LITTLE GIRL DREAM

LITTLE GIRL DREAM


 当事者にとっては唖然呆然『一体どぉしてぇっ!?』な事態であった。

 えっちらおっちらと小さな女の子が広大な聖神殿の前庭を歩いていた。
「何処から来たんだ?」
「ここら辺りじゃ見かけん子だな」
「あ、脅えてる」
 いきなり自分の倍以上も身長のあるお兄さん達−約一名はおじさん(笑)−に囲まれればびっくりして脅えもするぞ。
「迷子か?何処に行くんだ?名前は?」
 子供好きが如実に分かる笑顔で一番年長の《精神の教官ヴィクトール》が聞くと、少女は答えた。
「私、アンジェリークです」

 乾いた風が吹き過ぎた・・・・・

「ONE  MORE  PLEASE」
 端正な美貌を引きつらせたまま《感性の教官セイラン》が綺麗な発音で言った。
「ですから、アンジェリークです」

 乾いた風が吹き過ぎた・・・・・

「えっと、アンジェリークさんの、妹?」
 子供っぽい甘さの多分に残る《品位の教官ティムカ》の言葉に、
「ちっがぁう!」
 少女の有らん限りの大絶叫が静かな聖神殿に轟いた。

 『ズダダダダダッ』

「どうした!?何があった!?」
 責任感の塊のような主席守護聖である誇りを司る《光の守護聖ジュリアス》に続いて、
「うっせぇな!ったく、人が二度寝してる時に」
「執務室で寝るんじゃない!」
「あぁもぉ!こんな時にまで喧嘩しないでよ!」
 賑やかな通称年少組こと、人に対して不器用な態度しか取れない器用さを司る《鋼の守護聖ゼフェル》何時でも元気なお兄さんといった勇気を司る《風の守護聖ランディ》、動物大好き植物大好きな豊かさを司る《緑の守護聖マルセル》やらが一団となって駆けて来る。何にしろ、好奇心旺盛な連中である。
「皆様方!」
 金色の髪が動きに合わせ、風をはらんでふんわりと膨らむ。
「えぇっ!?」
「嘘!?」
「何故!?」
 驚愕の叫びを上げるのは細目の目を見開いた知識を司る《地の守護聖ルヴァ》、絢爛豪華な美貌の美しさを司る《夢の守護聖オリヴィエ》、女性にはデロデロに甘く男にはとっても辛い強さを司る《炎の守護聖オスカー》の三人であった。
「きゃぁんっ、久しぶりっ」
 溺愛しまくりな声で何処から降って湧いたのか思わずツッコみたくなってしまう勢いで年若い美貌の世界の守護者《女王ロザリア・デ・カタルヘナ》が少女を抱き締める。
「陛下、狡い」
 横からかっ攫われる形で少女を取られたせいでだっこの出来なかった優雅な容貌の優しさを司る《水の守護聖リュミエール》が、日頃の温和さかなぐり捨てて非難する。
「・・・・・何、コレ?」
「・・・・・相変わらず」
「・・・・・何だかなぁ」
 誰もが抱く世界の守護者達の崇高なイメージとのギャップに『ズッキンズッキン』とばかりに痛む頭を抱えて、教官達は脱力する。
「気がつかないようだな。あれは《女王補佐官アンジェリーク》だぞ」
 しばらくそんな教官達を眺めて、極めて平坦な声で感情の読み取りにくい安らぎを司る《闇の守護聖クラヴィス》がそう発言すると、教官達の思考回路が、『ぶっちん』と音をたてて千切れた。
「「「うっそぉぉぉぉぉ!」」」

