華の名の少女2

華の名の少女
(後編)


 茫然自失の体で少女はきらびやかな姫君衣装で座って外の優雅な庭園を見ていた。
「杏樹様、お客様がいらっしゃっております」
「はい」
 惰性的にゆるゆると顔を向ける。
「どうぞ、すぐにお茶をお持ち致します」
「有り難う」
 涼やかな声が響く。
「お久しぶりです、杏樹」
「柳水詠流様?本当に貴方なのですか?」
「えぇ。ここに、貴女を運んだのも私達です。機会がなくて今まで来ることが出来なくて、説明もなく、すみません」
「では、私がこにいるわけを教えていただけるのですね?」
「はい」
「お茶をお持ちしました」
 赤茶色の髪の可愛らしい動きやすいのか動きにくいのか判断のつけにくい美々しく重ねた侍女の制服を着た少女が二人分のお茶とお茶菓子を置いて退く。その時に盗み見るように二人を見たのは好奇心旺盛な年頃故の他愛ないモノとはいえ、少し柳水詠流はその柳眉を不愉快気にひそめた。
「どうぞ、お教え下さい」
「・・・・・私は守護衆の一人、水の座を預かる《水の守護衆柳水詠流》。この地を治める女帝陛下直属の者です」
 一般大衆の間でも守護衆のことは広く知れ渡っている。常に女帝の下には九人の直属の配下がいる、と。
「私は、私達は、女帝陛下の内々の友として城に上がる璃郁家の養女を探すべく街に出ました。今からもう十年も昔のことです」
 昔語りを語るように彼は続ける。
「女帝陛下には守護衆以外にもう一人《沙羅》という名の女占者がついています。彼女が占った結果、樹の華の名を持つ一人の少女が璃郁家の養女としては最適とされました。私達は彼女を探しました」
 杏樹の顔から表情が抜け落ちていく。
「少女は意外なことに、捜し出す以前に守護衆と出会っていました。名も知らず、ただ無垢な心を持った優しい少女として出会った彼女の名は樹の華で、私達は彼女こそがその人であると思い、ですが慎重にことを進める為、他の候補もいたこともあり、しばらくの間、新女帝陛下が決まるまでその資質を見守りました」
 噛んで含めるように、彼は続ける。
「新女帝陛下が先頃決まったのは貴女も知っての通り。女帝陛下の友人たりうる者を選ぶことも正式に決まりました。見守りつづけた無垢な少女が、その筆頭です。名は」
「聞きたくない・・・・・」
 静かな声に対抗するように少女は叫ぶ。
「嫌!」
「杏樹」
「私は、そんな大層な人間じゃありません」
「杏樹・・・・・」
「・・・・・柳水詠流様も、他の守護衆の方も、私に女帝陛下の為という大義名分の下に今までの私を捨てよと、言うのですね」
「それは違います。貴女は貴女のままでいい。そのままの貴女として、女帝陛下の友となってもらいたいのです」
「私は、そんな者になりたくない。紫苑やおじさんや、皆と一緒にいたいんです」
 泣き崩れる少女の様子に、彼は思わず引き寄せ抱き締めた。驚いて見上げる杏樹の唇に自分のそれを重ねる。そして、そっと耳元で囁く。
「駆け落ちしましょう」
「ほぇ?」
「逃げましょう、一緒に」
 握り拳で真剣真面目に言う彼に、杏祷は呆気にとられる。いきなりの急展開についていけない。
「貴女がそこまで言うのなら、一緒に逃げましょう」
「・・・・・駆け落ち、逃げましょうって・・・・・」
「私のこと、嫌いですか?」
「いえ、そんなことは」
 真実彼女は彼を好いているが、いきなり言われても・・・・・第一、彼女はそういう意味で彼を好きかどうかなど、同じ位好きな人は他にも何人かいるので−そのなかに紫苑も入っていたりする(笑)−よく分からない。
「・・・・・でもね、杏樹、分かって下さい。女帝陛下は自分を顧みることもなく、逃げ出すことを考えることすらなく、孤独と戦っていらっしゃるのです」
 覗きこむ深い湖のように青でありながら影に入ると時に緑に変わる瞳には、一つの陰りもない。ただ真実だけを語る声、真剣さは先程に勝るとも劣らない。
「杏樹、せめて一度会ってはもらえませんか?陛下の憂い、一時でも、どうか」
 長い沈黙が横たわる。
 声の答えでなく、首肯でもって少女は答えた。
「明日、守護衆の一人が迎えに来ます。正式な手段では簡単には会えませんから、警備の間を抜けます。動きやすい服装で」
「はい」
 こくりと頷く少女に、華やかな笑顔を振り撒いて彼は最後に言った、心から。
「私は、本当に貴女が好きですよ」
 少女の頬を涙が伝った。
 月明かりに薄らぼんやりと浮かび上がる庭園を、どうしても眠ることが出来ないでいる杏樹が散策していた。
「誰か、いますか?」
 不自然な木の影に気がついて誰何する。
「《鋼の守護衆是隕》」
 杏樹は驚いて口元を覆う。まさか彼もとは・・・・・
「・・・・・お前、ホントにかまわねぇのかよ」
 小さな頃からちょくちょく店にやって来てくれていた常連客の言葉に首を傾げる。
「《彗流紫苑》で何時も楽しそうに働いていただろ?あそこに、もう二度と帰れなくなるかもしれないんだぞ?」
 何時だったか、突然雨の降ってきた日に鼻緒が切れて難儀しているところを助けてくれたことを思い出した。口は悪いが何だかんだいって優しい人だと、思い出した。
「俺も、突然守護衆に選ばれたんだ。鋼の座を継ぐ奴がいなくて、俺抜きに勝手に話つけて」
 吐き捨てるように彼は言った。少女は反発を覚える。
「同情ですか?それも自分の過去と重ね合わせたが故の?そんな同情ならいりません」
「そうじゃねぇよ!」
「・・・・・大丈夫、自分で決めたんです。そりゃぁ、『柳水詠流様に説得されなかったのか?』と言われれば『いいえ』とは言えませんけれど、それを聞いて、自分で決めたんです」
 ひっそりと咲く野の花のように、深みのある笑みを浮かべて少女は言う。『大丈夫ですから』と、『自分で決めたから』と。
「なら、いい。お前は自分で決められるんだな。少し羨ましいぜ」
「是隕さん」
「笑ってろよ。それでこそお前なんだぜ?」
 『気遣われるのは性に合わない』と、彼は彼らしい何処か無邪気な笑みを浮かべる。強靭でそのくせ繊細な不思議な心の持ち主は、悪戯っぽく笑って言った。
「ちょっと来いよ」
「はい?」
 疑うという言葉とは最も遠い場所で育った金色の髪の杏樹は首を傾げて近づく。
「っ!」
「じゃぁな!」
 声にならない、そんな杏樹に心底楽しそうな笑いを投げつけ、是隕は身軽に木々の間に消える。振り返る気配すらなく、迷いない。
 優しく唇の触れた頬に手をやり、少女は惚けたように立ち尽くしていた。

