、カーテンを引いていく。マンモス校なだけあって図書室もかなり広い。つまりは奥になるほど人目につきにくいということで、隠れた情事にはうってつけとも言える。順々に戸締りを行っていたはその情事の真っ最中に出くわした訳である。
「何だ、か」
 抱き合う男女のうち、男の方は氷帝一の有名人。悪びれた様子もなく女の首筋に顔を埋め、片手はブラウスの裾から直接肌を撫で回し、片手はスカートを捲り上げている。
 普通ならばお互いにバツの悪い思いをする場面なのだが、生憎と目撃された男も目撃した女も動揺というものとは縁遠い性格の持ち主だった。
「最終下校時刻だが」
「だから?」
「図書室を閉めたい。別の場所で続きをしてもらえると有難いのだが」
 平然とした態度で退出を求めるに跡部の唇がニヤリと吊り上る。
「終わるまで待つつもりはないのか?」
「チャイムが先程鳴った。あと30分程で宿直の見回りがくる。それまでに図書室の鍵が掛かっていなければここへ様子を見に来るぞ。それとも、後30分足らずでコトを済ませるつもりなのか?」
 淡々とした口調で事実を告げ、日本人形めいた美貌を崩すことなくは冷然とした視線を跡部へと向けた。
「・・・ちっ。おい、場所変えだ」
 舌打ちをした跡部はコトに及ぼうとしていた女の腕を掴み、図書室を出て行く。
 二人を見送った後、図書室の戸締りを再開しただったが、他人の情事にぶち当たったとはとても思えないほど、見事に平然としていたのだった。

 図書室での遭遇後、跡部との間で何かが変わったかと言うと、これまた見事なほど何も変わってはいなかった。
 元々クラスが違うため、顔を合わせる事などない。は相変わらず図書室の主となっていたし、跡部も態度を変える事なくとっかえひっかえ女を変えている。
 だが、ここまで平然としているに跡部が興味を持たない筈もなく、その興味の赴くままに図書室へと足を運びもしたが、対するは何時でもどんな時でも凪いだ水面のような瞳と態度を崩すことはなかったのだった。

「おい、
 そろそろ最終下校時刻だという頃、跡部は西日に染まる図書室へと足を向けていた。
「何だ」
 カウンター越しに話しかけられたは顔を上げ、ここ最近、何かと姿を見るようになった顔を見上げる。顔を上げたのと同時に時計も視界に入り、そろそろ図書室を閉める時間だと気づいたはカウンターから腰を上げると窓の戸締りを始めた。
「何か本を借りるつもりなら早めに頼む。もう、ここを閉めるからな」
 手際良くカーテンを引いていくの後姿を跡部は見つめていたが気にする様子もない。そうして片方の窓を閉め、もう片方へ移動しようとが跡部の側を通った時、跡部はの細い腕を掴んだ。
「跡部?」
「俺と付き合え、
 掴まれた腕に視線をやり、眉を顰めたに言い放つ跡部。だが。
「断る」
 即答だった。
「俺が付き合ってやるって言ってんだ。それを断るってのか?」
「私にその気がないからな。故に、断る」
 見事としかいい用がないほど、きっぱりとした言い方だった。
 掴まれた腕の自由を取り戻し、戸締りとカーテン引きを再開したの腕が再び掴まれる。
「・・・跡部。何の真似だ?」
 黒水晶を思わせる漆黒の瞳が僅かに不機嫌そうに細められ、強い光を浮かべて跡部を射抜く。
「俺と付き合え」
 尚も繰り返す台詞に、今度は呆れたような表情を浮かべた。
「存外、しつこいな。お前は去る者追わず、しつこい者は切り捨てるタイプだと思っていたが」
「納得いかねぇからだよ」
「十分な理由だろう、私が跡部と付き合う気がないというのは」
 そこまで言ったはだが、跡部の顔を見るとそこに何を読み取ったのか軽いため息をつき、そっと掴まれた腕を揺らした。
「取り合えず、腕を放せ。この話を続けようにも場所が悪い。じき、見回りがくる」
?」
「続きは場所を変えてからだ。いいな、跡部」
 話を続けることに異論はない跡部も一つ頷くと、の要求どおり、その腕を開放したのだった。