 現在の女王と補佐官が女王候補であった頃は女王の交替期特有の不安定さと宇宙そのものの寿命が尽き欠けているという状態が重なった為、女王試験中普通であれば決してあり得ないような怪異にもあったことがあった。
「二度目!?」
「そ」
 驚く世継ぎの王子殿下に、軽くオリヴィエが答える。
 そのなかの一つに、今回によく似たものがあった。(その話はここをクリック)
「では、今回も同じようなことが原因では?」
「いいえ、それだけはありません」
 もっともな推論を口にする将軍に、ゆるりとリュミエールが否定の言葉を向ける。
「『それだけは』?」
「原因自体がもうこの世の何処にも存在しないんだ」
 ひっかかった言葉を呟く芸術家に、肩を竦めてオスカーが簡潔な説明をする。
「前回はね、前半コメディで後半シリアスだったんだよ」
「・・・・・何の説明にもなってねぇって」
「えっと、世界の混沌を望む意志の固まり、というか、まぁ、思念の存在だったんだけど、そいつにアンジェリークのサクリアだとかを盗まれてね。そのせいであんな姿になってたんだ」
 補足にもならない妙な補足を入れるマルセルにツッコみを入れるゼフェル、代わりに補足をするランディである。
「その存在そのものは消滅した筈でしてねぇ」
「それ故、前回と同じ理由とは考えられん」
「と、いうことだ」
 最後の補足を入れるルヴァ、それを元にした結論を言うクラヴィス、締めを入れるジュリアスである。
 『では一体何故?』との沈黙が落ちるのは当然で、誰もがそれぞれの考えに思考をもっていかれそうになった時である。
「可愛いぃ」
 突然の声に視線を転じれば、女王が小さな女の子のリボンを直してやっている。襟にはレース、襟の下を通したでっかいリボンも勿論レースの縁取り、少し大きめに取られた襟ぐりから細い首と肩が覗いているのが可愛い。半袖は大きく膨らみ絞られた先にも大ぶりのレース、膨らんだ足首まであるスカート、白い足には折り返しをした靴下と小さな靴、金色のふわふわ髪は襟のリボンと同じレースを使った
それよりはやや細いリボンでヘアバンドと同じような感じでまとめられている。断言出来る。ビスクドールの可愛らしさに命ある者の輝きが混ざって、そりゃもぉ、メッチャ可愛い。
「私は着せ替え人形じゃないですぅ!」
 『ぷんすかぷんぷんっ』とばかりにビスクドールと見紛う程の愛らしい少女は怒って叫んだ。
 もっとも、それが無駄であることは、今までのいと気高き女王陛下の台詞及び態度で明白であったが・・・・・

「じゃ、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
 玩具にされまくり、通常の仕事よりもなんぼか疲れた−もっとも通常の仕事は給料泥棒並の簡単さだが−アンジェリークは、聖神殿内の女王補佐官の寝室のベッドに倒れ込む。
「明日には戻ると良いわね」
「そう願いたいですぅ」
 身長が届かないせいでドアを開けられない少女の為、御自ら様々な手助けをした女王は優しい笑い声をあげて部屋を出た。
「私としては、あと一日ぐらいはそのままが良いけれどね」
 ・・・・・鬼ですかい?

 『ぺたぺたぺたぺたぺた』
 間の抜けた足音が吹き抜けの回廊から外へと響いた。
「ぅん?」
「どうしたの?」
 足音に気がついたゼフェルが引きずられてさせられている花壇の草むしりから顔を上げると、不思議そうにマルセルが問う。
「おはようございます、良い天気ですね」
「おはようございます。陛下はどちらですか?」
 今日は午後から重要な謁見の儀があるということで午前中に勉強、というわけで朝も早くからやってきた品位と感性の教官達もまた足音に気がつく。
 『ぺたぺたぺたぺたぺた』
 裸足の足音だ。
「おや、どうしました?」
「おはようさん」
「おはようございます。ご苦労様ですね」
 散歩から帰ってきたと思しきルヴァ、オリヴィエ、リュミエールの三人である。
 『ぺたぺたぺたぺたぺた』
 足音は近づいて来る。
「どうしたんですか?」
「シゴかれてしまった」
「お前さんが俺達に朝練頼んだんだろ?」
 タオル片手にヴィクトール、ランディ、オスカーだ。
「ダァーッ!何をしている!?」
「アンジェリーク!?」
 大別して『公神殿』もしくは『宮殿』と呼ばれる謁見の間等の公的な部分を担う建物と『私神殿』と呼ばれる女王や守護聖達の私室のある建物を繋ぐ廊下を、公神殿側からやって来たジュリアスとクラヴィスの二人の声である。
 『ぺたぺた、ぺたん』
 朝の太陽の光を受けて白く輝く廊下、私神殿側に寄った位置に金髪緑眼の少女が立っていた。
「ふにゃ?」
 目を擦りながら少女は惚けた声をあげる。その少女は女王補佐官である少女であるアンジェリークだ。昨夜の子供サイズではズボンを履く必要がなかった為ゆったりとした彼女自身のパジャマの上だけを着て眠りについたのだが・・・・・
「何て格好なのよぉ!?」
 光と闇の守護聖を従えて歩いて来た女王が叫んだ。
 何となれば、すっかり元の十六の身体に戻ったというのに、昨夜最後に見たパジャマ姿で少女はそこに立っているのだ。元々本来の少女にも大きなサイズであったそれは腰の辺りも隠しているのだが、ほっそりした足が突然途切れたパジャマの裾から覗いていて、健全な青少年だけでなく、同性でも少々可成目のやり場に困る。
 『きょろきょろ』 周りを確認するように見回す少女の片手には真っ白いシーツが握られている。嫌な夢を見た子供のように見る間に涙が大きな翠の瞳に溜まると・・・・・

