僕が側にいてあげるから
ちっぽけなただの女の子だとしか思えない栗色の髪と緑青の瞳の少女《女王候補生アンジェリーク》に最初に言った言葉は、
「君、本当に女王候補?」
という皮肉だった。
瑠璃の髪群青の瞳怜悧な美貌の青年《感性の教官セイラン》の言葉に、驚いた顔で少女は首を傾げる。
「はい、私は女王候補ですけど?何か?」
「・・・・・」
大きな瞳に見つめられ、毒気を抜かれたように彼は瞳を瞬かせる。
「今日は学習に参りました。よろしいでしょうか?」
「あ、あぁ。いいけど」
「よろしくお願いします、セイラン様」
ファイルを胸に抱いた少女は、陰りのない暖かな春の微笑みを浮かべて頭を下げた。
『穏やかな春の日だまりを思わせる、善くも悪くもおっとりとした気質の少女』
栗色の髪の少女を一目見た時のその判断に、今も否やはないけれど・・・・・
「なんか、調子が狂うと言うか・・・・・」
鮮やかな瑠璃の髪をかき乱しながら青年はソファに寝そべって、二人の女王候補を脳裏に浮かべて評価する。
もう一人の《女王候補生レイチェル》はしっかりと自己を確立した前評判を裏切らない優秀な生徒ではあるのだけれど、それだけとも言え、おっとりとして多少内気にすぎる性格だが、素直に感じるものを取り込む柔軟な資質のアンジェリークの方が、よりこの先が楽しみだと思わせる生徒だ。
「ま、僕が知ってる二人なんて学習に来ている時の姿だけだし、まだ判断を下すには早計だね」
二週間後にある女王試験の中間ジャッジでは、まだ初期ということもあって俗な言い方をすれば『人気投票』という形を取ると通知が来ていた。
「日の曜日に誘ってでもみるかな」
『ぴんぽーん』
まろやかな呼び鈴の音に、少女はエプロンを慌てて外すと廊下に続くドアへと急ぐ。
「はぁい!何方ですか?レイチェル?」
「ハズレ、僕だよ」
「セイラン様」
驚いた緑青の瞳は、だけど無遠慮な程の率直さで突然訪れた青年を見上げている。
そのことに内心苦笑しながら彼は手を差し伸べる。
「誘いに来たよ。こんないい天気だって言うのに、君はずっと部屋に閉じ篭っているつもりなのかい?」
「えっと、あ、あの、ちょっと待っていただけますか?」
「僕の誘いを断るわけ?」
眉をしかめる教官に、少女はフルフルと首を横に振る。
「いいえ、お誘いはお受け致します。とても嬉しいです。でも、部屋のお掃除をしていたから、道具とかそのままなんです」
後ろを振り返って言う少女より確実に背の高い青年は頭越しに室内を見て、首肯した。
「成程、確かにそのようだね。約束もせずにやって来た僕も悪いから、五分だけ待つとするよ」
「有り難うございます。すぐに片付けますから。あ、どうぞ入って下さい」
パタパタと椅子に引っかけたエプロンを手にしてその椅子を引いて、彼女は客人に座るように勧める。
「えっと、これはここでしょ。それからこれも・・・・・」
どうやらこの手のことには慣れているらしい少女の姿を、群青の瞳が興味深そうに見つめていた。
「どうかしましたか?」
パタンと音を立てて掃除道具の納められたロッカーを閉めた少女が首を傾げる。
「いや、慣れてるなと思ってね」
「私、昔から家事を手伝うのが好きだったものですから」
「ふぅん。さて、五分経ったよ。片付けは終わったかい?」
「はい」
「では、行こうか」
琥珀色の指がテキパキと教材をまとめるのだが、
「何の理由でジロジロ見てるんだい?」
不愉快そうに言う人のストレートな問いに、少女もあっさりと答える。
「あのアンジェリークがセイラン様の毒舌に泣かない理由を探していただけですよ」
「・・・・・それで分かったわけ?」
「えぇ。セイラン様ってアンジェリークのお兄さんに似てるんですよ。ま、セイラン様の方が何倍も綺麗ですけど、瞳の色がよく似てるから」
「へぇ」
興味を引かれ、彼はレイチェルに先を促す。
「土の曜日の午後にお茶しながら家族の話をして、その時に持って来てたアルバム、見せてくれたんですよ。で、その中の一人がセイラン様に似てるのに気がついたんです」
『ふぅん』だとか呟く感性の教官は何だか分からない不快感を覚えていた。自分でも理由の分からないムカムカする思考を変えようと、彼は別の話題を振る。