 くっきり晴れた空が茜色に染まっている。何時来るかと朱色の着物を身につけ少女は縁側でお茶を飲んでずぅっと待ちながら空の色が変わりいくのを見ていた。
「チチチッ」
「チュピ!?」
 青空色の小鳥が杏樹のまわりをクルクルと回る。
「来いって言うの?」
 杏樹の言葉に頷くように、チュピは外へ行くような素振りを見せ、一瞬躊躇した杏樹ではあったがパッと元気に外へと飛び出す。
「教えて、何処へ行けばいいの?」
「チチチッ」

「円瀬留さん!」
 何時ぞやの林の中、杏樹は是隕同様小さな頃から何度も遊んだことのある少年の姿を見いだし、抱き着かれた。
「杏樹ぅ」
「あの、円瀬留さんも?」
「うん、僕は《緑の守護衆円瀬留》だよ。今日は杏樹の道案内」
 駆け出す円瀬留はしっかりと杏樹の手を握って言った。
「行こう、陛下も待ってる。他の皆もね」
 林を抜けた先に隠されるように小さな木の扉があった。今でも使われているらしく古びてはいるが何の抵抗もなく扉が開けられる。そこにいるべき筈の人を探して円瀬留が頭を突っ込んできょろきょろと周りを見渡すが、
「まだ来てないみたい、ちょっと待ってね」
「はい」
「ねぇ、杏樹。杏樹は僕のこと、嫌いになっちゃった?ずっと、黙ってて、騙してたわけじゃないけど、杏樹は騙されてたと思ったよね?」
「えぇ。少し、恨みました。でもやっぱり、私は円瀬留さんのこと、好きです」
「本当?」
「はい」
 大好きな笑顔で微笑まれ、円瀬留はギュッと杏樹を抱き締める。傍から見るとまだ成長期らしく甘さの残る円瀬留は少女のような可憐さが漂い、可愛らしい杏樹と抱き合っている姿は女の子同士が友情を深めているようで微笑ましい。
「僕ホントに大好きだよ。杏樹が大好きだよ」
「私も大好きです」
 そぉっと円瀬留の唇が杏樹の頬に優しくついばむように触れた。