「・・・・・ぅわぁぁぁぁぁん!パパぁ、ママぁ、おねえちゃまぁ、どこぉ!?」
 脳天直撃の甲高い声に、流石の女王守護聖教官は、沈没した。
「うわぁぁぁんっ」

「今度は、中身が」
 外で年少の者達と遊びに興じている少女の姿に、頭痛の続く頭をとうとう抱えて光の守護聖は呟いた。
「まだしも昨日の方がマシでしたね」
 疲れ果て、討ち死に寸前の状態で炎の守護聖がぼやく。
「子供って、なかなか泣き止まないものねぇ」
 この頃の趣味であるマニュキアを塗りながら、夢の守護聖も苦笑する。朝方泣いていた少女を宥めてすかして、何とか泣き止ませた功労者である−因みに、先に台詞を言った二人は脅えさせるだけだった為即刻女王の手で放り出された−。
「危ない!」
「お止めなさい!」
 悲鳴めいた叫びがあがる。普段はあまり仲の良くない感性の教官と水の守護聖の声がほぼ同時に届く。
 何事かと視線を向ければ、細い枝にかかったバトミントンの羽根に手を伸ばしている件の少女が見えた。それだけなら、別段かまいはしない。
「何をしている!早く降りぬか!」
 珍しく慌てた風情で闇の守護聖が声を荒げて言う。木に登って少女は手を伸ばしているのだ、何時ものポーカーフェイスもどこぞにスッ飛んでいるのは当然だろう。
 『ピシッ』
 嫌な音が、少女の体重を支えている枝の幹と繋がった部分から、した。
 『ぽきっ』
 呆気なく枝が折れる。
 『ドサッ』
「グェッ」
「早く退けよ」
「アタタタタッ」
「アンジェリーク、大丈夫!?」
 木の下ではらはらしながら見ていた鋼の守護聖、風の守護聖、品位の教官、緑の守護聖を下敷きに、少女は目をぱちくりさせる。
「ありゃ?」
 今頃自分が落ちたという自覚が出てきたのか、首を傾げる。クッションのお陰で怪我はないらしい。下敷きの連中がどうだか知らないが・・・・・
 きょとんとしたままの少女を助け起こさねば何時まで経っても下敷きになった者がそのままだと、そう判断して精神の教官が手を差し伸べる。
「ありがとう、おじちゃま」
 『ピシィッ』
「き、禁句を言ったわね」
 顔を引きつらせる女王の視線の中には、瞬時に固まった『おじちゃま』が映っている。
「昨日はアンジェリークが振り回されていましたが、今日は我々が振り回されそうですねぇ」
 ぽつりと地の守護聖が呟いた。
 外見十七、中身五才の女王補佐官アンジェリークのそのアンバランスさが引き起こすトラブルを予見していたといえよう。

