罪を犯した 未来永劫決して許されることのない罪
だから罰をうける 命の果つるその一瞬まで
空に煌く星々 それは優しい友人の瞳を思い出させる。
夜空のように深い深い藍色の瞳に光を宿した優しすぎる親友
全てを彼女に押し付けた。そうしないと、自分は世界を壊す者になるだろうから。
友は泣いた。『どうして?』と。ただそれだけを問いかけながら。
自分は答えた。『罪を犯した』と。ただそれだけを答えた。
友は更に泣いた。『どうして?』と。わけを少しも教えない自分を責めるように。
自分は更に答えた。『罪を犯した』と。わけを少しでも教える訳にはいかなかった。
潤んだ瞳を閉じる。
友は泣き腫らした瞳で頷いた。自分の最後の我が侭に頷いた。頷いてくれた。
『安定期に入った世界には貴女こそが女王であった方が良い。大丈夫よ』
『それでも私は、貴女が、あんたが女王の方が良かった』
耳に残る愛しい少女の声。時に母のように、時に姉のように、自分を庇い守ってくれた同い年の少女 どうして愛さずにいられよう?
「・・・・・何故、私だったのかしら?」
女王候補となったのは、女王となったのは!見当外れかもしれない、だけど・・・・・
「お恨み申し上げます、先代様」
自分と同じ色彩をまとい、同じ名を持っていた先代女王に、心からの恨みの声。
『ドウシテ 私 ヲ 選ンダ ノ デス カ ?』
零れた涙が足元で弾けた。
幽霊のように、滑らかな動きとそれとは対照的な虚ろな眼差しの少女は当てもなく唯気の向くままに歩いていた。
と、不意に腕が掴まれたかと思えば、近くの大樹の幹に身体を打ち付けられる。痛みに声もない少女の耳に、心地良い低い声が忍び込む。
「何故だ?」
快いその声の主から、少女は反射的に逃げ出そうとしたが無駄なこと。身動き出来ない程の力で打ち付けられ、両腕を戒められたままでは、とても叶わない。
「知らせを受けた。女王位をロザリアに譲るとは一体どういうことだ!?」
自分に最も近しい《 女王補佐官ロザリア・デ・カタルヘナ》 に女王位を譲ると宣言した時、彼はいなかった。彼女がそう仕向けた。
あってはならない罪を犯し、白々しい程に晴れ渡った空を見上げた少女はゆるりと後ろを振り返った。殺意が芽生える程に健やかな闇の守護聖の姿に、だけれどそれ以上に抗えぬ愛しさが込み上げる。
痛む身体に焼き付けられた罪に、心が誰よりも手を伸ばす貴方を、
『どうして貴方を罪に巻き込めましょうか?』
持参した見舞いの品の一つを思い出したのは、このすぐ後、彼が起きる前だった。
「眠りの香など焚いて、どうして!?」
『何故私をその話から遠ざけた』と、彼は呻くように少女に言った。
少女の使った眠りの香は、もともと香りに関して類い稀な才能を持っている守護聖が分けてくれた、彼女愛用の品であった。病を癒すには眠りが必要であろうと、案じる心が持参したそれを使って、彼女は彼の動きを一時封じたのだ。
「私は罪を犯しました。未来永劫その罪は消えることはありません」
「罪を犯したのは私だ!私がお前を、罪に引きずり込んだ」
「いいえ」
苦悩の言葉に、少女は緩く首を振った。
「罪は私にこそあります。あの夜、あんなことを言ってしまった私のせいです」
伏せられたまぶたの奥に、その時の想いがたやすく思い起こされた。
