HEARTのThief〜theft1−10〜

HEARTのThief〜theft1−10〜


『今宵貴方のハートをいただきに参上致します
                   Angel Thief』

「アンズ、開けなさい」
 柔らかな声がベッドの上で膝を抱えていた少女にも聞こえたが、少女は無視することを決めた。
「アンズ、開けないとドアを壊すわよ」
 ボソリと呟かれた言葉に、少女は思いっきり青ざめた。
「わぁっ!!ちょっと待って!!」

 『ばったぁんっ!!』

 ゼェゼェと肩で息をして栗色の少女がドアノブに手をかけた状態で、上目遣いに目の前に立つ淡く輝く金の髪の女性を見上げる。
「リィク姉様」
「話があるの。いいわね?」
 毅然とした美貌の叔母の姿に、少女はため息をつきながら道を開ける。一度言ったことは絶対に実行する十も年の変わらない叔母の性格を、ずっと育ててもらった彼女が知らない筈もなく、拒否すればそれこそ本当にドアを壊してでも入ってくるだろうことが分かっていたからである。
「後は宜しくね、ディア?」
「えぇ、アンジェリーク」
 『にっこり』  外見こそ優雅な美女である二人だが、交わしたたおやかな微笑みにはそこはかとなく凄みがあり、
 『パタン』
「さぁさぁ、ここにいても何ですからお茶にでも致しませんこと?」
 『にぃっこり』  それこそドアに耳をつけて中の様子を探ろうとしていた何人かを、その微笑みで撃退してみせたのである。

「まずは、ご苦労様」
「ん」
 勧められた椅子に座ったリィク−アンジェリーク−は、姪の中でも一番勝ち気なアンズに労いをかけるが、彼女はたいして関心がない様子でベッドに腰掛ける。
「・・・・・好きだった?」
「リィク姉様?」
「セイランのことが好きだった?」
「リィク姉様!?」
 真っ赤になって座ったばかりのベッドから立ち上がると、リィクはため息をつく。
「貴女達を育てたのは誰だと思ってるの?」
 悪戯っぽく笑って同じように座ったばかりの椅子から立つと、橙色のリボンの妹のような娘のような愛しい姪っ子の隣に座ると、ポンポンッと『座りなさいな』と軽く叩いて合図した。
「私、あいつに会うと何時も正体とか、バレるんじゃないかって、本当はバレているんじゃないかって、凄くドキドキして行ったの」
「うん」
「リィク姉様の名前を名乗って、だから呼ばれる度にズキズキ痛かった」
「うん」
「・・・・・すき」
「うん」
「・・・・・すき」
 ポロポロ流れる涙を拭ってやると、栗色の髪の少女は金色の髪の女性に泣きついた。
「バイザーをつけて、分かる筈ないのに、分かって、言ったの。『僕が君を間違える筈がない』ってっ」
 まるで恋の告白のような言葉  だけど彼が見ているのは、呼んでいるのは自分であって自分ではない少女で・・・・・
 こんな風にこの姪が泣くのはほとんど初めてで、アンジェリークは宥めるように、この少女が小さな頃にやっていたように髪を撫でてやる。
 何度も何度も、泣き止むまで、ずっと・・・・・

 瞳が揺れた。ほんの一瞬だけ。
 それだけで彼女には十分だった。
「始めまして。私、こちらを見ていただきたくて参りましたの」
 不機嫌絶頂を隠しもしない相手に、彼女はいとも優雅に微笑んで青い輝く眼鏡を差し出した。
「・・・・・」
「ご理解いただけたようですわね?」
「要求を、聞こう」
「話が早くて助かりますわ」

 『天使の午睡』
「・・・・・何よ、これ」
 唖然とした様子で彼女は呟く。
 栗色の髪の天使の微睡む姿を描いた絵画は、優しい吐息すら再現しているような見事さで、仕事上それなりに審美眼にも自信のある彼女もため息をつきたくなる程の名画だが、問題は、それのある場所である。
「誰?これ置いたの?」
 ブルー系のすっきりとレイアウトされた室内は、そこを除けば確かに彼女が外に出る直前までと変わらない。そこ、『天使の午睡』と銘打った絵が飾られていることを除けば。
「あいつの、よね」
 冷たい硝子越しに触れて、少女は苦しそうに眉をしかめる。