「ねぇ、ごほんよんでぇ」
 無邪気に少女が叫んだ。
 すでに半死半生、疲れきってへたばりきっていた青年達は顔を引きつらせる。
「ねぇ、ねぇ、ごほんよんで」
 無邪気さ二十パーセント増しの笑顔で少女はパステルカラーの絵本を持って可愛く、それはとっても可愛らしくお願いをする。パジャマにカーディガンという姿で。
「ねぇってばぁ」
 『止めてくれ』と誰もが思わずにはいられなかった。『女性に声をかけるのは男の義務だ』とまで言い切るオスカーですら、この状態の少女に手を出したら犯罪だと肝に銘じているのだが、少女の方はそんなことは全然知らない。知る筈もない。というわけで、子供の素直なスキンシップに走るあまり、一同の理性は可成擦り減っている。心は五才、でも身体は十七 抱き着くのは止めてくれ・・・・・
 返事に窮する一同に救いの手を差し伸べたのは、ちょうど通りかかった女王だった。
「どうしたの?」
「あのね、あのね、ごほんよんでっておねがいしてたの」
「あぁ、そうなの」
 そう言いながら、『ちらり』、視線を流すと、拝み倒さんばかりの一同の姿があった。
 別に絵本を読むぐらいどうってことないが、少女の私室で少女を寝かしつける為に読むのに複数で行くわけにはいけない。二人っきり、それも寝台の近く、理性が持つ可能性はけっこう低い。
「じゃぁ、私が読んであげるわ。いらっしゃい」
 昼間、それこそ引っ張り回され続けていたのを見ているだけに、女王もその懇願の眼差しを無下にはねのけることが出来なかった。
「わぁい!」
 『きゃうん』と飛び跳ねた少女は、
「おやすみなさぁい!」
 元気いっぱいに手を振って女王と連れ立って廊下に消える。
「「「「「「「「「「「「・・・・・」」」」」」」」」」」」
 それを力なく見送る一同であった。

「ぅがぁぁぁぁぁ!」
「またかよぉ!」
「おにいちゃまたちどうしたの?」
「いいのよ、ほっときなさい」
 頭を抱えてつっぷす何人かの姿に首を傾げる幼子を、慈愛の化身宇宙の母は冷厳に切り捨てる口調で抱き上げる。
「ねぇねぇ、私が誰だか分かるかなぁ?」
「うん、オリヴィエおにいちゃま」
 『きゃぱ♪』と笑って少女が一歩間違えれば女装に片足突っ込みそうな衣装の麗人の名前を言う。
「今度は外見と中身はおんなじみたいですねぇ」
「そうですね。オリヴィエ様を『おにいちゃま』って呼ぶんですから」
「どういう意味です、それ?」
「あの人の格好見たら一目瞭然だと思うけど?」
 ヒデェ言いようである。正論だけど。
「・・・・・いい加減着替えらせたらどうだ?」
「今日はどんなのに致しましょう」
「すっごく楽しそうですね」
「着替えたら遊ぼうな」
「お前完璧近所の兄ちゃんになってるな」
 以上金の髪と翠の瞳の女王補佐官アンジェリークが外見及び精神の年齢推定五歳が起きてきたことに対する一同の反応である。

「きゃう」
 可愛く両手を挙げたバンザイの格好で二段程階段を飛び降りた本日のアンジェリークの服は・・・・・
「かぁわいい」
「似合うよぉ」
 愛想も何もないような単なる袖なしの純白の膝丈袖なしワンピース−ウェストは絞られスカートはそこそこ広がっている−の上に、下が霞んで見える乳白色の長袖のワンピースを着るというもの。上の長袖ワンピースは襟の部分と袖口、袖なしのより長いスカートの裾を雪ウサギのような白い毛が取り囲んでいる。更にそのウェストを絞る細いリボンの両端にも同じ毛で出来たポンポンがつけられて、それがリボン結びにされている。シンプルだが、愛らしさは爆発的なものがある。
「かわいい?」
「えぇ、とっても」
 声に反応して身近にいた優美極まりない青年を見上げて問えば、おっとりと『当然だ』というような響きの答えが返る。
「えへ」
 嬉しそうに天使の微笑みが子供の顔に浮かぶ。そうして『何かないかな?』と好奇心にきらきらと輝く瞳を辺りに向ける。
「アハッ」
 何かを見つけたらしい。健気な一生懸命さでそれに向かって走りだす。

『ドゴッ』『バコッ』『ガッチャン』

 思わず沈黙するその他の一同

「あっそぼぉっ!」

 ひたすら元気で無邪気な子供

「・・・・・私はそういうキャラクターではないのだが」
 一人『我関せず』とばかりにお茶を口に運んでいたところ、突然少女に後ろから飛びつかれて敷布を挟んで地面と仲良しになった闇色の青年が呟いた。