「アンジェリークは分かったけど、じゃ、君はどうして?」
話題を振られた少女は、キャラキャラと笑って手を振ってみせた。
「そんなの簡単ですよ。セイラン様も同じメにあったことあるでしょ?」
明るい口調に紛れそうだがその声は何処か陰を含み、言葉を返された青年はニヤリと笑う。理解する要素が、確かに彼にもあった。
「別に何時も何時も『天才』て言われてもてはやされるわけじゃないし、それどころか中傷の的になる方が多いんだもの。それに比べたらセイラン様の毒舌なんて、私の非を確かに突いているから納得出来るところが悔しいだけですよ」
クスクス笑って目線を上げた少女が、続いて叫んだ。
「やっばぁい!今日はアンジェリークと一緒に夕飯作る約束してたのに!」
バタバタとレイチェルはクリアファイルに教材を詰め込むと立ち上がる。
「仲いいんだね」
揶揄する口調の言葉に振り返って彼女はにっこり笑って言うとドアを閉め、残された教官は呟いた。
「『だってあの子、可愛いんだもの』、ね。確かに頷けるけど、アンジェリークの方が年上の筈じゃなかったっけ?」
穏やかな日だまりのような暖かな笑顔が咲く。
「今日和、セイラン様。学習をお願いしてもいいですか?」
髪とスカートの端を強い雨に濡らしながらも胸に抱いたファイルだけは死守したらしいその姿を見つけた青年が、軽く目を見開くのを見て取って、彼女は少しだけ首を傾げる。
「どうかなさいましたか?」
「今日は来ないと思ってたよ」
『この雨だから』と雨に打たれる窓を示す青年に、少女は嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「昨日、初めて星を生み出せたんです」
「まだ一つ目なんだから無理して試験を進めるなら、育成じゃないかい?」
「えぇ、そうも思ったんですけど。でも、少しでも安定度を上げて、アルフォンシアを安心させてあげたいんです」
『私の安定度って低いですから』と、小さく舌を出す仕草が子供っぽさを強調していて、尚のこと彼女を子供に見せる。
「・・・・・ま、君の試験の進め方にまで口を挟む権利は僕にはないからね。いいよ、感性の授業を始めようか」
授業終了を青年が告げ、少女が部屋を出てからしばらく経ってから青年自身も執務室を後に食堂へと足を踏み入れたのだが、
「何でいるの?」
「雨があんまりひどくなってしまって、今日はこのまま学芸館に泊めてもらうんです」
ちょこんと座って口をつけていたカップを離しておっとりとした少女が続ける。
「寮に帰ろうとしたんですけど、こちらの皆様に泣いて止められてしまって」
「・・・・・、そう」
『遭難すると思われたんじゃないの?』と言いかけて、彼はニコニコ笑顔にぶつかって口をつぐんだ。この程度の毒舌に怯むような子ではないと分かっているけれど、せっかく笑っているのにそれを怒らせたり拗ねさせたりするのが、なんだか勿体ない気がした。
朝から酷かった雨はその勢いを増し、風と共に窓を打つ。
その様子を自室で見ていた青年は、手元のペンを机に転がせる。
「泣いてやしないだろうね」
口に出すことで否定しようとしながら、何故か脳裏には見たこともない泣き顔の少女が浮かんでしまった。
「・・・・・」
「あ、セイラン様」
ドアを叩く音に応え、その先にいた人の名前をニコニコ笑って言った少女は、腰掛けていた椅子を青年に勧める。
「意外だね」
「何がですか?」
少女が首を傾げると、青年は窓の外へと親指を小粋に向けてみせた。
「あんなに風が吹いて窓を叩いているのに、怖がってもいないじゃないか」
言葉に少女はあるかないかの微笑みを浮かべる。
「次の日に、咲いていた花が散っているのを見るのはとても悲しいですけど、風は嫌いじゃないんです」
一つしかない椅子を青年に譲った為、少女が今座っているのは広い寝台である。そこの端にちょこんと座ると、小さな少女が尚更小さく見える。
「雨も嫌いじゃないですし、これくらいなら、一人でも大丈夫です。すみません。ご心配かけて」
「別に君が心配だから、来たわけじゃないさ」
「はい」
ニコッと雛菊のような愛らしい笑顔で、彼女は彼の言葉を肯定する。
「夜も更けてきたし、早くお休み」
「はい。おやすみなさい、セイラン様」