 覚えが、あるのだ。
 あの瑠璃の青年に付き合ってモデルを勤めた当初、うたた寝をしてしまって、起きると青年が寝顔までスケッチしていたという事実がある。何より、以前見せてもらったラフスケッチの中の天使の持っていた優しさのある筆使いは、彼以外に考えられない。

「お節介焼きは、誰かしらね」
 悲しいため息と共に流れた言葉は、諦めるしかない恋の、一応の決着を着けるかのようだ。これはきっと、悔しい程心惹かれた人の、たった一つの思い出を忍ぶよすがになってくれるだろう。
「誰が入れたのかくらいは、聞いておかないと」
 ドアを閉めながら、幸せそうに微睡む天使に視線を向けて、彼女は部屋を後にした。

 少女の家でもあるここはちょっとした屋敷並みに大きな家であるので、当然ちょっとした庭もある。金色の髪の時々姉妹にも見える−姉弟ではない−従姉妹と幼馴染み、下の妹が暇を見ては手を入れている為、ちょっとどころでなく芸術並みに綺麗に仕上がっているそこには、幾つかのテーブルや椅子が置かれて、天気のいい日は午後のお茶をとる場所として使われている。
 声がするのもそっちだからと向かったアンズは、固まった。

「ヤァ、ハジメマシテ」

 白々しい言葉を白々しい口調で、表面だけは友好的に、彼は言った。

「なんでいるのよぉお!?」

 大絶叫である。無理もないが。

「姉さん、今度からうちに越して来たセイランさんよ」
「待って」
「私達より二つ年上でらっしゃるんだって」
「いや、だから」
「そうそう、お部屋はほら、あの続きの部屋」
「人の話を」
「高名な芸術家でもいらっしゃるそうよ」
「聞きなさいって」
「だから片方アトリエにするんだって」
「おいっ!?」
「「「「「何?」」」」」
「・・・・・」
 言いたいことは山程あるが、にっこりにこにこと笑っている妹達にも、従姉妹にも、親友達にも、彼女は勝てなかった・・・・・

 ズキズキする頭を抱えて、彼女は視線を涼しいを通り越して冷たい程整った美貌の青年に向ける。
 悔しい、悔しいが、見つめるだけで心惹かれている事実は揺るがない。
「一応、はじめましてにしておくよ」
 クスクスと笑って、彼は近づく。
 一歩、二歩、少しずつ。
「私、貴方を騙してたのよ?」
 ここにいるということが、彼につき続けた嘘が暴かれている事実を示す。
「騙しきれば本当ってね。・・・・・君はつき通した。君の勝ちさ」
 柔らかく微笑んで、彼は手を差し伸べる。
「改めて、名前を教えてよ」
 その微笑み一つに心を全て奪われそうで、惹かれる心は加速を増す。それでも彼女は問いかけることを止められない。
「ここにいるっていう意味が分かって」
 問いかけの先は、差し伸べられていた指に止められる。

