何でよりによって・・・・・
『ココンッ』
「いるよ」
自信にあふれた者特有のノックの強さに、彼は訝し気に眉根を寄せて応える。
「今日和」
「やぁ。君は確か昨日も学習したんじゃなかったっけ?」
挨拶をしざまの言葉に、勝ち気そうな美少女《女王候補生レイチェル》はぶっきらぼうに答える。
「別に学習しに来たわけじゃないですよ」
睨みつける菫の瞳に、冷たい美貌の青年《感性の教官セイラン》は首を傾げて促す。
「私が今日来たのは、言いたいことが出来たからです」
どうやら可成ご機嫌斜めの様子の少女に、群青の瞳が苛立たし気に細められる。
「時間を無駄にしない為にも、用件は速やかに、そして簡潔に言ってくれるかい?」
「えぇ、まったくです」
深く頷き、大人びた顔立ちの少女は言い放った。
「セイラン様だろうと、誰だろうと、あの子は絶対に渡しませんから」
わけが分からず眉をしかめる青年に、高飛車な美少女は言った。
「アンジェリークは私と一緒にいるの。その方が、セイラン様みたいな気まぐれな人と一緒にいるより、ずっとずっと幸せなんだもの」
『ちょっと待て』と、彼は内心呟いた。
「何?」
「わっかんないんですか?」
小馬鹿にした口調にムッとした表情の青年に、彼女は顔を反らせぎみに言う。
「アンジェリークは私の大切な親友なんだもの。だから絶対に誰にもあげないって言ってるんですよ」
一部に力を込めて言う金髪の少女の言葉を反芻し、瑠璃の髪の青年は目眩に襲われた。
確かに、自分は栗色の髪のもう一人の《女王候補生アンジェリーク》に好意を抱いている。それを否定するつもりはない。
最初こそ普通の、どちらかと言えば内気すぎる女の子としか思えなかった少女は、内気な性格と同時に、いっそしたたかな程に強いしなやかな強さを持っていた。柔軟性に富んだその強さに気がつき、目をやり、そして気がつけば好きになっていた。
のだが・・・・・
『何でよりによって・・・・・』
猛烈な目眩にクラクラする頭を抱え、彼は内心叫んだ。
『何で男の僕が、女のアンジェリークを女のレイチェルと取り合いしなけりゃならないんだっ!?』
そんな言葉がグルグルと頭の中を回っている感性の教官に、菫の瞳の女王候補は人差し指を突きつけて宣言する。
「アンジェリークは、絶対に渡さないんだからっ!!」
ここで青年が、『嘘だろ!?誰か嘘だと言ってくれ!!』と思ったのだが、それも当然と言えば当然であろう。
「これだけは、絶対に言っておきたかったから来たんです」
言いたいことを言って彼女は何時もの余裕を取り戻したらしい。ピンッと背筋を伸ばして笑みを浮かべた。
「じゃ、私は」
『これで』と続けられる筈だった辞去の言葉は、突然の音に消された。
『コン、コン』
控えめなその扉の叩き方を、二人は熟知していた。
「いるよ」
反射的に青年が応えると、新しく改築された学芸館の執務室のドアは特別軋むようなこともなく開かれた。
「今日和、セイラン様。あ、レイチェルも来てたのね」
金の鈴を転がしたような愛らしい声が、おっとりとしたはにかんだ笑顔の浮かべられた唇から零れる。件の少女アンジェリークである。
「レイチェルも学習に来ていたの?」
「ち」
「そうなのよっ」
セイランが答えようとした途端に、レイチェルが言葉を遮り愛用のクリアファイルを抱き締めている友人の側に寄る。
「アンジェリークも学習?私達ホント性格似てんのかしらね?」
「そうかもね」
快活な太陽のように鮮やかな友人と、自他共に認めるおっとり型の自分の性格が絶対に似ていないことを知っている彼女は、だからこそクスクスと口元を隠しながら笑う。
「ね、一緒に自習しようよ」
控えめで、まるでひっそりと咲いた鈴蘭のように愛らしい友人の笑顔が大好きな金髪の少女は、ライバルの邪魔も兼ねてそう誘う。
「でも、私と一緒じゃレイチェルの勉強が」
「いいのいいの、全然大丈夫よ」
「そうなの?本当に凄いのね、レイチェルって」
無意識なのだろうけれど、嬉しがらせがそれは上手い親友の言葉に相好を崩すレイチェルだったのだが、
「駄目だよ。君達の教科書、違うからね」
今までレイチェルに押されて唖然とことの成り行きをただ見ていただけの青年が、ここでやっと口を挟んできた。
「レイチェルはもう応用をしているけれど、アンジェリークはまだ基礎だろう?」
『余計なこと言わないでよね』というレイチェルの心の声が聞こえたとでも言うのか、わざわざレイチェルを軽く押しのけアンジェリークの肩に手を置くセイランである。
「そうなんですか?なら邪魔をしちゃいけませんものね。分かりました。私一人で学習します」
「君はまだ基礎をじっくり練らなければいけない。その点レイチェルはその先に行っているから、頑張らなきゃいけないよ」
「はい、セイラン様」
「レイチェルは応用の方が得意のようだ。つまり、一人でも出来るわけだから、遠慮せずに質問してくれていいよ」
「はいっ」