ペコンと少女が深く頭を下げた瞬間、さして広くはない部屋を白い光が埋め尽くした。
「いきなりだったね、アンジェリーク。・・・・・アンジェリーク?」
突然の雷光に自身も驚いた青年が少女に同意を求めようとするのだが、応える彼女の声が聞こえず、訝しく名を呼ぶ。
「何をやっているんだい?アンジェリーク?」
頭を下げた形で固まっている少女に気がつき、青年は吹き出したいのを必死に堪えて椅子から立ち上がると近寄る。
「セイ」
近づいてくる足音に勇気づけられるように顔を上げながら、その人の名を呼ぼうとした瞬間に、再びの光の柱のかけらが部屋に入ってくる。
「うわっ」
バランスを崩して青年が床に手をつく。
「アンジェリーク!?」
「・・・・・」
脅えきった子猫のようにしがみついてる少女は応えない。
「君、雷は苦手なの?」
「・・・・・」
脅えきった子猫のようにしがみついてる少女は答えない。
「仕方のない子だね」
ため息をついて、彼は少女を抱き上げるとベッドに放り投げる。
「きゃうん」
驚いて目をぱちくりさせながら少女が青年を見上げると、シーツが頭から被せられた。
「早く寝てしまえばいいさ」
「・・・・・はい」
小さく答えてゴソゴソとベッドに横になるのを確認し、彼は明かりを消してやる。
「オヤスミ、アンジェリーク」
「おやすみなさい」
小さな小さな声に苦笑して、ドアに手をかけたまま彼は振りかえると、予想違わず、耳を伏せた子犬のような顔がシーツの端から覗いている。
「雨も風も大丈夫なのに、雷だけは駄目かい?」
少女の身体で膨らんだベッドに、注意深く座る。
「今まではどうやっていたんだい?」
頭だろうと思われる部分を軽く叩くと、ぴょこんとシーツから栗色の髪が飛び出した。
「今まではお兄ちゃん達が・・・・・」
「お兄ちゃん『達』?」
件の自分に似ている兄とやらは、もしかして複数いるのだろうか?
「従兄弟達のことです。親戚の中ではたった一人の女の子で、一番年下だったから、お兄ちゃん達とても私を可愛がってくれて」
おっとりとした気質がどうやって育まれたのか、その一端が見えた気がするセイランである。
「何時だって私に合わせてくれて、色々なことを教えてくれた、私も大好きな従兄弟のお兄ちゃん達」
たった一人の従姉妹を、彼女の言うお兄ちゃん達とやらはとても可愛がって危険から遠ざけ、生来のおっとりとした争い事を好まない性格を伸ばしていったのだろう。何時までも可愛い自分達のお姫様として。
「そのお兄ちゃん達は、僕に似ているんだって?」
「え?」
「レイチェルから聞いたよ。僕に似た従兄弟がいるんだろ?」
「セイラン様にお兄ちゃん達全然似てませんよ」
今度は青年の方が驚いて問う。
「僕と同じ色の目の従兄弟がいる筈だろう?」
「えっと、確かにルーお兄ちゃんも青い目だけど」
大きな瞳が目の前の青年と、記憶のなかの従兄弟とを比較する。
「・・・・・やっぱり似ていません。だって、ルーお兄ちゃんはルーお兄ちゃんで、セイラン様ではありませんもの」
そっと白い指が青年の頬に触れる。
「私ね、たとうセイラン様と本当にそっくりな人がいても、絶対に間違えたりなんてしませんよ」
ニコッと笑って少女は今度は自分の目を示す。
「私、人を見る目だけは自信があるんです」
「随分な自信だ」
クスクスと青年は笑う。
「あら、だって、実績あるんですよ」
至極真面目な顔で彼女は言い、青年の瞳が楽しそうに煌く。
「あ、信じていませんね」
プゥッと少女が膨れる。
「私は最初からセイラン様がお優しい方だって、分かっていたのに」
「・・・・・」
「セイラン様?」
「君って、おかしな子だね。あれだけ僕に皮肉をぶつけられたって言うのに」
呆れたように彼が言うと、彼女は再びニコリと笑う。
「最初からお優しい方だって分かっていましたし、それに、セイラン様のおっしゃることって、何時だって本当のことだけでしたから」
「呆れた神経だね。見かけによらず、君はなかなか強いらしい」
柔軟な心。決して歪まない強さではないけれど、外からの刺激をやんわりと受け止めることの出来るそれもまた強さだ。
「初めてです。そんな風に言ってくれたの、セイラン様が初めて」
素直な瞳が笑みの形に細められる。
「何だかとても、嬉しいです」