「どうして、あんなことを言ってしまったのでしょうね?自分のことなのに呆れるばかり。貴方に、他ならぬ貴方に、罪を犯させるようなことを、どうして言ってしまったのでしょう。時の河に埋めてしまえば良かったのに、わざわざあんなことを言ってしまった」
『だから』と少女は言う。
「罪は私にあります。幸いにも私の後継にはロザリアがいます。世界は安定された未来へと続くことでしょう」
狂おしい瞳で少女を睨むように見つめていた青年が腕を掴んでいた手を、腕から細いあごに移した。
唇が触れ合う一瞬前に、少女は拒絶した。
「世界を壊したくない」
世界を支える女王 その意志次第では世界は崩壊への序曲に恐れ戦くことだろう。
零れる涙を拭くことすら出来ない女王は、誰よりも世界よりも愛しい相手に言った。
「世界を愛しています。貴方がいる世界でもあるのですから。だけれどこのままでは私は世界の崩壊を願うでしょう。『貴方と共にいることの出来ない世界ならば』と思って」
夜の女王の子等が輝く時 二人の影が重なることはなかった
初代女王アンジェリーク陛下 後継者として己が補佐官ロザリア・デ・カタルヘナを指名し、退位後大陸エリューシオンに赴く。
新宇宙歴六年炎天の月−八月−のことであった・・・・・
風が渡る
渡る風に堕ちたる女神は目を細めた。夜の差し迫った夕暮れ時の風には、彼女の愛する唯一人の人の香りに通じるモノが何処となく感じられるのだ。
軽く閉じた瞳にかの方の姿が映る。
漆黒の後ろ姿 独特の排他的な雰囲気
その姿を片時とて忘れたことはないが、時折罪色に染め上げられた夜の情事が思い出されるのが困ったことだ。
流れる髪は星の光を秘めた漆黒の闇色 瞳は紫の水晶 皮肉な唇は血色の珊瑚
冷たい光沢の大理石のような白い肌は見た目に反してひどく熱かった
込み上げる愛しさと熱に潤んだ瞳を開いて、悲しみに心を染める。
二度と会えぬ方の瞳に似た夕闇のパープル 闇に近い青と太陽がその日最後の未練と残す朱色と混じりあったその色は、なんとあの人の瞳の色と似ていることか・・・・・
『・・・・・様』
二度と言わない。心に堅く誓った名を、唇に乗せることなく心で呟く。
あぁ、この心この想い、あの方へと渡る風にその名を乗せて届くなら、禁忌を犯すことであろうと伝えるだろうに・・・・・
しかし渡る風は無情に空に消え、彼女の唇からかの人の名が漏れることはなかった。
風が渡る
渡る風に甘い花の香りが混じっていた。夜の化身は、皮肉な笑みを唇に浮かべて想う。花に似た甘い香りをまとっていた優しい少女のことを。
二度と会えないかの女神は、今は健やかに生きているだろうか?
鮮やかな光を従えたその姿 惹きつけられて止まぬ優しい空気
思う度に蘇る姿は、狂おしい程愛しい。その愛しい想いは容易く罪にまみれながらも最も幸せだった一夜に混じり合う。
輝く髪は陽光のごとき金色 翡翠とも緑柱石ともつかぬ瞳
己が手で唇で染め上げた肌はもとは暖かい乳白
今唯一人の愛しい少女を想う。心捧げて悔いのない、最愛なる天使
渡る風が彼女まで届くなら、今も想うこの心を伝えるだろうに・・・・・ 漆黒の闇の中で、お前だけを愛している、と・・・・・
だが現実には、部屋の中に舞い込んだ風はその中で四散するのみだった。
互いに『誰よりも幸福であれ』と願いながら、二人はこの世で最も不幸だった