「で、場所がここか」
「不満かよ」
「大いに」
 テニス部部長という権限からなのか、それとも俺様な性格だからか(おそらくは両方と思われる)、テニス部部室の合鍵を持っていた跡部は当然のようにを部室へ連れ込み、上の会話となったのである。
 あっさりと不服を唱えたに跡部が明らかにむっとした顔をする。
「人に聞かれたくない話をするのなら人のいない部屋でするのが当たり前だろーが」
「それは素人考えだな。壁一枚隔てた向こう側で他人が耳をそばだてていても私達には分からないぞ。それよりは周囲の見通しがきく公園の広場辺りなどが妥当だ。例え私達を見かけても声は届かないから何を話しているのか分かりはしない」
「・・・お前、妙な知識を持っているな」
「マニアな人が近くにいるだけだ」
 どんなマニアだ、と突っ込みたかったが、取り敢えずは飲み込んでおく。下手をすると永遠に会話がズレていきそうな気がするからだ。
「で、だ。お前、本当に俺と付き合う気はないと言い張るつもりか」
 気を取り直し、図書室での会話を再開するとは腕を組み、軽く頷く。
「跡部の『付き合え』発言はセックスも含んでのことだろう」
 非現実的な美貌には似つかわしくない、生々しい単語を何でもないことのようにサラリとは口にした。
 対する跡部もに倣うかのように腕を組み、挑発的に顎を上げる。
「つまり、それが嫌だというのか?」
「違うな」
 の発言を否定するどころか逆に尋ね返すことで暗黙に肯定した跡部に対し、は冷静な表情を崩すことなく首を横に振った。
「私は別にセックスが嫌な訳ではない。好きな人ができればその人に触れたいと思うのは極自然な事だし・・・まぁ、私達ぐらいの年齢になればセックスに興味を持つのだって極自然な事だ。私はセックス自体を否定はしない」
 淡々と紡がれる言葉の数々は日本人形めいた美貌からは信じられないほど生々しく、そのギャップがかえって非現実めいた感覚を抱かせる。
「ふぅん。つまり、自身、セックスしてもいいと思っている、と」
「そうだな。だが、それは私が私自身の意思で決める事だ」
 ふいに、の瞳の光が強くなった。意思の力が篭った視線は時に強い圧力を相手に与える。
 今のの視線は、まさにそうだった。
「私はセックスを否定しない。する事自体も嫌ではない。だが、避妊しない男は願い下げだ」
 強い口調で言い切ったに、跡部の目が僅かに見開かれる。
「・・・避妊?」
「お前は、そんな事に気を使う性格ではないだろう?」
 確信を持った口調で問われた跡部は黙り込む。その通りだからだ。
「避妊をしないという事は相手の事を考えていないという事だ。私達はまだ中学生で、自分で自分の責任を取る事も満足にできないような子供で。そんな、責任も背負えないような子供が妊娠してもお互いに傷つくだけだぞ。責任を取れやしないのなら、避妊はするべきことだ。・・・言っておくが」
 何かを言いかけた跡部を制するようには言葉を続ける。
「外出しだから自分は大丈夫だ、などと言うなよ。セーブしていても少しずつ精液は漏れ出している。その少しだけで十分妊娠するんだ。そして、安易に中絶するなどとも言わないほうがいい。だいたい、中絶の仕方がどういったものか知っているか?かなりエグイぞ。直接子宮に器具を入れて胎児を掻き出すんだ。あれで子宮に傷がつかないはずがないし、それが原因で子供を産めない体になる危険性はかなり高い。だからこそ、自分の為にも相手の為にも避妊は必要だ」
 あまりにも淡々と、そしてなんでもないことのようにサラリと話を続けるものだから、聞いている方は性教育を受けているような気がしてくる。
 だが、実際に話しているのは女子中学生。の知識は中学生にしては妙に詳しい。
「本当に避妊をするつもりなら女性はピルを服用、男性はゴムを着けて感染を防ぐ事だな」
「感染?」
「性病だ。実感はないだろうが、あれも十分怖いものだぞ。特に跡部のように不特定多数の人間と性交渉する者は着けるべきだな」
 本当に、無茶苦茶詳しい。
「お前、やたらと詳しいな」
 感心しているのか呆れているのか、微妙な表情で呟く跡部には肩を竦めてみせる。
「母が元看護婦だし、父が医者だからな、産婦人科の。お陰で性教育はしっかりと施されたぞ」
「なるほど」
「まぁ、そういう訳だからな。セックスしたい女が欲しいのなら、他を当たってくれ」
「避妊をすれば付き合うのか?」
 跡部に向かい、ひらひらと手を振っていただったが、低く呟かれた言葉に眉を顰め、手を下ろした。
「跡部?」
「どうなんだ?」
 強く答えを求める跡部には軽いため息をつく。
「何を思ってお前が私に執着するのか分からないが・・・答えはNOだ。私は跡部の事をどうとも思っていないからな。付き合うにしろ、セックスをするにしろ、私はそういうことをするのならば少なくとも好意を持っている人間としたい」
「俺は違うって言うのか?」
「嫌いではないが、付き合いたいと思うほどの好意も持ってはいないな」
 きっぱりと頷くに跡部の視線が突き刺さったが、そんな視線に晒されてもの瞳は揺らぐ気配もなかった。そんなを見た跡部がちっ、と舌打ちする。
「お前が誰かを好きになるのかよ」
「失礼な奴だな。まるで私が感情を持たないような言い方じゃないか。これでもいいなと思う奴はいるぞ」
 跡部の毒づいた台詞にどことなく面白そうな顔で答える。そんな彼女を跡部は睨みつける。
「じゃあ、誰か言ってみろよ」
「別に苦し紛れに言った訳ではないのだが。・・・そうだな、テニス部で言えば鳳君とか樺地君だな」
「・・・は?」
 思いがけない名前に跡部の瞳が見開かれた。予想していたのだろう、はその反応を見て静かに笑みを零している。
「鳳はともかくとして・・・樺地、だと?」
「お前、それは樺地君に対して失礼だぞ。少なくとも、跡部よりずっと優しくていい子達だ」
 渋面の跡部とは逆に珍しく声を立てて笑いながらは言葉を続けた。
「去年、二人共図書委員だったが、真面目に仕事はこなすし、重い本等は進んで運んでくれたな。それに、私の中身を知っても態度を少しも変えなかったし。ああいう子達なら、私も付き合っていいと思うぞ」
 その二人の事を思い出したのだろうか、の瞳が一瞬、優しく細められた。
 たかが一瞬。
 だが、普段、あまり表情を変えないからこそ、その優しい瞳はただ一瞬のみで十分人を惹きつける。
 その優しい感情を自分に向けない事が悔しく、つい跡部は何時もの様な自分の行動をとってしまった。少し考えればはそこらにいる女とはまったく違うのだと分かる筈なのに。