清楚な笑みに、ドキンとした。
白光
「っ」
思いっきり抱き着いてきた少女を思わず受け止め、彼は調子の外れた鼓動に尚更顔が赤くなる思いである。
「ふにゃあ」
親猫にしがみつく子猫のように、ただ彼女は怖くてしがみついているだけなのに、どうしてこれ程緊張しなくてはいけないのかと、憮然として青年は少女を引き剥がす。
「何も、泣かなくてもいいだろうに」
「だって」
「で、君のお兄ちゃん達とやらは、どうやって君を寝かしつけていたんだい?」
本当に怖くて怖くて仕方ないらしい少女の様子にほだされ、彼はそう問うた。自分にも出来ることならしてあげようだなんて、思いながら。
「お兄ちゃん達は、一緒に寝てくれました」
「・・・・・」
「ずっと小さな頃からずっとお兄ちゃん達の心臓の音を聞きながら寝ていたから。それが私の子守り歌なんです」
「・・・・・君、幾つだい?」
「え?十七ですけど?」
『十七にもなって従兄弟達と一緒に寝るか?』と、青年はズキズキと痛む頭を抱える。
「セイラン様、ご気分が悪いんですか?」
きゅっと小さく袖を掴む手に気がついて、彼は弱く笑った。
「そんなことないよ」
「でも」
心配に心を埋め尽くされている少女を、初めて彼は『少女』として認識していたことに気がついた。
「ほら、本当にそろそろ寝ないと、明日辛いよ」
「・・・・・」
「そんな目をするんじゃないよ」
雷が怖くて泣きそうな瞳に、そっと唇が当てられ、
「君の従兄弟達の代わりに」
小さな少女の肩が引き寄せられる。
「僕が側にいてあげるから」
あごの下にある甘い香りのする栗色の髪を撫でていた指が止まる。何度も何度も身じろぎして顔を擦り寄せる少女の仕草に、彼は首を傾げる。
「どうしたんだい?」
「ちゃんと聞きたいのに」
暖かな腕は小さな頃から自分を可愛がってくれていた年上の従兄弟達のようにとても安心出来るのだけれど、一番安心出来る心臓の鼓動が聞こえない。
「・・・・・」
黒に近い藍色の服の上に張りのある白い上着を重ね着しているので、伝わりにくいのだろうと察した青年の、群青の瞳が悪戯に瞬いた。
はっきり言って『狼の前に子羊』状態の少女は、しかし、全然そんなことに気がついていないらしい。それが、悪戯心を刺激してくれる。
「なら、もっと聞く?」
形のいい手が黒と見える服と白い上着の間の青磁の飾り布を外して床に落とし、そのまま華奢にも見える線の細さから想像する以上に広い胸の前を緩めた。
「あの?」
目をぱちくりさせて見上げる少女の栗色の髪に青年の手が差し込まれ、驚く程自然に引き寄せられる。
「聞こえる?」
甘く響く声に少女の顔が上げられ、澄んだブルーグリーンの瞳が艶やかに笑う群青の瞳の青年を映す。
「やっぱりセイラン様はお優しいですね」
にこにこ、にっこり
「・・・・・」
「おやすみなさい、セイラン様」
風に揺れる可憐な菫の笑顔で彼女はそう言うと、そっと青年の頬に『おやすみなさいのキス』をする。
窓を打つ風や雨はもとより、時々思い出したように轟く雷音も、もう怖くなかった。
『やっぱりセイラン様ってお優しいな』
自分を包む暖かさにウトウトしながら、少女はそんなことを思い、目を閉じた。
「・・・たとえどんな相手だろうと、これじゃ手は出せないだろうね」
呆れきった声で彼はそう呟く。腕のなかの少女はすでに微睡みの園に旅立っていた。
「まったく、君みたいな子、初めてだよ」
柔らかく囁き、彼は眠る天使の額にお返しをして、同じように目を閉じた。
本当は彼女が眠れば出て行くつもりだったのだけれど、栗色の天使は彼の服を掴んで離さず、何より、彼自身もっと一緒にいたかったから。
夢を見た
栗色の髪を光に輝かせ
穏やかな眼差しで微笑む
それは日だまりの天使の姿
『セイラン様』
優しい声と差し伸べられる白い指
それに応える夢を見た
朝日の満ちた学芸館の客間に、鈴を転がしたような声がまろやかに広がる。
「セイラン様、おはようございます」
起きた途端の『朝の挨拶』と、それに続く『おはようございますのキス』
「・・・・・オハヨウ、アンジェリーク」
CHU!
そして、これが恋の始まり。
END

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