聖地の中央にある聖神殿の比較的こじんまりとした感のある部屋の椅子に、項垂れた少女が一人寂しく座っている。
そは堕天の女神 先代の女王であった少女
彼女の後継としてその優れた才能を遺憾なく発揮している《 現女王ロザリア・デ・カタルヘナ》の厳重な命令すら含んだ突然のお召しに従い、二度と踏まぬと思い誓った大地の上に彼女はいる。
残酷な運命は、再び少女を聖なる大地に導いた
『ドザドザドザザッ』
えらく静かだった部屋に突然の音
「っ!」
目を見開き口元を覆って振り向いた少女は、呆れた。
何となれば、どうも誰かが取っ手に手を置いたらしく、体重を乗せていた扉が開いてしまって皆してコケてしまったらしい、のだが、これが統一性というものが欠如しているとしか思えない程に個性的な男性達だというから、ちょっとしたお笑い話しだ。
「何をしているのですか?」
少々間抜けな問いである。
「あはっ、良かった。元気だったんだね」
喜色満面、『犬のシッポぶんぶん』状態で金色の絹糸のような髪の《 緑の守護聖マルセル》が飛びついた。一番下に敷かれていたにしては、元気である。
小学校低学年でももうしないようなダイナミックな愛情表現に唖然としつつも、少女は変わっていない最年少の少年の無邪気な性格を思い出す。たくさんの家族に愛されたが故に、純粋すぎる心のままに行動する幼子のような少年。
三年間、忘れることのなかったのはかの人のことだけ。かの方を想い続けすぎて、どうやら他のことが少々希薄になっていたらしい。
「相変わらずですね」
「君もね」
笑って更に『近所のお兄ちゃん』のようになった気がする暖かなブラウンの髪の《風の守護聖ランディ》の言葉に首を傾げる。
「お前も変わってねぇよ」
それこそ全く変わっていない乱暴な言葉遣いで鈍い鋼色の髪の《 鋼の守護聖ゼフェル》は言ったかと思うと、『グシャグシャ』と少女の髪を撫でた。
「雰囲気がね、変わってないよ。前より綺麗になってるケド」
何処から出したのか疑問だが、細い指にブラシを握った緩くウェーブのかかった金髪の《夢の守護聖オリヴィエ》
が慣れた仕草で少女の髪をあれよあれよと思う間に梳いて整えて、結ってやった。
「もうお嬢ちゃんなんて呼べないな」
甘く笑いをにじませた顔で、深紅の炎のような髪の《 炎の守護聖オスカー》
が軽く髪に指を絡ませて言った。
「三年しか、なのか、三年も、なのか分かりかねますが、元気そうで良かった」
心から微笑んで優雅に首を傾げたのは清流を思わせる青がかった銀色の髪の《水の守護聖リュミエール》
だ。
「・・・・・なさい。ごめんなさい」
『ポロポロ』と真珠のような美しい涙を零して、少女は謝り出した。スカートの端を握り締め、指と指の間から幾つものひだを作って。
「あの、どうしたんですかぁ?」
心底困った声でうろたえまくる故郷の習慣に従ってターバンで髪を覆っている《地の守護聖ルヴァ》が問うと、絞り出すような声で少女は答えた。
「わた、私、ここに来るつもり、全然なかったんです。きっと、皆様方許してくれていないだろうって、突然『罪を犯した』って、それだけ言ってここを出てしまったから、私も皆様方に合わせる顔がなくて」
泣き続ける少女の額を、冷厳にして無情とまで−冷厳はともかく無情は陰口だが−呼ばれる濃い蜜色の髪の《
光の守護聖ジュリアス》 が軽く弾いた。