「見てはいけないものを見た気分ですねぇ」
「アハハハハハ」
 乾いた笑いが同意する。
 何ともなればかの少女は絶対無敵の我が侭を爆発させて、嫌がる青年を相手に綾取りをするという快挙を成し遂げたが、傍から見れば、これ程現実を否定したくなることも少なかろうて・・・・・因みに件のお子様はといえば、今は子供好きの軍人さんに『たかいたかい』をしてもらっている。
「・・・・・早く誰ぞ、あれをなんとかしてくれ」
 疲れ果てた様子で責任感の強すぎる青年が呟いた。それこそ、血の涙を流す心から。
 そしてその原因といえば・・・・・
「ねぇねぇ、もっとたかくして、おじちゃま」
 『ぴしっ』
「危ない!」
「責任持ってちゃんと受け止めろよ、おっさん」
 『ザクッ』
「三十路前半に『おじちゃま』『おっさん』は酷いよ」
「あぁあ、拗ねちゃいましたよ」
「どうしたの、おじちゃま?おなかいたいの?」
「放っておいておあげなさい」
 同情も露な声に自分が原因だとは露とも知らない少女は、軍人さんの代わりに受け止めてくれたお兄ちゃんの腕のなかで首を傾げた。・・・・・無邪気さが、時として人を傷つける例であった・・・・・

 綺麗なミッドナイトブルーの星空に瞬く星を繋いで作られる星座とそれにまつわるお話しを好奇心できらきらと輝く瞳で大人しく聞いていた少女に、穏やかな声がかけられる。
「ほらほら、もうオヤスミなさいの時間よ」
 溺愛盲愛の母親のごとくロザリアが抱き上げると、聞き分けの良い少女にしては珍しく抗うようにバタバタと足をバタつかせた。
「ぃやぁん、下ろしてぇ」
「仕方ないわね、ちょっとだけよ?」
 ・・・・・何処までも、甘い人だ。
「わぁい」
「ん?」
 『テテテテテッ』と近くでこのやりとりを笑って見ていたセイランの座るソファに近づくと、ソファに上がろうとして、
「きゃん」
 コケた。・・・・・手足短いからなぁ。
「あぁあ、大丈夫?」
「うん、有り難う」
 抱き上げてやると嬉しそうに少女はセイランの首に腕を回し、
「おやすみなさい」
 『ちゅっ』
「っ!」
 今度は自分から上手くソファから飛び降りると硬直するセイランを尻目に、ヴィクトールの頬に、『おやすみのキス』である。
「・・・・・」
「あらあら」
 コロコロと事情が分かったロザリアが涼やかな鈴を転がしたような笑い声をあげる間にも、ルヴァ、ゼフェル、ランディ、ティムカ、マルセルの順に『おやすみなさい』。
「お、おやすみなさい」
「・・・・・おう」
「おや、す、み」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
 ぎこちなく挨拶する者と朗らかに言う者とに別れたのは、ご愛嬌だ。
「お嬢ちゃん」
「はぁい」
 『ちゅっ』
「わ、私は」
「おやすみなさい」
 『ちゅっ』
 呼ばれてオスカーと、思わず後ずさるジュリアスにも当然する。クシャクシャと髪を二人に乱暴に照れ隠しも兼ねて撫でられて、だけど嬉しそうに少女は笑う。
「アンジェリーク、私も」
「うん」
 『ちゅっ』
「アリガト」
 『ちゅっ』
 頬を指さすオリヴィエの頬にすると、当然のようにお返しのキスが返った。
「おやすみなさい、アンジェリーク」
 『ちゅっ』
「はぁい」
 『ちゅっ』
 リュミエールに先に挨拶をされた少女は笑顔満面でキスをする。
「あきゅ?クラヴィスさまはぁ?」
「・・・・・何処に行くの、クラヴィス?」
「私はいらん」
 逃げ出そうとするクラヴィスを面白がって何人かが押さえにかかる。
「離せ!」
「そんなにヤなのぉ?」
「否、別に」
 『あぅぅぅ』と泣き出しそうな少女の様子に、流石に大人しくならざるをえないクラヴィスだ。
「おやすみなさぁい」
 『ちゅっ』
「はい、全員にしたわね」
「うぅん、まだぁ」
 今度こそ寝かしつけようと抱き上げるロザリアに、花より可憐な笑顔でアンジェリークは笑うと、
「おやすみなさぁい」
 『ちゅっ』
 やっと硬直状態から抜け出したセイランが妙に感心したように言った。
「・・・・・成程、そういえば、してなかったな」
 そこで、同じように硬直していたヴィクトールが言った。
「・・・・・なぁ、もしかして、明日の朝もか?」
「えぇっ!?」
「別によろしいではありませんか」
「お前は良いかもしれんが」
「私も別にいいけど?」
「僕も大丈夫だよ」
「私も、挨拶でしたら」
「お子様は大丈夫だろうな。それに」
「ま、あの外見ですからね」
「確かに、本来の姿ならともかく、あの外見で逃げるのも、何だな」
「逃げようとしたくせに」
 ・・・・・好き勝手言ってるな・・・・・

