特権


「ねぇ、
「んー?なぁに、祐」
「髪に触らせて下さい」
「別にいいけど」
 実に平和な何時もの放課後。何時もと少し違うのは青春学園高等部テニス部マネージャー・が日直当番であったということと、尋常でない練習量を誇るテニス部が珍しく休みだったため(コート整備が理由らしい)テニス部レギュラーの大和祐大が恋人であるを待っているという事だろうか。
「・・・っていうか、祐」
 首の後ろで一つに結わえていただけの髪がばらける感覚に日誌を書く手を止めず、は声のみで恋人を咎める。
「なんですか」
 咎める声色にも関わらず大和はサラサラと手に零れるの髪を玩び、気にする様子は微塵もない。
「それ、私の台詞よ。どうして髪を解くの」
「この方が沢山触れるからです」
「・・・あ、そう」
 サラリと返す大和に今更だと諦め、は自分の髪を飽きもせずに触っている手をそのままに日誌を書き続けていた。
 静寂が支配する教室内にはが日誌に走らせるペンの音のみが響く。
。櫛を持っていますか?」
「持っているわよ、一応」
「貸してくれませんか?」
「はい、どうぞ」
 どうするのか、とか何に使うのか、等という質問は一切せずには小さなポーチを大和に渡した。普通、他人に荷物の中身を見られるのは抵抗があるものだ。それも女の子の必需品が入っているポーチであれば尚更である。例え、それが自分の恋人であっても。だが、は躊躇いもせず大和に渡した。それは大和を全面的に信頼している証。
「その中に櫛が入っているから」
 言われて覗いてみれば年頃の女の子らしく、小さな手鏡や爪切り、リップクリーム等が入っていて折り畳みの櫛も当然のようにその中にあった。
 その櫛を手に取ると大和は恋人のサラサラとした漆黒の髪を丁寧に梳きだす。
の髪は本当に綺麗ですね」
「ありがと」
「・・・本気で言っているんですよ」
 軽い口調で答えたのが気に入らなかったらしく、大和の声に不機嫌な色が混じる。それに気づいたは日誌に自分のサインを書き込んで終了させると体を捻り、後ろにいる大和の顔を覗き込んだ。
「祐?どうしたの?」
は自分の事に関しては割と鈍いんですね」
「それは自覚しているけど。私、また何かやったの?」
「『やった』訳ではなく『された』でしょう」
「何時?」
 本気で分かっていない様子の恋人に大和は大きくため息をついた。
「この間、中等部へ行った時ですよ」
「それって・・・あの子達と話していただけでしょう?」
「彼等にとって、貴女は憧れの先輩なんです」
「それはないと思うわよ。祐の贔屓目よ」
「もう少し、自覚というものを持って下さい、。貴女はずっと魅力的な女性なんですから」
 真面目な顔で言い切る恋人にの頬がうっすらと赤く染まる。飄々とした恋人がたまに発する本気の台詞は不意打ちも手伝って平静ではいられないのだ。
 いつもは落ち着いているの頬が染まるのを見た大和の顔に微笑みが浮かぶ。
 普段は『綺麗』と形容される自分の恋人だが、こんな風に狼狽える姿は『可愛い』という形容の方が似合う。そして、こんな姿を見ることが出来るのは自分だけであり、自分だけの特権だと思っていた。
、そんな可愛い顔はボクの前だけにして下さいね」
「そんなコトを言うのは祐だけだけど」
「他の人が知らないだけです。こんな可愛いを知っているのはボクだけです」
 微笑みながら大和は頬を撫でる。
「赤くなった顔を見るのも」
 サラサラとした髪に指を通す。
「この綺麗な髪に触れるのも」
 艶やかに光る唇に指を這わす。
「紅の唇にキスをするのも」
 笑みの中に宿る真剣な瞳がを射抜く。
「ボクだけの特権です」
 宣言は口付けられた後に、の耳に届いた。
 射抜く瞳に独占欲を剥き出しにした言葉。
 普段は見せない彼の闘争心の一端。
 テニスでしか見れない表情を自分に向けることが素直に嬉しいと思う。
 だから、彼女も告げる。
「私を捕まえていいのは祐だけだから」
 ふわりと微笑む。
「私の心を捕えているのは祐だけ」
 空気に溶けるような囁き。
「私が束縛を許すのは祐だけ」
 言葉が零れ落ちた瞬間に深い口付けがを襲った。
「・・・全部、ボクのモノです」
「私は私のモノよ」
 恋人の言葉を否定した瞬間、目の前の身体から威圧感が襲う。自分の名前を呼ぶ声にさえ、その威圧感は漂っていて。

「でも」
 眼鏡の奥で鋭くなった瞳には微笑みかける。
「私は私のモノだけど、祐のモノでもあるの。それが、祐の特権」
らしいですね」
 人を所有物扱いをすることには非常な嫌悪感を示す。そのが制限つきであろうと、所有発言を認めることは破格の譲歩であることは大和も分かっていた。いや、一番近くにいるからこそ、その台詞の中にある愛情の深さが分かる。
「そんな貴女が好きですよ、
 甘く響いた台詞の後の沈黙も、とても甘いものだった。

 触れるのはアナタだけ
 捕まえているのはアナタだけ
 他の人が知らない私を見るのはアナタだけ
 束縛を許すのはアナタだけ

 アナタだけ
 アナタだから全て許す

 アナタだけの特権


(END)