「お前は私達を見くびっていたのだな。失礼なことだ。どんなものかは知らんが罪を犯して、だがそれを償う努力をしているのだろう?そういった者を無用に嫌う者なぞ、我等のうちにはおらんぞ」
驚いて見上げる少女に、心底呆れたと言いた気な顔で彼は言ったのである。
「あ、あぁ、ふぇ」
少女は涙を流し続けた。嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなかった。
扉が開き 運命は再び回り始める
少女が姿を消した日から 止まったままの歯車が回り出す
全ては 定めのままに
恐ろしい程純粋すぎる白い空間に、少女の声が木霊する。
「お召しにより参上致しました」
礼をする少女の耳に、柔らかな裾を引く音が届く。
「お帰り、優しい子」
「陛下!?」
狼狽する少女に、年若い美貌の女王は悪戯っぽく笑った。少女を抱き締めたまま。
「あらあら、目が真っ赤よ?」
「あ、これは」
更に少女はうろたえる。相変わらずな少女の反応に、心底嬉しそうに笑った女王は、しかし、
「『罪を犯しました』」
突然冷ややかな声を紡いだ。
「そう言って貴女はここを去ったわね?」
「・・・・・はい、陛下」
「全て、聞いたわ」
俯いていた少女は驚愕の表情を張り付かせて少しだけ背の高い女王の顔を見た。
『信じられない』と言いた気なその顔に、女王は苦い苦い笑みを浮かべて言った。
「女王の恋は禁忌・・・・・」
小刻みに震える少女を抱き締める腕に力を込めて、宥めるように女王は金色の髪を撫でる。幾つも年下の、子供を相手にするように。
「とんでもなく面倒だったわよ?彼はもともと無口だしねぇ・・・・・ 宥めてすかして脅して、やっと聞き出したわ。・・・・・辛かった?」
少女は頷いた。
「今も好き?」
少女は頷いた。
「そう、やっぱり好きなのね」
少女は頷いた。
「ずっと、この三年一日だって忘れたこと、ありませんでした」
小さく笑った女王のその顔は、まるで子供を見守る母親のような慈しみの心に満たされたそれだった。
「たった一度の、チャンスをあげる。モノにしなさい」
「ロザリア?」
「こぉら、ロザリアじゃなくて陛下でしょう?」
「ご、ごめんなさい」
慌てる少女の頬に祝福のキスを送ると、女王は厳かな声で囁いた。
「貴女の心の指し示す場所へ、お行きなさい。そこの主が現れれば、罪は昇華するわ」
『こくん』
涙を零しながら、少女は頷いた。そこが何処かなど、わざわざ聞く必要がなかった。この大地を踏んだ瞬間から、ずっと心が指し示す場所は・・・・・ 決して行ってはならない、会ってはならない人のいる場所
「さぁ、お行きなさい。貴女の、最愛の人のところへ。唯一人罪を流してくれる人のところに」
少女は振り向くことなく、走った。もう、彼のことしか考えられなかった。
だから、女王の言葉は届かなかった。
『だけれどそれが真実罪ならば・・・・・』
走って、走って、背後で聞こえた声にも答えず走って、走りながら幾度となく、かの人の名前を声なき声で呼んだ。それが言葉となり空気に触れることはなかったが、それでも何故か声泣き声で呼んだ。
たった一人の愛しい人の名前だったから・・・・・
そして目の前に、漆黒の扉が一つ。
一度、ためらいがちに叩く。応えはない。二度目も同じ。
罪は永劫に許されないのか?