「いってらっしゃい、杏樹。藍祢、杏樹をお願いね?」
「あぁ!」
 凛々しく深紅の鉢巻きを巻いた藍祢がピッと親指を立て、ついでにウィンク一つお道化るように応じる。
「こっちだよ」
 扉で円瀬留の姿が消えるまで手を振る杏樹の手を引いて藍祢は言った。
「俺は《風の守護衆藍祢》、本当は城の前庭警備で、ここら辺は別の人なんだけどさっきのところから抜け出すから見まわりの時間はちゃんと知ってる。安心していいよ」
「分かりました」
 幼なじみの少女紫苑のライバルである藍祢は道場帰りによく寄っていてくれていた。飾らないまっさらな性格は守護の座《風》の如く心地良い。
「あのさ、俺と円瀬留と是隕は君と会った頃は守護衆の後継であってまだ任務を知らなかった。俺達は本当に君が好きで、通ってたんだ」
 真っ直ぐな言葉と心は、純粋すぎて眩しい程だ。
「有り難うございます」
「でさ、その、璃郁の養女になってもならなくても、俺と・・・・・」
「はい?」
「あ・・・・・あぁ、また、今度言うよ」
 途中で気恥ずかしくなった藍祢は言葉を濁してごまかし笑い。
「?」
 何が何やら分からなくてきょとんとした杏樹の横顔、広大な庭園の庭木の間から漏れた城からの光が少女特有の頬からあごにかけての甘い線が優しく浮き上げさせる。藍祢は半ば無意識に杏樹の頬に唇を当てる。
「ご、ごめん!」
「あ、いえ」
 二人揃って真っ赤に頬を赤らめ、その純情さでやるべきことを忘れてしまった。
「しまった!早く行かないとそろそろ巡回が来る」
 先に正気に戻った藍祢が照れ隠しのように強く杏樹の手を引いて走った。

「先生、連れて来たよ」
「まぁ、瑠芭様」
「ここで御殿医をさせてもらってます、《地の守護衆瑠芭》です」
「じゃ、俺は警備に戻りますね?」
「はい、気をつけて下さいねぇ」
 『にこにこ・・・・・』と穏やかに笑って藍祢を見送った瑠芭は杏樹に座るように指示すると、お茶を容れる。
「貴女が容れるの程美味しくないでしょうけど、どうぞ」
「はぁ」
 くすりと小さく笑うと瑠芭は暖かな眼差しで杏樹を包み込むように小さく首を傾げてお伺いをたてる。
「美味しいです」
「そうですかぁ、いやぁ、よかったです。・・・・・落ち着きましたか?何だか何時もと様子が違ってましたが?」
「はい・・・・・」
「では、これに着替えて下さい。城の侍女達のモノです。そちらが書庫でしてね。そちらでどうぞ」
 受け取った藤重ねの着物に着替えて戻ると、瑠芭はそつなく風呂敷を渡してくれた。それに最初着ていた着物を丁寧に包むと、『預かっていましょう』と申し出た。
「貴女は貴女らしく、ね?杏樹?」
「はい」
 スッと瑠芭は杏樹の頬に手をやると、額に元気づける優しい口づけを送る。
「おぉい、来たぜ」
「おやぁ、やっと来ましたか。あー、遅かったですね?」
「わりかったな」
 現れた−意外といっては全く失礼ではあるが−真面目な格好をした御洲夏は街にいる時とはまるで違って真面に見える。
「杏樹、いってらっしゃい」
 こくんと頷く杏樹に小さく手を振りながら、内心案内人が御洲夏であることに不安を覚えながら瑠芭は見送った。