「何だ、跡・・・っ」
 自分の腕を掴んできた跡部を見上げようとして、は瞳を見開いた。
 急接近してくる跡部の顔、腰に回ってこようとする腕。
 本能的にの体は自衛行動を起こした。
 腰に回ってこようとしていた跡部の腕を叩き落し、くるりと体を反転させ、跡部の胸元に入り込むようにする。驚いたのか、の腕を掴んでいた力が緩んだ隙をついて両手で跡部の胸倉を掴んだ。
「はぁっ」
 軽い掛け声と共に跡部の体はの背に乗り、そして地面へと落下。一般的に言う柔道技の『一本背負い』である。
「悪いな。だが、人の意思を確認しないで自分の思うようにしようとした跡部も悪いぞ」
 唖然と自分を見上げている跡部を見下ろし、は淡々と告げると部室の入り口へ向かって歩き出した。
!」
「先程ので分かったかと思うが、私は祖父に教え込まれた護身術を身に付けている。下手なことはしない方が身の為だ。それでも、まだ私に執着するというのなら・・・」
 入り口で振り返ったはどう見ても『ニヤリ』という表現しかない笑みを口元に浮かべる。
「私を本気にさせてみるんだな」
「・・・その言葉、忘れるなよ」
「楽しみにしていよう」
 『その勝負、受けてやる』という跡部に目を丸くしたは今度は面白そうな笑みを浮かべたのだった。

 始めはただの興味だった。他人の濡れ場に遭遇しても動揺の欠片も見せない事が興味を煽って。
 外見も極上だが、中身はもっと興味深くて。ますます自分のものにしたくなった。
 一筋縄ではいかないことは承知済み。けれども、決して自分からは降りられないこのゲーム。

 跡部がこの勝負に勝ったのかどうかは・・・神のみぞ、知る。


(END)