絶望感に心を満たされ、それでも少女は扉を叩き続けた。その扉の向こうにいることだけは絶対だと知っていた。心が共鳴するように、この先にいるのだと分かった。何よりも心がこの先だと指し示す。だから、間違いではないことだけは確かだから、想いある限り呼び続ける。
「お願いです。どうか」
時として鳴咽に言葉が途切れる。途切れて、だけれど呼び続ける。
「どうか、どうか、お願いです」
『愛している 愛している 愛している』
片時として忘れたことはなかった。あの物憂気な雰囲気を、憂いを秘めた紫水晶の瞳を、時折皮肉な笑みを浮かべた赤い唇を、夜を紡いだが故に星の輝きを合わせ持った闇色の髪を、何時もまとっていた夜の薫りを、どうして忘れることが出来るというのか?誰よりも近しく感じ、触れたというのに!どうして忘れることが出来ようか?命賭けても悔いのない、愛しい愛しい方なのに・・・・・
「姿を見せてください」
定めの輪は回る
呼ばれたような気がした。最愛の愛しい少女に。三年もの年月、一度として忘れたことなかった、優しく無垢だった少女の声を聞いた気がした。
思い起こされる泣き顔の少女 笑顔を見た数の方が圧倒的に多い筈なのに、思い起こされる少女は泣いている・・・・・ 自分が泣かせたのだ。
無理やり手折った無垢な華は二度と手の届かない場所へと自ら堕ちた。
『罪を犯しました』
そう、嘘をついて、二度と会えない場所に一人行ってしまった。誰よりも嘘をつくのが苦手な少女だったのに、自分が嘘をつかせた。
自分勝手な行動の、それが罰だというのならば、受け入れる以外に道がないのが狂おしい程苦しい。彼女は持っていた全ての名誉と権利を放棄してかの地へと降りたのだから、自分もまたそれに準じる罰を受けなくてはならない。
幾度少女の声を聞いただろう。ただし、まほろばの、うたかたの、泡沫の、夢でしかない空しく切ない声・・・・・
『・・・・・様』
高く澄んだ声が、名を呼ぶ。誰でもない、この自分の。
『・・・・・様』
だがこれは、幻でなく?それが心に響く?
『・・・・・様』
あり得ぬ筈の声が聞こえた。
『・・・・・様』
扉を叩く音に彼が気がついたのは、この後だ。誰をも拒絶する彼の空間において、彼が心を向けるまで、それは永遠であろうと彼に気づかれることはない。なのに、彼はそれに気がついた。
それが、奇跡の一部分・・・・・
苦悩の断崖絶壁から目をそらすことなく、二人は淵からその先の狂気を見下ろす。
危うい一線でもって己を保ちながらも、何よりも狂気に心奪われる、罪にまみれたその咎人こそが二人だった・・・・・
ソシテ とびらガ ひらカレル
幻でもかまわないと思った。焦がれ続けた女神が一心に自分を見ている、それはなんと甘美な夢であろうか?
だが、泣きながら自分の名を鳴咽の合間に呟き続ける少女を腕に抱いた瞬間に、それはかき消える。
少女はそこにいるのだ。
「ふぇ、ぐず、くすん」
必死に涙を消そうと両手で目を擦る少女の二の腕を掴んで、彼は額に口づけた。
少女を引き寄せた時に押さえていた扉は音もなく閉じ、身を反転させて扉を壁にした青年は、その背を壁に預けると、そのまま座り込んだ。力が抜けてへたりこんだといった方がいいかもしれない。彼は少女を腕の中に納めたまま、冷たい磨き抜かれた黒大理石の床に座り込んだのだ。
泣き声だけが虚空に響く。
「私の、私だけの天使」
金色の髪に頬を寄せて彼は少女がそこに在ることを確かめる。一瞬でも離れれば二度と会えぬとばかりに、金色の絹糸から薫る妙なる薫りを胸いっぱいに吸い込み、金の髪に頬擦りをし、そこに口づけた。
少女の方も、それこそ広い青年の胸に身体を押し付けるように泣いている。男の漆黒の衣装にすがりつき、片時も側を離れることが嫌だと言わんばかりに。