 『キラキラ』 街の灯火を見た杏樹は随分と遠くに来てしまったような感覚を受けた。ついこの間の自分にこのことを言ったらきっと笑って取り合わないだろう。不安を覚えて足の幅が小さくなる。
「大丈夫、誰もお嬢ちゃん取って食おうってわけじゃないんだからな。そんな奴がいたらこの《炎の守護衆御洲夏》が守ってやるさ」
 少女の不安に気がついた青年はそう言った。明るい笑い声を上げる御洲夏の髪が松明の光を受けて炎のよう。
「しかし、ホントにお嬢ちゃんが璃郁の養女にねぇ」
「あら、御洲夏様は私を推薦しませんでしたの?」
「うんにゃ、した。全員一致だったからな」
「どうして私だったんですか?」
「そりゃぁ、一番お嬢ちゃんが可愛かったからさ」
 さらりと臆面もなく言う御洲夏に杏樹は目を丸くする。その杏樹の隙をついて唇を盗もうと御洲夏が流れるような動作で顔を近づける。
「こんのボケ!」
 間一髪御洲夏のドタマが殴られる。
「いってぇぞ、緒梨琵衣!」
「喧しい。ったく、その女癖の悪さのせいで大奥出入り禁止のくせして」
「まぁ・・・・・」
 驚く杏樹にとても可愛がっている妹相手に話すように、緒梨琵衣がわざとしかめっ面を作ると言った。
「いい、杏樹?こいつといる時はどれだけ警戒しても警戒のいすぎなんてことはないんだからね。気をつけんのよ?」
「はい」
 素直に頷く杏樹に御洲夏はがっくりと肩を落とし、緒梨琵衣は満足気に頷く。
「・・・・・じゃ、任せたぜ」
「あいよ。任せなさい」
「じゃぁな、杏樹」
 軽く笑って彼はスッと優雅と言ってよい程洗練された動作で少女の細い手を取り口づける。まるで異国の姫君に騎士が誓いをたてる時のように。

「さ、ここを渡ると大奥だよ。私は柳水詠流同様大奥勤務なんだ」
 御洲夏を見送り細く華奢な印象を受ける橋を指して緒梨琵衣が教えてくれる。大奥に仕える者として高位であることを示す色の着物を身に着けている。芝居衣装と違った感じではあるがこれはこれで豪奢な感じを受けるのは、緒梨琵衣特有の人の目を引きつける雰囲気が故だろうか?
「大奥勤務だとやっぱり他の守護衆よか陛下と会うんだけど、頭下がるよ、本気でさ。自分のことは二の次で、ホント頑張ってらっしゃるんだ。あ、言ってなかったんだけど、私は《夢の守護衆緒梨琵衣》だよ」
「そんなに、女帝の仕事とは辛いのですか?」
「蝶よ花よと育てられたそこいらの公家や武家の娘じゃ一日で音を上げるぐらいには」
 と緒梨琵衣は答えた。『だから』と続ける。
「幾ら陛下の憂いを晴らそうとしても、やっぱり女性でしょう?私達じゃ分かんない部分とかあるじゃない。そういうとこを、曝け出せる友人になって欲しいの?」
「はい!」
「いい返事だね、杏ちゃん」
 時折だが、『アンジュ』と呼ばず『アンズ』と呼ぶのはこの緒梨琵衣だけだ。子供をあやすような響きが意外と心地良い。
「ここまで来たら、引きかえせないんですもの。当たって砕けろです」
「ホント、いい子ね」
 キュッと抱き締めて年上の兄弟が妹を甘やかす時のような優しい唇がまぶたのすぐ上に降ってくる。
「ここから先は、杏樹一人で行かなきゃならない。道はこのまま進めばいい。大丈夫だね?」
「はい!」
 真っ直ぐな眼差しの強さに緒梨琵衣は優しく笑いかけると、髪を飾る翡翠の簪を外して渡した。
「頑張っておいで。元気なあんたが好きだよ」
「いってきます」
 大切に懐に簪を仕舞うと、少女はこの上なく彼女らしい笑顔で笑った。

 少し薄暗い廊下を渡っていく。
 トクントクン・・・・・
 心臓の鼓動が耳元でうるさいぐらい響いているような、そんな不思議な感覚で杏樹は一歩一歩確かに進んで行く。進む度に緊張の度合いは高くなり、少女は驚くほど澄んだ心で歩いて行く。
「何者だ?」
 突然闇の中から現れた漆黒の青年に誰何された杏樹は唇を両手でおさえる。そうでもしないと大声を上げてしまいそうだったのだが、そこにいるのが近く会ってなかった黒髪の青年であることに気がついて、名を呼んだ。
「玖羅弥蘇様」
「杏樹か・・・・・すまなかった。ここで女帝の間に向かう者を選別するのが私の役目なのでな。改めて言おう、守護衆第二位《闇の守護衆玖羅弥蘇》だ」
「・・・・・これで守護衆の方に会うのは八人目です。こうなると、最後の方が誰か分かってしまいました」
 くすくす 本気に楽しそうに笑う杏樹に、玖羅弥蘇は不可思議なモノを見るような視線を向けた。
「何だか私、緊張の糸が切れてしまったようです。無性に笑いたくなってしまって」
 ころころ 金の鈴を転がすような声で少女は笑った。玖羅弥蘇はそんな少女を幾度となく見てきた、今まで任務の為だと偽って、何度も自分が彼女を見たくてあの茶屋に足を運んでいた。
「・・・・・そのままの、お前でいてくれ」
「え?」
 驚く程鮮やかで優しい微笑みに惚けたように見惚れる杏樹の顔に影が落ちる。唇の暖かさに酔うように、杏樹は頬を染めた。
「さぁ、行くがいい。陛下が待っている」
「はい」
 迷いない足取りで、少女は歩き出した。