『よろしくお願い致します』と愛らしい仕草で頭を下げるアンジェリークは、気がつかなかった。自分が頭を下げている間に、その上でセイランとレイチェルが睨み合っていた、なんていうことを・・・・・
「セイラン様、ここは?」
あどけなく問う声に、チラリとレイチェルは視線を向ける。
「あぁ」
短い言葉を零したセイランが首を傾げている可愛い親友の肩に腕を回して、教科書を覗き込む。
『ベタベタしないでよねっ』
叫んでやりたいのだけれどそういうわけにもいかず、レイチェルは唇を噛み締める。
『私、アンジェリークと言うの。よろしくね』
『・・・・・あ、うん。私はレイチェル。お互い頑張りましょ』
初めてライバルに会うのだからと、勢い込んでいた分おっとりとした笑顔に毒気を抜かれながらそんな調子のいいことを言ったら、
『有り難う。私、自信なかったんだけど・・・・・うん、私も頑張る』
笑っていても緊張していた顔が、まるで春の日だまりの中にいるような気にさせる優しい笑顔になった。
その笑顔があんまりにも可愛くて、一つ年上だと知っていたけれど、何だかずっと前から欲しかった妹みたいに思えて、あの笑顔の為なら何だって出来る気がした。
伝説の一目惚れに似た友情を確かにあの時自分は感じ取って、それ以来、アンジェリークは私の大好きな親友なのだ。
『それなのに、何時の間にか皮肉屋のセイラン様がちゃっかり毎週二回もデートに誘いに来て、アンジェリークもそれを受ける程に親密になっていただなんて不覚!』だとかレイチェルが考えていると、再びアンジェリークの声がその耳に届いた。
「有り難うございます、セイラン様」
「どういたしまして、ほら、次」
「はいっ」
感性の教官の方に顔を向けているのでその表情は分からないけれど、あの子のことだからきっとあの笑顔でいることだろう。
『ギシッ』 手の中で握り締めたペンが軋んだ。
ちょうどアンジェリークを挟んで座っているので、アンジェリークに顔を向けている教官とは顔を合わせることになる。その教官が勝ち誇ったように笑ったのである。アンジェリークは気がつかなかったようだけど、絶対に見間違いである筈がない。
『そんな顔出来るのも今だけよっ』
キリキリと柳眉をつり上げ、レイチェルは内心そう叫んでいた。
「よく頑張ったね、アンジェリーク」
「有り難うございます」
嬉しそうに少女が笑う。
「レイチェルは、自分で分かっているだろう?」
「・・・・・」
「レイチェル、具合悪いの?」
さっきまで嬉しそうに笑っていた少女が、今度は心配でたまらないという顔で一つ年下の親友を見上げる。
「どうして?」
「だって、何時だってレイチェル、あの時言った通り頑張ってるもん。そのレイチェルの勉強がはかどらないだなんて、身体の具合でも悪いのかなって・・・・・」
泣きそうな目で見上げてくる友人を抱き締める。ちゃんと、初めて会った時のことをこの親友も覚えていてくれたことが嬉しくてたまらない。
「大丈夫だって」
「本当に?」
「信じなさいよねぇ」
チョンッと鼻先を押すと、びっくりしたように瞳を瞬かせた少女がコクンと頷く。
「うん」
『・・・・・見せつけてくれるじゃないか』
溺愛の様子でライバルが自分の想い人を抱き締めているのを−レイチェルが女だと知っていても−見て、妙にムカつくセイランである。
「あの、セイラン様」
そんな青年にライバルの腕から離れた想い人がチョコチョコ近づいて来ると、
「森の湖の近くにとても綺麗な花畑があるんです。セイラン様、知ってましたか?」
「いや、知らなかった」
首を傾げることで先を促すと、まるで表裏のない笑顔で少女は言った。
「きっとセイラン様も気に入ると思うんです。で、その、用事がないようなら、次の日の曜日に行きませんか?」
『ご案内します』と胸の桜色のクリアファイルをギュッと抱き締めて言う姿は何処か不安そうで、何だって無条件で聞いてあげたくなる。
「楽しみにしているよ」
「私、お弁当作りますね」
パッと顔を輝かせて彼女が言う。
「あ」
「私も行っていい?」
すかさず言葉を遮って言ったのは勿論レイチェルで、無邪気な少女は無邪気に頷く。
「うん、三人で行こう」
途端嫌そうな顔をセイランがしたのだが、ちょうどアンジェリークは見ていなかった。
「では、セイラン様、今日は有り難うございました」
ペコンと頭を下げて挨拶をして出て行くのは当然アンジェリークで、
「どうもお邪魔さまでした」
嫌っそうに一応挨拶の言葉だけを言ったのはレイチェルである。
「『アンジェリークは、絶対に渡さないんだからっ!!』か・・・・・それはこちらの台詞だよ」
窓から見送る視線を感じ取ったように後ろを振り返ったのは金髪をなびかせる少女の方で、負けてなるかと視線を戦わせる。
「僕に挑戦すると言うのなら」
ぼそりと彼は呟いた。
「受けて立つさ」
ようするに、『恋愛はバトル』だっ!!
END
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