恋情めいた感じはまるで受けない。離れ離れにならざるを得なかった、心も身体も魂すらも分けて生まれた双子のように、二人は幾度となく相手の名を片や鳴咽混じりに、片や激情に途絶えがちに呼び合う。
それはひどく清らかな抱擁だった。
「へぇいぃかぁ!」
妙にまのびした声が響く。
「入ってらっしゃい」
苦笑しながら答えれば、ぞろぞろと八人の守護聖が女王の間に入ってきた。
「・・・・・罪を犯したならば、何を科せられる?」
「は?」
一様に目を丸くする守護聖達に、麗しき女王は仮面のような硬質な笑みを浮かべ、抑揚なき声で続ける。
「罪には罰を・・・・・なれば罰を受ける者に訪れるは?」
金色の髪の皆が可愛がりまくっていた少女を突然召した理由を聞きに来た守護聖達は女王の言葉に首を傾げる。
「罰を受ける者には何時しか救いが。罰を受け、罪は浄化される」
ここで心底からのため息を女王はついた。
「だけれど、最初から罪などありはしなかった」
『馬鹿な子』と、女王は呟く。かの少女への溺愛ぶりでは守護聖達に張る程の女王は、ほとんど『馬鹿な子程可愛い』的な口調で、口元に何処となく困ったような笑みを刻む。
「ありもしない罪の罰を受けるだなんて・・・・・どちらもどうして分からなかったのかしら?恋したことが罪ならば、この世は咎人だらけよ。女王の恋は禁忌であろうと、恋したこと自体が罪なわけないのに、何故分からなかったのかしら?」
と、不意に穏やかな笑みを満面に浮かべる。
「いいえ、分からないから、その他全てを忘れるから、だから、恋と言うのよね」
泣き続ける少女の頬に、額に、まぶたに、唇に、彼は幾度となく唇を寄せた。
最愛の少女、それは彼の救いの具現であった。
『・・・・・成程ね。やっと分かったわ。あの子の言った罪とは、そういうことだったのね』
蘇るのは女王の言葉 悲しみに満ちた眼差しの女王の声
彼女もまた少女をそれは愛していた。娘のように、妹のように、大切に慈しんでいた。似ているが、全く違う愛情をもしかしたら自分よりも少女に向けていた。
『闇の守護聖よ、汝に一度だけその罪の浄化の機会を与える。・・・・・何時とは言わない。どんな形であるかも、教えない。だけれど一度だけチャンスをあげる。上手く掴み取れるかは貴方次第よ』
今は分かる。この少女こそが救い、女王の与えてくれた最後のチャンス。罪を浄化させる、たった一度だけの。
二人とも口づけと抱擁だけで足りる程 大人でもなければ子供でもなかった
陶酔のままに少女は彼の名を呼び続ける。限りなく甘い響きを宿らせ、潤んだ翠の双眸に彼を映し、誘いすらかけるように彼に腕を回す。
なれば彼も、愛しさを浸した声で少女の名を呼び、笑みをにじませた紫の瞳に少女を映し、応じて少女の首筋に顔を埋める。
衣擦れの悩めいた音が漆黒の空間に落ちた。
限りなく優しい青年の動作に、少女は素直に反応する。
密やかな吐息が、意味をなさぬ甘い声が、等しく闇の中に溶けていく。
翠の瞳はまぶたの奥 軽く開けられた唇から熱い息が途切れがちな声と共に漏れる。
幻ではないと言い切れない不安定な現実の上で、彼は彼女を抱く腕に力を込めた。
離したくなど決してなかった。愛おしさは募るばかり。荒れ狂う想いのままに少女を乱したいとまで思う。出来る筈もないけれど、それ程まで求めていた。
だけれど、だから、
「?」
唐突に止んだ口づけと愛撫に、少女は瞳を青年に向けた。真実を見抜く宝石の瞳で。
緩められ半ばまで肌を露出した少女自身の姿が青年の瞳に写っている。
・・・・・彼は脅えていた。『このまま消え去ってしまうのでは?』と。
狂恋の夜、その後、彼は彼女を失った。あの時のように、少女を失ってしまうのではないか、と。
あの時、最後の決意をした時に、よく似ているのだ。だから迷う。