「ねぇ、アンジェリーク。皆のこと、好き?」
 寝かしつける優しい手に、上と下が仲良くなりたがる目を何度も擦りながら、少女は夢心地で頷く。
「うん、とってもとってもだぁいしゅき」
「ふふ」
 寝顔の少女に、母性本能を全開の女王は麗しい母親の笑みを浮かべた。

 みんな、みぃんな、だぁいすき

 小麦の焼ける良い匂いの漂う部屋に、寝惚け眼を擦り、欠伸混じりに最初にやって来たのは年少のマルセル、ゼフェル、ティムカの三人であった。
「ふぁぁぁぁぁ」
「でけぇアクビ」
「あんなに遅くまで宴会するだなんて、思いませんでした」
 どうやらあの後は宴会に突入、守護聖教官共々自分の屋敷や学芸館には戻らず聖神殿内部にある私室や客間に泊まり込んだ模様だ。もっとも『勝手知ったる聖神殿』である守護聖のみならず、意外と教官達もここに泊まり込む回数は多く、ちゃっかり彼等専用の客間があったりするのだが。
「あ、おはようございます」
「おはよう」
「おう」
「おはようございます」
 ・・・・・
「「「えぇ!?」」」
「どうなさいましたの?」
「お、おま、お前」
「アンジェリーク?」
「何時の間に」
「起きたら戻ってました」
 『きゃろろん♪』と、笑いながら彩りを考えにいれたフレッシュサラダを眩しい程白い縁をレースで飾ったテーブルクロスをかけたテーブルに乗せているのは、金の髪と翠の瞳の可憐な女王補佐官でしかなくて、起きかけの寝惚けた頭も衝撃に綺麗さっぱり冴えてしまった。
「あら、おはよう。戻っちゃったの?」
「・・・・・すっごく、残念そうですね」
「うん」
 にっこり笑ってやって来た女王は思いっきり頷いてみせた。
「な、泣いてやる・・・・・」
 大袈裟に袖で顔を覆って泣くふりをする己が補佐官の姿に、ひとしきり華やかな笑い声を挙げると女王は自分の頬を示して、
「朝のご挨拶は?」
「え?」
「昨日小さな貴女はしてくれたわよ、『おやすみのキス』」
「えぇ!?」
「お約束ね、忘れてるだなんて。あのね、あんたは昨日は五才ぐらいの身体と心だったのよ。その前は、中身はお子様、外見今の状態だったけど」
 全然覚えていない少女は両頬を両手で押さえる。
「あれぇ?」
「おはようございます、陛下。・・・・・アンジェリークも」
「あら、おはよう。戻ったんだ」
「勿体ない」
「・・・・・本気で言ってるでしょう?」
 考え込む少女の姿に、更に起きて来た一団がやって来ざまに言った。
「ハラ減ったな」
「今日もコテンパンにやられてしまった」
「精進あるのみですよ」
 庭で朝稽古組が帰って来る。今日もめげずに年長二人につっかかっていって、負けたらしい年少の少年は痛みに歪んだ顔を、少女を見つけた途端に輝かせた。
「アンジェリーク!」
「おぉ、戻ったのか」
「よ、今日も可愛いな」
 『ゲシッ』
「朝っぱらから何を言ってる。まったく、普通の挨拶が出来んのか?」
「・・・・・もう何も言えんようだが?」
 腹心をいきなり肘でブチのめして説教を始める青年に、つくづくと眺めた青年がツッコみを入れる。
「うぅんと」
 まだ考え込んでいた少女は顔を上げると手近なゼフェルに近づく。
「おはようございます、ゼフェル様」
 『チュッ』
 『びきっ』とばかりに言葉もなく思わず硬直するゼフェルの横を摺り抜け、今度は、
「おはようございます、ティムカ様」
 『チュッ』
「わっ」
「おはようございます、マルセル様」
 『チュッ』
「う、うん」
「おはようございます、ランディ様」
 『チュッ』
「・・・・・っ!?」
 昨日はそれ程慌てなかった者も含めて流石に今回は顔が真っ赤である、当然だが。
「ちょっと待て、コレはどういうことだ?」
「昨日小さな私が『おやすみのキス』をしたのでしょう?『おやすみのキス』をしたのなら、ちゃんと『おはようのキス』もしませんと」
 にこにこにこ・・・・・
「おはようございます、ジュリアス様」
 『チュッ』
「おはようございます、オスカー様」
 『チュッ』
「あぁ、オハヨ、お嬢ちゃん」
 頬にキスをする少女のあごに指を搦めて唇にキスを返そうとする赤毛の狼は、
 『どげしゃ』
 無言で敬愛する先輩守護聖にドつかれた。
「おはようございます、オリヴィエ様」
 『チュッ』
「はい、おはよ」
 『チュッ』
 麗人が挨拶を返した頬とは逆の頬に、今度は佳人が先にする。
「おはようございます」
 『チュッ』
「おはようございます、リュミエール様」
 『チュッ』
「・・・・・俺にもするのか!?普通その年でそういうことするか!?」
「友達にもよく言われましたけど、挨拶でしょう?母様とも姉様とも、勿論父様ともしてましたから」
 朗らか笑顔で笑う少女に最年長のヴィクトールの顔が引きつる。例の『おじちゃま』扱いが可成残っていたのだろう。『父様』扱いも、三十路前半のヴィクトールにはキツい。
「おはようございます、ヴィクトール様」
 『チュッ』
「あぁ、私もですかぁ?」
 逃げ腰のルヴァにも、にっこり笑って頷く。
「おはようございます、ルヴァ様」
 『チュッ』
「おはようございます、セイラン様」
 『チュッ』
「お、お、お、オハヨウ」
 本人普通だったら赤面ものの気障な台詞を言うのは別段かまわないのに、こういった愛情表現に疎く、動揺しまくりであった。
「あれぇ?」
 指折り数えて足りない一人を探す。
「いたぁ」
 『キャハッ』と笑って一人逃げようとする闇色の袖を掴む。
「おはようございます、クラヴィス様」
 『チュッ』
「・・・・・」
 流石の鉄面皮クラヴィスも心持ち顔が赤い。逃げ出そうとしたわりに満更でもなさそうだが。
 ・・・・・因みに、満更でもなさそうなのは、彼以外の他の男性全員にもいえることでもある。それっくらいなら、素直に喜べば良いのに・・・・・
「皆の分作ったの?」
 最後に朝のご挨拶を受けた女王に補佐官はにこにこ笑って答える。
「はい。作る前に昨日何人の方がこちらに泊まったのか聞いておいたんです。ちゃぁんと多く作っておきましたから、おかわりして下さいね」