 大きな扉があった。眩しい程に白い扉に迷いが生じたが、深呼吸、自分らしさを取り戻す。
「失礼します」
「よく来たな、杏樹」
「・・・・・やっぱり」
「何だ、その『やっぱり』とは?」
 怒りのバッテンを作る金髪の青年の態度は想像の範疇で、少女は思わず笑ってしまう。
「だから」
「すみません、《襦李椏守》様」
「うむ。まぁ、いいこととしよう」
「はい。あの、陛下は?」
「この後ろだ」
 何時も怒ったようなつっけんどんな言い方が最初は恐かった《襦李椏守》だけれど、今は知っている、本当はとても優しい人だということ。少し目を細めて笑うと、瞳の蒼がたとえようもなく美しいということ。
「怖くはないか?」
「少しだけ」
 素直に心情を吐露すると、襦李椏守は笑った。優しい優しい、微笑み。
「呪いをかけてやろう。目を瞑れ」
 無言のまま目を閉じる。そうして訪れた優しい優しい唇の甘さにうっとりと陶酔してしまう。
「行って来るがいい。守護衆筆頭《光の守護衆襦李椏守》はお前の味方だ」
 囁く声に頷いて、少女は最後の扉に手をかけた。

 そこにいた少女は悲し気だった。思わず手を差し伸べたい程、何処か孤独な影を背負っていた。
「そなたが杏樹ですか?」
「はい」
「私は《露坐利亜》、そう呼んで欲しい」
「・・・・・はい」

 茶屋《彗流紫苑》の看板娘はいなくなった。突然に、だが、それは必然。
「「「「「「「「「あっ!」」」」」」」」」
 バツの悪そうな顔で彼等守護衆は顔を見合わせた。場所は茶屋《彗流紫苑》に続く道の途中である。
「行くか」
 誰かが言って、誰かが応じた。
 茶屋の暖簾を分ける。そして思わず、
「「「「「「「「「何時もの」」」」」」」」」
「はぁい」
 元気な声が応える。
「いらっしゃいませぇ!」
 金色のふわふわ髪が流れる。翠の瞳が優しく、赤い唇に穏やかな甘い微笑みが浮かべられる。
「「「「「「「「「・・・・・っ!」」」」」」」」」
「どうかしましたか?」
 『くすくす・・・・・』
「何でお前がここにいるんだよ!」
 是隕が叫ぶのを円瀬留と藍祢が押さえに入る。
「どうどう」
「駄目だよ、是隕」
「確か、正式に璃郁家に養女になったのではなかったのですか?」
「今は行儀見習いをしているんだろう?」
「どうしてここにいんの?」
 守護衆年中組が口々に言うのをにこにこと笑って杏樹は聞いている。
「あー、杏樹?」
「はい?」
「どうしてここにいるんだ?」
「露坐利亜が許してくれたんです。しばらくここに来ること」
「陛下が?」
 守護衆年長組に、少女はにっこり笑う。
「えぇ。私がいなくなってしまったらここの看板娘は紫苑でしょう?あの子に一から色々教えないといけませんでしょう?なにせ、紫苑はそのまんまだと、男にしか見えませんから・・・・・」
 誰かが吹き出す。
「杏樹!」
「ホントのことでしょ?紫苑ちゃん」
「おぼえてろぉ!」
 ゲラゲラと遠慮なく笑うのは誰とは言わないが数名いる。酷いぞ・・・・・
「で、紫苑に一通り教えるまでの約束で」
 紫苑の反応に零れるような笑みを浮かべながら、杏樹は言った。《彗流紫苑の杏樹》の笑顔で。
「どうぞ、これからも《彗流紫苑》をよろしくお願いします」
 誰が最初か、笑い声が少女を優しく包み込んだ・・・・・

 こうして茶屋《彗流紫苑》より物語りは終わりを告げる。

END