『最後の機会、これで良いのか』、と。『己が選択に間違いはないか』、と。
薄く微笑み、少女は青年の唇についばむような愛らしい口づけを贈った。
『絶対に言うまい』と誓いを立ててはいたが、今はもうそれには何の効力もない。だから心からの言葉を紡ぎ出す。
「貴方を愛しています」
苦しかった会えない日々は、恋を愛に変えた。蕾が花開くように鮮やかに、華やかに、誇らしく咲き誇る、それは花に似ていた。
そしてそれは、散ることなく、今日まで咲き続けた。ただ彼の為だけに。
青年の名を、少女は初めて呼ぶように囁いた。
「クラヴィス様」
「貴方を愛しています」
魔法のように、心にそれは響いた。
彼は皮肉に笑って弱気な自分に呆れ、強くなった少女にまた惹かれた。
会えなかった日々を少女がどう過ごしたのか彼は知らない。知らなくても、今ここに彼女がいれば良いのだと思える自分を、やっと見つけた。
少女に笑いかけて、息がかかる程間近で呟く。
「愛している」
額にかかる金色の髪を梳いて、そこに口づけながら、
「アンジェリーク」
それが二人のその日最後の言葉だった
後は、言葉にもならない声の残骸
陽光煌く朝とはとても思えない闇色の空間で、それ故にぼやけた意識は勘違いを犯した。
「まだ、夜?」
小さく吹き出す声が聞こえた。低い魅力的な声が笑いをかみ殺しかねて、微かに笑っている声が漏れている。
視線をさ迷わせると、悠然と椅子に座ってこちらを見ている青年の姿があった。素肌にそのまま漆黒の上着を着ているらしい。
「あの?」
「とっくに朝だぞ」
笑いの余韻を残した紫水晶の瞳が優しく少女を見ている。白い手に湯気を立てるディーカップを持っていた青年は、首を傾げて少女に問う。その際に、長い髪が音を立てて肩から滑り落ちる。さらさらさらり・・・・・
「よければ、まだ残っているのだが、どうだ?」
「・・・・・」
「どうした?」
「・・・・・あ、いただきます」
紫水晶の瞳に魅入っていた少女は、慌てて答えると起き上がれ、なかった。
「どうした?」
再度問いかける青年に、とことん天然惚けな少女は目元に涙を溜めて、心底真面目な声で言った。
「身体が痛くて起き上がれません」
『ブッ』 すかさず青年が大きく吹き出し、気管に入れてしまうというタイミングばっちりのボケをした。
「それは・・・・・」
青年は原因が何であり、誰のせいかも分かっているが、どういう風に言えば良いのか全然思い付かずに言葉を濁す。・・・・・実は彼自身、起きる時には結構身体が痛かった。
「くすん、お茶が飲めない」
ふかふかした枕に顔を埋めて拗ねる少女の幼さに、彼は微笑しながら近寄って手を貸してやる。出来る限り痛みがいかないように気をつけながら、内心『身体の痛い』原因を聞かれずにすみそうなことを喜んだ。
「有り難うございます」
礼を言いながら漆黒のシーツを肩まで引き上げようとする少女に、青年は無言のまま、重ね着する自分が昨夜まで着ていた漆黒の長い布をかけてやり、少女の分のカップにお茶を容れる。
アンバーの綺麗な水面に少女が映る。嬉しそうに笑って、青年を見上げる少女が。
美味しそうにお茶を飲む少女のいる寝台に腰掛け、青年は一時も目を離すことが嫌だとばかりに見つめていた。
「あの、昨日の夜は・・・・・」
これだけで何が言いたいのか察した青年は口元に笑みを刻んで答えた。
「執務室だったな。今は隣の私の私室だ。あのままだと風邪をひくから」
「そう、ですか」
真っ赤に顔を染めた少女の髪に、青年の指が搦められる。二度三度と梳いて、指は頬に移った。
「あっ」
驚いてカップを少女が落とす。
琥珀色の液体が漆黒のシーツに染みを作る。
「あぁ!すみません!」
「かまわん」
慌てに慌てる少女に短く捨て去るように囁き、青年は少女の唇を奪う。
何より甘い一時
「クゥラヴィィス!」