「美味しい」
 『ジーン』と感動ポーズで言うのは一国ならぬ一星の王位継承第一位の王太子、つまりは王子様の筈のティムカである。別段ごく普通の家庭の朝食であるのだが、こういう家庭の味が実はとっても好きなのだ。
「おかわり!今度は僕、チーズオムレツが良いな」
「あ、俺も」
 オムレツのあったお皿を高々と揚げて宣言するようにマルセル、ついでしばかりにまだ食べている途中のゼフェルである。
「他いらっしゃいますか?」
 何人かの手が上がる。
「パンが足りぬのではないか?」
「柑橘のジャムがなくなりそうだが?」
 復唱して確認を取りざまに部屋を出ていこうとする少女に声をかけたのは二人、パンを千切りながらバスケットに積まれたパンを一瞥したジュリアスと手元にマーマレードジャムを引き寄せながらのクラヴィスである。
「分かりました。いってきまぁす」
「いってらっしゃい」
「気をつけてね」
 思わず手を振って見送るリュミエールと幼稚園児を送る母親然としたロザリアである。
「普通の料理も作るんだな」
 聖地にやって来てからよく呼ばれたお茶会のセッティングは全て少女が中心である。それも出るお菓子はほとんど少女のお手製であった。それを指揮する軍の訓練兵時代からの癖でよく噛んでから飲み込むヴィクトールの台詞に応えたのは、同じ戦士系のオスカーであった。
「将来の夢が『お嫁さん』なお嬢ちゃんだからな」
「らしいですね」
 セイランの台詞は何時もの皮肉な笑いとは違って、小さいなりとも何処となく優しい笑みである。
「お料理以外にも、掃除洗濯大好きらしいし」
「家の方でやっててよく止められるらしいですよぉ」
「『私達の仕事がなくなります』」
 赤い唇に整えられた指を当てて言ったのはオリヴィエ、後光射す菩薩の微笑みで言うのはルヴァ、女王補佐官の館に仕える侍女の声音を真似るのはランディであった。