「本物を手に入れる為の、代償としては安いものさ」

「馬鹿」
 ポソリと少女が呟くと、白い指先がそっと栗色の髪を宥めるように撫でている。

「こっちは忘れられてるねぇ」
 わざとらしくお茶をすすってみせたのは、オリヴィエである。
「いいんじゃねぇのか、やっとあのじゃじゃ馬も春だし」
「ジャジャ、って、アンズに殴り飛ばされても知らないよぉ」
 ケラケラと笑って言うのはゼフェルであり、たしなめるのはマルセルだが、『殴り飛ばす』って、いったい?
「ねぇねぇ、私欲しいワンピースがあるの」
 きゃぴんとした声でリモージュが誰にというわけでなく言う。
「ほぉ?なら、俺が金色のお姫様のお供をさせてもらおうか」
 カタンと音を立てて椅子から立ったオスカーが優雅に金髪の少女に手を差し伸べた。
 が、
「私も参りますわ」
「今回は私も順番ですのでご一緒しますよ」
 最強の保護者であるロザリアとリュミエールが揃ってオスカーの背後を取っていた。
「針のむしろだよなぁ」
 ボソッとランディが冷たい迫力満点の二人に他所事ながら気圧されるように、背中に冷や汗をダラダラと流しながら呟いたものである。
「そぉそぉ、今日は図書館に新しい本が入る日ですねぇ」
「図書館、近いんですか?僕まだ詳しくなくって。ついて行ってもいいですか?」
「私も、今日取り寄せた資料が研究所の方に届く筈ですので、途中までご一緒させて下さい」
 のんびりと椅子から腰を上げるルヴァに続いてティムカ、エルンストも腰を上げる。
「しまった、俺、今日休みじゃなくて遅番だったんだっ」
「・・・・・そろそろ、私も行った方がよい時間だな」
 日付付きの時計を見たヴィクトールが慌てて上着に腕を通すと、クラヴィスもゆったりと立ち上がり、家で作成した書類を持ってジュリアスも立ち上がる。
「時間もそうだが、そなた最近仕事自体してなかったであろうが」
「俺もこれから会議あんねん」
「メル、今日はサラお姉ちゃんのところにお泊りするんだったっ」
「なんだ、皆出て行く用事があるんじゃない」
 そんなことを言いながら、チャーリーやメル、レイチェルまでもが立ち上がる。

 普通、総勢十九人が動き出すとかなりの音がする。
「え?あれ?皆?」
 物音に気がついて振り返った
「私達お買い物行ってくるから、お留守番よろしくね、姉さん♪」
「おーい」
 『ちょっと待ってよ』とアンズが言うのも聞かず、アンジェに続いてアンジュも門扉の方に向かってスタスタ歩いている。
「いってきます、アンズお姉ちゃん♪」

「・・・・・」
 無情にも置き去りにされたアンズには言葉はない。
「気をきかせてくれたって、ことかな?」
「何のことだか」
 ボソッと少女が白い目で青年を見上げて言うと、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべて青年が動いた。
 流れるような極自然な動きで腕を伸ばしたかと思うと、少女の腰を攫うように引き寄せて抱き締めてみせたのだ。
「こういうことするのに、ギャラリーは邪魔だからね」
「バ、馬鹿っ!!」
 ジタバタと暴れるが、男性としては細い印象を拭えない腕はその見た目に反して男性として相応に力強く、ちょっとばかりむきになって暴れたくらいでは逃げ出せそうにない。
「離してよっ」
「逃げないならね」
 そんなことを言いながら、栗色の髪の天辺にキスをする。
「っ!?」
 実はこれで可成過敏なアンズには、ここまでされると、鳥肌どころの騒ぎではない。
「馬鹿ぁ、離してよぉ」
 涙声である。よっぽどくすぐったくて、言い表しようのない感覚に襲われているのだろう。こうなると、いっそ哀れである。
「はいはい」
 何処までも楽しそうに言って、彼はやっと少女を腕から解放した。
 そうしてそのままへたりこみそうになる少女の腕をとって、耳元で囁く。
「名前を教えてよ」
「・・・・・アンズ」
 物凄くくすぐったい囁きに負けて、小さく答える。
「そう、いい名前だね。僕はセイラン」

「よろしく、アンズ」

 やっと、呼んでもらえた。

 唐突に思った。
 ずっと他の誰でもない自分の名前を呼んで欲しかったのだと。

 だから、応えた。

「よろしく、セイラン」

 差し出された手に、内心の動揺は押し隠して触れた。一緒に住んでいる男性陣に比べると細いのに、握り返す力は男以外の何者でもないそれで、心臓の鼓動が勝手に動き出す。
 真っ赤になった顔を見られるのが嫌で俯くと、それを待っていたように再び引き寄せられる。
 キッと生来の勝ち気さから唖然とするよりも怒って見上げたその瞬間、その行動が分かってでもいたように絶妙のタイミングで唇を塞がれた。

「・・・・・」
 可成の沈黙が横たわり、怒りに震える少女の大絶叫がこの後轟いた。

「セイランのぶわぁかぁ!!」

 この叫びのすぐ後に高らかな笑い声が続いたのは、言うまでもないことである。


END