「起きてるかぁい?」
「起きてたら、ちょっと」
「聞きたいことがあるんですがぁ」
問答無用で扉を開けて入って来る一団あり。
『ぴしりっ』 何処かで空気の凍る音
「「「「「「「し、し、し、失礼しましたぁ!」」」」」」」
ドアを閉める音も高くそのまま一団は廊下に出るや、喧しい。
「何だよ、あれ!?」
「見たまんまだろ?」
「すっごぉい」
『トマトや林檎にも負けません』とばかりに真っ赤な顔でラヴェンダーと青と深紅の瞳の年少組が囁き合う。何処となく上ずった声だ。
「意外とお手が早いようで」
「早いなんてもんじゃないって」
「知らなかったぞ、あんな性格だったなどとは」
「いやぁ、お熱い」
話題の青年がいない為に一人欠けている蒼とダークブルーの瞳の年長組と瑠璃色と碧の瞳の年中組の会話の数瞬後、青の瞳の年中組の一人が爆弾投下。
「あのキスマークの多さ、一度や二度じゃねぇぞ」
『ピシィッ』 思わず凍りつく一同
「あ、やっぱり?」
「ちょっとだけ肩が見えてたけど、普通一度だけじゃあんなにはなぁ・・・・・」
「知らなかった」
「全然知らなかったぞ」
「もう、笑うしかありませんね」
「あは、あはは」
「笑いが乾いてるぜ」
「湿ってても変だよぉ」
前庭からの散歩帰り、朝っぱらから−といっても『朝』としてはもう遅い時間だが−固まって密談する守護聖の姿に気がついた濃紺の髪の女王は、小さく言った。
「だから、二人が来るまで待ちなさいって言ったのに」
『あてられるに決まってるでしょうが・・・・・』と、ため息と共に紫紺の瞳の麗しき女王は言ったのであった。
気まずく、青年が離れる。内心怒りまくっているが、それを少女にぶつけるのはお門違いなれば、『後で見ていろ』状態で怒りは蓄積される。・・・・・この分だと、かなり同輩及び後輩の守護聖達は酷い目に会うことだろう。
「ど、ど、ど、ど、ど、どうしま、どうしましょう」
『わたわたわたわたわた・・・・・』
放っておけば延々と続けそうな気配に、青年は笑いをかみ殺す。内心の怒りを一瞬にして綺麗に消し去ったその態度は、少女らしいといえば少女らしい、すこぶる幼い子供のような無垢さで。なんとも、その幼さが愛おしい・・・・・
「落ち着け」
笑いを含んだ声で囁くと、少女の潤んだ翠の双眸が見返す。
「大丈夫だから」
落ち着けるその声に、少女は素直に頷く。
「良い子だ」
あやすように呟いて、懲りずに二度目の口づけを送る。
「もう、クラヴィス様」
「何だ?」
「何だじゃないですぅ、どうするんですか?」
「別段気にする必要はあるまい?」
「私は気にしますぅ」
「だが、私は気にしない」
あっさりと言葉を返されて絶句する少女の頬に額に口づけを送りながら、青年は少女の身体を押し倒す。
「ちょっ、待って下さい」
「待てば大人しくなるのか?」
青年の下で、少女は痛む頭を押さえる。誰よりも愛しい人だけれど、
「これ以上痛くなるのヤですぅ」
「・・・・・」
思わず沈黙 自覚症状があるだけに、流石に動けない。
「仕方がない」
『ホゥッ』と一息つく少女に笑って、その隣に潜り込む。
「しばらく眠ってから女王陛下と謁見しよう。全てを二人でお話ししなくてはな」
実際のところかなり眠いらしく、うつらうつらそう言うと、少女は頷いた。
「はい」
笑みを交わす。穏やかに、世界よりも愛しい相手と。
最愛の存在を腕の中に抱き締めた者と、最愛の存在の腕の中に抱き締められた者は、これ以上もなく、幸せだった。
定められた通りに二人の運命の輪は回り続ける
「愛している」
魔法の呪文で全ての罪を洗い流して・・・・・
そして眠りにつく一瞬前
甘い口づけを交わした
END

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