『がっちゃん!』

「ど、どうしたんですか?」
 盛大な音に驚いて少女がトレイを押しながら駆けて来る。
「・・・・・あきゅ?」
 銀色のトレイには冷めないようにと蓋をした皿やパンの乗せられたバスケット、幾つかのジャムの入ったビンが種類の数だけ乗っている。そしてそれを押して入って来た少女は首を傾げた。
 少女の綺麗な綺麗な翠の瞳に映るのは、

「ぉんのれという奴はぁ」
「原因はお前か」
「大馬鹿者」

 珍しくもイジメられているゼフェルの姿であった。

「つい最近見つかった『トキタダレ』という木がありましてね。その木の実には何やら不思議な効力がありまして、頼んで取り寄せたのですよ」
 そう言ったのは研究家タイプの地の守護聖だった。
「この実を食べていた動物の老化が可成遅いらしくてねぇ。ちょうど1ダース頼んだんですけどねぇ・・・」
「仕方ねぇじゃんか、知らなかったんだから!」
「人の部屋の物を勝手に持っていくこと自体が良くないことですよ、ゼフェル?」
「うぅっ!」
 言葉に詰まるゼフェルを相手に、何時も穏やかに笑っているルヴァが珍しく怖い顔で睨む。
「まったく、気がつくのが遅かった私も悪いかもしれませんが、それ以上にゼフェルが悪い。分かっているでしょう?」
 問いかける形で責められて、居心地悪そうに身じろぎする鋼の守護聖だ。正面きって説教されれば持ち前の性格から反抗しまくりだが、こういう風なお説教は反抗するタイミングが見つけられず逃げ出しも出来ない。
「あのぉ、それってもしかしてこの間ゼフェル様からいただいた。あの石榴に似た果物ですか?」
「そう、それです」
「・・・・・では?」
「それが原因です」
「・・・・・ゼフェル様・・・・・」
 責める口調ではないが、途方にくれたような声が少女の唇から漏れる。
「わりかった」
「人の物を勝手に取っちゃいけませんわ。止めましょうね」
「だから、わりかったってばよぉ」
「悪いですむか!」
 怒鳴ったのは、ここ二日というもの神経性胃炎に悩まされていた青年である。
「どれだけ迷惑被ったと思ってやがんだ」
「こちとらお陰で『おじさん』を連発されたんですよ」
「私はギャグキャラではない」
「アンジェリークだってきっと迷惑だったんだぞ」
 と、責める一団がいるかと思えば。
「よくやってくれたわ、ゼフェル」
「お陰で楽しかったですよ」
「面白かったね♪」
「ま、そこそこだったね」
「いっぱい遊べたしぃ」
「楽しかったですよね」
 などという一団もいる。・・・・・喜んでいる人数の方が多いのが、この聖地に住む普通でない人達らしいといえば、とってもらしいが。

 この日から、元々愛されまくりかまわれまくっていた少女が、更に愛されかまわれまくることになったが、それはまぁ、後日談である。
 更に・・・・・

 何時ぞやの小さな少女が着せられたような光沢のある絹のワンピースだが、柔らかな萌葱色のそれは襟ぐりと袖ぐりが大きく取っている。その上に着る薄い長袖は立て襟のすぐ下に着やすいようにあきがあり、着た後はチャイナ風の花を模した止めが抑えるようにしている。最初からウェストを締めたそれは膝丈のスカートが花のように広がっている。
「今日はこれなんてどうかしら?」
「だから、私は着せ替え人形じゃないですってば!」

 一部の誰かさん達が少女に色んな服を渡すようになったが、それもまた後日談
 小さな女の子の持ってきたちょっとした騒動のお話しである。

END